29.親バカグレアム
グレアムが三歳児のラフィリアウナを保護してから、二週間近くが経とうとしていた。
その日も、いつものように、朝早くからマルレーネがグレアムの自宅を訪れ、いろいろ世話を焼いてくれていた。
こんな生活がずっと続いているせいか、すっかり見慣れた当たり前の風景として、グレアムの目には映っている。
(ホント、マルレーネがいてくれてよかったよな。彼女がいなかったら今頃どうなっていたことやら)
それでも、一応彼女に丸投げしているわけではなく、グレアムも積極的に育児に関わろうと善処はしている。
いまだうまくできないものの、マルレーネの手伝いをしながら、ラフィの着替えや入浴の世話、食事の準備など、自分でもできるようにと、いろいろがんばってきたつもりだ。
(まぁ、ラフィの世話はなんとか前進してきちゃいるが、相変わらず料理はさっぱりだがな……)
塩を用意して欲しいと言われて砂糖を出したときには、危うく殴られるところだった。
グレアムの場合、それなりに蓄えがあるから村人が滅多に口にできないような調味料や食材なども、そこそこ行商や裏ルートから仕入れて入手できている。
魔法も使えるから、本来であれば冬場に溜め込んで氷室に保管しておくはずの氷すら必要ないので、地下室の保冷庫を氷魔法で冷却してしまえば、腐りやすい肉や野菜、果物なども長期保存可能となる。
なので、食材に困ることはなかったが、それはそれ、これはこれ。
料理音痴なので、監督者が見ていないと高級食材がすべて炭となってしまい、大金が吹っ飛ぶことになる。
(この分だと、ずっとマルレーネの世話にならんといけなくなりそうだな……)
そんなことを考えていたら、知らない間に朝食の準備が終わっていた。
リビングの丸テーブルには、銀器や木皿の上に質素ではあるが、うまそうな料理が並んでいる。
根菜、豆、葉物野菜やポークソーセージで出汁を取ったスープ。
芋や葉物野菜などを混ぜ込んで、パン生地の上に載せて焼いただけの長方形の卵料理。
そしてパン焼き釜で焼き直した丸いライ麦パンだ。
それ以外に、ラフィ用の山羊乳とグレアム用の水まで置かれている。
これら料理はこの村では一般的な食風景だが、味付けはマルレーネ独自のものなので、ぶっちゃけ、どこの家庭のものよりもうまい。
しかも、目の前に並んでいるのは普通の家庭では使えないような調味料や香辛料まで隠し味として使用されている。
これだけいろいろ好条件が揃っていて、まずいわけがなかった。
「ぐ~たん。つぎはこのきいろいのがたべたいのです」
掘りごたつのような作りとなっているリビングテーブル下に足を伸ばして座っているグレアム。その膝の上に座っていたラフィが、テーブルに並べられている料理の中から、四角い卵料理――キッシュのようなものを指さした。
この料理は本来、この地域には存在しない郷土料理の一つである。
カラール村は酪農に力を入れている地域ではないため、経営の問題から鶏も山羊も羊も必要最低限の頭数しか育てていない。
そのため、卵も羊乳も山羊乳も、頻繁に食卓に並ぶような安価な食材ではなかった。
そこで、前世の記憶がある幼少期のマルレーネが卵のかさまし目的に考え出した料理がこれだった。
彼女が幼い頃は、本当にこの村の食事事情はお粗末で、貧しく乏しい現実に我慢できなかったらしく、それも料理改革に着手した理由らしい。
そんなわけで、キッシュだけでなく、本来この村では食べられていなかった数多くのレシピが現在では普通に作られ、食されるようになっていたというわけである。
「よし、これか? いっぱい食べて、元気に育つんだぞ?」
グレアムは若干ニヤけながらも、ちびっ子将軍の仰せのままに、大皿からキッシュをキレイに取り分け、彼女の目の前へと置いた。
それを更に一口サイズに小分けしてから、木製スプーンに載ったそれを、口を開けて待っていた幼子のそれへと放り込む。
「ん~~! おいしいのです!」
むしゃむしゃ頬張っていたラフィが両手を上げて大喜びする。
「そうか。うまいかっ。そうだろうそうだろう。やっぱりマルレーネが作ってくれた料理はうまいよなっ」
「うん~~! ま~たん、ホントにすごいのです! ラフィもいつか、ぐ~たんにごはんつくってあげたいのです!」
「おおっ。そいつは楽しみだ。作れるようになるまで、ずっと待っててやるからな――ていうか、本当にラフィはいつ見ても可愛いな。食べちゃいたいぐらいだ」
そう言って後ろからぎゅっと抱きしめるグレアムに、ちびっ子がキャッキャした。
「や~んっ。ラフィはたべられないのです!」
身をよじりながらも、楽しそうに笑っているラフィ。そこには既に、森で出会ったときに見せていた怯えた雰囲気も悲しみに覆われた表情も、何一つ感じられなかった。あるのはただ、安心感に満ちた幸せそうな笑顔だけ。
親を失い、あれだけ酷い目に遭ったというのに、それすら感じさせないような平和な雰囲気。
もしかしたら、そういった悲惨な過去があったからこそ、本能的にそれらを忘れたくて、余計にグレアムにべったりとなって楽しそうにしているだけなのかもしれないが。
ともあれ、表面上はすっかり今の環境に慣れ、満たされた日々を送ってくれているようだ。グレアムだけでなく、マルレーネにもある程度懐き始めてくれている。これだったらきっと、この村で普通に暮らしていけるだろう。
「まったくもう……ホント、呆れてしまいますね」
そんな、どこからどう見ても平和な父子の姿に、同じくテーブルについて朝食を取っていたマルレーネが、目を細めて頬杖をついた。
「ん……? どうかしたか?」
ラフィに頬釣りしていたグレアムがきょとんとして、右斜め前のギルド嬢へと視線を投げる。
「どうかしたかではありませんよ。ラフィちゃんを引き取って養子縁組したばかりのときは、あれほど渋ったりオロオロ戸惑ったりしていたというのに、今じゃすっかり、ただの親バカではありませんか」
相変わらずテーブルに両肘ついて白い目向けてくるマルレーネに、グレアムは口を尖らせる。
「仕方がないだろう? だって、うちの娘は世界で一番可愛いんだから」
「うちの娘……はぁ……なんていうか、人ってこんなにも変わってしまうものなんですね。最初はあんなにも、『俺に子育てなんてできるのかよ~』って、頭抱えていたというのに」
目を細めてじ~と意味深な視線を向けてくるマルレーネに、グレアムが苦笑する。
「確かに。マルレーネの言うとおり、ホント、最初はどうなることかと不安に思っていたのは事実さ。だけど、俺やラフィが今こうして普通に暮らせているのは、すべてマルレーネのお陰でもあるんだぞ?」
「え? 私……ですか?」
「あぁ。ギルドの仕事も普通にあるし、孤児院のちびたちの面倒も見なければいけないのに、毎日こうやって朝晩、飯作りに来てくれたり、ラフィの面倒も見にきてくれたりしてるだろう?」
「そうですね」
「だからこそさ。マルレーネのそういった心遣いがあったからこそ、俺はなんの不安も抱かず、こうやってラフィと一緒に暮らせるようになったんだ。だからさ、本当に君には感謝しかない。ありがとうな」
グレアムがニコッと笑って素直に頭を下げると、きょとんとしていたラフィも、
「ありがとなのです!」
にかっと笑ってお辞儀した。
そんな親子に目を丸くしていたマルレーネは、姿勢は変えずに頬をほんのりと赤く染めながら、どこか照れたように目を瞑る。
「べ、別に……そこまで感謝する必要はありませんよ。私は好きでやっているだけですから」
「それでも、お礼は言っておきたいな。今回のことだけでなく、俺がこの村に来たばかりの頃、どこの馬の骨ともわからんさすらい人の俺を、村に馴染みやすくしてくれたのもマルレーネだしな」
照れくさそうに言うグレアム。
流れ流れてここへと辿り着いたばかりの頃は、ただの旅人として、しばらくこの村に逗留しているだけだった。しかし、そんな彼に、この村の住人になればいいと提案してくれたのは他ならぬマルレーネだった。
当時はまだ十四歳ほどで、今よりももっと幼かったけれど、中身は普通に大人の女性みたいにしっかりしていた。
父である村長にも話を通してくれて、グレアムの有能さをアピールしてくれた。
お尋ね者だから迷惑をかけるかもしれないという不安を取り除いてくれたのも彼女だ。
マルレーネの心のうちに、個人的な思惑があったのかもしれないが、それでもそういった心遣いがあったからこそ、グレアムはこの村に定住する決心を固めたのだ。
だからときどき思う。「ありがとう」と。
相変わらず邪気のない素朴な笑顔を浮かべ続けるグレアムに、マルレーネは左目だけ薄く見開いて彼を見つめた。
一瞬だけ、桜色のぷっくりとした唇が少し震えた気がしたが、すぐさまにっこりと微笑む。
「そうですね。そう思ってくださっているのでしたら、今後はあまり迷惑かけずにいてくださいね。それから、ラフィちゃんが可愛いからってあんまり甘やかさないように。四六時中べったりしていたら、依存症になってしまうかもしれませんしね」
お説教しながらもニコニコしているマルレーネに、グレアムがタジタジとなる。
「わ、わかってるって」
「でしたらいいのですが」
彼女はそう結び、自身も朝食を口に運び始めたのだが――
「やっと見つけたぞ! グレアム!」
突然、家の玄関扉がバタンと開けられ、甲高い女の大音声が室内に響き渡っていた。
すっかり娘に甘いパパさんに。
まぁ、娘をもった父親なんてみんなこんな感じでしょう(ドヤ
【次回予告】
30.修羅場生成機な勘違い女




