46.過去の彼女たち
「お前らいったいなんなんだっ。どっから来た! 俺たちにいったいなんの用だ!」
少女二人のうち、ざんばら髪の短髪少女が弾かれたように立ち上がると、もう一人の少女を庇うようにグレアムたちの前に立ちはだかった。手には石で作ったナイフのようなものを持っている。
彼女が向けてくる鋭い眼光には強い光が宿っていた。他の貧民たちがとうの昔に失ってしまった光。
彼女の背後で震えながら怯えた表情を浮かべているもう一人の少女も、グレアムたちに向けてくる水色の瞳からは光が失われていない。
睨み付けてきている少女とは対照的に、どこか臆病そうな幼い顔をしてはいるが、それでも誰かに救いを求めているような、そんな希望すら宿している。
決して生きることを諦めていない者たちだけが浮かべる、未来への憧れ。
こんな寂れたどうしようもない場所で暮らしているとは思えないぐらい、二人の少女はまだ生きていた。
グレアムとライラは互いに顔を見合わせてから、両手を軽く上げた。
「俺たちは別に君たちを取って食おうなどとは思っちゃいない。君たちがやったことは確かに悪いことだけど、とりあえずそれには目を瞑ろう。だけど、盗んだものはできれば返してあげて欲しい。もし返してくれるなら、相応の対価を君たちに払うと約束しよう」
そう言って微笑みかける。こんな犯罪が定常化した寂れた町でもスリは罪に問われる。極刑とまではいかないものの、たとえ子供であっても牢獄に入れられてしまう。
グレアムはそうなって欲しくはなかった。
まだ希望の光を失っていないこの子たちをできれば助けてあげたい。しっかりと更生させれば、必ずちゃんとした大人になってくれるはず。そう信じている。少なくとも、自分を罠にはめたような薄汚い連中なんかよりもずっと立派な人間に成長してくれるはずだ。
そんな彼の思いが通じたのかどうかはわからなかったが、男の子みたいな格好の少女が僅かに動揺したような気がした。
それを見逃さなかったグレアムは、ここぞとばかりに懐から金貨一枚を取り出した。
少女たちがピクっと反応するが、依然、警戒心は強い。
「なぁ、君たち。君たちが盗んだものがどれくらいの金額になるかはわからない。だけど、もしそれを返してくれたら、俺が手にしているこの金貨と同じぐらいの価値あるものを君たちに用意する。だから、渡してくれないか?」
真摯な眼差しを向ける彼のあとに続くように、ライラも口を開いた。
「あなたたちが疑うのも無理はないわ。何しろ、子供にとっては大人なんて薄汚くて卑怯で、世界で一番信用のならない連中だものね。だから、私たちを信用しろとは言わないけれど、とりあえず、このどうしようもないお人好しの話を聞くだけ聞いてみてくれないかしら?」
そう言って、彼女は色っぽく笑った。
少女二人は、まるで敵意の感じられないおかしな言動を見せる大人たちに困惑したように顔を見合わせた。
人を殺してでも金や食べ物を奪おうと躍起になるような暗黒街の子供たちだと、この手の話をしても、信じるどころか罵詈雑言浴びせてきて、それに留まらず金貨まで奪おうとするだろう。
しかし、この子たちはそうではなかった。幼い顔に、幼いがゆえにどうしていいかわからないといった顔を浮かべている。
グレアムはそれを見ただけで、この子たちがこれまでどんな風に生きてきたのか、なんとなくわかってしまった。
「そうか……君たちはつい最近まで、もしかしたらこんなことをしなくてもすむような生活を送っていたのかもしれないな」
ぼそっと呟いた声に、二人の少女が慌ててグレアムを見つめた。その表情が明らかに驚いている。図星だったのかもしれない。
この少女二人はおそらく孤児だ。スリを働いてこんなところで生活しているのだから、親もおらず、家もないだろう。それに、他の連中と比べてまだ生きる希望を失っていないし、グレアムたちの甘い言葉に簡単に動揺してしまう。
そこから考えるに、彼女たちがスリに手を出したのはここ最近のことなのだろう。路頭に迷いはしたが、それでもずっと、何かしらの方法で飢えをしのいでいたけれど、ついに耐えられなくなってやってしまった。そんなところか。
であれば、なおのことだ。今だったら二人を簡単に更生させることができる。
どうやら、そう思ったのはグレアムだけではなかったようだ。隣で説得を試みていたライラも同じ結論に達したらしい。
「ねぇ、あなたたち? もし住む場所も食べるものもなくて困ってるなら、こうしてはどうかしら? あたしの妹になるっていうのは?」
どこか面白そうに笑っている女が何を言い出したのかわからず、グレアムは「はぁ?」とアホ面となってしまうのだった。
◇
そのあと、何がどうなってそうなったのか。グレアムはあまり覚えていない。
ただ一つ言えることは、グレアム同様、ライラの言葉に姉妹がぽか~んとしていたことだ。
そして、とりあえず話だけは聞いてもらえることになり、その結果、盗んだものは返してもらって、拾い物として衛兵に渡した。
それから、ひととおりの事情も説明してもらえた。
彼女たちが九歳ぐらいの頃に戦災孤児となって親も家も失ってしまい、物乞いのような生活をずっと続けていたこと。
スリに手を出すようになったのもここ最近で、グレアムの予想通り、空腹に耐えきれなかったからとのことだった。
グレアムとライラの二人は、それらひととおりの事情を聞いた上で、約束通り、腹一杯飯を食わせてあげた。そして、どこか遠くを見るような目をして少女たちを見つめていたライラが、再び正式に引き取ると言い出したのである。
正直、グレアムは彼女の正気を疑ったが、決意は変わらないらしい。あれだけ助けても無駄だと非難していた女の発言とは思えない台詞だった。
もしかしたら、彼女も幼少期の頃からずっと旅をし続け、踊り子などをやっていた時期もあったから、その関係で自分と重ねて見てしまったのかもしれない。
「やれやれ……」
グレアムはお手上げといった反応を見せ、結局、幼い双子姉妹、スノーリアとオルレアの二人を引き取ることを決めたのだった。
以来、グレアムはライラだけでなく、二人の少女の面倒も見ながら長旅を続けていった。
グラーツ公国へと渡ってからも、安住の地を求めて各地を転々とした。
そうして、カラール村へと辿り着いたときにはすっかりと、双子姉妹にとっては頼りがいのある『いいお兄ちゃん』になっていたのである。




