二話
――――「誰かと思っていたけど、常磐君かぁ……」
ふと誰かの声で夢の水底から浮き上がる。聞こえるのはまるで鈴を転がしたかの様に清純で、喧しくもなく落ち着いた水面の様な声。
その会った事もない、名前を教えた事もない筈なのに僕の名字である常磐を出されて一瞬心音が跳ね上がるのだが、その声が妙に心地良くてこのまま目を瞑っていたくなる。
声の主はまだ僕の目が覚めていないと思っているのだろう。妖艶さを感じる短い笑いを一つ零しつつ、衣擦れの音を立てながらもぞもぞと動き出した。そして優しく頭を持ち上げられ、太ももだろうか? 柔らかなそれに乗せられる。額を撫でられるむず痒い感覚と柔らかな梅の香り。とても優しいその手付きに思わず心地よい気持ちになってしまい、目を少しだけ開けてしまう。
朧気な瞳に映り込むのは、まるでシルクの様に艶を纏った美しい濡羽色の長髪とスラリとした美麗な顔立ち。そしてその整った鼻梁の奥にあるのは、特徴的な、まるで満月の様な金色の瞳。
その人間離れした天衣無縫な美しさに、思わず視線が固定されてしまう。僕の視線に気付いたのか、彼女は僕を見て微笑んだ。
だがどうしてだろう。会った事がない筈なのに古く懐かしい親しみを覚えてしまう。無論こんな絶世とも言える彼女の顔なんて忘れる訳がない。
この声も、この香りも、全てのどこかしらに懐かしさを感じる。その不思議な感覚に戸惑いつつ心地良く浸っていると、突如「久しぶりだね……。元気にしてた?」と尋ねられた問いに"どなたでしょうか?"と尋ねようとしても口が開かない。否、言葉を紡ぐ事すらも出来ない。
「そろそろ時間だよ。あっちに戻りなさい。さぁ……」
彼女は僕の頭を撫でながら、まるで歌い上げる様に言葉をぽつりぽつりと紡ぎ上げた。
とても柔らかく、清らかに、そして愛おしそうに。
けれどもどうしてだろう。どうして彼女の表情が寂しそうなのだろうか……?