聖女を守る楯
「よかった。まだここにいた」
テントの垂れ幕を割って、中に滑り込んできた者たちがいた。ノギとヨシツネだ。最初に足を踏み込んだヨシツネが、油断なくテントの中を見回す。
「あっ。聖女の部屋に男性が入ってはいけません」
慌てて私は制した。
「そんなことを言ってる場合か!」
ノギが一喝する。
「派遣議員のやつら、あんたを首都へ連れ帰るつもりだ。悪意ある密告で、無実の人間が大勢処刑されたのは知っているだろう? あんた、処刑されちまうぜ」
「それが国民の意志だとしたら」
父も母も、臆することなく死に赴いた。母など、つい足を踏んでしまった処刑人に謝罪までしたという。
わたしも、両親のように毅然として死に向かいたいと思う。
そこには、密かな希望もあった。死んだら、先に逝った家族と再会できるかもしれない。
「何を馬鹿なことを! いいですか、聖女。ここの軍からも、代々の司令官が無実の罪で逮捕され、処刑されてきました。わずか5年の間に4人の総司令官が殺されたんですよ? 総司令官だけじゃない。数えきれないくらいの将校達が無実の罪を疑われ、処刑されました」
ヨシツネが割って入る。わたしは愕然とした。
「そんな……。だって、国を護った戦士たちでしょう?」
「理由なんてなんでもいいのです。わずか一度の敗戦、それは、味方の士気を指揮官自らが喪失させたせいだ、とか、甚だしきに至っては、司令官自らが敵と密通していたからだとか、証拠もないのに決めつけられて。勇敢で誠実な彼らは、潔白のまま、処刑されたのです」
なんてことだろう。将校達は、唯々諾々と死に赴いたというのか。政府の臆病者から名誉を傷つけられ、毅然としてその侮辱に対抗しようとして。
私の両親のように。
「わたくし、せいいっぱい醜く死んでいきますわ」
死を美談にしてはいけないと、私は思った。死とはこんなに醜く恐ろしいものだと、それを与えた者どもにしっかりと教え込まなければ。
「処刑人の手に噛みつき、髪を振り乱し、世界中を呪いながら死んでいきますわ」
「聖女……」
ノギとヨシツネが顔を見合わせた時だった。
「安心しな、聖女」
「俺達が守るべ。あんたの楯になったる」
「派遣議員のやつらに、決して渡しはしねえから」
どやどやと大勢の兵士達が、テントの中になだれ込んできた。
「まあ、皆さん……」
「神の花嫁とか男子禁制とかは、なしだぜ」
前歯の欠けた兵士が笑った。
「俺ら、あんたの楯だから」
「ここが市民アオイのテントだな」
鼻にかかった首都のアクセントが聞こえた。
「市民アオイ。貴女には、母の実家中花国との密通容疑がかけられている。ここを出て、すみやかに首都の裁判所に出頭せよ」
彼らにとって、もはやわたしは、王女でも聖女ではないと言いたいのだろう。しきりと「市民」を連呼している。
彼らが何と言おうと、聖女としての能力は、生涯続く。わたしの意志に逆らってそれを剥奪できるのは、ミエの神だけだ。
「トーキョーの裁判所になんか行ったらいかん。それこそ処刑台へ一直線だ」
ノギが囁いた。
「出て来きなさい、市民アオイ。言いたいことがあるのなら、裁判官の前で証言するといい」
「裁判なんか行われるものか。即死刑に決まってる。王族っていうだけでアウトだろ。つか、中花国との密通ってなんだよ。」
ヨシツネがつぶやく。
「出て来ぬというのなら、こちらから参りますぞ」
「勝手にしろ」
ノギが吐き捨てたのと、凄まじい風圧でテントが吹き飛ばされたのは同時だった。
「うわっ!」
思わず蹲ったわたしの上に、ノギとヨシツネが覆いかぶさって来る。
「いくらなんでも、おふたかた、男性が神の花嫁に触れるような真似は……」
「そんなこと言ってる場合じゃない!」
「怪我したいのか!」
二人から同時に怒鳴られた。
吹き飛ばされたテントから、ほんの目と鼻の先に、数人の男たちが立っていた。ここの軍ではちょっと見られない高級な制服を着ている。ぴかぴかの肩章が、太陽の光を受けて、きらりと輝いた。
「手間をかけさせるものではありません。さあ、来てもらいましょうか、市民アオイ」
その時、かちりと銃の安全装置が外される音がした。ひとつではない。幾つもだ。
「おら達の聖女に手を出すんじゃねえ!」
それまで風圧で蹲っていた兵士達が立ち上がった。派遣議員との間に立ち、銃を構える。
「馬鹿な。君たちは革命軍の兵士だろう」
派遣議員の一人が言う。銃を向けられ、焦った声だ。
「ああそうだべ」
「なぜ、自分たちの政府に逆らう」
「あんたらが無体なことをするからだ」
「無体なこと?」
「ここにいる聖女さんはな。おらの腕を繋げてくれた」
「俺の胸から銃弾を抜き出してくれた」
「壊疽で死にかけていたおらを、生き返らせてくれた!」
「聖女は、あんたらには渡さねえ」
「お前ら……」
あたかも楯になったかのごとく、兵士達はわたしを派遣議員たちから隔てた。
「勇敢なる兵士諸君に命じる。回れ、右」
兵士たちの向こうで、派遣議員が叫んだ。勲章をたくさんつけた、一番偉そうなやつだ。
だが、兵士達は相変わらず彼らの方を向いたままだ。そして号令もないのに揃って、派遣議員らに銃口を向ける。
「何をしている。我々に銃を向けるな。今この場で市民アオイを射殺せよ。そうすれば諸君らの昇進を約束する」
「くそっ、何を言いやがるんだ!」
「本音を出しやがったな。やっぱり聖女を殺すつもりだ」
すぐそばでノギとヨシツネが毒づいた。いつの間にか彼らは、わたしの前に立ちはだかっていた。
「もう一度、命じる。兵士諸君。回れ、右!」
それに従う者は誰一人、いなかった。
代わりに、前列の兵士達が屈んだ。その肩に、後列の兵士が銃身を預ける。
「政府の議員に銃を向けるなど、お前ら、ただで済むと思っているのか?」
あくまで強気の姿勢を崩さず、派遣議員が問う。しかしその声には、隠しようのない怯えが表れていた。
兵士の一人が嘲った。
「議員さんよ。俺らはもう、無意味な死にうんざりなんだ。今聖女がいなくなったら、誰が俺らを治療してくれる? 聖女さんを処刑するなら、その前に、あんたらを銃殺してやるからよ」
いっせいに撃鉄が引き起こされた。
「きょ、今日の所は勘弁してやる」
震え声が聞こえた。
「だが、逃げ切れると思うなよ。市民アオイ。君は聖女を解任された。今の君は、父親や母親と同じく、国家の重大犯なのだ」
「ハチの巣になりてえか?」
静かに兵士の一人が尋ねた。
物凄い速さで、派遣議員たちは逃げ去っていった。
◇
兵士達が楯となり、派遣議員から守ってくれた。
わたしは心配だった。政府に逆らった彼らは、ひどい目に遭わされるに違いない!
「大丈夫だ。派遣議員どもに、兵士一人一人の見分けなんてつきゃしねえから。どの兵士が自分らに銃を向けたかなんて、あいつらには永遠にわからねえよ」
ノギが豪放に言ってのけた。
呆れた人だ。軍における自分の身分さえわきまえていないのであろうか。
「ノギ准将、それからヨシツネ准将も、お二人は一介の兵士ではありません。将校です。兵士達より罪は重くなるはずです」
「あそこに准将がいたなんて、中央から来た派遣議員達にはわかりゃしませんよ。僕らほら、私服だったし」
ヨシツネも笑っている。
「そうです。二人のしたことは、名誉ある立派な行いでした」
コジヒ司令官まで口を出す。
「自分はなぜその場にいなかったかと思うと……」
「総司令官殿は、副官に捕まっていたんでしょ? 本部への報告書が遅れているって」
「……」
憂鬱そうな顔で、総司令官は黙り込む。
「そもそもあいつら、尻尾を巻いて逃げ出したんです。軍へのお咎めなんてありません」
ヨシツネは余裕の表情だ。
「……そうですか」
ほっと吐息が出る。
でもまだ不安でならない。
「もしわたしのせいで、兵士の皆さんにご迷惑のかかるようなことでもあったら……」
「聖女。そんなにやつらのことを気にかけて下さるとは」
コジヒ司令官が目を潤ませている。
わたしは慌てた。
「だって彼らはわたしのことを助けてくれたんですよ?」
「先に兵士どもの命を救ったのはあなたです」
「白魔法は、聖女の義務です。聖女は救える者はだれであろうと、救わねばならぬのです。それが、神が王女に託した使命です」
「窮屈だな」
ノギがあくびをした。
わたしはむっとした。
「あなたに言われたくありません」
「ふうん」
ノギ准将。本当にいやみな男だ。他の将校には漏れなくいる追っ掛けが、彼にだけは一人もいないのも頷ける。
「なに、じろじろ見てるんだ?」
ノギが尋ね、まさか彼がもてない理由を考えていたのだと言えず、わたしは言葉に詰まった。いくらわたしでも、本人に向かって、そんな鬼畜のような真似はできない。
「いずれにしろ、あんたを処刑させるような真似はしない。そこは信じてくれ」
「そうだよ。だからノギ准将は、ミエまで貴女を迎えに行ったんだ」
「え?」
大変な誤解だ。
「ヨシツネ准将、ノギ准将は、貴方の命を救うためにミエまで来たのでしょう? わたしの白魔術をアテにしてきたんだわ」
「違うよ」
ヨシツネが口を尖らせる。
「そっちはついでだ」
「ついでではないぞ」
凄い目でノギがヨシツネを睨む。
「そうよ。彼は凄くあなたを心配していたわ。妹の婿になる前に死なせるわけにはいかないって」
「そ、そお?」
途端にヨシツネが挙動不審になる。
「そうだ」
重々しく、ノギが賛成する。
「これはヨシツネが怪我する以前の話だが、」
コジヒ総司令官が口を出した。
「聖女が首都に召喚されて処刑されるって噂が流れて、ノギ准将はすごく心配していましたぞ。アオイ聖女、貴女のことを」
「うそ」
信じられない。
「嘘ではありません。そこへヨシツネ被弾の一報が入り、ノギは彼の容態も確かめずに、ミエにすっ飛んでいったんですわ」
かかか、とコジヒは笑った。
「よっぽど心配だったんでしょうな、聖女、貴女のことが」
「誤解を招く言い方はやめてください。俺は、ヨシツネが心配だったんです! 妹の、未来のムコとして」
猛然とノギが言い放った。
「僕は君の義弟になる気はないよ……」
弱々しい声が抗議する。
「うるさい。聖女を連れてきてやった恩を忘れるな」
コジヒ司令官がわたしに向き直った。真剣な顔をしている。
「いずれにしろ、今回の派遣議員の一件からおわかりでしょう? ミエから首都へ連れていかれたら、あなたは間違いなく処刑されたはずです。ノギの判断は正しかったわけです」
「……」
頬を膨らませ、ノギはむっとしたような顔をしている。
なに、この人。
わたしをミエから連れ去る機会を狙っていたというの?
「それ、ちょっと怖いんですけど」
「ああっ!? なんか言ったか?」
「いいえっ!」
あまりの迫力に、わたしはあわてて、コジヒ司令官の後ろに隠れた。




