ミンチ肉と赤ワイン
残酷な描写というか、痛そうな描写があります
青年将校、ヨシツネを生き返らせたという話は、あっという間に戦場に広がった。
死ぬしかないと思われていたのに彼は回復し、それどころか、元気いっぱい、戦場を駆けまわっている。戦争で瀕死の重傷を負ったというのに、懲りない男だ。
噂を聞きつけ、大勢の怪我人が押し寄せてきた。わたしのテントの前に長い行列ができた。戦争でこんなにたくさん怪我人が出たのかとひるむほどだった。
だが、ミエの台風では何千人もの命を救った。大丈夫。わたしはできる子。一人一人に対峙し、夜を昼に継いで、わたしは兵士らの治療を続けた。
◇
「この人を優先して治療してくれ」
衛生兵らが、担架を運び込んできた。将校服を着た男が載せられている。意識を失っているが、顔色はそこまで悪くない。
「人の命に軽重はありません」
わたしは反論した。
基準として、なるべく重傷者から治療を始めることにしている。順番を待っているうちに死んでしまったら困るからだ。
患者は、頭に包帯を巻いていた。赤く血がにじんでいる。だが、脈は安定しており、まだ待てそうだった。
「頼む。ゲンパク先生には仕事があるんだ!」
そういう衛生兵らの目は必死だった。単なる割り込み問題ではないらしい。
わたしはここへきてまだ日が浅い。軍には軍の流儀があるのかもしれない。
「わかりました。あまり時間はかからないと思います」
この程度の怪我なら、すぐに治癒するはずだ。
「ふん。これが聖女の白魔法か」
治療が終わり、意識を取り戻すと将校は言った。
「なにやら頭がふわりと温かくなり、それからどくんどくんと波打って、あれは、失われた血液を補充したのか?」
「神の御わざです」
軽くいなしたつもりだった。だが男はしつこかった。
「幻惑魔法ではないようだな。白魔法というのは、大変高度な技だという。なぜ、王女だけがそれを習得できるのだ?」
「それはいにしえの……」
「昔話は結構。科学的に説明してくれ」
知ったことか! そう答えたかった。だがわたしは聖女だ。品格というものがある。
「それが伝統というものでしょう」
「ふうん。伝統ねえ」
馬鹿にしきったように言う。
「俺は、論理的に説明できないことは信用しねえ主義なのだが……」
言いながら頭を撫で繰り回す。
「でも、こうして傷がきれいに消えちまうとなあ」
「革命は、神を否定したのでしょう?」
皮肉に聞こえないようにわたしは言った。この将校が言いたいことはそういうことなのだろう。
「うむ。魔法は全て、魔法石に集約する必要があるからな」
電力などエネルギーを生み出す魔術は全て、魔法石から生み出されている。
「だから、魔法と名のつくものは全て、政府が管理しなければならないのだ」
そうか。
だから革命政府は、イツキ神殿を取り壊そうと……。エネルギーの生産を管理する為に。
「けれど、ミエの神の魔法は白魔法、癒しの魔術です。エネルギー生産とは何の関係もありません」
わたしは抗議した。
男は肩を竦めた。
「だが、王室の守り神だ」
「あ……」
処刑された父と母。
否定された立憲王政。
革命政府が否定したかったものは、王室自身だ。
「ま、あんたも気を付けることだ。白魔法も魔法には違いないからな。うっかり人前で『神』などと口走ると、ツボ衝かれるぞ」
ぞっとした。
わたしを脅して満足したのか、男はにやりと笑い立ち上がろうとした。
「あっ、まだ……」
いきなり立ち上がったら危ない。案の定、男は尻もちをついた。貧血から、立ち眩みを起こしたのだ。
「俺としたことが……」
慌てて駆け寄り、助け起こそうとしたわたしの手を、彼は振り払った。わたしより、一回りは確実に年上だ。それにどうやら、軍の高官らしい。恥をかかせるわけにはいかない。
「お急ぎなのですね?」
先ほどの衛生兵達の必死な様子をわたしは思い出した。
「戦闘中の軍の駐屯地で、急いでいないものなんているのかね?」
皮肉な口調で男は言った。
「お気持ちはわかります。ですが今夜一晩くらいはゆっくりなさった方がいいですよ」
「ま、礼は言っておく」
ついでのように言って、彼は出て行ってしまった。
怪我人は引きも切らない。
革命が神を否定しようと、神の白魔法は有効だ。ならばわたしは全力で、彼らの治療を進めるしかない。
「メシ、喰ったか?」
ノギ准将が様子を見に来た。戦闘はまだ、比較的穏やかな局面にあるようだ。さもなければ、用もないのに将校が、怪我人ばかりいるところにやってくるわけがない。
「ほら、これ。喰え」
乱暴に言って、傍らのテーブルの上にパンをぽとりと落とす。
そのまま外へ出て行ってしまった。
わたしは、兵士の足を繋いでいるところだった。爆風で千切れかけているのを、元通りにくっつけていたのだ。一息にやってしまわねば、負傷兵の苦痛は募るばかりだ。食事なんていらない。特にミンチ肉の挟まったパンは。
ノギがいなくなるとすぐに、コジヒがやってきた。
「お食事はお済みですか、聖女。中央政府から司令官である私に送られてきた、ボーナスがあるのですが……」
ワインのボトルを振って見せる。
「あっ! こんなところに私の白パンが!」
さきほどノギが置いて行ったパンを見て目を剥く。
「さては、ノギのやつ……」
「わたしは未成年です。お酒は飲めません」
冷たくわたしは言い放った。
血のように赤いワインを、大出血の治療をしている聖女が飲みたがると、本当にこの将軍は考えたのだろうか。
「それからそのパンも不要です。ワインと一緒に病棟の患者たちのところへ運んでください。彼らには栄養が必要ですから」
言っている途中で、患部に翳した手元から、大量の血が吹き上がった。集中力がそれたせいだ。
「うおおっ!」
軍人にあるまじき悲鳴をノギが上げた時だった。その大声を凌ぐほどのサイレンの音が、駐屯地に響き渡った。
「敵機襲来!」
壁に掛けた無線機ががなり立てる。
「聖女、塹壕へお移り下さい」
コジヒが言った。さっきの悲鳴が嘘のように引き締まった顔をしている。
「この人の治療が終わりましたら」
今動かしたら、大変なことになる。
「しかし……」
「私は聖女です。御心配には及びません」
治療中に爆撃を受けて死んだら、それは天命だ。きっと穏やかに死ねるだろう。ただ、患者の治療が終わっており、彼が爆風で吹き飛ばされないことを祈るのみだ。
コジヒはしつこかった。
「せめて見張りの兵を差し向けましょう」
「必要ありません。戦闘が始まれば一人でも余分の兵力が必要なはずです」
司令官は苦笑いした。
「本当に貴女は取り付く島がありませんな」
「司令官こそ、こんなところで油を売っていないで、兵士達が待っていますよ」
「敵を、決して貴女に寄せ付けはしません。誓います」
まじめな顔で言って、コジヒ司令官は去っていった。
小一時間ほども魔法を続けたろうか。
ぽっかりと兵士が目を開けた。
良かった。神のみわざが届いたのだ。
ほっと汗を拭った時だった。
「聖女! 聖女!」
無礼にも飛び込んできた者がいる。男だ。
「ここは患者以外男子禁制……」
「そんなことを言っている場合ではない! 君の力が必要なんだ!」
よくよく見ると、つい先日、頭の傷を治してあげた将校だ。たしか、ゲンパク先生と、衛生兵らは呼んでいた。
「何を鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をしている。俺は軍医だよ」
「軍医?」
「人手が足りないんだ。君も戦場に出てくれ」




