32.おもちゃにされる残念な女騎士
「クリスティアーナさん、でしたか?」
そう言って、彼女は長年一緒にいたグレアムにしかわからないような、微かなニヤけ顔を女騎士へと向けた。
(ん?)
なんとなくだが、そのときに浮かべていた彼女の笑みが、あのいたずら小僧のニヤけ顔を彷彿とさせる悪魔の笑みのように見えたのは気のせいだろうか?
いや、気のせいではない。この村に定住するようになってから何度も見てきた満面の笑み。
そう。おもちゃを見つけたときやお説教モードに突入するときにだけ見せる、独特なまでのにっこり笑顔。ろくでもないことを考えているときに見せるそれだった。
(なんだかひじょ~に嫌な予感がするんだがな?)
しかし、そんなことを考えていたのがいけなかったのかもしれない。
「クリスでいい」
ぶそっとした女騎士がそう応じると、
「ではクリスさん。もしかしたら、グレアムさんを説得できるかもしれない方法を一つだけ知っていますが、お教えいたしましょうか?」
「何!? そんな方法があるのか!? だったら今すぐ教えろ!」
すぐさま喰らい付いてくる女騎士に、グレアムは薄ら寒くなったが、女同士の話は勝手に進んでしまう。
「グレアムさんは、どうやらお尻を触るのがお好きなようですよ?」
「ハ……?」
(はぁ……?)
うっふふと笑うマルレーネに、クリスティアーナはぽかんとし、グレアムに至っては思い切り固まってしまった。
(なぜそこで尻が出てくる……? 俺はそんなこと、一言も言った覚えなどないんだがな? ていうか、ひょっとしてあれか? クリスがプライド高い女と気付いてそこを突っつけば呆れて帰るとでも思ったのか? そうなのか? だから、おかしなこと言えば、追い出せるとでも思ったのか? 尻を触らせるはずなんかないだろうと、高をくくって)
クリスティアーナはこれでも公爵家の令嬢であり、現役の騎士でもある。当然、プライドの塊といっても過言ではないだろう。だからこのような品性の欠片もないようなことを要求されたら、当然突っぱねるのは当たり前だ。もしかしたら、激怒のあまり、村を去っていくかもしれない。
マルレーネが本当にそこまで考えて突拍子もないことを言い出したのであれば、とんでもない策士と言えるのだが。
(……いや、なんとなくだが、そこまで考えていない気がする)
一人うんざりしながら事の成り行きを見守っていると。
相変わらずニコニコしていたマルレーネからグレアム奪還の助言を受けた女騎士は――予想どおりというべきか、いきなり激怒した。
「おい、貴様っ。ふざけるなよ、グレアム! 私の尻を触りたいだと!? なんと破廉恥なことを考えておるのだ、貴様は! 騎士として恥ずかしくはないのか!? 恥を知れっ、恥を!」
羞恥なのか、それとも単純に怒り狂っているだけなのか。彼女は顔だけでなく耳まで紅潮させている。
グレアムは一層げんなりして、溜息を吐いた。
「まったくこいつは……。昔っからそうだったが、相変わらずのポンコツっぷりだな。俺がそんなこと言うわけないだろうが。だいいち、誰がお前の尻など触りたがるか――」
クリスティアーナはグレアムが聖教国にいた頃からこんな調子だったが、どうやらまったく成長していないらしい。
反論半分文句半分、額を抑えながらブツブツ呟くように反応したせいか、当然、グレアムの訴えはいっさいが無視された。
まったく聞こえていないかのように、鼻息荒くクリスティアーナが詰め寄ってくる。
「それにだ! 故郷にいたときにはいっさい私に触れようともしなかったくせに、どうして今になって私の尻を触りたがるのだっ。貴様は!」
「は? ……い、いや、だからちょっと待てって。いきなりなんの話をしている!? いいから落ち着けって……!」
話がどんどんおかしな方向へと進んでしまっている現状を前に、グレアムは焦って身振り手振り交えて訴えたが、彼女はまったく聞く耳持たなかった。
仕方なく、助けを求めようと、この事態を生み出した張本人であるマルレーネに顔を向けたのだが。
彼女は楽しそうに笑っているだけだった。
(あ……こいつ……)
その笑みを見て、グレアムはなんとなく気付いてしまった。
(こいつ、なんかよくわからんが、クリスだけでなく、俺に対してまでなんか怒っているな?)
と。
(それでこいつ、クリスを挑発して厄介事に俺を巻き込んだのかっ。だが、なぜ俺まで!?)
しかし、悠長にそんなことを考えている場合ではなかった。
刻一刻と、破滅の足音がすぐそこまで近寄ってきていた。
地響き立てながら近づいてきた女騎士が目の前で立ち止まる。
そして、グレアムはそれを見上げながら、「終わったな……」と、一発殴られる覚悟を決めたのだが。
なぜか、動きを止めた件の女騎士が、いきなり態度を豹変させて恥じらうような言動を見せたのである。
「お、おい、グレアムよ……その、なんだ……? 少し聞きたいことがあるのだが……お前は……その、ほ、本当に私の尻を触りたいのか?」
「……は?」
「い、いや、だからだなっ。その……も、もし、そそそその、なんというか……ほ、本当にわ、私の尻を触らせるだけで戻ってきてくれるというのであれば、それぐらいならっ……」
そう言って、もじもじしながら固まってしまったのである。
「はぁ?」
あまりにも予想外な結末を前に、グレアムは間抜け面を晒すことしかできなかった。
しかし、マルレーネは違った。
この事態が相当気に入らなかったのかなんなのか。
彼女は表情を一瞬だけ消したあと、再度いつものにっこり笑顔へと戻ったかと思いきや、いまだにくねくねし続けていたクリスティアーナへ追い打ちをかけるように、
「そういえば、グレアムさんは胸も触りたいそうですよ?」
と告げ、「うっふふ」とほくそ笑むのであった。
「ム、ムネェェ!?」
(……おいおい……勘弁してくれ……)
もはや、グレアムには返す言葉もなかった。
ひたすらげっそりして額を抑えるグレアム。
対して、マルレーネから大変ありがたいお言葉をいただいた女騎士様は、声を裏返して仰け反り固まった。
どうやら、マルレーネは徹底的にポンコツ女騎士をおもちゃにして遊び倒すつもりのようだ。
グレアムにとっては傍迷惑な話だが、既に軌道修正する機会は永遠に失われてしまっている。
形の整った薄い唇をわななかせていたクリスティアーナ。しかし、衝撃に固まっていたのも束の間。
彼女はグレアムに上半身を近づけると、そのままの勢いで胸ぐらを掴んだ。
「おい、貴様ぁ! 貴様という奴は、どこまでいっても鬼畜だなっ。尻だけに飽き足らず、胸まで触りたがるとはっ」
前後に思い切り揺さぶられて、グレアムは咳き込んだ。
「ちょ、ちょっと待てってっ。だから誤解だってばっ。何度も言うが、俺はそんなこと言った覚えはないぞ!?」
「言い訳など見苦しいぞ、グレアム! そのねじ曲がった根性、今ここで叩き直してくれるわ!」
必死になって訴えるが、逆上している彼女にはまったく効果はなかった。
(ていうかなんで俺は今、こんな状況に追い込まれているんだろうな?)
まぁ、マルレーネの目的が女騎士を追い出すことから? 悪巧みに替わってしまったらしいので、今更言っても始まらないのだが。
(しかし、それにしたって酷くないか? ――なんだこれ?)
うんざりしながらも、抵抗できずに揺さぶられ続けていると、そんな彼にも味方をしてくれる可愛いらしい天使が現れた。ラフィである。
「や~~! ぐ~たんをいじめないでくださいなのです! メっなのです!」
膝の上から落とされないようにグレアムにしがみついていたラフィが、普段から聞いていたマルネーネの小言を真似するように、女騎士に文句を言った。
それで我に返ったらしい彼女は、軽く咳払いをしてグレアムを解放する。
「す、すまない。だ、だが……グレアムよ」
「な、なんだ?」
「その……なんだ……。お前、本当に触りたいのか? わ、私の胸を……」
「……は?」
「い、いや、だから……その、なんだ? も、もし私の胸を揉ませてやっただけで、本当に戻ってきてくれるというのであれば……」
そう独り言のようにブツブツ言いながらも、何を思ったのか。彼女は白銀の鎧を脱ぎ始めると、身体の線がくっきりと浮かび上がってしまいそうなほどの、パッツパツの黒い防刃服姿となってしまった。その上で、
「さ、さぁっ。好きなだけ私の身体を慰みものにするがいいっ」
と、顔を真っ赤にしながら、大きな胸を突き出すように上半身を仰け反らせたのである。
しかし、そのときに浮かべていた表情は、恥じらいや屈辱一色かと思いきや、どこか口元が緩んでいるような気がした。
その顔を見て、グレアムは呆れてしまった。
「……お前、さんざか文句言ってたけど、本当は触って欲しかったんじゃないのか?」
ラフィを優しく抱き留めながら目を細めるグレアムに、
「そ、そそそそ、そんなわけあるかぁぁっ」
異国の女騎士は、その日一番の絶叫を迸らせるのであった。
――こうして、彼女は結局、グレアムを連れ帰るという当初の目的を果たせないまま、この村に居座ることになってしまったのである。
いたずら好きのお姉様にセクハラ親父扱いされてしまったグレアムさん。
暴走女子2人に、今後なんども振り回され続けていくことでしょう(え?
【次回予告】
33.途方に暮れる女騎士




