1.グレアムとマルレーネ
暦の上では初夏となり、朝早い時間でも大分暖かくなってきた。
そんな時節。
ハイネアン聖教国の領土である中央大陸から海を渡った南西にある小大陸。
そこを治めるグラーツ公国南方の辺境に、カラール村と呼ばれる小規模から中規模に当たる村落があった。貧困に喘いでいるわけでもなく、裕福でもない普通の村。
そんな村に、グレアム・ヴァレン・アラニスという筋骨逞しい三十四歳の大男が住んでいた。
一見、どこにでもいるようなぼくとつとした男だが、その実、彼の素性のすべてを知る者は数えるほどしか存在しない。
なぜなら、彼は人知れずこの村へと流れ着いた訳ありのさすらい人だったからだ。
「それにしてもいつも思うが、ここの食事はホントうまいよな」
そう言いながら、グレアムは木製のフォークに刺さったソーセージを口に運び、ポキッと噛みちぎった。
むしゃむしゃと咀嚼するたびに香ばしい肉汁が広がり、否応なく食欲を沸き立たせてくる。
丸テーブルに据え置かれた椅子に腰かける彼の目の前には、他にも野菜の炒め物やスープ、ライ麦パンなどが並んでいた。
木製のコップにも赤い果実水が入れられ、食卓に彩りを与えている。
決して華やかとはいえない見た目だが、それでも、故郷で食したどんな料理よりもおいしく感じられた。
グレアムは、無意識のうちに故郷での暮らしを思い出していた。
この村で生活するようになってから既に五年が経過している。
かつては聖教国最強の聖騎士として、それ以前は世界に数えるほどしか存在しないと言われるレジェンダリー級冒険者として勇名を馳せていた。
しかし、とある暗殺未遂事件がきっかけとなり、故郷を追われ、世界を彷徨い歩くこととなってしまった。
あてどない旅は決して順風満帆とはいかなかったが、それでも、毎日が新鮮だったから苦ではなかった。
何より、最終的に辿り着いたこの村での生活は、とても心安らぐものだった。ずっと住み続けたいと思えるほどに。
だからこそ、グレアムはこの村を安住の地と定め、定住することにしたのだ。
「お米やいろんな調味料があれば、もっとバリエーション増やせるんですけどね」
物思いに耽っていた彼にそう声をかけてきたのは、グレアムの真正面の椅子に腰かける娘だった。
テーブルに両肘をついて頬杖つく格好となっている。腰までのゆる巻き金髪と若干大きめの碧眼が特徴の愛らしい娘で、名前をマルレーネ・スファイルと言う。
今年十九になったばかりで、この村の村長の娘であり、また、現在二人がいるレンジャーギルドの支部長を務めるギルド嬢でもある。グレアムがこの村に住むようになった五年前からの付き合いとなる比較的仲のいい娘だった。
「コメか。共和国の東の方に行けば、マルレーネが言うような穀物も作っていたような気がするが、さすがにこの国には輸入されていないからな」
「そうですね。蜂蜜やお砂糖、小麦なども貴重品ですし、たとえ流通していたとしても、裕福ではないこの村にまで回ってくることはありませんからね」
「そうだな」
一般的に、砂糖も小麦も裕福な家庭や王侯貴族でもない限りは口にできないと言われている。グレアムの故郷であるハイネアン聖教国では至るところで小麦が作られていたので、貧困層でもない限りは普通に口に入れることができたものの、カラール村があるグラーツ公国ではそうもいかない。
国土の大半が草原地帯で、作られている農作物も小麦ではなくライ麦だからだ。土地が痩せている地域も多く、冬場は厳冬になる地方もあるため、小麦の生育に適さないのだ。
そんなわけで、この国ではもっぱら、小麦は外国からの輸入に頼る他なく、高価となってしまう。
マルレーネが言う米――ヴァルカーリリックという穀物も、同様の理由で入手が困難となっている上、この地方での主食といえばライ麦パンなので、ほとんど交易が行われていなかった。
「まぁ、もし今度、北の港町辺りに行くことになったら、そのときにでも見てきてやるよ」
「えぇ。そのときにはお願いしますね。個人的には是が非でも手に入れたい食材ですので」
食事の手を止めずに答えたグレアムに、マルレーネはにっこり微笑みながらそう締めくくった。そのあとで、
「ところでグレアムお父さん? 例の件、そろそろ全部思い出してくれましたか?」
ニコニコ笑顔を崩さずいきなりおかしなことを言い出した彼女に、グレアムは思わずずっこけそうになってしまった。
彼女にお父さん呼びされる筋合いなど、欠片もなかったからだ。
「あのなぁ、マルレーネ。何度も言うが、俺はお前の親父ではないし、そもそも、お前の父親は村長だろう」
「そんなことはわかっていますよ。何当たり前のこと言ってるんですか? 私が言っているのは、当然あっちのことですよ?」
ジト目を向けるグレアムの視線もなんのその。マルレーネの表情はまったく変わらなかった。
そんな彼女を見て、派手に溜息を吐く。
(まったく……相変わらずというか――確かこいつと出会ったのは十四とかそのぐらいだったか? あの頃から妙に大人びていたが――しかし、本当に人の言うこと聞かないな)
彼女は当時から、一度言い出したら人の言うことをいっさい聞かない頑固者として有名だった。しかも、結構、奔放な性格をしていることでも有名で、幼少の頃から無茶を言っては、周りの大人たちを振り回してきたらしい。
ある意味、グレアムもそんな被害者の一人とも言える。何度ニコニコ笑顔で無茶な要求されたり、からかわれたりしてきたかわからない。
おまけに説教癖まであるときたもんだ。
よく言えば茶目っ気たっぷりの天然娘だが、悪く言えば、ただのやんちゃ娘である。
(まぁ、年が離れているからか、そんなところも可愛く思えたりするんだがな)
グレアムはそう心の中では苦笑しつつも、呆れ顔のまま話を切り替えた。
「まぁいい。とにかくだ。前世うんたらかんたらは置いとくとして、朝飯食い終わったら早速ギルドの仕事を片付けてくるよ。薬草採取だったよな?」
再度、残りの朝食をかっ込むようにガツガツ食しながら話を切り替えたグレアムに、始め不満げに頬を膨らませていたマルレーネだったが、すぐに頷いてみせた。
「えぇ。いつもの薬草を規定量、取ってきてくだされば結構です」
「わかった。ただ、薬草取ってくる前に、一度ライラのところに顔を出さないといけないからそのあとになるけど、構わないか?」
なんだかよくわからないが、グレアムは色気の塊と言われる占師の女に呼び出しを食らっていた。
「えぇ。急ぎではないですし、今日明日辺りで取ってきてくだされば大丈夫ですよ」
「そっか。じゃぁ、ちょっくら行ってくるわ」
食事を終えたグレアムは席を立ちながらマルレーネに笑みを見せる。
胸が強調されるようなデザインの制服を着た彼女も席を立ち、「はい、お気をつけて」と軽くお辞儀をした。
なんだかんだ言っても、こういったやりとりが好きなお人好しグレアムさん。
いつものように、遊ばれてしまいます。
【次回予告】
2.占師ライラと不吉の予兆