36.泣き落としにかかる女騎士
「助けてくれ! グレアム!」
甲高い叫び声を上げながら飛び込んできたのは、誰あろう、クリスティアーナだった。
彼女はグレアムたちが唖然としている間にも、ロングブーツを脱いでリビングへと駆け上がってくる。そしてそのまま、飛びかかる勢いでグレアムの肩に掴みかかった。
「金がない! 仕事がない! だから、金が稼げない! 宿代も払えない!」
馬鹿力で激しく揺さぶられ、たまらずグレアムは悲鳴を上げた。
「おい、落ち着けっ。話せばわかる!」
「わかってたまるものかっ。脳天気なお前に私の気持ちなどわかるはずがない!」
「いや、だから――話を聞いてやるから、落ち着けと言っているっ……」
頬を引きつらせながら懸命に訴えるが、理性を失ったクリスティアーナは聞く耳持たなかった。
「こうなったのもすべてお前が悪い! お前が素直に私と聖都へ帰ってくれないからこうなるんだっ。頼むから私と一緒に国に戻ってくれ! なんだったら、好きなだけ私を抱けばいい! 胸でも尻でも好きなだけ触らせてやるっ。私を抱いて弄ぶがいい! だがその代わり、私と一緒に聖都に戻ってくれ!」
悲壮感すら漂わせて涙目で訴えかけてくるクリスティアーナ。そんな彼女に面食らっていると、マルレーネが音も立てずに背後へ移動し、そのままコツンと、彼女の頭に拳を落としていた。
「痛い! 貴様、何をするかっ」
「何をするかではありません。小さな子がいる前でなんてこと口走るのですか、あなたは。それに、そんな破廉恥なことさせるわけには参りません」
「なぜだ!? お前には関係ないことだろうっ」
クリスティアーナは背後のマルレーネを振り返って涙目で眼つけるが、それに彼女はいっさい答えることはなかった。
代わりに、ようやく暴走女から解放されたグレアムが、ぶそ~としながら説明し始める。
「破廉恥云々はともかくとしてだ。お前にも以前話しただろう? 俺は別に、尻とか胸とかそんなもん触りたいだなんて思っちゃいやしないって。だからいくらお前がそれを許すと言ってもだ。俺の方から積極的に身体をベタベタ触る気なんかない。だからおかしなことを言い出すのは止めてくれ」
若干アホの子であるクリスティアーナにもわかるようにと配慮しながらそう説明すると、明らかに彼女の瞳から生気の色が失われていってしまった。
そしてそのまま、その場に膝を抱えて丸くなってしまう。
「……だったら私はどうしたらいいのだ……? グレアムは一緒に帰ってくれない。相手もしてくれない。村に滞在したくてもお金がない。お金を稼ぎたくても仕事がない……これはもう、神は私に死ねと、そうおっしゃっておられるのだろうか……?」
俯いたままひたすら一人、ブツブツ言っている彼女に、さすがのグレアムも気の毒に思えてきてしまった。
別にグレアムは彼女のことを嫌っているわけでも憎んでいるわけでもないのだ。ただ、一人勝手に暴走して面倒くさいことを言い出したから突っぱねていただけで、最初から虐める気なんてさらさらなかった。
だから、結果的にそう見えてしまうような態度を取られると、正直、胸がチクリと痛んでしまう。
(はぁ……まったく……)
グレアムは軽く溜息を吐いてから、クリスティアーナの背後に立っていたマルレーネを見た。
「……なぁ、マルレーネ。俺もお前も? いろいろ思うところはあるのかもしれないが、こいつをなんとかしてやってくれないか? 厄介払いできればそれが一番だが、帰る気まったくなさそうだし。かといって、さすがにこのまま放置というのも気が引けるしな」
渋面となっているグレアムに、マルレーネが疲れたように溜息を吐いた。
「本当に仕方のない人たちですね。グレアムさん、この方の身元は本当に大丈夫なのでしょうね?」
「ん? あぁ、おそらく大丈夫だと思うぞ? 聖教国の連中に操られていそうな気配もないし、こいつはいろいろ問題だらけだが、団長の娘なだけあって清廉潔白な性格してるからな。だからたぶん、危険はないはずだ――まぁ、いろんな意味で面倒事持ってきそうな気はするが……」
首を傾げながらあやふやな台詞を吐くグレアムに、マルレーネは呆れたような表情を浮かべた。しかし、結局、諦めたように肩をすくめてみせる。
「なんだかいまいち釈然としませんが、仕方がありませんね。何かあったらグレアムさんに全責任を取ってもらうということで承諾いたします」
そう告げた彼女に、
「ん? なんか今、恐ろしいこと言わなかったか?」
背筋が寒くなるグレアムだったが、当然のようにマルレーネに無視された。
「――そういうわけですから、クリスさん? この家にあなたを置くわけには参りませんが、その代わり、私の家で住み込みの使用人として働いてもらいます。それでいいですね?」
じっと見つめる彼女に、顔を上げたクリスティアーナはまるで神に祈りを捧げるかのような格好で、
「感謝する……!」
そう、感涙にむせび泣いた。
――こうして、遙か異国の地からやってきた女騎士は、ようやくの思いで下宿先を得るのであった。
本エピソードをもちまして、クリスさんにまつわるエピソードが一区切りつきます。
結果的にはハッピーエンド?
ことあと、いくつかサイドエピソードと追加登場人物一覧を挟みまして新章へと突入いたします。
【次回予告】
37.グラーゼン男爵と暴漢たち




