資産家階級
軍は、フジカワからヌマヅへ移動した。ここの海岸線は、傾斜があって急に深くなる地形なので、大型船の停泊には都合がいいから。
静かだった漁村は、俄かに騒がしくなった。
武器や弾薬、食料など、あらゆる物資が集められた。海岸には、立派な軍艦がたくさんやってきた。
「ここにいた、聖女」
沖合に停泊した軍艦を口を開けて眺めていると、ヨシツネがやって来た。
「遠征にはいらっしゃるんですね?」
「もちろんです」
「あの……」
言葉が途絶えた。少しして、思い切ったようにヨシツネは続けた。
「ノギ准将のこと、怒ってます?」
「ぶぅえぇつにぃーーっ」
「は?」
「別に、と申し上げたのです」
本当は、かなりショックを受けていた。だってノギは、わたしがジパングを裏切り、中花国のスパイになるんじゃないかと疑っていたのだ。それも、最初の最初、フジカワの合戦の時から。
いったい、彼がくれたミンチ肉を挟んだパンは、なんだったのだろう。まあ、どっちかといえばあの状況では食べたくなかったけど。
わたしの車が河に突っ込んだ時、真っ先に駆け付けて来てくれたのも彼だったし、水鳥の羽音を利用して敵を撃退したコジヒ司令官に対し、聖女の救済が先だろうと食って掛かったのも彼だった。
ノギは、わたしの味方だと思っていたのに。
深いため息をヨシツネはついた。
「ああ見えて、ノギは、資産家階級の出身なんです」
「え!」
初めて聞いた。だって彼はいつだって軍服を着ているし、それだって、いい加減、ぼろぼろだ。お金がなくて私服が買えないのだと、わたしは思っていた。
「それなのに亡命もせずに、革命軍に参加しているの?」
革命前、人々が物価高に苦しんでいた時に、裕福な暮らしをしていた人たちがいる。昔から続く財閥や、資産家達である。企業CEO と呼ばれる人達や、成功した投資家もいた。株や土地をどっさり持っている人は、少しぐらい物の値段が上がっても全然へっちゃらだった。
エアコンが買えなくて死ぬひともいた、夏。彼らは、誰もいない部屋中をきんきんに冷やし、その中で熱いラーメンを食べるという贅沢にふけった。許しがたい暴挙だ。魔法石の無駄遣いでもある。
彼らがもう2℃か3℃、いや1℃でもエアコンの設定温度を上げれば、熱中症で死ぬ人の数はゼロになったはず。革命政府はそう主張した。
それがきっかけとなった。多くの国民が賛同したのだ。暑さの余り、頭が働かなかったのかもしれない。議会通過が難しい法律や条例は、夏、決めるのに限る。
政府は資産を持つ人から財産を取り上げ、国庫に入れた。素直に差し出さない者は処刑した。
この時も、「五人組」が威力を発揮した。人の懐事情を知りたければ、ジパングでは、隣人に聞くのが一番いい。飛び出た杭があれば必ず、その隣に住む人が聞き耳を立て、滅多撃ちにする機会を探っているから。
密告を恐れ、たくさんの資産家が、着の身着のまま、国外へ亡命していった。
ジパングから亡命した資産家達、特に軍人は、王党派を名乗り、王弟たちの元に集結している。王弟、つまり、わたしにとっては父方の叔父たちだ。
革命前、彼らは、わたしの母に対し、イジワルだった。王妃が浪費家だというデマを流したのは、彼らだったらしい。結局は、自分たちも国を追われてしまったわけだが。
資産をもつ家柄であるノギが、王の軍に参加せずにジパングに残り、革命軍の将校となった。これは、驚くべきことだった。
「ノギは、革命に賛成しています。彼は立派な革命軍の将校だ。だが、そう思わないやつもいる。たとえば、政府からの派遣議員とか」
意味ありげにヨシツネは言葉を切った。
軍にも、派遣議員は入り込んでいた。いわば、政府のイヌだ。軍人たちに裏切りがないか、敵国と密通していないか、常に見張っている。今回の遠征にも同行するはずだ。
「何しろノギは、ああいうやつです。脊髄と口が直結していて、思ったことをすぐ、口に出す。いろんな意味で、本当に危ない性格です。以前彼は、母親を庇って、逮捕されたこともありました」
ノギの母親は、国外に逃亡した亡命資産家と文通していたことを疑われ、逮捕されてしまったことがある。このままでは処刑されてしまうところを、ノギは、証拠の手紙を燃やして、母親を助け出したという。
「そういう過去があるんで、ノギは一層、派遣議員からニラまれているんです。今だって聖女、貴女をミエから連れ出したことを、派遣議員は忘れてはいません。今現在、ノギ自身にも、中花国との密通の疑いがかけられているのです」
「なんですって!」
逮捕されたノギを、わたしたちは、首都までデモ行進して救い出した。けれど未だに、彼への疑いは晴れていなかったなんて……。
「タマの地主の息子であるノギは、誰よりも勇敢である必要がありました。攻撃を少しでもためらうと、軍の士気を下げたと罵られ、あるいは、敵との密通を疑われてしまうのです。彼は常に、軍の先頭で戦わねばならなかった。自分を奮い立たせ、軍の先頭で恐れずに馬を進め、必要とあらば、真っ先に死ぬことを自らに課していた……」
ヨシツネは言葉を潤ませた。すぐに気を取り直し、続ける。
「正直、資産家ではない僕にはわからないこともあります。革命は、僕には素晴らしいものでした。上にどっしりと積み重なっていた有力者……金のある者や先祖代々の財閥、血縁関係を利用して上位に留まっている者たちを吹き飛ばしてくれた。おかげで、貧乏な事務官の息子だった僕も、軍の中で、ここまでのし上がることができた。昔なら考えられないことですよ。トカの大地主の息子と同じ階級に出世できるなんて。それに、王の娘である聖女、貴女に口を利くことが許されるなんて!」
「止めて」
王の娘と言われることは嫌いだ。わたしは、父と母の娘。それだけでいい。それだけであったらどんなによかったか。
「申し訳ない。人は平等です。ただ悪くとらないでください。僕は、あなたと対等におしゃべりできることが凄く嬉しい。こんな素晴らしい平等を齎してくれた革命に戦って死ねるのなら、むしろ本望というものです」
「……」
わたしは、ヨシツネが腹部に被弾した銃創を見た。それは彼の命を奪いかねないものだった。それなのに、彼は、革命の為に死ねるのなら本望だと言う。
何と言っていいかわからない。
「だが、ノギは違う。彼は資産家出身でありながら、僕ら庶民の味方をした。逆なんです。今は、資産家であることは有利には決して働かない。それどころか、極端な場合は、処刑の理由にさえなってしまう。彼が人一倍、中花国のことで過敏になるのを、どうか責めないでやって下さい。聖女、貴女の立場は非常に微妙だ。貴女のそばにいるだけで、ノギは大きな危険を犯すことになるのです」
知らなかった……。
でもだからといって、ノギの言い方はあんまりだったと思う。わたしまで、裏切り者、密告者と決めつけるなんて。
「ヨシツネ准将、貴方は……、」
声が震えた。
「軍は、ノギを含め誰一人、貴女を疑ってはいません。ノギだって本当は……」
言いかけて言葉を濁した。
「やつの心をわかってやって下さい」
ちょっとわからない、とわたしは思った。
自分の身を護ることと、わたしの名誉を傷つけることは、別ではないだろうか。
出航準備の間中、とうとうノギは、一度もわたしのそばに近寄らなかった。遠くから姿を見かけても、目をそらしたまま、ふっといなくなってしまう。
どうやらわたしは、彼からひどく嫌われてしまったようだ。




