月の下での大事件
◇13年前……
白いヘビを、少年は捕まえた。
白蛇は、神の使いだという。
ならば、ふさわしい人に贈ろうと、彼は考えた。
トーキョー近郊、タマのその地は、厳重な警戒が敷かれていた。鉄条網が張り巡らされ、王室警備隊がそこかしこを闊歩している。
タマの荘園の長として、少年の父も警備の一端を担っていた。父の通行証を少年はコピーし、なんなく警備をすり抜けた。
王が変わり、新しい聖女が卜定されたという。5歳の女の子で、彼女は、新王の娘だ。
聖女になったら、ミエへ赴かねばならない。それまでの間、俗世の穢れを除き、身を清める為に、聖女は野宮という仮の宮で暮らす。新しい聖女の為に選定された野宮は、タマにあった。
そっと、少年は、箱を撫でた。中でかさこそと蛇が動き回る音がする。
噂では、新しい聖女は、大層美しく、光り輝くようだという。あまりの眩しさに、父はサングラスを新調したくらいだ。
ところが、名誉ある聖女に選ばれたというのに、女の子は泣いてばかりいるという。きっと家族と会えなくなるのが寂しいのだろう。一度ミエへ行ってしまうと、父王が王でなくなるまで、家族とは会えないのだから。
だから、この蛇を、彼女に捧げるのだ。
白いヘビは神の御使い。
聖女にこれほどふさわしい贈り物はない。
ばかっ広い庭園だった。
少年の家も田舎の屋敷らしく広かったが、ここの比ではない。
少年の家の庭は、山羊やらエミューやらがいて賑やかだが、ここは、しんと静まり返っている。庭木の手入れは几帳面なほど行き届いている。都会風の刈り込みは、なにやら強迫神経症的に見えなくもない。
それにしても、女の子が暮らしているというのに、花壇のひとつもない。植えてあるのは、松やイヌマキなど、立ち木ばかりだ。
しくしくと泣き声が聞こえた。
「インコが逃げちゃった」
子どもの声が聞こえる。
生垣の間からこっそりのぞいてみると、真っ赤な顔に桎梏の髪の、可愛らしい女の子だった。大きな両目からぽろぽろ涙を零している。
野宮には、他に子どもはいない。これは、聖女だ。
「猫が来たの。そしたら、インコがびっくりして飛んでっちゃった」
手乗りインコだったのだろうか。羽を切っておかないなんて、馬鹿な従者どもだと、少年は思った。
乳母か女官か、年配の女性がしきりと宥めているが、女の子は泣き止まない。
チャンス。
少年は思った。
聖女様は、ペットを逃がしてしまい、悲しみに暮れている。なら一層、白い蛇が現れたら喜ぶだろう。新しいペットができれば、彼女もきっと、泣き止むはず。
泣いている顔も可愛かったが、笑った顔も見てみたかった。
少年は、建物の裏側に回った。縁側のきざはし(階段)に近づき、そっと箱の蓋を開けた。蛇を追い立て、階段を上らせる。
「おい、悪い猫に仕返しするの、忘れるなよ」
蛇の後ろ姿? に向かって少年は語り掛けた。聖女を泣かすなんて、とんでもない猫だ。
ぬめぬめとした体が、悠揚迫らざる様子で母屋に消えたところで、少年は耳を掴まれた。
「痛っ!」
「この馬鹿者が! 通行証を勝手に持ち出しやがって!」
父だった。
「管理官殿から知らせが来たのだ。いくらなんでも子どもの使いはなかろうと、俺は大目玉を喰ったぞ!」
その時、建物の中から、女性の悲鳴が聞こえた。複数の成人女性の声だ。
父と息子は顔を見合わせた。
「お前、なにかいたずらしたんじゃなかろうな」
強い声で父が問う。
ふるふると少年は首を横に振った。
父は息子を信じなかった。
小さな体を小脇に抱え、彼は一目散に野宮を後にした。
突如野宮に現れた白蛇が、いたずら者の猫をまるごと呑み込んだと少年が伝え聞いたのは、聖女がミエに向かって出立した後だった。
清浄の宮ゆえ、この話は極秘にされていた。父と親しいタキグチの騎士が、こっそり教えてくれたのだ。蛇は、護衛の武官が成敗しようとしたところ、聖女自身に止められたという。
◇
「……」
昔を思い出し、ノギは肩を竦めた。見上げる月が美しい。
この13年間、5歳のあの子は、いつだってノギの心の中にいた。彼女の両親……王と王妃……が処刑された時は、次は彼女の番ではないかと、生きた心地がしなかった。
ノギは革命軍の将校だ。だが、この国の王と王妃を処刑したのは、明らかに行き過ぎだと思う。それから、神を否定したことも。
ノギ自身は神を見たことがない。けれど、他人が神を信じることを止めようとは思わない。
人は人。現にあの子は、神を信じているわけだし。
彼女が信じるなら、神はいるのだろう。ノギ自身は信じていないが。
それにしても、聖女を救おうと画策していたことを、コジヒ総司令官に見抜かれていたとは。
不覚だった。
その上ヨシツネまでもが、彼を助けたのはついでで、ノギの本当の目当ては聖女自身だったのだと、ぬかしやがった。
まったく怪しからんことだ。その通りなのだけれど。
さて、これからどうしよう。まあ、成り行きにまかせるしかないが……。
背後で音がした。交代の兵士だろう。少し早いようだが、早すぎる分には問題はない。
ノギは振り返り……世界が暗転した。
◇
大変なことが起った。ノギ准将が逮捕された。
彼は、わたしを迎えに、というか、さらいにミエまで来た。その事実が曲解され、彼は、神の信奉者だと決めつけられたのだ。
革命は神を否定した。それなのに革命政府に逆らい、神の魔術に縋ろうとした。ノギ准将は、革命の戦士にあるまじき臆病者である……。
「ノギ准将は臆病などではないわ」
憤慨してわたしは叫んだ。
「そこだけは違う。このような侮辱を、……政府は彼に謝罪しなくてはなりません」
どこに怒りをぶつけていいのか、わたしにはわからなくなっていた。
ノギ准将が逮捕? ジパングの為に戦う、勇敢な戦士が?
「僕もそう思います。この軍に臆病者はいない」
ヨシツネが一緒になって怒っている。
夜間、歩哨に立っていたノギは、近寄って来た政府の派遣議員により、密かに逮捕されてしまった。あのノギがおとなしく逮捕されるわけがないから、不意を衝かれて襲われ、気絶させられた挙句、拉致されたのだろうと、軍の将校達は言っている。
気絶……。
ショックだった。わたしのほうが気絶しそうだ。ノギ准将は、怖がりはしなかったろうが、さぞや痛かっただろう。打ち所が悪くて、もっとヘンになってしまったかもしれない。
近くに出待ちの女の子でもいれば大騒ぎになったろうに、生憎彼をオシと崇めるコはいない。警護の手薄な場所だったので、盾になって守ってくれる兵士もいなかった。
ノギがいなくなったのがわかったのは、引き継ぎの時だった。時すでに遅く、ノギは、首都へと送致された後だった。
怒りと、それに申し訳なさで、臓腑がよじれるようだ。これは、わたしを逮捕し損ねた派遣議員たちの仕返しであることは明らかだ。
「まずいな。このままでは、ノギは処刑されてしまうぞ」
コジヒ司令官が落ち着きなく歩き回っている。
「なんとか……なんとか助け出さねば」
「一番早い車を貸してください。わたくし、首都へ参ります」
わたしが申し出ると、ヨシツネとコジヒはぎょっとしたように顔を見合わせた。
「僕が運転します」
慌てたようにヨシツネが言う。
「ダメだ。お前は軍人だ。今、軍を動かしたら、大変なことになる」
コジヒが止める。
革命政府に逆らえば、軍は解体の憂き目に遭うだろう。総司令官のコジヒを始め、指揮官たちは悪くすれば処刑、よくても停職は免れない。
そうしたら誰が軍の指揮を執るのか。
今は、戦闘はないが、休戦期間であるだけだ。すぐに中花国との戦争が再開される。そうしたら、いったい誰が、国を護るのか。
滔々とコジヒが語る。まるで自分に言い聞かせているようだ。
なすすべもなく部下を奪われ、彼はどれだけ傷ついていることだろう。気の毒で、聞いていられない。
思わず私は口を出した。
「あなた方がいなくなったら、ジパングは、敗戦あるのみです。そんなこともわからないほど、革命政府の連中は愚かなんですの!?」
「はい。やつらは戦争には完全にシロートです」
コジヒが答える。
わたしはむかっとした。
「そのシロートが、首都から軍に命令してきやがるんですの?」
「そして、経費削減の名のもとに、給料はおろか、食料、武器の補給さえ、滞らせている」
ヨシツネが付け加える。
「僕、たった今から、休暇を取ります」
「なに?」
「聖女と一緒に、トーキョーへ行きます。ノギ准将を奪還しに!」
怒りは、司令部中に広がっていった。
「俺も、休暇を取るぞ!」
大勢の将校達が総司令官の執務室押しかけてきた。
「俺もだ!」
別の将校も名乗る。
「すぐに出発だ。いいか。遅れるなよ」
ヨシツネが頷く。そうだ。ノギが処刑されてからでは遅すぎる。
「お前ら……」
目頭を揉み、コジヒが立ち上がった。
「ヘリを貸そう。輸送機も使っていいぞ」




