50.奇病騒動と治癒魔法
錬金屋の二階にあるキャシーの自室へと案内されたグレアムたちは、ベッドに寝かされている彼女を見下ろすようにしていた。
キャシーは酷く脂汗をかいていて、苦しげに呻き声を上げている。
今この場には、グレアムを始め、彼が連れてきた村医者のデューイやキャシーの父親がいる。
戻ってくる際に事情をマルレーネにも説明し、心配だからと彼女も同行してくれた。ラフィのこともあるので、今は二人して別室で待機してもらっている。
「ふぅ~む。随分と顔色が悪いな。脈もかなり弱くなっている。僅かに痙攣も見られるところを見ると、これはただの風邪ではなさそうだな」
瞳孔を確認したり、手首で脈を取ったりしていたデューイは難しい顔をしている。
「デューイ、いったい娘に何が起こったのだ?」
「……脈が弱くなり、目眩を起こして倒れていることから、一見すると心臓が弱くなっていると見るべきだが、キャシーの場合は発熱と発汗も酷いからな。何かおかしな病気にかかって、それが原因で倒れ、脈が弱くなったと見るのが一般的だが、この手の症状はあまり見たことがないのだ」
「見たことがないって。じゃぁ、新種の病ってことか?」
「わからん。だが、奇病であることは間違いないだろうな」
深刻な表情となるデューイに、どこか青白い顔色をしていたエルグランツが瞳を曇らせながら口を開いた。
「デューイ、一つだけ聞かせてくれ。娘は助かるんだよな?」
しかし、それに村医者は何も答えなかった。というより、答えられなかったのだろう。
見たことのない奇病ともなれば、当然、手の施しようがない。もし仮に手立てが見つかったとしても、完治するかどうかもわからないのだ。
錬金術がそれなりに発達しているとはいえ、この世界の医療技術はそこまで進んでいるわけではない。
人体の構造や機能などについては、大昔から錬金術の歴史における闇の部分である程度解明されてはいる。昔はどの国も奴隷売買が盛んに行われていたから、生きたまま人体実験したり、死亡した肉体を積極的に解剖したりもしてきたからだ。
その甲斐あり、医療技術も大昔に比べたらそれなりに進歩はしたが、薬学に関してはいまだ発展途上だ。
瞬時に傷や病を治せるような薬が存在しないのも、それが理由だった。
あくまでも、怪我や病気の回復を早めるための補助、それから予防程度しか効果がない。
何より、錬金術が最終的に目指しているのは医学の更にその先にある究極のテーマ、不老不死や生命の復活であり、医学とはその副産物として生まれたに過ぎない。
そういった過程があるため、どうしても研究は二の次という立ち位置でしかなかった。
しかし、その点、魔法は違う。外傷や内傷を治すのに優れている上、毒や麻痺などが原因となる病気も、上級であれば完治させることが可能と言われている。
そのため、聖教国のような魔法先進国の大都市へ連れていけば、もしかしたら魔法で治療してもらえるかもしれないが、これに関してもあくまで可能性の問題であり、治る保証なんてどこにもない。移動時間もかかるから、治療以前に手遅れになるかもしれないし。
それに金の問題もある。治癒魔法を施してくれる教会や神殿に払う寄付金というものは、魔法のレベルが高くなればなるほど高額となっていくため、いずれにしても、カラール村に住んでいるような裕福ではない村人たちでは、とてもではないが払えない。
「初級魔法ぐらいだったら俺も使えるんだが、それで回復できる怪我や病気なんか、たかが知れてるしな」
グレアムは沈鬱な表情を浮かべながら、苦しそうにしているキャシーの顔を覗き込んだ。
彼女は薄らと化粧をしているようで、吹き出た玉のような汗によって、額や頬辺りが化粧崩れを起こしていた。
歯を食いしばっているのか、赤い口紅もどこか色あせている。
「グレアム。気休めでもいいから頼む。治癒魔法をかけてやってくれないか? この村で魔法が使えるのはお前だけなんだ」
今しも心労でぶっ倒れてしまうのではないかといった雰囲気のエルグランツが、深々と頭を下げた。
「……わかった。できる限りのことはしてみる」
首だけ振り向いてそう答えると、グレアムはすぐさま両手をキャシーの上へとかざした。
魔法を使う場合には、体内に流れる魔力を錬成させる必要がある。
魔力とは言わば、水蒸気のようなもので、そのままの状態で魔法を使おうと思っても、魔力一つ一つが分散し過ぎていて魔法という形にならない。
そのため、魔力を一箇所に集めて液体のような一塊の力に凝縮しなければならないのだ。その上で、頭の中でイメージした魔法の形へと変換して、放つ。
これが魔法を使う上での基本形だ。
属性は現在だと八通りほどあると言われていて、それぞれの属性に対応した魔法が何種類も存在するが、人それぞれ相性というものがある。
グレアムのような万能型だと、ほぼ全属性使えるが、普通の人間は多くても四つほどだ。
属性以外にも攻撃、防御、補助と三つのカテゴリーに分かれていて、これも人によって使える種類が違っている。
今から使おうとしている治癒魔法は、光属性の補助魔法に分類される。
グレアムは一応、故郷の村で魔法の教育も受けていた他、条件を満たす必要はあるものの、魔法教育機関も兼ねている聖教国のレンジャーギルドでも訓練を受けていたので、初級程度なら普通に使える。しかし、上級は残念ながら覚えられなかった。
今となっては後悔しかないが、悔やんでも仕方がない。
やれることをやるだけだ。
「……これで……いけるかっ?」
瞑目してひたすら魔力錬成していたグレアムは、かっと目を見開き、両掌から眩い光を放出した。
体内で治癒魔法へと変換された魔力が優しくキャシーへと注がれ続ける。
心なしか、次第に彼女の苦しげな表情が穏やかになっていっているような気がした。荒かった吐息も鎮まっていき、ただ疲れて寝ているだけのような穏やかさに包まれている。
「とりあえず……治癒は施したが、本当にただの気休めだ。病気の進行を抑える程度のことしかできない」
振り返ってデューイとエルグランツに告げると、
「それでも助かる。苦しんでる娘の姿なんか見たくないからな」
再度、キャシーの父親は頭を下げた。
(確かにな。もしラフィが同じ立場だったら、俺もきっと似たような気持ちになっていただろう)
愛らしい娘が苦しみの表情を浮かべている姿など、絶対に見たくない。
「だが、グレアムの言うとおり、一時しのぎでしかないことも確かだ。根本原因を突き止めないことにはなんとも」
腕組みして考え込むデューイ。グレアムはもう一度キャシーを見つめた。
穏やかな寝息を立てている彼女はなおも青白い顔をしている。化粧をしているにもかかわらずだ。
(普通、顔色の悪さを隠すために化粧をしたりするものじゃないのか? キャシーの場合、これじゃ逆効果だ。なんで青白くなる?)
グレアムの見る限り、明らかに化粧のせいで余計に青白くなっているように見えた。
キャシーに限らず、化粧をしてめかし込む文化は普通にある。特に聖教国や大都市の金持ち連中などはそれが顕著だ。
身につけるものだけでなく、肌艶までもが他者と競い合うための材料となるからだ。
富裕層は人より高い位置にどうしてもいたがる。国家権力という存在があるから頂点に君臨するのは不可能でも、横並びの権力者たちより頭一つ分ぐらいは抜きん出ていたいと考える。だからこそ、誰よりも美しくなりたいと思い、金に糸目をつけない。すべては他者を出し抜き自身の存在価値を高めるため。彼らが化粧をするのはそれが理由だ。
非常に浅ましいことだが、それがこの時代に生きる金持ち連中の価値観だから仕方がない。
しかし、その辺の事情はあくまでも金持ち連中だけに限ってのことだ。化粧をする文化が庶民にも広がっているとはいえ、まさかこんな片田舎の農村に住む、一介の村娘にまで伝播しているとはグレアムは思いもしなかった。
(まぁ、農村の人間が買えるような代物だし、どうせ粗悪品なんだろうけどな)
そう思ってじっくり眺めていたら、ふと、汗と混ざり合っている部分が微かに青白く変色しているような気がした。
本来の化粧品の色といえば、大体において白に近い肌色だというのにその部分だけが微妙におかしい。目を凝らして見ないと気付かないレベルで、だが。
「変だな……」
「どうした?」
ぼそっと呟くと、すぐ側のデューイが反応した。
「いや、化粧が変色してるんだよ。どうせ安物だろうし、それが原因なんだろうけど、ちょっと気になってね」
そう答えて場所を空けると、デューイも同じようにキャシーの顔を覗き込んで、短く唸った。
「これは……おい、グレアム」
「ん?」
「ちょっとマルレーネを呼んできてくれないか?」
「マルレーネ? なぜだ?」
「化粧といったらあいつだろう。小さい頃からおかしなもんばっかり作っていたからな。確かあいつ、化粧品にも詳しかったはずだ」
「あぁ……そういうことか」
マルレーネは肌が荒れるからと自分でこっそり何か作っていて、それを毎日のように使っていることをグレアムは知っていた。
そう。何を隠そう。実は、その材料となる水を魔法で何度も作らされていたのは他ならないグレアムだったからだ。
「それに、思い出したことがあるのだ」
「ん? 思い出したことって?」
きょとんとして聞くグレアムに、デューイは真顔で告げた。
「最近、都会の若い娘の間で原因不明の病が流行っているらしい。どんな症状かは知らんが、もしかしたらキャシーも同じかもしれない」
「根拠は?」
「皆、異性に気に入られようと、めかし込んでいるとのことだ」
淡々と告げる村医者に、グレアムはエルグランツの言葉を思い出して、胸がチクリと痛んだ。
(まさかな……)




