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切符代の約束

「そっちはどういう関係?」

 率直に聞くしかない。

 ミュンヘンは、うーんと天井を仰ぐ。

「……ちょっと。昔にね?」

 意味深なことを言って、ふふっと笑った。でもそれでも、あたしが知ってる、女が別の女にマウントをかけるような仕草でもないし。良い意味でサッパリしてる。

 ミュンヘンは「それ」と、あたしの後ろを指差した。

 後ろを見てみると廊下が見えるけど、ミュンヘンが指しているのは壁にかかった額縁のこと。

「作家君とはちょっと複雑な約束があるんだ」

「複雑ってほどでもないよ」

「複雑って言った方が面白いじゃん?」

 あたしは額縁に気を取られてる。写真によく似た絵画じゃない。色んな色を使った抽象画。しかもあたしはこの絵柄を最近見たことがあった。

「リヴァイが集めてた絵に似てる……」

 バカみたいだけど、映画みたいな設定があたしの中で繋がった。

 そこに、約束ってやつをミュンヘンが付け足してくる。

「私たちが幼かった頃にね、ちょっとだけ一緒に出かけたことがあって。その時の往復切符を、作家君はまだ作家君じゃなかったから払えなかったんだ。だから私がお金を払ってあげたの。そしたら作家君が後で返すって言うから、その約束でね」

 切符……。

 あたしは椅子から立って、あの絵画に近寄った。複数の色で塗りつぶされたキャンバスだったけど、近付いて見てみたら小さな切符が埋まってた。アートの一部として絵の具で塗られてた。

 これに気付かなかったら切符代ぐらい楽勝で返しなさいよ、ケチ臭い。で、済んだだろうけど。……違う。硬貨数枚の値段で買えた切符はもう、その額の何倍もの価値になってるわけだ。

「これって自分で描いたんでしょ?」

「うん。可愛いでしょ?」

 絵柄の良さなんて全然分かんない。作家の意図なんて全く興味ない。だけど絵画は好き。どっかの貴族が惚れ込むだけで値段がうんと高くなるんだもん。

 ミュンヘンが別の男の名前で違う絵柄を描いてる理由は知らないけど。とにかくあたしにとって重要なのは、その約束っていう切符代をリヴァイが払えるのかどうか。

「この絵、いくらすんの?」

 ミュンヘンが頭を悩ませる。

「リモネ!」

 そこにリヴァイが割り入った。

「値段じゃないよ! 約束は確かにあるけど、お金で解決するって問題じゃないんだ!」

 次はミュンヘンに取り入る。

「ねえ、ミュンヘン。こんなことは間違ってるよ。君の作品は素晴らしいものなんだ。値段なんて付けられないし、誰かの所有物になるのもおかしい!」

 正論みたいに振りかざすリヴァイの言葉に、ミュンヘンは「そうかなぁ?」と、首を捻ってた。

 あたしは呆れてものも言えない。リヴァイにはもう言うことは何もない。

「で? いくらになるの?」

「リモネ!!」

「あたしが査定しよっか? 別に資格はないけど、前職のあれこれで高価格な品を見る目はあるよ」

 うるさい男のそばで、ミュンヘンは落ち着いてた。

「本当? じゃあ、お願いしよっかな」

「了解。絵の具の種類は?」

 こうして査定を始めた時、ついにリヴァイは耐えきれなくなったみたい。何も言わずにこの部屋を出て行ってしまった。言っても彼は大人だから、どんなに怒ったって暴れたりなんかしない。

「作家君、帰ってくるかな?」

「帰ってくるよ。荷物そこにあるもん」

「あ、そっか。良かった」

 この状況でよくもそうニコニコと笑ってられるな……。

「あたしがこの切符代を払ったらリヴァイのこと返してくれるよね?」

「うん! 返す返す! というか、リモネの旦那さんなのに、どうして私のものみたいになってるのかな?」

 不思議~と、ずっとミュンヘンは楽しそうだ。

 楽しそうに見せている……とも感じないくらい。怖いほど自然みたいに彼女はずっと笑ってる。

 リヴァイは気付いてないのかな。うん、きっと気付いてないね。心の優しい人は表面ばっかり綺麗にしようとするんだもん。

 あたしみたいに心が汚れてる人にしか、綺麗な人の内側まで見ようとしないんだよね。


「こんな値段払える!?」

 あははと笑うミュンヘンだったけど、あたしだって多少は苦笑してた。

 あえて低めに価格設定することはいくらでも出来たけど、それだとあたしのプライドが許せなかった。普通に画材と年数とミュンヘンの経緯を聞いたらこのぐらいの価格で妥当だ。

「大丈夫。払える」

「前職の経験?」

「うん。そう」

 椅子に座って濃すぎる紅茶を飲んだ。ペンギンの匂いにも多少は慣れちゃってる。喉が痛いくらいに渋くて、こんなに美味しくない紅茶は初めて。

「リモネとは、なんだかお友達になれそうな気がするなぁ」

 カップを見つめながらミュンヘンが言った。残念だけど、友達にはなれるだろうなってあたしも思ってた。でも、そんな気はない。

「あたし、嫌いなんだよね。仕事とか物作りに命かけてる人って」

「どうして?」

「ダサいじゃん。新しい服だって靴だって季節ごとに新しいものが出来るのに、いつまでも『自分にしかないもの』に固執してるって。時間の無駄じゃん?」

 そんなことを言うと、大抵の芸術家は怒ってきそうだけど。ミュンヘンは心まで芸術家だったのかな。「確かに」って言った。

 ひとつのことを追うために周りに置いて行かれる。ふと足が止まった時、自分は全然誰もいない世界にひとりで取り残されていることがある。その時、芸術家は筆を置くかもしれないし、弦を放り投げるかもしれない。

「……でもね、リモネ。それでも私は描くのを止めないんだ。だってこの手は絵を描くためのものだもん。それ以外を探している方が、私には時間の無駄だって思うな」

 穏やかに言うミュンヘンの言葉に、あたしは疑問がある。

「違う名前で、違う作風でも。それはあなたの絵だって思うの?」

 詳しくは知らないけど、ミュンヘンはコバルトって男に名前も作風もたぶん買われた。リヴァイが彼女の状況に対して「所有物になるのはおかしい」とかって言ってたのもそのこと。

 でも実際はきっと、コバルトって男はミュンヘンのことを所有物だなんて思ってないはず。本を読んだのと同じで、ただの知識や能力を手に入れたとしか思ってないだろうな。

 あたしを金稼ぎの足や手としか思ってくれなかったオデールと一緒ね。

 するとミュンヘンがふふっと笑っている。

「別に何とも思わないよ。私は絵が好きだから」

 ポットからお茶を入れて、あたしにも足すかどうかを聞いてきた。

 ほとんど渋みしかない紅茶で激マズ。だけどあたしはカップは注いでもらった。もう二度と飲めないような気がしたから貰っとくことにした。飲んでみるけど時間が経つにつれて苦味が増してる。

「……そっか」

 不味さとは別に。なんか彼女の言葉が腑に落ちた。

 絵が好きか……。やっぱりきっと、あたしと彼女は似てる。色々迷って、色々傷付いて、最後にこれだというものを見つけちゃったんだ。

 そうなると離れられない。あたしにもそういうものがあるよ。


「私は展覧会中はここにいるからね」

「分かった。それまでにお金を持ってくる」

 残した紅茶をそのままにして、あたしは部屋を出て行こうとした。でもこの機会だから、少しは彼女と仲良くなろうとしてみるのも悪くないかなってなんか思ったのかも。

「ねえ、ミュンヘン」

「なにかな?」

 キッチンから玄関にひょこっと顔だけ出してくる。サラサラの黒髪がした方向へ垂れた。

 この土地で黒髪なんて珍しい。それだけでもミュンヘンには色々苦労があるのかなってあたしは想像する。

「あのさ、あたしはお金が好きなんだ。夢とか愛とかよりもお金の方がずっと好き」

 それを最後にして出ていく。って思ったんだけど、出入り口の真隣にはキッチン窓があった。他人の家の内装まで細かく把握なんかしてない。そこが勢いよく開いてミュンヘンが顔を出したから飛び上がってしまう。

「好きなものがあるって良いと思う!!」

「……え?」

 ミュンヘンの大声が狭い路地に響いた。鳥が屋根の上にいたみたい。今、バタバタと飛んでいった。

 そんなのどうでもよさそうに、ミュンヘンの童顔はにっこりと笑顔を作ってる。そして、家の中に顔を戻して扉を閉めて鍵もかけてしまった。

「……」

 しんと静かに戻った裏道。

 どういうこと? ただのあたしの趣味を暴露しただけになってる? あたしの意図ってもしかして伝わってない?

 ……ま、いっか。





(((次話は明日17時に投稿します


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