22.新たな日常の始まり
ラフィの引っ越し作業が終わってから数日が過ぎた。
自宅に運び入れたタンスなどの家財道具は、とりあえずキレイに磨いて新品同然にしてから寝室内に設置した。
グレアムが住む家は、カラール村を囲む防壁の周囲に広がった田園風景の先にひっそりと佇んでいる。
やや小高い丘になっていて、家の周りには草原が広がり、麦畑や村全体が見渡せるようになっている。
この屋敷は元々、狩人たちが狩猟に行く際の準備小屋として使っていたボロ小屋だったのだが、使われなくなって久しいということで、そこを改築して今の形となっている。
そんな彼の家は南北に細長い平屋となっており、敷地の周囲には生垣が設けられている。
玄関入ってすぐのところが土間で、一段高くなった正面の床がリビングとなり、そこを起点に左右に廊下が張られ、いくつかの部屋となっている。
基本的に内部は土間以外、土足禁止で、リビングには大きな丸いテーブルが置かれている。
一人で住むには少し大きい屋敷なので、本来であればラフィのタンスもわざわざ寝室内に運び入れる必要はなかったのだが、そこはそれ。
せっかく持ってきたし、そのままラフィ用の衣装ダンスとして使った方がいいに決まっている。
そういった思いから、すぐに着替えができるよう寝室に設置したのだ。
「……もうこんな時間か」
辺境にある農村の朝は早い。
中央広場に設置された大時計が朝の五時を告げる鐘を鳴らしていた。
村の外にあるグレアムの家にもその音は普通に聞こえてくる。
ただし、グレアムの場合、帝国産の高価な魔導具である懐中時計や設置型の屋内時計も普通に所持しているため、そちらでも時間を確認できる。
そんなわけで、改めて室内の時計を確認してから起きようとしたのだが、残念ながら、隣で寝ていたラフィが右腕をがっつりと抱え込んでしまっていたため、起きるに起きられなかった。
「参ったな」
ラフィが五歳とかそのぐらいであれば、子供たちも家の手伝いなどをしながら社会勉強していくことになるので、この時間から起こして一緒に朝活するのもやぶさかではないが、さすがに三歳児の彼女をこんな時間から叩き起こしたくない。
(仕方がない。今日は特に予定はないし、そんなに早く起きる必要もないか)
いつもならギルドを通じて村の手伝いなどの、いわゆる雑用係的な仕事がそれなりにあるのだが、ここ数日は何もない。
この村に来てから本格的に始めた現在の本職であるスキル創者の仕事もあるにはあるが、そもそも、グレアムが生み出すスキルマテリアルは材料となるスキル晶石や特殊な薬草類が高額なので、超がつくぐらいの高級品に相当する。
したがって、この村で買う人間なんか誰もいない。それこそ、王侯貴族御用達である魔法スクロールと同等の扱いだ。どうせ作っても貴族がいる大きな町にでも行かない限り買ってくれる仲買業者や貴族はいない。
そんなわけで、注文が入らない限り、販売目的で制作することはない。もし作るとしたら、それは自分用にだ。
つまり、今はスキルマテリアルすら作る必要がないため、育児に専念できるということでもある。
(そうだな。最近はラフィの面倒をマルレーネに任せっきりだったし、今日は俺の方で積極的にいろいろやってみるか)
そんなことを若干面倒くさそうに考えながらも、心のどこかでは楽しく感じるグレアムだった。
◇
そうして一時間後、いつの間にか二度寝していたらしいグレアムは、恐ろしいほどの息苦しさに目を覚まして顔をしかめた。
「おい……お前は何をやっているんだ……」
目を開けたら明るい日差しは飛び込んで来ず、視界を覆い尽くしていたのは暗闇と、そして顔全体を覆い尽くすように抱き付いていた真っ白い毛玉だった。
「ニャ~」
顔の上に乗っている白猫マロのもふもふ被毛がくすぐったくて暑苦しい。
知らない間に右腕を抱きしめていたはずのラフィの包囲網も外れていたので、グレアムはマロを上に持ち上げながら上体を起こした。
「たくっ……危うく窒息するところだったぞ……」
ベッドから降りたグレアムは、いまだすやすやと眠りについているラフィを軽く揺すった。
「ラフィ。そろそろ起きる時間だぞ」
時刻は六時を少し回った辺りだ。
大体いつも六時半にマルレーネが家を訪ねてくるので、それまでにある程度身支度しておかないといけない。
「ん~……ぐ~たん……?」
ラフィは眠そうにむにゃむにゃ言いながら目を擦っている。どうやら寝ぼけていて状況がまったく飲み込めていないらしい。
「もう起きる時間だ。着替えと身支度すませたら、顔洗いに行こうな?」
「う……ん~……」
優しく声をかけるグレアムに、ラフィは上半身を起こすと、目を擦ったまま小さなあくびをした。相当眠いらしい。
「ぐ~たん……だっこ……」
「やれやれ……」
いつものことだが、朝から甘えん坊な女の子だった。
グレアムは苦笑しながらラフィを抱っこしてあやしたあと、前日にマルレーネが用意してくれた服にラフィを着替えさせた。
先日着ていたフリルワンピとは違い、デザイン的にはなんの変哲もない普通の半袖白ワンピだが、スカートの膝下辺りをぐるっと一周するように、いろいろな動物の刺繍が施されていた。裾部分にも、こちらは貴族連中が好みそうなほど手のかかったレースの花飾りが施されている。
裁縫技術が皆無なグレアムですら、相当な技術で織られているとすぐにわかるぐらいの一級品だった。
(この服は確か、ラフィの母親が手作りしたものだったか? これほどのものを作れるとなると、相当名のある裁縫職人だったのかもしれないな)
そんなことを考えながら、グレアムはラフィを伴い、厨房から裏庭へと続く扉を出て、厠兼風呂場へと向かった。そして、風呂場に置いてあった小さな木製桶をラフィ用に作った小さな台の上に載せると、その中に掌大の青いボールを入れた。
これもまた魔導テクノロジーの最先端を行くラーズ=ヘル魔導帝国で作られ世界に輸出されている高級魔導具の一種で、使用限界はあるものの、ちょっとした量であれば簡単に新鮮で安全な水を湧き出させてくれる便利な生活用品だった。
本来、こんな辺境の村では手に入らないような代物であり、貧しい村人が一生かかっても買うことすらできないような逸品だったが、グレアムはいろいろなところに伝手があるので、裏ルートでこっそり仕入れたというわけだ。まぁ、大金貨何枚か吹っ飛んだが。
「わぁ……おみずがでてきたのです! ふしぎなのです!」
すっかり眠気も覚めたようで、ラフィは桶の中を見つめながら大喜びで飛び跳ねていた。
魔導具で水を出すのは今回が初めてではないはずだが、それなのに驚いている。
普段はマルレーネに全部任せてしまっていたから、いつもこんな反応を見せていたのかどうかはわからないものの、見るものすべてが新鮮といった感じのその姿はいつ見ても愛らしかった。
グレアムはそんな微笑ましい彼女に知らずニヤけていたが、桶が満水になる前に停止魔法を唱えて魔導具を止めた。
「さぁ、もう洗っても大丈夫だぞ」
「うん~~!」
魔導具を外に出したのを見て、ラフィが水の中に小さな両手を突っ込み、一生懸命顔にかけ始めた。
「ぅぅぅ~~! ちゅべたいのです!」
身体をぶるっと震わせ、楽しそうに笑っている。
グレアムはそんな彼女をニコニコしながら見守ることにした――のだが、笑っていられたのは最初だけだった。
顔を洗い終わった彼女の姿を見た瞬間、グレアムは「げっ」と、頬を引きつらせていた。
ラフィは顔だけでなく、前髪も首回りも至るところびしょ濡れだったからだ。
(やばいやばい……! こんな姿をマルレーネに見られたら、何言われるかわからんぞ?)
以前にも似たようなことがあり、そのときもニコニコ笑顔のままこっぴどく説教食らった覚えがある。
『どうして顔を洗うだけなのに、服や髪の毛まで濡れているんですかぁ? おかしいですよね? 普通、髪留め付けたり、服が濡れないように洗ってあげますよね? そうですよねぇ?』
そうねちっこく言われたのである。正座させられながら。
(しくじったな……このままだと、またお説教タイムに突入してしまう……)
グレアムは頬を引きつらせながら、証拠隠滅とばかりに大慌てでラフィの顔や髪、首回りをタオルで拭いてやりながら、鬼が来る前に風魔法で一気に乾かしてしまおうと画策したのだが、やはり、すべては遅かった。
「……返事がないからどうしたのかと思ってきてみましたが――あらあら。グレアムさん? 珍しいですね。あなたがラフィちゃんの顔を洗って差し上げているだなんて」
そう突然背後から声が聞こえてきたのである。
「げっ……」
焦って振り返ったグレアムは、目の前に佇む女性を視界に捉えて背筋が寒くなった。
すっかり通い妻状態で朝晩毎日、家まで通ってくれているニコニコ笑顔のマルレーネが仁王立ちになっていたからだ。
何より、そんな彼女の背後からはどす黒い瘴気すら漂っているような気がして、グレアムはゴクリと生唾を飲み込んだ。
初めての育児に失敗はつきもの。
そうやって立派なお父さんに成長していく……はず?
しかし、そんなほのぼの親子の前に立ちはだかるは、幻獣より怖い鬼嫁(?)でした。南無。
【次回予告】
23.すんまそ




