防衛から侵略へ
ランリョウ皇太子の注意は、少し遅すぎたようだ。中花国の兵士に付き添われて現れたノギはボロボロで、顔には大きな痣ができていた。
「ノギ准将!」
駆け寄ろうとするわたしを、兵士たちの剣がとどめた。二つの剣が、ノギの前でクロスされる。
「よかった。聖女、無事だったか」
彼はつぶやいた。
「まったく、あれだけ聖女から離れないようにしていたのに、ざまあねえな、俺も」
……え?
「僕の婚約者に気安く近づかないでもらいたいね」
相変わらず氷のような口調で、ランリョウが咎めた。
「婚約者?」
燃えるような目がわたしに向けられた。
「聖女! こいつと婚約したのか?」
「してないわよ!」
「するのか?」
「しないに決まってるでしょ!」
怖かった目が、ちょっとだけ弛んだような気がした。
鼻を鳴らす音がした。皮肉な声が割って入る。
「だがアオイ内親王、君に、選択権があるのかな? さっきも言ったろう? 恐怖政治の及ぼす被害は深刻だ。王党派資産家と革命派庶民。五人組の密告制度。ジパングは分断され、人々は互いに傷つけあっている。君と君の民は、中花国の庇護下に入るのが一番安全なのだ」
「違う!」
わたしに向けられた言葉なのに、なぜかノギが叫んだ。
「あんたになんか渡さない。聖女は俺が守る」
「え?」
「は?」
わたしとランリョウは同時に意味のない間投詞を発した。きっとよく似た間の抜けた顔をしていたことだろう。
ノギが慌てたように付け加える。
「第一、ジパングは自由な国だ。中花国に屈したりなんかするもんか!」
「それはどうかな」
余裕をもってランリョウが微笑む。それが、ノギの怒りに一層の火をつけたようだった。
「くそっ、最初にジパングの領土に足を踏み入れたのはお前らじゃねえか。その薄汚い足をよ!」
「宣戦布告をしてきたのはそっちだ。先手必勝。兵法の基礎を知らないか」
「うぬぬ……」
ノギが言い込められたのを始めて見た。
「それに君は聖女を守るというが、それならなぜ、彼女は戦場にいたのだ? 僕は見たぞ。フジカワの合戦の時も、聖女は銃弾の下を駆けまわっていた。その上君らは、海を渡った危険な遠征にまで彼女を連れてくる始末だ」
……フジカワの合戦?
思い出した。
ランリョウ大公! この皇子は、重傷のヨシツネ准将に、医者を送ってきた司令官だ!
ノギも気がついたようだ。
「お前、ヨシツネに医者を送りつけてきやがった司令官だな」
ランリョウの顔つきが変わった。
「あのヨシツネという男は、勇敢な武将だ。年も僕よりたった2つ上なだけだけど、統率力があって、的確な判断をする。僕は彼を尊敬していた。彼が死ぬのはとてつもない損失だと思った。ジパングだけではなく、全世界にとって」
目に輝きが増した。
「君らは誤解しているかもしれないが、僕は、革命の精神に共感している部分もあるんだ。国の中心は国民だ。彼らの生活が立ち行かなければ、まともな国とはいえない。そこは、革命の精神に深く賛成している」
「だが、あんたの父親は、皇帝として君臨しているじゃないか。そしてあんたは、皇太子だ。民を支配し、税を搾り取る立場にある」
憤然とするノギへ、毅然としてランリョウが宣言した。
「いいや。皇帝は人民のしもべだ」
「詭弁だ!」
「詭弁なんかじゃないさ。とにかく僕は、ヨシツネという男を死なせたくないと思った。だから医者を派遣した、中花国随一の軍医を。君は、ノギ准将、気に入らなかったようだけど」
「当たり前だ。そもそもヨシツネを撃ったのはお前らだからな!」
ノギの皮肉を、ランリョウは無視した。
「いずれにしろ医者は不要だったようだな。君は、ミエから聖女を連れてきたのだから。惨たらしい戦場へと。こんなにも彼女にふさわしくない場所はないと思わないか?」
ノギの顔が歪んだ。
「結局のところ、君らは、聖女の白魔法を利用しているだけなのだ」
さらにランリョウが畳み掛ける。身も凍るような冷たい声だ。
痣で色とりどりになったノギの顔が、すうーっと青ざめた。
「俺は、聖女を遠征に連れてきたくなんかなかった。だから、止めた。彼女は中花国に寝返るに違いないからって」
連れて行きたくない。だから疑った? え?
咄嗟のことで頭が追い付かない。
ちらりとノギはわたしを見た。すぐに目を伏せた。
「フジカワの合戦の時もそうだ。聖女は駐屯地に留めておくつもりだった。それなのに軍医のゲンパク先生が、強引に彼女を連れ出しやがって……」
戦闘の後、ノギがゲンパク先生にねちねちと嫌みを言っていたのを思い出した。ノギのことを、怒ってばかりの強い人だと、あの時は思ったのだけれど。
途中で言葉を途切らせ、ノギは俯いている。
「君らの都合など、知ったことではない」
ランリョウがわたしに向き直った。
「アオイ内親王、君は、僕の父が、君の御両親を見捨てたと思っているだろうが、それは違う。我々がジパングに進軍すれば、北の大国ツアルーシもまた、出兵してくるだろう。そうなれば、世界を巻き込んだ戦いになってしまう」
でも、父と母を見捨てたことに変わりはないではないかと、心のどこかでわたしは思った。そこには、肉親の温かさなどまるでない。この人の理屈は、とても冷たい。
わたしを見つめる眼差しがふっと揺らいだ。
「許してくれ。それが、皇族というものだ。父と僕は、真っ先に国を守らねばならない。中花国とその臣民を」
深い悲しい声だった。
初めて、この皇子の心の底を覗いた気がする。
「亡き叔母上、そして行方不明の従弟の為にも、君を不幸にするわけにはいかない。その為の結婚だ。これより先、君に不自由はさせない。それだけは約束する」
そこにこの人の気持ちはあるのだろうか。
優しい甘い気持ちとか、その人を思い出してどきどきする胸の鼓動とか……愛とか。
「いや? いいやいや!」
突如としてノギが息を吹き返した。口から唾を飛ばして喚く。
「国王夫妻の処刑にショックを受けたのは、あんたら中花国の皇族だけじゃない。ジパングの国民だって、やりすぎだと後悔している。それを、俺は聖女にわかってもらいたかった。だから余計に、彼女を危険な目に遭わせたくないと思っている。だって王女が戦場に出るなんて、ありえないことだろ、普通!」
「そうだ。彼女は革命の犠牲者なのだ。極東の島国であるジパングにとって、革命は、領土拡大のチャンスでもあった。ジパングは積極的に周辺の国々に宣戦布告をし、革命戦争が始まった。違うか?」
冷酷な声が問いかける。
「ノギ准将。君が何と言おうと、革命戦争は、防衛から侵略へと変質したのだ」
「………………」
またしてもノギが言葉に詰まる。
わたしは彼が、資産家の家柄であったことを思い出した。本当は、王に付き従うべき資産家将校であったことを。
固まってしまったノギと、勝ち誇ったようなランリョウ。
「戦争をなくせばいいんだわ」
「え?」
「馬鹿な!」
同時に叫ぶ二人に、わたしは提案した。
「人が傷つくのはもうたくさんよ。代わりに、別なものに戦ってもらいましょう」
「オリンピックとかeスポーツとか言うんじゃないだろうな?」
疑い深げな眼を、ランリョウがわたしに向ける。さすが従兄だ。血が繋がっているだけあって、発想が似ている。
「どっちもうまくいかなかったぞ。だから、革命戦争が起きたんだ」
ノギが口を尖らせる。
「違う。式神が戦うのに決まってるでしょ」
式神は、もともとは鬼神だ。戦っても死ぬことはない。彼らなら喜んで、戦闘に興じてくれるだろう。




