25.シュクルーゼ公の憂鬱
――ハイネアン聖教国聖都ファルトネー。
その日、大聖堂でもあり教皇の居城でもある聖城では、月に一度の定例会議が開かれていた。
巨大なステンドグラスをバックに、同じく巨大な女神像が置かれた議会聖堂には、教皇を始めとした国の主立った者たちが勢揃いしている。
聖教最高評議会議長にして、他の国で言うところの宰相の役割を担っている枢機卿。
聖教国の軍部を統括する地位にいる、聖騎士団団長と神殿騎士団団長。
魔法開発を始め、有事の際に魔法で支援を行う聖教魔導士団団長。
他にも、大聖女や大司教、国の政治に関わる爵位持ち宮廷貴族など、部屋の中央に置かれた長テーブルには、三十名以上もの面々が着座していた。
「――それでは以上で本議題のすべてが終了となりますが、他に何かおありの方は発言をお願いいたします」
会議の司会進行役を務めていた大司教が一同を見渡す。
彼のその視線が、女神像のたもとにある絢爛豪華な玉座に腰を下ろしていた教皇に止まった。
上座に着座した老齢の男は、老いた顔を枢機卿へと向ける。
「バーセラムよ。あの件はどうなっておる?」
バーセラムと呼ばれた齢五十九の枢機卿が、忌々しげに口を開く。
「いまだ、仕留めたという知らせは耳にしておりませんな」
吐き捨てるようにそう言うと、黒髪に白髪が目立ち始めている枢機卿が、テーブル中央付近にいた男へと鋭い眼光を向けた。
「グランツェル候よ。あの逆賊を仕留めるのに、いったいどれだけの時間を費やしておるのだ。既に六年も経っておるのだぞ? あの男が聖都より姿を眩ませてより」
今しも死刑宣告しかねないほどに怒りで顔を歪める枢機卿に、評議会副議長を務めるグランツェル侯爵は能面のような表情を浮かべる。
「そのことですが、我が国は元より、秘密裏に帝国や共和国にも暗部を放っておりますが、中途からばったりと、情報が途絶えてしまっているのです」
「情報が途絶えただと? どういうことだ?」
「彼奴が共和国へと渡ったというところまでは足取りを掴んでおるのですが、その後、まったく足跡を辿れなくなってしまったのです。まるで、情報操作でもされたかのように」
「情報操作? まさか、共和国が奴を匿っておるということか?」
「それはなんとも」
口ごもってしまう侯爵に代わり、神殿騎士団団長を務める男が口を開いた。
「共和国が匿ったとのことですが、それはさすがに邪推し過ぎかと」
そのあとに続いて、聖教魔導士団団長を務める男が口を開く。
「私もそう思います。いくら、かつてあの男が剣聖として勇名を馳せていたとはいえ、我が国が指名手配しているような男なのです。そのような人物を匿えば、一歩間違えれば我が国と戦争になりかねませんからな」
その意見に枢機卿がテーブルを叩いて憤りを露わにする。
「だったら、奴はどこへ消えたのだ! あの逆賊は、我が国の平穏を脅かさんとする大罪人なのだぞ!? 国家転覆を企み、あまつさえ教皇様のお命まで狙うなど、言語道断だ! 即刻捕らえ、断罪に処さねば我が国の威信に関わる! それだのに、なぜ、いまだ奴を捕らえられんのだっ」
何度も何度もバンバンテーブルを叩く枢機卿に、周囲がざわつく。
「もしかすると、既に奴はどこかで野垂れ死んでおるのではないか?」
「さすがにそれはないだろう。奴はあれでも、帝国をして英雄とまで讃えられた男だぞ?」
「だが、その帝国ですら奴を危険人物と見なし、密かに暗殺部隊を送り込んだと言うではないか」
「しかも、かの大戦の折、我が国が雇った『双蝎の顎門』も暗部とともに、今回の件に動いていると聞いたな」
「それは本当なのか? だとしたら、やはり、既に死んでいるのではないか?」
「だったらよいのだがな」
「あ~恐ろしや。くわばらくわばら」
騒ぐ宮廷貴族らが眉間に皺を寄せていると、そこへ別の大臣が会話に加わった。
「そういえば、あの男の話で思い出したことがあるのだが、最近、聖都だけでなく、この周辺の都市でも、いろいろときな臭い動きが出始めていると部下から報告を受けているな」
その台詞に宮廷貴族らが食いつく。
「あぁ、その件に関しては、私も噂を小耳に挟みましたな。しかも、偶然かもしれませんが、彼の者が聖都から逃亡を企てて以降、組織的な犯罪件数も日を追うごとに増加していると聞きます。この都に留まっていた上級冒険者らの姿まで激減しているとか」
「ほう。ならば、もしやそれらもすべて、あの男の企みということか? 冒険者らを使って我が国に仇なそうと目論んでおるのではないか?」
「どうだろうな。だが、犯罪が増えておるのは事実だ。奴がいたときにはここまで多くはなかったのだがな」
「まぁ、冒険者も多くおったしな」
「さすが剣聖として多くの者たちから人望を得ていただけのことはある」
「となると、やはりあの男に罪を着せて聖都より追い出したのは失敗だったのではないか? よくも悪くも、奴らが抑止力になっていたのは事実だからな」
「だな。あの男がまだこの都に残っていれば、もう少し治安もよかったのであろうがな」
「それに、最近は夜道だけでなく、昼間も護衛をつけねば危なっかしくて街も歩けぬという」
「あぁ。いっそのこと、奴を呼び戻して賊どもに当てるというのはどうだろうか?」
「それは名案だな」
「奴さえいてくれたらな」
どこか残念そうにする重鎮らに、
「静かにせいっ。貴様ら、あの逆賊を英雄視するとはなんと不敬なっ。全員獄に繋がれたいのか!?」
興奮気味に立ち上がった枢機卿が顔を真っ赤にして怒鳴り散らした。
その後、そのままの流れでグランツェル侯爵を睨み付けた。
「ともかくだっ――グランツェル候! よいか!? どんな手段を使ってでも構わん。なんとしてでもあの逆賊をあぶり出し、捕縛するのだっ。最悪、殺しても構わん!」
唾を飛ばして指さす枢機卿に、
「御意に」
グランツェル侯爵は立ち上がると、胸に手を当て、腰を折った。
◇
定例会議が閉幕し、自宅へと戻ってきた聖騎士団団長であるエドワール・ド・シュクルーゼ公爵は、玄関ホールで待っていた近習を伴い、執務室へと入っていった。
「随分お疲れのようですね」
執務机に備え付けられている椅子に腰かけた主人に対して、近習が苦笑した。
「まぁな。お前もわかっておるだろう? あの老人たちの相手はほとほと疲れる」
「そうですね。この国の上層部は相も変わらず、自身のことしか見えていませんからね」
シュクルーゼ公爵は近習の言葉に肩をすくめる。
「もう少し自重してくれればいいのだがな」
そう前置きしてから、赤髪の騎士団長は疲れたように椅子の背もたれに寄りかかった。
「ところで、あいつから連絡はあったか?」
「いえ、まったく音沙汰がございません」
慇懃に答える若い男に、シュクルーゼは溜息を吐いた。
「まったく、グレアムといい、あいつといい、本当に困ったものだ。勝手な真似ばかりしおって」
「いかがなさいますか?」
「引き続き密偵を放ち、行方を追いかけさせろ」
「御意に」
近習は無表情で答え、部屋から出ていった。
一人取り残される形となった齢五十八の男は、姿勢を変えずに天井を見つめた。
「あいつが行方不明となって既に一年。本当にバカな娘だ。お前が動く必要などなかったというのにな」
厳つい騎士の顔から一人の父親の顔となった男は、そう独りごちた。
一方その頃、というやつですね。
今まで名前しか出てこなかった人たちの登場です。
【次回予告】
26.いたずら小僧見参




