裏二話
それから何年経っただろうか。百を超えた辺りからは数えるのを止めたのでよく分からないのだが、お盆の時期だけ、私の居た神社が元々建っていた位置に寂れた姿で現れる様になった。だがここら近辺は人通り自体が非常に少なく、滅多にという言葉以上に人っ子一人通らない。神社自体も森の中にひっそりと存在している上、期間限定で存在している事もあってか、誰からも気付かれる事無く一年、また一年と過ぎ行く日々を浪費していた。
今年の夏もどうせ何事もなく終わりを告げるんだろうなと思い、当時のままの涼しさを保っている神社の床で悠々自適に寛いでいたのだが、そこで一人、誰かがこの境内に入ってきたのを感じる。
どうもその彼は近年稀に見る程の暑さに打ちのめされた様で、汗でだらだらに塗れていた。そんな様子を神社の影から顔を覗かせて見ていたのだが、どうも私の姿を見つける余裕すらない様で、本来であれば賽銭箱の置いてあった所に体をドカリと横たえ、まるで発熱しすぎた蒸気機関を急激に冷却する様にピクリとも動かなくなる。
一瞬気を失ってしまったのかと思って血の気が引いたのだが、どうやら杞憂だった様で、呼気に合わせて体が動いているのが伺い知れてホッと安堵を覚える。
余程暑かったのだろう。心做しか体より蜃気楼の様に陽炎を立ち昇らせており、如何に外が灼熱地獄なのかが伺い知れた。
一体何処の誰なんだろうかと思って顔を見る為に狐のままで近づくと、距離が縮まるのにつれてその寝息と素顔が顕となる。
……って、あぁ。……この子……あれ? 何処の子供だっけ? と必死に思い出そうとしても、毎年無駄に時間を費やしている為か記憶の検索にひっかからない。
兎に角このままここに滞在し続けるのは余りよろしくないので起こそうと思うのだが、狐のまま話しかけるととんでもないパニックになるのは火を見るよりも明らかだ。なので人間の姿に戻ったのだが、どうも戻った所で体に感じる疲労感がほぼ感じられず、少し小首を傾げた。
……って、あぁ。
「……誰かと思っていたけど、常磐の子か」
そこで彼の纏う雰囲気と容姿で名字を思い出し、遊んだ頃の記憶も同時に思い出される。あの頃は本当に楽しく、正に六家族の子達と遊んだのを思い出し、急に愛おしさに似た感情を覚えた。
そんな彼の頭を持ち上げて自身の膝の上に置き、その汗で柔らかくなった髪をゆっくりと撫でると、目が覚めたのか、その何処か幼気な雰囲気を名残様に残した顔付きの目蓋が薄っすらと開いた。
「久しぶりだね……。元気にしてた?」
未だに夢の中との境界線に居るであろう彼に告げるも、まだ狭間を漂っているのか、その半端に開かれた目蓋には微睡みが覆い被さっている。
「そろそろ時間だよ。あっちに戻りなさい。さぁ……」
そんな彼は私にとっては弟同然な存在であると共に、この世に唯一の"仲間"……いや、最早肉親と言っても過言ではない程の存在で、未だに健やかでいるのに嬉しさを感じてしまう。
私だけが覚えていると言うのには少し優越感を覚えるのだが、それと同時に私の事を覚えていないと言う事実が、どうもその感じた優越感を削ぎ落とすかの様に心を苛んでゆく。
……まぁ、その原因は私にあるのだけれど。
そんな懐かしい彼の頭を撫でつつ寝付かせると、暑さによって疲れが溜まっていたのか、次第にまたすやすやと規則正しい寝息が聞こえ始めた。
そんな無防備な姿が何だか無性に愛おしく思えてしまい、ついつい赤子をあやす様に撫で続けてしまう。……だがこのままここに居ては目を覚ますまで居てしまいそうで。……そうなると狐の姿を見られてしまうので今日はここまでと、自分を戒める意味も込めてこの場を離れる事を決意する。
そう思ってそっと彼の頭を下ろし、目の前から姿を消して狐の姿へと戻り、朽ち果てて取り壊される寸前の様子を維持している拝殿兼本殿の屋根へと登る。
そこから彼の起きる様子をゆったりと眺めていようと思ったのだけど、最早生き物ですら無い存在となったが故か、食欲や性欲は無くなってもどうも睡眠の欲までは消してくれなかった様で、ちゃんと日中に起きて夜に眠くなるというとても便利な体になってくれたので、諦めて一眠りをする事に。
そんな彼との再会を一方的に果たした翌日の事。……もしかして彼がまた来るのかな? という淡い期待を抱きつつ、常磐家の初代当主に名付けてもらった、"山守香菜"の姿で、まるで恋い焦がれる乙女の様な心境で神社の前に座って待つ。
……どうも私は神の座から落ちただけでなく野生動物ですらなくなってしまった様で、まるで積もり続ける雪の様に、彼の事で段々と頭の中が満たされてゆく。……これではまるで本当に恋する乙女ではないか。思わず自嘲する。
そんな遠足前日の子供の様にワクワクしていると、今日もまた、境内の入り口に人の気配を感じた。
ふと顔を上げてその主を見ると、そこに居たのは今しがたまで恋い焦がれていた、幼い頃に共に遊んだ常磐の子。……確か薫君だっけか。
その幼い頃とは違う顔付きと健やかでいて逞しくなったその姿に、親心ではないがどうも嬉しく感じて笑みが溢れて「あら?」と言葉が溢れる。
「……こうやって話すのは久しぶりだね。元気にしてた?」
「……昨日はどうも。……前に何処かで会いましたっけ?」
私に恐る恐る訪ねてくる彼の姿は、その大きさや顔付きなどは大なり小なり異なっていたとしても、体に染み付いた"癖"は変わっていない様で、気不味い時であったり少しでも疚しい事があった時に微かな笑みを浮かべたまま少し視線を逸らす癖が未だに抜けぬまま。
その当時から根っこの部分は変わっていない事がわかり、少し安心してしまうと同時に変わっていない嬉しさに思わず笑みが溢れてしまう。
「覚えてないのも無理ないよ。会ったのは君がホントに小さかった時だからねー」
もっと彼と話したいと思って手招きをすると、その意図を察してか彼は少し緊張を顔色に残したまま、私の隣にストンと腰を落ち着けた。
その途端に昔懐かしい彼の香りが鼻腔を擽り、当時の思い出を蘇らせた。
「私、山守香菜って言うの。改めてよろしくね、常磐薫君?」
私が彼の顔を下から覗き込みつつそう言ったのだが、じっと見つめられるのが恥ずかしいのかフイと視線を首ごと逸らされる。そんな子供っぽい仕草に庇護欲が唆られ、思わず彼の頭に手を置いて弟にするかの様に撫でてしまう。
その大きくなった頭の違いはあれど、細く柔らかな髪質がこれまた昔のままで、ついついその頭を撫で続けてしまう。すると彼は少し恥ずかしげにしつつ「自分が会ったのってどの位の時なんですか?」と訪ねてきたので、思わず何歳位だろうかと考え込んでしまう。
確か……あの時は三歳くらいだったかな? もう大分前の事だからちょくちょく記憶に残っていないのが悲しい所。ただ未だに鮮明に覚えているのは、最初にお母さんに抱っこされて訪れたという事だ。
そんな私の答えを聞いた彼は少し|不思議そうな表情を浮かべ、「……って事は、香菜さんって――」と少し不穏な言葉を口にしようとする。私は当然その開きかけた口に指で"チャック"をかけたのだが。
突然の口封じに驚いたのか、彼は目を見開きつつ紡ごうとしていた言葉を心の中へと引っ込めた。それを見計らい、更に念を押す意味を込めて「それ以上は……ね?」と、静かに圧力をかけ、「女性に年齢は聞いちゃいけないのよ?」と、世のルール……と言うか、女性に対して余り触れてはいけないと言う事を付け足す形で説明する。
すると彼はどうだろうか。まるで"赤べこ"の様にコクコクと半ば焦った様に頷き始め、その様子が何だか可笑しくて、ついつい、笑みが零れてしまう。




