修学旅行2日目、朝起きたら隣に親友の好きな人が寝ていた。どうしよう……
修学旅行。それは高校生にとって、紛れもなく大イベントの一つに数えられる。
俺・玖我聖一の通う高校では、二学年の秋頃に修学旅行が催されており、行き先は毎年京都と決まっている。
東京からの新幹線での長旅も、俺たち高校生からしたら良い思い出の一つでしかない。
持ち寄ったお菓子を食べたり、トランプで遊んだり、どうでも良い写真でデジカメのメモリを一ついっぱいにしたり。
京都に着いてからも、最高潮に達していたテンションが下がることはない。
金閣寺や京都タワーや二条城など、俺たちは日が暮れるギリギリまで京都の観光名所を周り、楽しんだ。
旅館に着いても、俺たちのテンションは下がることを知らない。
気持ちの良い温泉に美味しい料理に部屋での枕投げ。あとは、ちょっと恥ずかしいけど恋愛事情について語り合ったりとか。
結局俺たちの心と体が休まったのは、消灯時間を大幅に過ぎ、皆が寝落ちしてからだった。
翌日、修学旅行2日目。
朝起きると……俺の目の前に、昨日見た金閣寺や京都タワーなんかよりずっと目を見張るような光景があった。
「んんっ……」
なんとも艶かしい声を上げながら、浴衣姿で寝返りを打つ女子生徒。しかも、俺の寝ている布団の中で。
いや、この際それは大した問題じゃない。先生に見つかったら大目玉だから大した問題じゃなくないけど、今はそれ以上にマズい事情がある。
俺の隣で寝ているこの女子生徒は、雪見遥香といって、俺の親友の好きな人なのだ。
「だけど何で雪見が俺の布団に? そもそもここは、男部屋だぞ?」
昨日の夜のことを思い出してみるも、どうしても寝る直前のことが記憶から飛んでしまっている。
昨夜のことで覚えていることとなると……親友が「俺、この修学旅行の間に雪見さんに告白するんだ」って宣言していたことくらいだ。……嫌なこと思い出しちゃったな。
どうして雪見が俺の布団で寝ているのか? 大変気になるところではあるけれど、一先ず謎解きは後回しだ。
今は雪見を一刻も早くこの部屋から退室させることが急務である。
自分の親友と好きな人が同じ布団で夜を明かした。そんな事実を知ったら、あいつはどう思うだろうか? ……間違いなく、殺される。良くて絶交だ。
「おい、雪見。おい」
「ん……もう食べられません」
「ベタな寝言言ってないで、早く起きろ」
周りの奴ら(特に親友)が起きないよう細心の注意を払いながら、俺は雪見を起こす。
「あっ、玖我くん。おはようございます。……って、玖我くん?」
寝ぼけていた雪見だったが、それも一瞬のことで。俺の存在を認知するなり、雪見は固まった。
「どうして玖我くんが、私の布団に?」
「逆だよ、逆。俺が雪見の布団にいるんじゃなくて、雪見が俺の布団にいるの」
「えっ、何で?」
「知るか。俺も目が覚めるまで、お前がいることに気付いていなかったんだよ」
どうやら雪見も昨夜の記憶が曖昧らしく、どうして二人で一緒の布団に寝ているのかはわからないようだ。
男子と女子の部屋は階が違うし、寝ぼけて間違えたなんてこともまずあり得ないだろう。
「取り敢えず、皆が目を覚ます前に部屋に戻れ。こんなところ誰かに見られたら、修学旅行が台無しだぞ」
「それどころか、今後の学校生活にも大きな影響を及ぼすと思います。詳しいことは、後ほど話しましょう」
そう言うと、雪見はなるべく音を立てずに俺たちの部屋を出て行った。
数分後、【ミッションコンプリート】というメッセージが送られてくる。
良かった。誰にも見つかることなく、無事自分の部屋に帰れたみたいだ。
◇
衝撃の目覚めから一時間、俺は親友含む同室のメンバーと共に、朝食を取っていた。
日本三代茶と謳われる宇治茶を啜る俺に、親友の梶井賢太が話しかけてくる。
「なあ、聖一。実は昨日の夜、雪見さんが俺たちの部屋に来たっていう夢を見たんだ」
「ブーーーーッ!」
もったいないことに、俺は思わず口に含んでいた宇治茶を吹き出してしまった。
「しかも雪見さんが、俺の体を踏んづけたような気がしてさ。重さまでしっかり感じられて、かなりリアルな夢だったんだよな」
だろうな。多分夢じゃなくて、現実だもの。
しかし当然「あぁ、それ現実だよ。雪見のやつ、その後俺の布団に入り込んで朝まで爆睡したんだよな」などと言えるわけもなく。
「欲求不満だったんだろ? ていうか、何? お前M体質だったの?」
「違うけど……雪見さんにだったら、虐げられても嫌じゃないかな」
「うわぁ……」
「そこ、あからさまに引かない。……って、俺の性癖はどうでも良くて。つまり俺が言いたいのは、リアルな夢を見てしまうくらい雪見さんへの恋心が募ってしまっているってことなんだよ。だから今ここで、もう一度宣言する。俺はこの修学旅行で、雪見さんに告白するんだ」
などという賢太の所信表明も、悪いが今の俺にはどうでも良かった。
雪見が今朝まで俺たちの部屋にいたことを、賢太に知られていない。その事実の方が、余程重要である。
「お前が雪見にベタ惚れしているのはよくわかったけど、正直そこまで魅力的か? 確かに顔は可愛いと思うけど」
「もしかして、聖一は雪見さんのことが嫌い?」
「別に、嫌いじゃねーよ。ただそこまで惚れ込む相手かどうかが懐疑的なんだ」
「俺は結構レベルが高いと思うけどな。……じゃあもし仮に、雪見さんが聖一に告白してきたらどうするつもりだい?」
「雪見が俺に告白か……」
賢太に提示されたもしもの話を、俺は脳内で想像してみる。
もし俺が、雪見に「好きです」と言われたら……
「そしたらまぁ、オーケーしちゃうかもな」
「なんだよ。聖一も結構雪見さんが好きなんじゃないか」
「そんなことは一言も言ってない」
会話を交えつつ食事を進めていると、雪見が俺たちのそばを通りかかった。
「あら、皆さん。おはようございます」
ぶっきらぼうに「おう」と返す俺に対して、賢太は凄く嬉しそうだった。
「おはよう、雪見さん。良かったら、一緒にどうかな?」
「是非、ご一緒させて下さい」
笑顔で頷いた雪見は……俺の右隣に腰掛けた。えっ、何でだよ?
賢太はお前のことが好きなんだぞ? だから勇気を出して食事に誘ったっていうのに、何でお前は俺の隣に座るんだよ?
てか朝あんなことがあったっていうのに、気まずくねーのかよ、こいつは?
色々思うところはあるけれど、どうやら気にしているのは俺だけのようで、雪見はあっけらかんとしていた。
賢太の方も同じテーブルで食事が出来ているだけで満足らしく、俺に対して微塵も嫉妬を向けてこない。
……なんか一人だけ気にしているのがバカらしくなってきた。もう、どうでも良いや。
黙々と食事を続ける俺を他所に、賢太と雪見は会話に花を咲かせている。
「昨日はよく眠れた?」
「はい。もうぐっすりでした。……目覚めは最悪でしたけど」
それに関しては、右に同じくだ。
「布団もふかふかで、寝心地良かったよね!」
「最高! ……と言いたいところですが、枕が硬かったことだけが残念でなりません」
そうか? 俺は寧ろ、枕が柔らかいように感じたが? それでいて、適度な温もりを持っていたような……いや、何でもない。
俺は雪見の胸部から目を逸らしつつ、二人の言う通り枕は硬かったのだと己に言い聞かせた。
◇
その日の昼。自由行動の時間に、俺は「用事がある」と言って賢太たちと別れた。
用事というのは、言うまでもなく今朝の件について雪見と話し合う為だ。
互いに連絡を取り合った末、俺と雪見は龍安寺で落ち合っていた。
「ねぇ、知ってる? この枯山水って、絶対に全部の石が見えないようになっているんですって」
「そうなのか? どう頑張っても全てを見渡せないとか、人生みたいだな」
「深いようで浅いセリフ、どうもありがとう」
軽く会話のジャブをした後で、俺たちは早速本題に入る。
俺が確認したところ、賢太たちは今朝方まで雪見が部屋にいたことは知らないようだった。
雪見が確認したところ、彼女が部屋から消えたことは同室の友人たちにバレていないらしい。
そして俺たちが普通に修学旅行を満喫している以上、先生たちにもこの件を認知していない。
「つまり俺たちが黙っていれば、この件をなかったことに出来るんじゃね?」
「そういうことになりますね」
話し合いの結果、今朝のことは互いに忘れようということになった。
「それじゃあ、俺は賢太たちのところに戻るわ」
「はい。また旅館で」
俺が立ち上がり、その場をあとにしようとしたところで、賢太からメッセージが届いた。
「……おいおい、マジかよ」
「どうかしましたか?」
「これ、見てくれ」
俺は賢太から送られてきたメッセージを、雪見に見せる。メッセージには、【今日の夜、旅館で雪見さんに告白する】と書かれていた。
「これって私に見せたらダメなやつじゃないんですか?」
「誰にも見せるなとは書かれていない。……とまぁ、この通り賢太は詰めの甘い男だが、悪い奴じゃない。それだけは、保証する。だから、親友をよろしく頼むよ」
「え? 嫌ですけど?」
「即答かよ……」
賢太よ、残念だったな。俺は親友の恋が終わったのだと判断した。
「返事ももう決まってるんで、玖我くんが代わりに伝えてきてくれませんか?」
「ふざけんな。断るなら、自分でしろよ。こういう大事なことを、人任せにするな」
「そうは言いますけどね、好きでもない人に告白されるのって、案外辛いものなんですよ。ましてやそれが友人だとしたら、特に」
恋愛感情はなくとも、友人としては大切だ。だから、面と向かって断りにくい。雪見の気持ちが、わからないでもない。
「因みに俺が断ったら、どうするつもりなんだ?」
「私と寝たことを公表します」
完全に脅迫じゃねーか。
◇
今朝の一件を他人に知られることだけは、なんとしても阻止しなければならない。俺は雪見の脅迫に屈し、今こうして彼女の代わりに賢太の呼び出しに応じている。
さて。俺がここにいる理由を、どうやって賢太に説明しようか?
「そこでたまたま雪見と会って、代わりにお前と会って欲しいと言われた」。そう言えば、遠回しに失恋したことを伝えられるだろうか?
賢太を待つこと10分ちょっと。自分から呼び出したくせに、遅刻して待ち合わせ場所に現れる。
賢太ではなく、雪見が。
「雪見……何でお前がここに?」
「告白する為ですよ。梶井くんから私にではなく、私から玖我くんにですけど」
雪見が俺に告白? つまり雪見は俺のことが好き?
その瞬間、この修学旅行で起こった謎が全て解明された。
賢太が雪見を好きである。そんな事実は、どこにもない。寧ろ賢太は雪見の俺への恋心を知っていて、彼女に協力していた。
今朝雪見を俺の布団に案内したのは、賢太だろう。知らぬ存ぜぬを決め込んでいた賢太だったが、お前が犯人なんじゃねーか。
そして極め付けはこの告白。
雪見の代わりに俺が呼び出しに応じて、賢太自身は雪見と入れ替わることで、俺と雪見が確実に二人きりになれるよう図ったというわけだ。
「……やってくれたな、賢太。それに雪見も」
「騙された方が悪いんですよ。……それで玖我くん、私はあなたのことが好きなわけですけど、付き合ってくれますよね?」
もし仮に雪見に告白されたら、俺はどうするのか? 今朝賢太との会話の中で、俺ははっきり「付き合う」と答えた。
そしてその答えは、恐らく賢太から雪見に伝わっていることだろう。
だから雪見は、あんな自信たっぷりな告白をしたのだ。
……やられた。自分の言葉に責任を持つならば、ここで雪見をフることなんて出来ないじゃないか。
「……明日の朝も俺の布団に潜り込んでいるとか、そういうのはなしだぞ?」
「わかっています。そういうのはもっと関係を深めた後に、同意の上でさせて貰います」
高校二年生、京都の修学旅行。この思い出は、どれだけ時が経っても忘れられないものになるだろう。
例えば雪見との結婚式の日に、絶対思い出す筈だ。
そんな未来を思い浮かべながら、俺は雪見の手を取るのだった。