第3話/我等口多美術館にて・その2
「えっ、なっ」
「えっ!?」
品代金2万円。その結果に愕然とするナベさんと、反対に予想外の高額に驚いた佐藤の双方から声があがる。
「これ、現代の唐子焼の工房で製作された工芸品よ。だけど箱は時代物に見せるよう誰かが適当な物を使ったわね。ほら、皿と箱に微妙な隙間があるわ。元々この皿の箱じゃないからクッションを少々厚めに入れて誤魔化しているのでしょうね」
「そんな……」
「でも立派なお皿じゃない。工芸品だけれど機械じゃなくて職人手作りの良いモノだと思うわ。ナベさん、高知の出身でしょう? 皿鉢料理でも盛り付けたら映えるわよ」
「確かに……あれっ!? 俺、高知出身ってロクさんに言ったっけ?……やあ、ロクさんは人間の鑑定まで出来ちゃうのか」
「ふふふ。ナベさんのお小遣いが月に2万円なのも、この間質屋に行ったのも知ってるわよ。質入れしたのは今まで買ったお皿や壺かしら?」
「なっ、なんで……あー! うちのかみさんから聞いたのかぁ……まいったなこりゃ。じゃあ、これ鑑定料って程じゃないけど」
「あら、ありがとう。いつも悪いわね」
ナベさんは頭をかきかき、腕に下げていたビニール袋をロクさんに手渡すと木箱を抱えて帰っていった。ロクさんはビニール袋の中身を見て嬉しそうにする。
「あら! 美味しそうなおミカン! 佐藤さんも如何?」
「や……いいっす」
「あらそう? じゃあ失礼して私だけ頂くわね」
ロクさんが左手にミカンを持ち、右の親指をミカンのてっぺんにめり込ませた。皮を向くと爽やかな芳香が辺りにほんのりと漂う。
「で、昨日ね」
「あっ、はい昨日…………」
「銀行強盗をしたの?」
「ブフォッ!!」
佐藤は「昨日」で言いよどみ、間を持たそうと紅茶のカップに口をつけていたのだが、ロクさんの言葉に吃驚して吹き出しゲホゲホとむせた。
「あらあら、大丈夫?」
ロクさんはミカンをむしゃむしゃと食べながら、しかし佐藤がむせている事には心底心配そうな素振りで声をかける。
「ゲホッ……なんで、それを」
「ごめんなさいねぇ。あなたがこの部屋に入って、しばらく座らないでいたでしょう? その時に見えちゃったの。あなたのズボンの後ろポケット」
佐藤は思わずサッと尻に手を当てる。そこには小さいがごつごつとした膨らみがある。昨日運転していたワゴン車のキーだ。車の外装や積み荷は土木工事業者を装っている。
「最近の人のズボンって何故そんなにぴっちりしてるのかしらねぇ。だからポケットに入れている物の形もよく浮き出ていて、あっ、車のキーかなと思ったの」
ロクさんは落ち着いてミカンをつまみながら話を続ける。佐藤はその落ち着きぶりに、背中にぞわりと冷たいものが走るのを感じた。
(このババ……女はどこまで見抜いているのか……)
「車があるなら、橋の下なんかで野宿するより遥かにマシでしょう? 横になれるし、エアコンもある。鍵もかけられて安全だし。だけどあなたはそうしなかった。だからその車は使えない理由があるのだと……たとえば、もう警察にナンバーや車の特徴を抑えられている、とかね?」
「それだけで、昨日の事件と結びつけてカマをかけたのか……」
「いいえ、カマじゃないわ。私は確信していたの」
所謂『ドヤ顔』を繰り出して鼻息もフンッと荒めに言うロクさん。それを見て佐藤の緊張が解けた。頭を垂れ、ふーっと息を吐いてからポツリと言う。
「降参っす。確かに俺はやりました。……ただ、最初はそんなつもりは無かったんです。割りの良いアルバイトだと思って」
「アルバイト? 銀行強盗が!?」
「そっす。ネットの高収入バイト募集に応募したんす。そしたらメールがきて、応募した仕事は無理だけど、他の仕事を斡旋するからって……」
「へぇ……今時のネットって犯罪者募集まであるの?」
「犯罪募集じゃないです! あくまでも高収入のバイトで、ちょっと難しいものを車で運んでくれって言われて信じちゃったんっす。それで契約前に運転免許証の画像とかも送っちゃってから、細かい仕事内容が送られてきて『実行犯の送り迎えと、分け前の金を運べ』って書いてあって……ヤバいと思ったんすけど、もう個人情報を握られてるから逃げられなくて……」
「何故? そのまま警察に行けば良かったのに……」
「すんません、でも相手とは全部ネットとのやり取りだったから正体がわからないし、まだ事件になる前なら警察に言っても多分無駄だし、その間に俺の個人情報を誰かに売られてもっと怖いことになりそうだったから、運転手役を一回だけなら大丈夫かと思って……」
「ええ? 相手と会ったこともないの!?」
「はい。実行犯の三人も当日メールで指定された場所で初めて会って、一人はノリノリでしたけど二人は俺と同じ様な感じでした……」
ロクさんは感心したようにため息をついた。
「はぁ……それはびっくりしたわ……最近の若い人は何でもネットだけど、まさか銀行強盗までネットで打ち合わせしていたとはね……」
「打ち合わせっていうか、全部メールに計画が書いてあってその通りに動けば良かったんで……」
ロクさんの目がいたずらっぽくきらめいている事に、佐藤は気づいていなかった。
「へえ……その計画を立てた首謀者さん? って、きっと頭が良いんでしょうね? だってネットとメールでやり取りしただけで、銀行強盗は実際に手を汚さずにお金だけ貰ったわけでしょ? あら、でも会ったことが無いのにお金はどう貰うのかしら。それもネットの振込み?」
「いや、ネット振込みだと足がつくと思うんで……✕✕駅の近くのコインロッカーの上に、紙袋に入れて置くようにって指示でした」
「まぁ! 意外と大胆なのね! 貴方の分け前は幾ら?」
「えっ!?」
目を合わせずに話していた佐藤は、その時初めて視線を真正面に向け、ロクさんが前のめりになって話を聞いていることに気づいた。
佐藤の背中が再びぞくりとする。こんな話を聞けば同情しつつも「警察に行こう。わたしも一緒に付き添う」と言い出すとばかり思っていた。
しかし目の前の彼女は瞳をきらきらとさせて「分け前」なんて言葉を使ってくる。今までのやり取りで佐藤の金に興味があるから訊いているとは思えないのに、だ。
(金じゃなくて、何が目的なんだ!?)
「あら、わたしったら。はしたない言い方しちゃったかしら? でも貴方が幾ら手に入れたのか興味があるわ」
にっこりと微笑むロクさん。それを見た佐藤は、この老婆はやはり魔女なのではないだろうかと思った。答えたくはない。だが答えなければならないと佐藤の頭の中で二つの相反する考えがせめぎあい、後者が勝った。
「に、200万……」
「……へえぇ? 運転手役ってさっき言ってたわね。他の仲間を運ぶのと、計画した首謀者にお金を渡す役で200万円? 大金だけど犯罪をしている割には少ない気がするわ。コインロッカーの上に置いてきたって言うお金をネコババしなかったの?」
「……っ!」
佐藤はまたもや息をふーっと吐いてから答えた。
「……そんなの怖くてできないっす。こっちは免許証の顔写真から何から全て握られてるんすよ? 裏切れば何をされるか……」
ロクさんは漸く納得したのか感心するような顔をした。
「ふーん。よくわからないけれど、やっぱり今の人達にとって個人情報を握られるって怖いものなのね? さっき他の二人も似たような感じだって言ってたものね。それなら彼らも裏切らないでしょうねぇ」
「はぁ、まぁそうじゃないっすか」
相槌をうち、漸く落ち着きを取り戻しつつある佐藤。しかしその背中にまたも冷や水を浴びせるような言葉がロクさんの口から飛び出た。
「佐藤さん、でもまだ隠していることがあるでしょう?」
「え!?」
「ロクさ~ん!!」
庭先から大声が飛んできた。大和が全力で走ってきたのだろう。先程土手の上を走っていた時と全く同じ、警察官の制服を身に付け、白い自転車に跨がって。
佐藤はその姿をガラス越しに見た途端、素早く頭を巡らせる。
(なんで警官が……ババアが呼んだのか! どうする、自首するか? いや、今自首したら…………逃げ切れるのか!? ここは確実に逃げ切る事を優先すべきだ!)
彼は傍らに置いていたコートの裏ポケットに素早く右手を突っ込む。確かな重みを探り当てたと同時に佐藤は勢いよく立ち上がり、向かい合っていたロクさんに左手を伸ばした。
「おや、まぁ」
「ロクさん、ガキどもから聞いたけど何の用……えっ!?」
勝手知ったる我が家のように庭先から窓を開けた大和は、応接間の様子に一瞬固まった。
佐藤はロクさんの後ろに立ち、左腕を彼女の首のあたりに回して拘束している格好だ。右手には先程までコートのポケットに隠していた銃を握りロクさんに突きつけている。
「てっ、手を挙げて静かにしろ! ババアが死んでもいいのか!?」
「まままっ、待て! はっ話をしましょうっ!」
佐藤も大和も想定外の事態に緊張し喉を強張らせている。話すとつかえたり必要以上に大声を出していたのだが、そこにひとりのんびりとした声が入り込む。銃を突きつけられた本人だ。
「あらあら、まぁまぁ。二人とも落ち着きなさいな。やっくんはまず応援を呼んだら?」
「黙れババアッ!」
「ろ、ロクさん、彼を刺激しないで……!」
「大丈夫よ。これモデルガンだもの」
「「!?」」
警察官と銀行強盗犯は同時に度肝を抜かれた。動揺した佐藤の腕が僅かに弛む。ロクさんはその拍子に首を回し右手を顔に当てる。指の間から銃を見た。
「……レッドスリースター社製、型番FA12-KEね。改造はしていないし弾もプラスチック製。あぁ、良かった。改造していたら危ないし罪も更に重くなるからそれだけは心配していたの」
「なっ、ななな」
何故。
何故この銃とは無縁そうな老女には見ただけで改造の有無までわかるのか。皿や壺だけではなく、こんな物まで鑑定できるほどあらゆる物に精通しているのか。
いや、ポケットから取り出した銃を見た時から老女はモデルガンだと見抜いていた。だから落ち着いていたのだ。
何故、何故、何故。
佐藤の頭の中で目まぐるしく展開する疑問の数々は、そのまま視界とともにぐるりと回転し、気づけば床に散乱している元オブジェだった石や枝が目線の先にあった。
「ごっ、午前10時38分、……き、強要未遂の現行犯で逮捕する!」
大和が掃き出し窓から飛び込むように部屋に入り佐藤の腕を掴んで銃を取り上げ、暴れて抵抗する彼を床に組伏せたのだ。そこまでは良かったが慣れない行動に焦る大和はどもっていた。
捕り物で壊れたオブジェの散る応接間。そこに必要以上に大きな声で時刻を読み上げる大和の声が響いた。