30.修羅場生成機な勘違い女
突如屋内に響き渡ったでかい声。
グレアムたちは何が起こったのかわからず、ぽか~んとしてしまった。
土間とリビングを隔てるように立てられた衝立越しにそちらを見やる。
隙間から見える女は長身で、首から下を旅用の外套ですっぽり覆っていた。
年の頃はおそらく二十代前半といったところで、艶のある見事な赤毛を後頭部の上の方でひとまとめにしている。
顔も端正な作りをしており、誰が見ても美しいと思えるほどだった。
しかし、それほどまでの美貌にもかかわらず、彼女の眉間には皺が寄り、柳眉は吊り上がり、切れ長の赤い双眸は刃のように鋭くなっていた。そして何より――
グレアムはそんな彼女を見て、
「げっ……」
思わず声を漏らしてしまった。
どうやらそれを聞き逃さなかったらしい旅の女は、更に激高した。
「おい、グレアム! 今、げって言わなかったか!? げってっ――て、いや、そんなことはこの際どうでもよい! お前はこんなところでいったい何をしておるのだ! こっちはお前の身を案じて、世界中を探し回ったというのに!」
彼女はそこまで言って、我慢も限界とばかりに、靴を履いたままリビングへと上がろうとした。しかし、そんな彼女の動きを制するように、なぜか目を細めながら一連の出来事を眺めていたマルレーネが、
「そこまでです」
静かではあるが、凜とした鋭い響きを伴う声色を放っていた。
冷静さを欠いていた赤毛の女もさすがにそれを無視することはできなかったようで、動きが止まる。
「あ? なんだお前は?」
「私はこの村の村長の娘、マルレーネと申します。ゆえあって、グレアムさんと一緒にこうして、朝晩を過ごす仲なのです」
そう意味深に告げ、にっこり笑う彼女だった。
赤毛の女は、マルレーネの言葉を聞いてなぜか愕然とした。
「あ、朝晩をともに過ごすだと!? ど、どういうことだっ、グレアム! お前! 祖国を追われ、明日をも知れぬ日々を過ごしていたのではなかったのか!? 私がどれだけお前のことを心配して気を揉んでいたのかわかっておるのかっ? それなのに、貴様という奴は……! 私以外の女と一緒に暮らしていたとはどういう了見か!」
そこまで早口にまくし立てたあと、ふと、彼女の視線が成り行きについていけずにきょとんとしていた幼女に固定された。
「ぐ、ぐ、ぐ、グレアムっ……ま、まさかその娘は……! お、お前まさかっ……そこの女との……!」
赤毛の彼女はそこまで叫んで絶句してしまった。
その姿を見て何を思ったのか、当該のちびっ子は両手を上げて、楽しそうに飛び跳ねた。
「ぐ~たんはラフィのおとうたまなのです! ま~たんはラフィのおかあたまなのです!」
止めとばかりにそう宣言した彼女に、赤毛の女は口をパクパクさせながら、膝からくずおれてしまった。
「バカな……! 逃亡の身でありながら呑気に嫁をもらい、あまつさえ娘までこしらえるとは……! どれだけ脳天気なのだ、お前という奴は……!」
両手両足を地につけ、ブツブツと呟いている女に、再度、ラフィはきょとんとし、背後のグレアムを見つめた。
「おうまさんごっこなのですか?」
「さ、さぁ? なんだろうね……?」
自分の周りにいる女たちが勝手におかしな方向へと話を持っていってしまっている現状に、グレアムはただただ、戸惑うことしかできなかった。
(なんだこれ……? あ……まぁ、うん。そうだな。見なかったことにしよう)
しかし、そうは問屋が卸さないとばかりに、項垂れていた女が顔を上げた。
「……許さん……許さんぞ、グレアム……! 貴様という奴は……! 婚約者である私を差し置いて、他の女と契りを交わすなどと……!」
立ち上がった女は涙を浮かべながら、怒りで顔を真っ赤にしていた。
今しも殴りかかってきそうな雰囲気満々の彼女に、グレアムはげっそりしたのだが、そこへ彼の息の根を止めようとするかのようにマルレーネが口を開く。
「グレアムさん? あの方が何を言っているのか、私にはさっぱりわからないのですけれど? 婚約者とはいったいどういうことでしょうか?」
いつも以上ににっこりと微笑んでいるマルレーネに、グレアムは「なんでお前はそんなに笑っているんだ?」と思いながらも、思い切り溜息を吐いて右手で額を押さえた。
「お前たちはみんな勘違いしている……元だ……元婚約者の間違いだ……」
グレアムはそう答えることしかできなかった。
◇
何がどうなってこうなったのかと思いながらも、グレアムは一人、正座させられていた。
今、テーブルを挟んで彼の真正面には、外套とブーツを脱いで白銀の鎧姿となった自称婚約者の女が座っている。
対して、右手側には、膝の上にラフィを座らせたマルレーネがいた。
「早速で悪いが、さっさと説明してもらおうか」
今しも、床に置いた長剣を鞘から引き抜きかねないほどに怒気を露わにしている赤毛の女が、テーブルを指先でツンツン叩きながら、ドスの利いた声を吐き出した。
「そうですね。グレアムさんには今回の件、きっちりと説明していただかなければ、安心して仕事に行けませんからね」
意味不明なまでに終始にっこりと微笑んだままのマルレーネ。
(いや、仕事行ってくれてもいいんだよ? なんか雰囲気怖いし、なんとなく怒ってるような気もするし――あ、いや、ていうか、やっぱりダメだ。こっちの怖い女と二人きりにされるのはごめんだな)
一歩間違えたら殺されそうな気がして、グレアムは深い溜息を吐いた。
「はぁ……事情って言われてもな。一つ言えるのは、たぶん二人とも、ただ勘違いしているだけってことだよな」
「勘違いだと?」
ぼそっと呟くグレアムの言葉に、騎士風の女は眉間に皺を寄せた。
「あぁ。お前、勝手に俺とマルレーネが結婚してて、ラフィが俺たちの娘と思ってるかもしれないが、違うからな?」
「ああ? 違うだと? 嘘をつくな。現に、先程そこの女が言っていたではないか。一緒に暮らしていると」
「いや、だから、それがそもそもおかしいんだよ。マルレーネは単に、俺が保護したラフィの面倒を見るために飯を作りに来てくれているだけだ。それを勝手におかしな風に解釈したのはお前だろ」
「は? 意味がわからん、どういうことか説明しろ」
より一層、胡乱げな表情を浮かべる女に、グレアムは溜息を吐きながらも、これまでの経緯を説明した。
聖教国を追われて方々を転々とし、最後に辿り着いたこの村で平穏な日々を送っていたこと。そして、ラフィと出会うことになった森でのことなどをかいつまんで。
それを黙って聞いていた女騎士は、どうやら自分が派手に勘違いしていたということに、今更ながらに気が付いたようだ。
ぽか~んとしていた薄紅色の唇を震わせ、徐々に顔を赤らめていくと、耐えかねたかのように両手で相貌を覆ってしまった。
「はぅぅ~~! ……ど、どうしてお前はそれを先に言わないのだっ……私はてっきり、本当にお前たちがっ……」
どうやら恥ずかしさに耐えきれなくなってしまったらしい。
「これ以上は無理ぃっ」とでも言わんばかりに、彼女は「ひゃわわわ」言いながら項垂れてしまった。身体を左右に揺すり、小刻みにピクピクしている。
マルレーネはそんな彼女を見て、してやったりと言わんばかりに「うっふふ」とほくそ笑んでから、くるっとグレアムに向き直った。
「さて、ではグレアムさん? 今度は私の番ですね。いったい、この方とはどういうご関係なのですか?」
にっこりと微笑んでいるのに、どこか全身から冷気すら漂わせている怖いお姉様に、グレアムは若干気圧されつつも声をからしながらこう答えていた。
「こいつは俺が昔世話になっていた聖騎士団団長の娘、クリスティアーナ・シュクルーゼだ」
残念な人がまた一人登場しました。
いったいどこまで増えるのか、お楽しみに(笑
【次回予告】
31.女騎士とグレアムの因縁




