聖女解任
【重ねてご注意】
この話はフィクションです
現代日本との固有名詞の一致は偶然です
首都から早馬がやってきた。
ミエの里、イツキ神殿に、緊張が走った。
「アオイひめみこ様におかれましては、聖女解任が決まりました」
間もなくわたしの居室に女官がやってきた。
胸の前に組んだ両手の位置まで頭を垂れた後、彼女はそう、報告した。
「聖女、解任……」
5歳で聖女と定められてから13年、どんなにこの日を待っていたことだろう。
ジパングでは、新たに王が樹つと、彼の娘、姉妹や叔母など、血筋の近い娘が、聖女に認定される。
ミエのイツキ神殿には、ジパングの太陽神が祭られている。ジパングは多神教国家で、太陽神は、最高神といって差し支えない。
聖女に認定された王女は、首都トーキョーを離れ、海に面したここ、ミエの神殿で、潔斎生活を送らねばならない。ひたすら清浄に身を保ち、国家安寧と国王の御代の繁栄を祈り続けるのだ。
聖女は、神の花嫁と呼ばれ、崇められている。
普通の女の子がするような恋などもっての外、それどころか、面会は厳しく制限されている。ちょっとした外出さえ、許されない。ミエの神殿に伝わるしきたりを守り、ひたすら祈り続ける日々である。これが、王が退位するか、崩御するまで続けられる。
わたしには、弟がいる。王太子であるその子が、日嗣の王子だ。弟の顔は知らない。わたしがミエに来てから生まれた弟は、まだ8歳のはずだ。幼い王太子に、父が譲位するとは考えられない。
それなのに、聖女解任?
「もしや、父様の身に……?」
ジパングに革命が起きたのは知っている。父と母、叔母と弟が亡命を図り、失敗したらしいことも。
しかし、家族は元気だと知らせを受けたばかりだった。国民は、王家に親愛の情を抱いている。王族に害をなす気など全くないと、革命政府から遣わされてきた使者は、確かに言った。
再び、女官が頭を下げた。
「国王陛下ヤマト16世は崩御されました」
「崩御!」
目の前が真っ暗になった。父上が、崩御?
「ね、教えて。母上はどうなったの? 叔母上のエリ内親王は? 弟のアントクは……」
女官は答えなかった。
わたしの膝がしらが細かく震え始めた。
それでも聞かずにはいられない。
「教えて。お願いだから」
「マリコ妃殿下、エリ内親王様は……」
上に上げた袖の下でわずかに横向けていた顔を、女官は下に向けた。
「教えて」
血を吐くようなわたしの言葉に背中を押されるように続ける。
「お二人とも、直られましてございます」
直る、というのは、死ぬ、ということだ。
清浄な神殿では、ここイツキでは、「死」は、その言葉さえ忌むべきものだから。
「アオイ内親王殿下におかれては、早急に首都へご帰還なさるようにと、革命政府総裁から早馬が参りました」
わたしは、聖女を解任されたのだ。
父である王が死んだから。
父だけじゃない。母も、叔母も……。
家族が揃って死ぬなんて、尋常なことではない。
事故か疫病……、
違う。
殺されたのだ。
革命政府に。
涙が流れてきたのは、ずっと後のことだった。
呆然と、わたしはその場に立ち尽くしていた。
◇
女官が立ち去ると、忌み詞を駆使してメイドたちが、王と王妃、それに叔母の処刑を語り聞かせてくれた。
亡命に失敗し、一家は、首都のクラヤミザカ宮殿に幽閉されていたという。
暗く陰気なこの宮殿を、母は嫌っていた。
国王一家は、外へ出ることは許されず、外部との連絡をとることも禁じられていた。
クラヤミザカ宮殿は、革命政府の管理下にあったはずだが、警護は手薄だった。蒸し暑い夏の初め、市民たちが、宮殿に乗り込んできた。
「議会での王の拒否権を剥奪する目的と言われていますが、わたしが考えるに、長く続く不景気に加えて戦争、それに暑さによるストレス解消だったのではないでしょうか?」
賢しげにメイドのリーダーが付け加える。この2ヶ月前に、革命政府は中花国へ宣戦布告をしたばかりだった。
人々は傍若無人だった。国王の執務室になだれ込んだ一派は、玉座で、連れてきた子どものおしめを替える始末だった。
意気揚々と王妃の前に現れた女性達は、母を淫売と罵った。けれど、母は、毅然として、彼女らに対峙したという。
首都を出てから、13年も会っていない母。もう顔も定かに思い出せない。その母のことを、わたしは、誇らしいと感じた。
でもすぐに、深い悲しみに胸を穿たれた。
すぐに一家は、クラヤミザカ宮殿から出され、恐ろしい首塚塔に監禁されてしまった。
ここは、いにしえの国家反逆者、怨霊将軍が監禁されていた牢獄として有名な監獄だ。首塚塔に収監されたら、決して生きて出ることは叶わない。そこは、処刑の控室と呼ばれていた。
半年もたたないうちに父の裁判が開始され、処刑が確定した。
ヤマト16世は処刑された。
ついで、母と叔母も。
弟のアントクについては、詳しいことはわかっていないと、メイドたちは言った。生きているのか死んでしまったのかさえも。
「革命政府は、ひい様をどうするつもりなのでしょう」
呆然としているわたしをそっちのけで、メイドたちは話し始めた。
「まさか、ご結婚?」
聖女を退任したら、結婚するのも自由だし、領土とある程度の扶持を与えられ、悠々自適に暮らすことも許される。
筈だった。
ああ、わたしは、解任の日を、どんなに楽しみに待っていたことだろう!
けれどそれは、弟への譲位で、平和の裡に、父が玉座を降りる日のことであって、……。
「中花国との捕虜交換に使われるんだと思うわ」
メイドの一人が言った。一番頭のいい、わたしが信頼していたメイドだ。
「戦争で、ジパングの将軍たちが大勢、捕虜に取られているから。曲がりなりにもひい様は、現中花国皇帝の姪ですもんね」
「そっか~。私はてっきり……」
わたしと年の近いメイドが口を出し、途中で止めた。
「てっきり、何かしら?」
彼女の先輩格のメイドが尋ねる。
「だから、ハラキリ博士のツボ押し……」
わたしが、友達だと信じていたメイドが言った。
そうだ。
ここにいるのは、みんな、市民階級の出身なのだ。ミエの地主の娘も混じっているが、彼女らの家格は低く、革命の担い手となっている。
そしてわたしは、王家の娘。
両親を処刑された王女。
「こらっ!」
さすがに先輩格のメイドがたしなめる。
「ひい様の心配どころじゃないでしょ」
声を潜めているのだが、同じ部屋にいるのだもの、まるっと聞こえる。
「このイツキ神殿自体、取り壊されてしまうかもしれないのよ?」
「えっ! なんで?」
さすがにメイドたちは驚いたようだ。わたしだってびっくりした。だってここは、何千年もの歴史を持つ、神の住居だ。
「あなたたち、知らないの? 革命は宗教を禁じたのよ」
「あっ!」
その通りだ。合理的精神を重んじる革命は、因習や地縁、わけのわからない習慣に懲り固まった宗教を否定した。ジパングの進化を妨げるというのだ。
「でもそれ、カミナガのことでしょう?」
カミナガというのは、仏の忌み詞だ。神と仏は仲が悪いらしい。
確かにお寺の屋根の修繕費の請求や、人寄せでの炊事ボランティア、等々、仏教にはわけのわからない義務が多い。
「カミナガだけじゃないわ。革命は、神も禁じたの。なんといっても、王家の神ですもの」
王家の神。
だから王女であるわたしが、「花嫁」と呼ばれ、神に仕えている……。
「ええっ! じゃ、わたしたちはどうなるの?」
「失業だわね」
「冗談じゃないわ! この年で失業して、再就職先があると思ってるの!?」
みな、一斉にわたしの方を見た。
俯き、わたしは涙をこらえるのに精いっぱいだった。
※
1792年8月10日、テュイルリー宮殿襲撃
同日、王権停止
8月13日、国王一家、タンプル塔へ幽閉
1793年1月21日、ルイ16世、処刑
10月16日、マリー・アントワネット、処刑
1794年5月10日、ルイ16世妹、マダム・エリザベート、処刑