フジカワの合戦
惨たらしい描写があります。戦争なので。
重い響きを立てて、戦車が行き来している。時折、どおん、どおんという砲弾の発射音が聞こえる。
あちこちに、傷ついた兵士らが、ある者は岩に寄りかかり、ある者は倒れ伏しているのが見える。
「聖女。君は車の運転ができるか?」
せかせかとゲンパク医師が問う。
「一応免許はありますけど……」
一度も運転したことがないと言おうとしたが、医師に遮られた。
「それは好都合。運転手に人員は割けないからな」
「はあ」
ま、なんとかなるでしょ。運転ぐらい。
ゲンパク先生が説明を始めた。
「衛生兵らが戦場を駆けまわって、怪我人にリボンをつけている。死に瀕した重傷者には赤、その次が黄色、緑、青の順だ」
「ラベリングですね?」
わたしが問うと、医師は頷いた。
「そうだ。君のやり方だ。重傷者から順に診ていく。敵味方は関係ない」
「え? 敵兵も治療するのですか?」
驚いた。再び医師が頷く。
「見るのはリボンの色だけだ。軍服の色ではない。それとも、神の御わざとやらは、ジパング人にしか効かないものなのか?」
「そんなことはありません」
憤然とわたしは答えた。神を侮辱された気がしたのだ。
「よかろう。君は赤いリボンを優先して診てくれ。黄色から下は俺が引き受ける」
「わかりました」
この医師に従おうとわたしは思った。
彼のやり方は、とても合理的だ。
「このバンを使え。患者が動かせる状態なら、中で治療するといい」
「どいてーーー! どくのよーーーー!」
バンの運転席でわたしは叫ぶ。ありがたいことにバンには拡声器がついていた。
「うおっ! 誰かと思ったら、聖女!」
顔見知りの兵士が叫ぶ。わたしは車の窓を開けた。
「そこをどきなさい! ひき殺されたいの!?」
「名誉の戦死以外はいやです」
「つべこべ言ってないでどくのよ! ブレーキはどのペダル?」
「左です。左の……わっ、それはアクセルだ!」
勝手に急発進したバンは、積み上げた柔らかい何かに乗り上げ、止まった。
だから言ったでしょ。
わたしは運転が下手なのよ。イツキ神殿外苑はとても広かったが、そこで運転することは固く禁じられていたし。
危ういところで身をかわした兵士が、わたしを運転席から引きずり出してくれた。
「ふう。助かった。危うく横転するところだった。ぶつかったのが柔らかくてよかったわ」
「聖女……」
一瞬絶句し、兵士は続けた。
「これで戦友たちの死も無駄にならなかったというものです」
ぎょっとしてわたしは、車が乗り上げた山を見た。
それは、戦死者たちを積み上げた山だった。
狭い戦場を、わたしとゲンパク医師は駆け回って、怪我人の治療に専念した。
とにかく、赤いリボンをわたしは探す。見つけたら、敵味方関係なく、白魔法を施す。その殆どは、動かせない重傷者だった。バンに運び込むことさえできない。まさに野戦の状態で、わたしは必死に呪文を唱えた。
気がつくと、わたしの服は血だらけになっていた。白かったバンは泥だらけだ。少しは運転に慣れたことだけが救いだ。少なくとも、生きた人を轢いたりはしていないし。
銃弾が飛び交い、血や肉がはじけ飛ぶ戦場は、凄まじかった。もちろん、わたしやゲンパク医師も撃たれる可能性はあったのだが、衛生兵含め、誰も気にしなかった。
少なくともわたしたちは生きて動いている。それが重要だった。一人でも多く、救わねばならない。
目の色を変えて戦場を行き来するわたしたちを、しかし、銃撃してくる者はいなかった。ジパング軍にも。そして敵の中花国軍にも。
時折目の端に、ジパング兵と中花兵が戦闘を止め、わたしたちに敬礼しているのが映った。
わたしは聖女だ。怪我人の救済は当たり前の任務だ。存在意義でもある。
敵味方、双方から捧げられる敬意の籠った敬礼は、むしろゲンパク医師に向けられるべきだと思った。
「聖女! こちらへ!」
衛生兵が赤いリボンを振りかざしている。
「すぐ行く!」
わたしはバンに飛び乗った。
あんな風に呼ぶからには、重傷者がいるに違いない。
急いでいたわたしは、運転席に腰を下ろす間もなく、右足で思いっきりペダルを踏んだ。
「あれ?」
走らない。左足の下に何か……ブレーキだ。わたしは、右足でアクセルペダルを、左足でブレーキペダルを踏んでいた。
「あらら、わたしとしたことが」
慌てて左足を離す。車はフルスロットルで前方へ飛び出した。
「うおぉぉぉぉぉーーーーーーーーっ!」
聖女にあるまじき雄叫びを上げてしまったけど、仕方がない。いや、もしかしたら、周囲にいた兵士たちの叫び声だったのかもしれない。そうであることを祈る。
凄まじい勢いで車が前進している。
「どいてーーーーっ! お願いだから、どいてぇーーーーーーっ!」
悲鳴のように叫び続ける。
ブレーキを踏むという考えは頭に浮かばなかった。というか、左のペダルのせいで(正確にはペダルから足を離したせい、だが)、このような仕儀に立ち至ってしまったと、体が認識しているのだ。つまり、もう二度とペダルなんか踏んじゃダメ、と体が警告している。
そして当然のように、右足は固まったようになっている。アクセルを踏んだまま、ぴくりとも動ず、上へあげることができない。
もう、人にぶつからないようにハンドル操作をするのでせいいっぱいだった。
けど、高速で走る車を、ハンドルで操ろうとしてはいけない。盛大にタイヤが横滑りし、わたしはフジカワに突っ込んでしまった。
驚いた水鳥が、大量に飛び上がっていく。
タイヤが川底の水藻に絡め取られたのだろうか。ようやく車はストップした。同時にエンジン音も止まった。
「聖女!」
遠くで誰かが叫んだのが聞こえた。
「しっ!」
その誰かを別の誰かが諫めた。
「援軍だ! 西からわが軍に、援軍が来たぞーーーっ!」
同じ声が力強く叫ぶ。
「コジヒ総司令官! 聖女をダシにするなんて。この、人でなし!」
怒声と共に、水を蹴り分けるばしゃばしゃという音が近づいてくる。
「大丈夫か、聖女! まさか死んじゃいねえだろうな」
空いた窓から顔が覗く。ノギ准将だった。言った本人の方が、まるで死人のように青ざめた顔をしている。
「い、生きてます……」
かろうじてわたしは答えた。
よろよろと運転台から外へ出た。車は川底の岩に乗り上げていたので、危うく水の中に落ちそうになったのを、ノギが支えた。
「どこへいくんだ、聖女」
「衛生兵のところに決まってます。あそこで赤いリボンを振っている」
衛生兵はリボンを振ってはいなかった。あんぐりと口を開けてこちらを見ている。わたしが手を振り返すと、ようやく我に返ったようだ。
「全くあんたって子は」
呆れたようにノギが首を横に振っている。
「自分より怪我人優先か?」
「とりあえずわたしは、元気で動けます」
余計なお世話だとわたしは思った。
敵は水鳥の羽音を聞いて、ジパング軍に援軍が来たと勘違いした。私の車が川に突っ込んだせいで水鳥が飛び立つのを見て、コジヒ総司令官が機転を利かせ、援軍が来たと叫んだからだ。
中花国軍の司令官が采配を振り、撤退の合図をした。すみやかに、敵は、フジカワから引き上げて行った。
◇
「お前なあ。俺のことを人でなしはないだろう、人でなしは!」
愚図愚図とコジヒ総司令官が文句を言っている。
「あの状態で、水鳥の羽音を援軍の音だなんて、良く言えましたね、総司令官。聖女は怪我をしてたかもしれないんですよ?」
ノギ准将はひどく怒っているようだ。
「使えるものは何でも使え、さ。士官学校で習わなかったか?」
「習いませんでした!」
「不勉強だなあ。まあ、いいじゃないか。聖女は無事だったわけだし」
それはその通りだった。わたしはかすり傷ひとつ、負っていなかった。
ただ、医療班のバンを一台、廃車にしてしまったが。
トオトウミまで逃げた敵軍から、大使がやってきた。
ジパング国軍との間で休戦協定が結ばれ、中花軍はいったん、祖国へ引き上げて行った。




