43.平和な親子2
玄関先で待っていたラフィに追い付くと、いったん家の中へと戻り、店に持っていく予定のマテリアルや財布などを取ってきて、軽く戸締まりした。
そのあとで、ルビーのような輝きを放つ宝玉がはめられたペンダントを、ポケットからおもむろに取り出した。
「ラフィ、ちょっとおいで」
足下にいた幼女の前にしゃがみ込むと、不思議そうにしていた彼女にそれを見せた。
「うん~? これはなんですか?」
「これはお守りだよ」
「おまもり~?」
「あぁ。ラフィが危ない目に遭っても、絶対に怪我しなくなる便利な魔導具なんだ」
「ふ~ん?」
幼子はグレアムの掌の上に乗っているペンダントを興味深げに眺めている。おそらく、彼の言葉はほとんど理解していないだろうが、それでも大きな瞳をぱっちりと開けて楽しそうにしていた。
「これ、ラフィにあげるから、後ろ向いて。着けてあげる」
「ホントですか!? ありがとなのです~!」
喜び勇んで、飛び跳ねるように小さな背中を見せる彼女。グレアムはそんな彼女の首に手早く着けてあげる。
ペンダントトップに通された黒い革紐の長さは幼子の身体に合わせて作られていたから、サイズ的にもぴったりだった。
「よし。よく似合ってるぞ」
その場で一回転してみせた幼女に、グレアムはにっこり微笑んだ。
「ぐ~たん、ありがとなのです! たいせつにするのです!」
「あぁ。そうしてくれ。あ、あと、マルレーネに知られるとまた過保護とか言われるから、内緒な? しぃ~だぞ?」
口の前で人差し指を立てるグレアムに、最初、きょとんとしていたラフィだったが、すぐさま彼の真似をして、
「しぃ~~~~!」
と、ニコニコしながら、そう応じた。
そのあと、ひたすら楽しそうにクスクス笑い続けていたラフィを抱っこしてから、グレアムは敷地を囲む外壁に設けられていた門を潜り、外に出た。
既に季節は夏本番へと移行し始めている。
カラール村はライ麦を主な収穫物としているから、村の周囲には収穫間近の広大な麦畑が金色の光を湛えて広がっている。
数年前までは畑の規模はもう少し小さかったらしいが、本来作物が育たないような土地まで土壌改良が進められ、今ではすっかり立派な麦畑となっていた。
他にも芋類や葉物野菜、豆類、あまり広くはないが、果樹園や薬草園、畜産小屋なども作られている。
ここまで立派な村に成長した裏には、マルレーネの入れ知恵が多分に影響していることは言うまでもない。
その事実を知っているからこそ、グレアムは思うのだ。
「やっぱり、どう考えても俺よりあいつの方が無自覚にやばいことしてると思うんだがな?」
しかも、土壌改良などを行った主な理由が、『ひもじいのはイヤ』『おいしいものが食べたい』『不衛生なのはイヤ』などなど。極めて自分本位なものばかり。
「あいつ、俺のこと非難できないと思うんだけどな?」
一人ブツブツ言っていると、左腕に座っていたラフィが不思議そうに小首を傾げた。
「どうしたですか?」
「うん? あぁ、なんでもない。ただの独り言だよ」
「ふ~ん? そうなのですか?」
「あぁ――それよりラフィ、凄いだろ? この景色。あのキラキラ光っているのは全部、食べ物なんだよ?」
村に向かって緩やかな下り坂を歩きながら、眼下の麦畑を指さす。
幼子は黄金に光り輝く周辺一帯を視界に入れて、麦畑に負けないぐらい、愛らしい顔をぱっと花開かせた。
「うん~~! すごいのです! ピカピカしてるのです! ラフィ、こんなケシキ、はじめてみるのです!」
「そっか。初めてかっ」
「うん~~~! ずっともりのなかにいたから、こんなのみたことないのです!」
終始、きゃっきゃっしている幼子の姿を見て、グレアムは自然と胸が温かくなっていくのを感じ、優しげな笑みをこぼれさせていった。
しかし、その一方では、心の奥底から湧き上がってくる切なさにも似た何かに襲われていて、息苦しくもあった。
三歳児のラフィは、この世に生を受けてからまだ三年しか経っていないが、その間ずっと隠れ住むように森の中で生活し、挙げ句の果てには、親と死別して天涯孤独の身となってしまった。
彼女たちがなぜあんなところで生活していたのかはわからないし、両親が使った謎の力についてもよくわかっていない。けれど、起こってしまった悲劇は覆すことができない。
被害者となったラフィの心の傷は、多少癒えてくれているとは思うが、それでもまだ、心のどこかでは今も苦しみや悲しみを抱えたままなのかもしれない。
だからこそ、グレアムは思うのだ。この子には人一倍幸せになってもらいたいと。これからいろんなものを見せてあげたいと、そう思う。
生きてきた年数が短い分、普通の境遇に生まれてきた同い年の子供たちと知識量は大して違わないはずだ。
だから別段、森で暮らしていたことがマイナスになってしまったとは思っていない。
世界を知るには十分過ぎるほど、時間はたっぷりとある。今からでもまだ間に合う。遅過ぎることなんか何もない。
「ラフィ、これからいっぱい、いろんなもの見ていこうな。世界は本当に広いんだ。ラフィもそうだけど、俺も知らないことがいっぱいある。二人して、そういう見たことないものをいっぱい見ていこうな」
優しげに微笑むグレアムに、ラフィはこの日一番の愛らしい笑顔を浮かべた。
「うん~~! ラフィ、ぐ~たんといっしょに、いっぱい、い~っぱい、いろんなものみにいくです~~!」
彼女はそう言って、グレアムの首筋に抱き付くと、
「ぐ~たん! ラフィをみつけてくれて、ありがとなのです! だいすきなのです!」
更にぎゅ~っと腕に力を込めて、グレアムの頬にちゅ~をした。
「そっか。俺もラフィのことが大好きだぞっ」
そうグレアムも、幼い少女に負けないぐらい、麦畑のど真ん中で叫ぶのだった。
その姿はどっからどう見ても、ただの親バカな男だった。壮絶な過去を持つ凄腕の冒険者の面影など欠片もない。あるのはただ、茫洋とした三十四歳の父親の顔。ただそれだけである。




