15.聖域
「ここなのです。おうちからでて、このおくでずっとかくれていたのです」
絶対不可侵の領域。本来、何人たりともこの中に侵入することは不可能とされる聖域。それが今、目の前にある。
そして、そんな場所へと到着するなり、ラフィはどこか嬉しそうな、それでいて沈んだようなよくわからない表情を浮かべながら、揺らめく光の壁の向こう側を指さしていた。
「可能性としては考慮していたが、まさか、本当に聖域の中に避難していたとはな。だが……」
――いったいどうやって。
そればかりが脳裏をよぎる。この中に入ろうとしても、本来であれば電撃を浴びせられたかのような強い衝撃を受けて弾き飛ばされるはずだ。
あるいは、もし仮に入れたとしても、待ち構えているのは幻獣たちである。世界に名の知れた最強といっても過言ではないグレアムですら、遠慮したくなるような連中の巣窟なのだ。
そんな場所に入り込み、あまつさえしばらくの間無事に暮らせていたとは到底思えない。
決してあってはならない事実だった。もし本当にそんなことが可能なのだとしたら、ラフィはいったい何者なのか?
「なぁ、ラフィ」
「ん~?」
「どうやってこんな場所まで逃げて来られたのかも謎だが、それ以前に本当にこの中で隠れていたのか?」
「うん~~。えっとえっと。ラフィ、おとうたまとおかあたまのあとにくっついてきたのです~」
「え?」
グレアムはラフィが何を言い出したのか理解できなかった。彼女の両親は光って消えてしまったと言っていたはずだ。それなのに二人のあとを追いかけてここまで来たとはどういう意味だろうか。
「えっと、確かラフィのお父さんとお母さんは胸の中にいるんだよな?」
「うん~。でもでも、ピカってひかったあと、めのまえがまっしろになって、おとうたまとおかあたまがこっちにおいでって、ラフィにいったのです。だからラフィはピカピカのなかをずっとおいかけてきたのです。そしてそして、しらないあいだにここのなかにはいっていたのです」
きょとんとしながら説明してくれる彼女に、グレアムは「なるほど」と首肯した。
よくわからないが、おかしな術を行使した両親のお陰で難なく聖域内へと侵入を果たし、逃げおおせることができたということなのだろう。しかし、
「でも……しろいひかりがきえて、さっきまでいたおとうたまとおかあたまがきえちゃって、おむねのなかからこえがきこえてきたのです。もうだいじょうぶだよって。おとうたまたちはおむねのなかにいるから、しんぱいしなくていいからねって」
「なるほど……そういうことだったのか」
両親が消えてしまったときのことを思い出したのか、心なしかラフィは悲しそうな表情を浮かべているような気がした。
グレアムは、そんな彼女を軽くあやしながら、彼女が教えてくれた情報を元に、事件当日、何が起こったのか想像してみた。
おそらく、賊に襲われ逃げ切れないと悟った両親がおかしな術を使って光の世界を作り出し、その中を親子三人走り続けてここまで逃げてきたということなのだろう。
しかし、肝心の両親が使ったという光の正体については、相変わらずよくわからなかった。
幻惑魔法の類いなのか。それとも今は失われてしまったと言われている時属性と幻属性に由来する古代魔法か何かなのか。
今となっては確かめようがないのでなんとも言えない。
けれど、確かなのはその不可思議な現象のお陰で、賊の目を欺き聖域内まで逃げおおせることができたということだ。そして、その力の代償なのか、術を使ったラフィの両親はこの世から消滅してしまった。
(……本当にままならないな。どうしてこんな小さな子供一人残して、死ななければならなかったんだ。もっと他にやりようはなかったのか?)
だが、それしか方法がなかったから、ラフィの両親はこの道を選んだのだろう。
(それでも唯一の救いは、胸の中から声が聞こえてきたということだ。もしかしたら、物質的にいなくなってしまっただけで、ラフィが言うように、本当に胸の中で生き続けているのかもしれないな。魂だけの状態となって)
ともあれ、それすらも確かめようがない。
グレアムはどうしようか悩んだ末に、両親のことをラフィに聞いてみることにした。
「ラフィ、お父さんとお母さんの声はまだ聞こえるのか?」
この手の話は非常にデリケートなものだが、聞かないわけにはいかない。グレアムはためらいがちに質問していた。
「んと……いまはきこえないのです。おとうたまとおかあたまはねんねしてるのです」
「寝てる?」
「はいなのです。このピカピカのなかにいたおっきなとりさんが、おしえてくれたのです」
「え……」
グレアムは「おっきなとりさん」という言葉を聞いて、思わず背筋が寒くなった。この中にいる大きな鳥なんて、あいつらしかいない。
「まさか、ラフィは幻獣と一緒にいたのか? しかも、奴らと話したとか……」
魔獣や動物もそうだが、幻獣が人語を解すなどという話は聞いたこともなかった。
「げんじゅう……? よくわかりませんが、もふもふしたおっきなとりさんたちがいっぱいいたのです。そしてそして、ここでおるすばんしてなさいいわれたです。きのみとかいっぱいもってきてくれて、それをたべて、ずっととりさんたちといっしょにいたです。でも、おとうたまとおかあたまのこえがきこえなくなって、それでおうちにかえりたくなったのです……。もう、おるすばんイヤだったのです……! ひとりぼっち、イヤだったのです!」
ラフィはそう叫ぶように訴え、目にいっぱい涙を浮かべてしまった。
グレアムはいきなり泣きそうになってしまった幼子の言動に焦り、慌てて頭を撫で始めた。
やはり、この手の話はあまりしない方がよかったのかもしれない。
聞きたいことはいろいろあったが、こうなってしまってはもはやどうしようもない。極端にお留守番やひとりぼっちを嫌がっているようだし、聖域内での暮らしを思い出させるべきではなかったか。
「ごめんな。辛いこと思い出させてしまって。そうだよな。もうお留守番なんてしたくなかったよな。一人でがんばって、ずっと我慢してきたんだもんな」
そう懸命にあやしながらも、「失敗したな……」と、胸を詰まらせた。
「うん……ラフィ、ずっと、おとうたまたちとしたやくそくまもって、ずっとずっとがんばったのです……。でもでも、がまんできなくなって、とりさんにダメいわれましたが、そとでたのです。そしたら、わるいひとたちに見つかっちゃって……」
そのあとは言葉にならず、ただひたすら、グレアムの首にぎゅ~っと抱き付くだけだった。
「そうか。そうだったのか……。大変だったよな。だけどもう、何も心配しなくていいからな。俺が側についているから」
グレアムはそう優しく声をかけ、ラフィを胸の前で抱きかかえるようにしてから背中をさすってあげた。
(しかし、これで事件当日、ラフィとその両親に何が起こったのかだけはある程度判明したな)
賊に襲われ娘を逃がすために、自らの命を犠牲にしておかしな術を使った両親。そのお陰で難を逃れられた上、まさかの聖域侵入とラフィたちを保護した幻獣たち。
(なんでかよくわからないが、まさか幻獣が人間の子供を匿っていたとはな)
グレアムの脳裏に、とある生き物の姿が結像される。
この森にはラフィが指摘するような見た目の鳥が、何種類か存在する。そのどれもが幻獣と呼ばれている者たちで、ときどき小型種が村にも顔を出すことがあった。
その者らは幻獣でありながら非常に好奇心旺盛で、危害を加えない限り人に対してかなり友好的な生き物としても知られている。
そんな幻獣の一種が、どうやらラフィを保護してくれていたらしい。果たして、それを為し得たのは両親の恩恵か。それとも――
(まぁいい。いずれにしろ、大体のことは把握できたしな。両親や幻獣に関する謎は残ったままだし、ラフィの正確な身元も依然わかっちゃいないからいろいろ気にはなるが、それでも、この子が孤児になってしまったことだけは確かだ。それだけわかれば十分だろう)
あとはもう、いつも通り、役場に孤児として登録するのみ。
(しかし……問題は、誰がこの子の面倒を見るのかってことだけどな)
グレアムは軽く溜息を吐いたあと、後方へと振り返った。
わからないことだらけの幕切れではあるが、もはや長居は無用である。
昨日今日と、まったく魔獣の姿を見かけてはいないといっても、この森には確実に、凶悪な連中が生息している。それに、すぐ目の前には幻獣たちの生息域がある。こんなところに長くいたら、何が起こるかわかったものではない。
さっさとおいとまするに越したことはない。
「戻るか……」
そう誰に言うでもなく呟き、歩き始めたときだった。
「マテ」
突然、強烈な殺気を伴う声色が後方から迫ってきた。
本来、古代魔法と呼ばれている基礎魔法は10属性あると言われています。
地、水、火、風、光、闇、氷、雷、幻、時の十個。
このうちの幻と時がロストアトリビュートと呼ばれています。
【次回予告】
16.未知との遭遇




