49.暗転
錬金屋の扉を潜ったグレアムは、見渡す限り誰もいない店内を気にすることもなく、奥のカウンターへと歩きながら声を張り上げた。
「エルグランツさん、いるかい? 俺だ、グレアムだ」
カウンターの向こう側にある、工房へと続く入口付近を眺めていると、重い足取りで一人の男が姿を現した。
「あぁ、グレアムか。よくきたな」
現れた男は四十代前半ぐらいで、短い金髪がややボサボサになっている。無精髭も生やし、疲れているのか、微妙に精彩を欠いていた。
「さっき万屋に寄ったんだが、エルグランツさんが呼んでるってゲオールに聞いたんで顔出しに来たんだけど、なんか用かい?」
「あぁ、その件か」
カウンターの前に立ったエルグランツは、うんざりしたように頬杖をついた。
グレアムには、特に呼び出される理由は思い浮かばない。
一応、手先が器用だということは村中に知れ渡っているので、ときどき、農耕具や日用道具などを作ってくれと言われたり、修理してくれと頼まれたりすることはある。
しかし、錬金屋に呼ばれることは滅多になかった。そのせいか交流も浅い。
エルグランツが経営している錬金屋は世間一般に知られている錬金術同様、薬品を主に製造販売しているような店だ。
昔からマルレーネが無茶を頼んでいる親父でもある。
店の奥にある工房で医薬品や農薬、その他諸々の薬品を作っている。
医薬品の主な卸し先は村医者だが、村人に直接販売することもある。
農薬に関しては農耕地すべてが村で管理されているので、村役場や農業協会から依頼を受けて卸している。
そういった業務なため、特殊な道具を使っていることも多く、こればかりはグレアムの出る幕ではない。
エルグランツの錬金屋とはそういう店だった。
グレアムは、頬杖ついたまま、ただじっと見つめてくる親父に居心地悪くなり、頬をかいた。
「えっと……それで、用ってなんだい?」
どこか引きつったような笑みを浮かべる彼に、背中を伸ばしたエルグランツが溜息を吐いた。
「用というほどのことでもないが、端的に言えば、キャシーのことだ」
「え……? キャシー?」
「あぁ。娘のな」
キャシー・エルグランツ。ギルドに勤めている若干目つきのきつい美人ギルド嬢は、実はこの錬金親父の一人娘だった。
「キャシーがどうかしたのか?」
「どうかしたかじゃないぞ。最近、お前のせいで娘が苛ついて困ってるんだ。なんとかしてくれ」
腕組みして睨んでくる親父に、グレアムは困惑してしまった。まったく心当たりがない。なぜ、あの金髪美人さんが機嫌が悪いのか、彼には理解できなかった。
(確かに最近は、リクにいろいろいたずらされて激怒しているという話も耳にしていたが――しかし、それは俺が悪いわけじゃないしな)
それ以前にキャシー含めたあのギルド嬢トリオには、意味もなく絡まれて睨まれることが多かったから、何かしらの地雷を踏んだ可能性はあるが。
(おっかしいなぁ? 俺、何かやらかしたか?)
長話になりそうだからとラフィを床に下ろしてから、ひたすら首を傾げていると、エルグランツが呆れたような顔をした。
「お前なぁ……その様子だとまったく気付いてないようだが……」
「ん?」
「父親の俺がこんなこと言うのもなんだが、あいつはお前のことが好きなんじゃないかと思うんだよな」
「え……?」
グレアムは店の親父が何を言い出したのか理解できず、酷く困惑してしまった。
(キャシーが俺のことを好きだと? いきなり何とち狂ったことを)
軽く冷や汗かきながらも、鳩が豆鉄砲食らったような顔をしていると、エルグランツが事情を説明してくれた。
「あいつももう、二十四だろ? 普通であれば結婚していてもおかしくない年なんだ。適齢期は十八とかそのぐらいだからな。だから、俺や妻がちょくちょく見合い話を持ってきてやってるっていうのに、キャシーの奴、まったく俺たちの話を聞こうともしないどころか、飯の席でも口を開けばお前の話ばかりだ。これって、どう考えてもお前に気があるとしか思えんだろうが」
「は……? いやいやいや。だろうとか言われてもな。こう言っちゃなんだが、キャシーは俺のこと嫌ってると思うぞ? ギルドで顔会わせるたびに目の仇にして突っかかってくるしな」
グレアムは懸命になってこれまでキャシーが示してきた言動を思い返してみたが、好かれている要素など片鱗も見出せなかった。
だからだろうか。そんな彼を見て、エルグランツが諦めたように溜息を吐いた。
「本当に鈍いのかなんなのか、よくわからんが……まぁいい。お前さんが村長んとこの娘と仲がいいことも知ってるし、最近じゃ、そこのちびっ子を引き取って面倒見てることも知ってるからな。いろいろ難しいとは思うが、一度考えてみちゃくれないか? キャシーとの結婚を」
『今日の夕飯何食った?』みたいな世間話する風に、いきなり人生における最大級とも言える決断を迫ってきた親父に、グレアムは思いっ切り面食らってしまった。
しかし、ぽか~っんとしているグレアムを気にした風もなく、エルグランツは肩をすくめてみせるだけ。そしてそのまま、話はこれまでとばかりに手を振って追い出そうとする。
グレアムは焦って引き留めた。
「お、おい。ちょっと待ってくれっ……エルグランツさん。そんな簡単に結婚とか決められるものじゃないだろう? ましてや自分の娘の話だろ?」
「自分の娘だからこそだ。お前も娘ができたみたいだからそのうちわかる。さぁ、もう話すことはないからさっさと帰れ」
そう一方的に話を打ち切って、親父が店の奥へと消えていこうとしたときだった。
突然、奥の工房から一人の娘が血相変えて飛び出してきた。つい今し方まで、話の種にされていたエルグランツの娘、キャシーだった。
どうやらグレアムたちの話を全部聞いていたようで、酷く赤面している。
「ちょっと二人ともっ。いったい、なんの話をしてるのよっ。てか、どうしてグレアムがこんなところにいるのよっ。ていうか、結婚!? 意味わかんないんだけど!? どうして、私がグレアムのこと好きにならなければいけないのよっ。勘違いもいいところだわ! ていうか、なんでグレアムがこんなとこにいるのよ! うちになんの用!? ていうか、結婚って! どうして私がグレアムと……!」
顔を真っ赤にしたまま瞳を泳がせ、ひたすら狼狽し続ける彼女。
ギルドの制服を着て奥から出てきたということは、おそらく遅番で、つい先程、工房の更に奥にあるはずの居住エリアから出てきたということなのだろうか。
自分のことを酒の肴にされて、恥ずかしさからか、動揺しながら涙目になっているような気もする。
エルグランツは右手で額を押さえて項垂れ、ラフィは何が起こっているのかよくわからないといった感じで、きょとんとしているだけ。
しかし、そんな中、グレアムだけは一人違った。
「やっぱりそうだよな、キャシー。お前、俺のこと嫌いだよな? はは……好きになるはずがないんだよ。あれだけ毎日突っかかってきてたぐらいだしな」
そう言って後頭部に手を当て苦笑していると、キャシーの顔が見る見るうちに、羞恥の色から激怒の色へと変わっていった。
「あ、あんたはぁっ。そんなんだから、毎日毎日苛つかなければならないのよっ」
一人絶叫する娘にグレアムが「えっ……?」と、ぽかんとしたときだった。
「う……」
それまで鼻息荒くしながらグレアムに人差し指を突きつけていたキャシーが急にふらつき、前のめりに倒れ込んでしまったのである。
「おいっ」
咄嗟に気が付いた父親に支えられるも、既にキャシーは気を失っていた。
「エルグランツさん、いったい何が……」
「わからんっ……ともかく医者だ! 凄い熱を出している! すまないがグレアム、デューイを呼んできてくれないか? 大至急だっ」
「あ、あぁ、わかったっ。すぐ連れてくる……!」
何がなんだかわからず、いきなり倒れてしまったキャシーに戸惑いつつも、グレアムはラフィを抱きかかえて外に出た。
「この時間だと、たぶんまだ診療所だな。往診には出ていないはずだ」
一人呟きながら、急いで北の住宅街にある村医者の家へと向かった。




