六話
清書が終わって線の太さを調整し終えた所で背伸びをしつつ、ふと画面の右下の時計部分に目を向けると、そこに並ぶのは三つの"0"。
背伸びした所で凝り固まった筋肉が解れて頭を少し痺れさせると共に、背骨やら腕やら肩やらがバキバキと悲鳴を上げ、もう寝ろと急かしてくる。
視線を画面から離して部屋の中を見回すのだが、眼精疲労というやつか、何処か視界がぼやけて見えたので、確かにもう止めた方が良さそうだ。
そうと決まれば清書掛けをした絵を念の為に二回保存してからパソコンをスリープ状態にさせ、画面の電源を消した。
夏という事もあって寝苦しさに少しでも対処する為、掛布団として敷かれているのはタオルケットと毛布のみ。現在はエアコンで冷房を利かせているからこそとても快適なのだが、スイッチを切ってしまうと、ものの一時間も経たない内に寝苦しいまでの気温に変化してしまう。
だからこそ寝る際にはタイマーを掛け、寝入って暫く経過した後に消える様にしている。
じゃあクーラー付けたまま寝ればいいじゃんと思う人も居るかもしれないのだが、そんな事をした日にはもう、後日投函される電気代の請求でモロばれしてしまい、とんでもない大目玉を食らってしまう。だがそうは言っても使うなと言う程鬼畜なのではなく、寝ている間の少しの間だけ節約してくれという事らしい。
一度だけその明細を見せてもらった事があるのだが、余裕で万と半分位の領域に足を踏み入れており、これが普通なのかと尋ねた所、普通の家庭だと一万円位だと言う事なので、それを期に電気代だけは節約しようと思った次第である。
幸い冬はでかい石油ストーブがあるので電気代はそのまでではないのだが、その分灯油代が嵩むので、どの季節が一番マシだとか言う事はないのだ。
そう愚痴めいた事を考えた所で何も変わる訳はなく、毎年の様に電気代がーとか、灯油代がーとかを言っている訳なのだが。
そんな事を考えながら歯を磨いたりなどの準備を済ませ、部屋の気温よりも少し冷えた布団に潜り込む。するとどうだろう。まるで空から地上へと落ちるが如く意識が遠退いてゆき、誰にも邪魔される事のない楽園へと沈んでゆく。
海の底へと潜り込んだ所で、いつの事なのか最早覚えていない思い出が、まるで古びて色褪せたフィルムの様に情景をフラッシュバックされる。目の前に見えるのは、豊穣を思わせるかの様な小麦色ではなく、まるで灯火一つ無い暗闇を連想させるような、漆黒を纏った狐。まだ真新しい、清涼な雰囲気を感じる境内を越えた先の、拝殿に設置されている賽銭箱の目の前に、まるで"ここが私のソファーだ"と言わんばかりに丸まって寝ているその子。
その当時の僕は何思ったのだろうか。子供ながらの少し高い声で何かの言葉を口にすると、その賽銭箱の前に丸まって寝ている黒い狐はピクリと耳を動かし、その頭を上げてこちらを向いた。その瞳はとても真っ直ぐで、満月の様な金色の瞳がまるで射抜く様に僕を見つめた。
『狐さんがいるー!』
その当時の僕は手を繋いで隣に立っている母の手をブンブンと振りながら、賽銭箱の目の前に寝ている狐に向かって開いている手の人差し指を向けた。
賽銭箱の目の前に横たわったままの狐を確認した後に母の顔を見上げるも、そこに浮かぶのは困惑を多少孕んだそのぎこちない笑顔。
すると母は『そうだねぇ……』と僕を気遣って同意してくれているのだが、一方で僕にはその表情を浮かべているのが理解できない。
もしやと考えられるのは、その狐が目の前に存在しないと言う事実なのだが、幼い頃の視界に映るのは、紛う事ない黒い狐の姿。
視線を母から賽銭箱へと戻すのだが、そこに狐の姿はなく。……あれ? 何処へ行ったんだろう? と考えた所で、その古ぼけた視界がまるで煙に包まれる様に暗く光を閉ざしてゆく……。




