トカ御用邸への行進
「知ってる? 王妃のゼイタク」
「また、なにかやらかしたの?」
固まって幼稚園の送迎車を待っていたママたちが噂話に興じている。
「トカの離宮を、農家風に改築したんだって」
「ああ、御用邸のことね」
「首都トーキョー」と呼ばれる資格のある地域は「トナイ」である。「トカ」は、「トナイ」の外側、厳密にはトーキョーではない。
なお、両者の境界は、何代にも亙って首都で暮らした者にしか、感応できない。ここ1世紀くらいの間に移り住んだ、いわゆるトザマの住人には、全くわからない。
中花国の都会育ちである王妃は、トカの田舎臭さを殊の外好んだ。彼女は、だだっ広く開けっぴろげの農家風の離宮? を作った。庭園は畑に開墾し、牛や鶏やダチョウを飼った。自らの装いも、トカの農民風の装いを好んだ。
「ふうん。農家ごっこなんかしてるんだ」
「お庭で何を作ってると思う?」
「さあ」
「ハーブよ!」
「えっ! 芋やカボチャじゃなくて!?」
ジパングの物価高は深刻だった。思い余った主婦たちは、僅かばかりの庭を耕し、あるいはマンションの駐車場を潰して畑にしたりして、食料自給に精をだしてきた。市民農園の申込者は、常に満員である。
畑仕事には、もちろん、時間が必要だ。
幼稚園に子どもを通わせているくらいだから、このママたちは、フルタイムで働いているわけではない。働けないのだ。夫婦どちらの実家も遠かったら、フルタイムはまず無理。子どもは急に熱を出すし。また、たとえ親世代と同居でも、今度は介護が必要だったりする。
ブラックでない職場で、フルタイムで働けるということは、ある意味、とても運がいいことなのかもしれない。
「その上ね、王妃ったら、離宮でペンギンを飼っているのよ!」
「だって、ペンギンって、暑さに弱いでしょ? この夏、大丈夫だったの?」
「だから、魔力を使い放題だったのよ! 水槽や飼育室を冷やすためにね!」
「信じらんなーい。節魔しすぎて亡くなった人もいるっていうのに」
ここ十数年、ジパングの夏は、異常な暑さが続いた。狂ったような酷暑で、死ぬ人もいた。魔法が生み出すエネルギーで室温を冷やすことが、どうしても必要だった。
特に今年は、早い時期からの暴力的なまでの暑さに、膨大な魔力が必要となった。国王の名で節魔(力)が求められていた……。
「贅沢な作り物の農家で暮らして、その上、魔力まで使い放題だったっていうの!? ペットのペンギンの為に!?」
「許せない。私なんて、この夏、子どもがいない時は冷却シートの上で過ごしたのよ?」
「わたしは扇風機」
「冷房、使っていいのよ。死ぬわよ」
ママたちは頷き合った。
「冷房だけじゃないわ。うちの子、食が細いから、キャラ弁作ってあげたいの。でも食材が高くて……」
「シンプルに彩りでプチトマト入れて上げたくても、高くて買えないよね」
「ほんとうに何もかも高くて。でも買わなきゃいけないの。必要だから。工夫や節約でどうこうできる話ではないわ」
それまで黙っていたママが、とうとう口を切った。ひどく思い詰めた顔をしている。
「この間、子どもがシャンプーを詰め替えてくれたんだけど。でも、というか、やっぱりこぼしちゃって。わざとじゃないのよ? それなのにわたし……」
しくしくと泣き出した。
「タツルのこと、怒っちゃったの」
「泣かないで、タッちゃんママ」
「そうよ。タッちゃんママが悪いんじゃない。インフレが悪いの」
「こんな時に、ハーブですって?」
「ペンギンに冷房!?」
「許せない!」
そこへ、園の送迎バスがやってきた。中に乗っていたのは、けれど、園児たちではなかった。
「これからトカの御用邸に行くことになったの!」
PTA会長が窓から顔を出す。
「全P連で、王妃の浪費に抗議に行くことが決まったのよ! 一緒に来るなら、延長保育ができるわよ」
「行く! わたし達も行くわ!」
子どもを待っていたママたちは、即座に園バスに乗りこんだ。
トカ御用邸に向かう女性たちの列は(もちろん、男性もいたけど)、長くなる一方だった。相手が女性とあっては、王室警備隊もうかつに手が出せない。彼らは、意気盛んな行列の後ろから、とぼとぼついてくるばかりだ。
「いったいどうしたというのだろうのう。穏やかだったジパングの気候が、まるでグレたように極悪な暑さに変わったかと思ったら、今度は、朕の赤子たる国民が、このように押しかけてきて……」
トカ宮殿に集まった人々を見下ろし、国王ヤマト16世は嘆いた。
「国王陛下、バルコニーへ出て下さい!」
有識者が叫んだ。
「早く! 国民を宥めるのです!」
国民は、王を憎んでいたわけではなかった。
ステルス値上げは失敗したが、秋の訪れとともに、玉ねぎの一大産地ホッカイドーからは豊作の便りが届いた。エネルギー価格の上昇は続いていたので、さすがに3個100円は難しかったが、それでも、善良なスーパーにより、安売りの努力は続けられていた。
玉ねぎの値段が下がったことで、「多目的運動広場の誓い」は達成され、自治政府は解散した。革命政府がそれに取って代わったが、穏健派が主流だった。この時点ではまだ。
「国王陛下、万歳!」
国王が姿を現わすと、我知らず、人々の歓声が上がった。バルコニーから、それに国王が手を振って返す。
「王妃、出て来い!」
そう叫んだのは誰だったか。
「そうだそうだ! 贅沢者の中花女を出せ!」
「あのインバイを!」
「国費を浪費したのはマリコ妃だ!」
国王を讃えた人々が、手のひらを返したように王妃を罵り始める。王妃が出てこなければ、治まりそうにない雰囲気だ。
「王妃。国民の前へお立ち下さい。わたくしがご一緒しますから」
そう言ったのは、王室警備隊のシンセン組副長、ヒジカタだった。
「出た! 鬼の副長!」
「トシよっ! トシがっ!」(ファーストネームがトシゾーだった)
「きゃーーーっ! ヒジカタさぁーんっ!」
ヒジカタがバルコニーへ出て行くと、国王の時を凌ぐ大声援が巻き起こった。
彼はすかさず半身を室内に入れ、王妃をエスコートする。
「あっ!」
外野に有無を言わさず、その前に跪いた。王妃の手を取り、キスをする。
「………………」
群衆の中に王妃を狙撃しようと狙っていた者がいたとしても、毒牙を抜かれたとしかいいようがない。
ヒジカタ副長に促され、王妃は、集まった群衆に手を振った。
「王妃、万歳!」
ついに誰かが叫んだ。
「国王、トナイへ帰れ!」
すぐに強い声がそれに続く。
集まった群衆は散ることがなく、数時間後、国王夫妻は首都トーキョー(トナイ)へ向けて出発した。
そのまま、国王一家は、革命政府の監視下に入った。
陰気な雰囲気のクラヤミザカ宮殿に、半ば幽閉の形で閉じ込められてしまった。
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1789年10月、ベルサイユ行進です。前回のバスティーユ襲撃の3ヶ月後です
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農家風の離宮とは、プチ・トリアノンあたりをイメージしています
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王妃をエスコートしたのは、ラ・ファイエット将軍です、フランスでは。
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クラヤミザカ宮殿は、テュルリー宮のことです