二話 夏が来た、つまり、梅雨も来る。
現在、6月上旬。
本格的に気温が上がってきて、生暖かい初夏の空気が日本を包み込み始めている。
それと同時、梅雨が近づいているのか、雨の日が増えた。
俺は雨は嫌いではない。
強いときは、地面や物に当たる音が混ざりあってザーザーと聞こえる逞しさ。
弱いときは、風で煽られれば直ぐに窓から入ってきて、地面に当たって浸み込む、サーサーと、少し弱々しい音。
その切り替えの良さ。
そして、その二種類の音。
聞いていると、いつの間にか水の中に沈んでいるのではないかと錯覚する、心地よくて、何処か寂しさと切なさを感じるその音を作り出す雨が、俺は中々好きだ。
閑話休題。
話が逸れたが、もうそろそろ夏服の許可が出される頃だろう。
今日は特に何かがある訳じゃないから、こんな事を一人で考えながら、また食堂で康介と日替わりメニューを注文して、決まっている訳でもなく何時もバラバラなテーブルの元へ行き、椅子に座る。
今日の日替わりメニューは生姜焼きと白米のセットだ。
「今日の日替わり、生姜焼きだな。」
「ん? ああ、そうだな。」
そんな他愛もない会話をして、また沈黙の時間を作る。
その沈黙を、またも康介が崩しにかかる。
「そういや。部活、もう決まったか?」
「いや。部活に入るつもりはない。」
「ええ!? まじかよ! 高校生だぞ! 部活に入らずに、どうやってこの一時の青春を過ごすんだよ!?」
「……そんな固念執着しなくてもいいだろ。」
「はあ。まったくもって詰まらん奴だな、お前。」
「……じゃあ聞くが、何か良い事があるのか?」
俺はストローから紙パックに入ったぶどうジュースを吸って、康介に質問をする。
康介は、うんうんと首を捻って考えている。
この感じだったら、答えが返ってくる事は無いだろう。
まあ、この答えを聞くのは、昼飯を食べてしまってからでもいいだろうが。
――放課後。
結局のところ、康介は答えを出せずに背もたれに脱力した体を預けて、頭を後方に向けて俺の質問に完全敗北していた。
勿論の事ながら、俺は授業が終わった後、回りと群れることなく玄関へ直行。
靴を履き替えて、校門を抜ける。
それがいつもの俺だ。
ただ、今日は当番で掃除があったので、少し遅めの下校。
そして掃除の後、ごみを捨てに行って帰ってきたら、既に連中は居ない。
そんな事は予想出来たが、実際にやられると腹が立つ。
人の大事な放課後の時間と労力を奪っておきながら、置き去りにして帰るなど、人としての思いやりが足りていない気がする。
俺は早々に玄関へ向かい、靴を履き替える。
その間で、校内に人影はなかった。
俺は少し苛々しながら、校門から足を踏み出す。
「其処の後輩!」
だが、そこに、凛とした女性の声がかけられる。
「……は?」
俺は訳が分からず、一度足を止めて、間抜けな声を出しながらその声がした方向を振り向く。
そこに立っていたのは、声と同じく凛とした綺麗に整った顔立ちに、黒色の髪を胸の下あたりまで伸ばし、一部をピンク色の髪留めで止めた俺と同じくらいの身長の一人の少女だった。
その少女は、仁王立ちの状態で俺の事を見据えて、どこか値踏みするかの様な目で此方を窺っている。
そしてそれが終わったのか、一度、瞬きをして口を開く。
「後輩、私の部活に入ってくれないか?」
その一言に、一瞬、俺の人生の一部に色が宿るような錯覚を覚える。
その言葉は、俺にとって魅力的だった。
俺の世界に色を付けてくれるのではないかという、期待感があった。
先程、何か良い事があるのか、という批判的な発言をしておいて、こんな事を言うのはあれだが、俺は、少しワクワクしつつある。
だが……。
「……遠慮しておきます。」
「今すぐ答えを聞きたいわけじゃない。もう少し考えてみてくれないか?」
「すみません、順序が間違っているのは分かるんですが……貴方は何方様ですか?」
「ああ、すまない、名乗り忘れていたね。私の名前は柚季 碧唯だ。碧唯と呼んでくれ。」
そう名乗った少女は、此方に右手を差し出してくる。
握手を求めているのだろう。
「……まあ、考えておきます。」
「ああ、よろしく。」
俺は、一度その手を取る。
柔らかくて、しなやかな細い指が俺の手に絡みつく。
そして、手を離すと、碧唯と名乗った少女がもう一度口を開く。
「決まったら、私がいる、3年のB組に来てくれ。入り辛ければ、部室の野外教室に来てくれ。」
「……その前に、何ていう部活なのか、聞いてもいいですか?」
「ん? ああ、すまない、言ってなかったか。私の部活は『遊び探求クラブ』という部だ。」
クラブ……部活の括りに入れてもいい物なのだろうか……。
「……活動内容は?」
「活動内容は……面白いことを探す、だな。」
「……」
面白いことを探す、か。
俺の人生ではありえない言葉だな。
……もし、この誘いに乗ったら、俺の1日は変わるのか?
……解らない。
だけど、少しくらい、この人に化かされてみるのもいいのかもしれない。
――『え? まじかよ! じゃ、じゃあ、俺もその部活はいるから、明日詳細教えてくれ!』
「ああ、わかった。」
俺は、碧唯――先輩と分かれた後、電車に乗って人がいないのを確認して、康介に電話をかけ、さっきの事を話した。
後、俺は一言も入るとは言っていない。
ただ、こいつが勝手にそう解釈しただけだ。
『いや~、でも、リンがついに部活か~。』
「何だよ、」
『いやさ、お前も、俺の熱演に感化されたのかと思ってな。』
「それはないな。」
『ひでぇ!』
俺はただ、この冴えない1日が変わるんじゃないかと思って、入ってみようかというだけだ。
こいつに感化されたわけではない。
そう言えば、今日も雨だったな。
――コンコン。
野外に建てられた、今は使われているのかもわからない教室にノックの音が響く。
無論、俺がノックした音だ。
中から、ゆったりとした足音が聞こえてくる。
タン―タン―タン―
――ガラㇻ
足音が止み、横開きの扉が開かれる。
そこに現れたのは、昨日会った先輩ではなく、短く切り揃えられた茶髪のショートヘアで、片目を前髪で隠し、うちの制服の上にパーカー、首にヘットホンという、この学校には似つかわしくない格好をした少女だ。
「えっと……」
「ん~? ああ、君が先輩の言ってた、“この部に入る後輩君”ね。」
「へ? あ~はい、多分。」
「ふ~ん。ま、上がってー。」
「ああ、はい。」
教室はお座敷になっていて、靴を脱いで上がりこみ、少し状況を整理する。
この少女も3年なのか?
いや、先輩って言ってたし、2年か?
……というか、俺は入るとは言ってないんだが……。
「あ、後でもう一人来るんですけど、大丈夫ですか?」
「ん? ああ、だいじょーぶだいじょーぶ。この部入ってくれる子少ないから部員の席余りまくってるしね。」
「は、はあ、」
「はい、じゃあ、笑って笑ってー。ハイチーズ。」
「へ?」
――パシャ
少女はいきなり近付いて来たかと思うと、スマホのカメラを起動して、自撮りの体制を作る。
そして、その細い親指を、画面に映った白色のボタンに触れさせる。
そのシャッター音が教室内に響く。
「うん。撮れた撮れた。」
「あの……」
「あっお菓子食べる?」
「いや、えっと。」
何故だかスムーズに話が進んでいく。
この人のペースがつかめない。
――キラリ
少女の右手に小さな光の反射が見える。
ネイルだろうか?
「あっ、そう言えば自己紹介がまだだったねー。私、雲居 茜、2年。よろしくね。」
「ああ、えっと、斎藤 凛です。よろしくお願いします。」
漸く名前がわかった、目の前の少女――茜先輩は、煎餅の外袋を開けながら、スマホを見ている。
俺は何をすればいいのか?
「あの、、、。」
「あ、もうすぐで先輩戻ってくるって。後輩君、もう一人来るんだっけ?」
「え? あ、はい。」
「おっけー。先輩に伝えとく。」
「ああ、お願いします。」
茜先輩は、スマホの表面に指を滑らせ、文字をうつ。
早い。
そこに、またもやノックが響く。
この感じからすると、多分康介だろう。
「はいはーい。」
茜先輩が俺の時と同じように、横開きの扉を開ける。
その外には、、、予想通り、康介が間抜け面をして立っていた。
「えっと、君が、後輩君が言ってた、もう一人の後輩君?」
「えっと……多分そうです。」
「そっ。じゃあ入って入ってー。」
「ししし、失礼します!」
「はーい。」
康介が顔を赤くして、教室に入ってくる。
こう言ってやるのも可哀そうだが、気持ち悪いな。
「えっと、後輩君はさ――」
「「はい」」
「あ、えっと、最初に来た後輩君はさ、何でこの部に入ろうと思ったの?」
「えっと……出会い頭にこんな事を言うのもあれですけど、自分の生きている狭い世界が、冴えない1日が、変わる気がして。もしかしたら、色が付くんじゃないかなと思って。」
「ふーん……。」
特に何も答える事が思いつかなかったのか、適当な返事が聞こえてくる。
そういう反応しかできないなら、聞かないでくれと思う。
「じゃあ、後輩君Bは?」
「「後輩君B?」」
「うん、君が後輩君Aで、君が後輩君B。」
俺に指をさして後輩A、康介を指をさして後輩Bと、良く分からないことを言っている。
まあ、分かりやすさとしては及第点といったところか?
まあ、そんなことは置いておこう。
「で、後輩君Bは何でこの部に入ったの?」
遊ぶように楽しそうな顔をして茜先輩は康介に近付く。
康介の顔が赤色に染まっていく。
「ぇ、えっと、こいつが心配で、、、。」
「? 後輩君Aのこと?」
「はい、、、。」
茜先輩の顔を見ないようにしているのだろう。
顔を上に向けて、震えている。
「ふーん……。優しいんだね、君。」
遊び終わって楽しかったとでも言うかのように、顔を綻ばせて言う茜先輩。
「そー言えば。名前、まだだったね。私、雲居 茜。2年ね。」
「む、村田 康介です……。」
「よろしく。」
茜先輩は楽しそうな顔で、康介に握手をするように手を握る。
その瞬間、康介は茹蛸の様に全身を真っ赤にして、へにゃへにゃと倒れていく。
女好きな割に、女に弱い。
こいつはそういう奴なのだ。
――ピロン
何か、軽い音が響く。
茜先輩の方から聞こえた事からして、茜先輩のスマホだろう。
「あっ、先輩今向かってるってー。」
「そうですか。」
そこに、ノック音が響く。
きっと、先輩だろう。
茜先輩が、ハッとして扉に向かってかけていく。
「アピピポポテ、」
「ブブブポロロ、」
「どうぞ、入ってください。」
謎の暗号か何かだろうか?
人の言葉の用には聞こえなかったが……。
俺達にはやってこなかったが、思いつきか……?
と、考えている隙に、横開きの戸が、勢いよく開かれる。
「やっぱり来たな! 後輩!」
そこに立つ人は、俺に向けて指を指しながら勢い良く言い放つ。
そう。ご察しの通り、柚季 碧唯――あの時の先輩である。
先輩は、ズンズンと此方に歩み寄り、俺の跳ねた癖っ毛にわしゃわしゃと指を通す。
「えらいぞ!」
「先輩! 靴!」
「おっと、悪い悪い。」
俺は犬か何かか? と、小さく撫でられた部分を触りながら思った。
――と、突如として此方を振り向いた碧唯先輩と目が合う。
綺麗な眼だ。と、俺は思う。
まあ、それはどうでもいい。
碧唯先輩は俺の方を向くと、一つ間を置いてから声を発する。
「さて、この部の活動内容だが……昨日も言った通り、遊びの探求だ。」
「……はい。」
俺は康介を起こしながら返事をする。
そして、先輩も俺を見て少し言葉を止め、康介が目を覚ますと共に「ただ、」と付け加える。
「ただ、遊びの探求をするにあたって、君……達には慣れてもらいたいことがある。」
「はあ……?」
何かと思い、康介の寝ぼけた頭をはたきながら先輩の方に向き直る。
先輩は、少し下を向いた後、顔を上げて口を開く。
「……私たちは遊びに夢中になると、脱ぐ事があるんだが、それには慣れてくれ。」
「何言ってんだあんた。」
間の抜けた声と顔で言ってきた先輩に流石にこれはほっとけないと突っ込んでしまう。
そして、それと同時に康介がガバッと顔を上げて声を上げる。
「全裸!?」
「違うだろ。」
「そうだ。」
「「違くなかった!?」」
俺は呆れ半分で康介にツッコミを入れるも、先輩にそのツッコミを完全に粉砕されてしまう。
これには俺も、さすがに驚き、声を上げてしまう。
それと、自分で言っておきながら実際にそうであるとは思っていなかったのか、康介も俺と被るように声を上げる。
碧唯先輩と茜先輩は至って普通の事だとでも言うように、堂々と立っている。
「あ、私は脱がないよ? 言葉に間違いがあったから訂正するけど。」
茜先輩は違うようだ。
一瞬、「あれ?」とでも言いそうなほど顔を斜め方向に向けて、ハッとすると焦って訂正を入れてくる。
勿論、茜先輩は脱がないと思っていた。
こんななりだが、話すだけで、その根は真面目な方だと言う事は分かる……多分。
「ともかく、そう言うわけだ。とはいえ、私達にも恥じらいはある、君たちの前でそんな事はしないだろうがな。ともかく、よろしく頼む。」
「……よろしく、お願いします。」
俺は、そっと差し出された手を取って頭を下げた。
先輩はそれを見て康介にも同じことを言って、俺達の間に立ち声を出す。
「今日は解散だ。入部届を出して帰っていいぞ。」
「えっと……良いんですか?」
「ああ。良い。だが、一応毎日この部室には来てくれ。」
「……分かりました。それじゃ。――ほら、行くぞ。」
「あ、ああ。それじゃあ、失礼します。」
結果として、俺達はこの後、普通に帰った。
入部届を出して。
俺は人が嫌いなわけではない。
確かに、接するのは苦手だし余り関わりたくないが、俺にプラスの影響を与えてくれたり、無害な人間は別に拒絶はしない。
最初の内は康介も拒絶していた俺だが、こいつのおかげで人と接することが、少しだが平気になった。
こいつの様にプラスの影響を俺に与えてくれるのなら、俺はあの人たちとも接するし、特に問題は生まれないだろう。
俺の事だから一概にそうとは言えないが、何故かそんな気がするのだ。
――そして、一週間と四日が経った。
外はシトシトと雨が降っている。
確か今週から来週までは雨が続くらしい。梅雨入りだ。
そこに足音が聞こえてくる。
ピシャァン! と横開きの戸が開け放たれると、そこにはずぶ濡れの碧唯先輩が腰に手を置いて立っていた。
そして――
「遊びに行くぞ!」
――そう、言い放った。