表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。

ちょっと待って、殿下! その婚約破棄はまだ早い!

作者: 悠木 源基


 私、子爵令嬢であるアスタリア=ショートックは王宮の侍女である。

 しかも前国王の王子専属である。そしてそれに並行して、王子の婚約者である侯爵令嬢がお見えになった際のお世話を任されている。

 

 ところがこの侯爵令嬢が酷いのなんのって。よくもまあこんな躾のなっていない我儘娘を王子妃にしようと侯爵家も思ったもんだ。

 

 私は辺境の地に生まれ、物心ついた頃から兄弟や従兄弟達、そして他の辺境騎士の子供達に揉まれて遊び、男女、野猿だと揶揄されてきた。

 しかしそんな私が引くくらい、デイジー嬢の出来が悪い。

 

 どうして自分の立場も役割りも理解しない、こんな頭の悪い駒を送り込んできたのでしょう。確かに赤髪碧眼の美人だけど、いつも高位貴族らしくない派手な服装で悪目立ちしている。

 まあ、父親のアベール侯爵もあまり賢くない小悪党だけど。

 

 

 アルフレッド王子は、この侯爵令嬢との婚約を以前から破棄したがっている。そして学園を卒業をする前に、殿下は本気でそれをするつもりらしい。というのも普通学生時代に婚約すると卒業後にすぐ結婚することが多いからだ。

 しかしまあ、殿下は本気で彼女とは結婚したくないのだろう。そもそもこの婚約は伯母である女王陛下、いや従兄弟である王太子殿下によって無理矢理に結ばれたものだから。

 それにアルフレッド王子には密かに思う女性もいるみたいだし。

 

 そして卒業間近になった今朝、私が階段から突き飛ばされるのを目の当たりにして、アルフレッド王子の堪忍袋の緒が切れたらしい。

 

 しかし! 

 

 ちょっと待って! 

 私は殿下の婚約破棄宣言に待ったをかけた。

 

 だって、デイジー嬢と彼女の父親のアベール侯爵は小悪党。モブよりは目立つが、所詮はサブポジションなんだから。

 今は先にやっつけなければいけない相手がいる。婚約破棄なんて最後の締めにチャチャッとすませましょう。

 

 サスペンスの定番は、小物から次第に大物をやっつけてゆく。しかしこのテンプレに前世の私はむかついていたんだ。

 小物ばかり復讐して、結局最後の諸悪の根源を仕留められないあの展開は消化不良になるし、非常に苛立つ。

 

 まず、疑われないように、何らかの対策をされて逃げられないように、最大の悪玉を一番最初にやっつけなければいけない。いくらお話の展開を狭めようと。

 私は脚本家じゃないんだから!

 

 アルフレッド殿下!

 貴方の最大の敵は今貴方がもっとも信じ、頼ろうとしている人かしれませんよ?

 

 

 ✽ ✽ ✽ ✽ ✽ ✽

 

 

 私は、突き飛ばされて階段から落ち、情けないことに気を失ってしまった。そして学園の保健室で目を覚ました瞬間、前世の記憶を取り戻した。

 

 私はニホンという国の中堅商社に勤めていた普通の会社員だった。名前は実乃梨。

 セクハラやパワハラ、苛めに遭わないようにいつも社内の情報収集に励んでいた小心者だった。そしてなるべく空気になるように努めていた地味娘。

 

 そんな私の趣味は歴史書を読む事と遺跡巡りだった。所謂『歴女』と呼ばれるオタクだった。

 とはいえ、当時人気のあった戦国武将や刀や立派な石垣を持つお城にはあまり興味はなかった。

 

 私の好きな時代はアスカ時代なのだ。血縁関係の中で繰り返されるあのドロドロの争い……当時大人気だった隣国の時代劇と遜色はない。エド時代の大奥なんてお呼びじゃないね。

 所詮千年以上経っても人間関係、いや勢力争いは何にも変わらない。

 そう、全ての原点はアスカ時代にあり……だと思うわ。

 

 幼馴染みの理系の沙絵里ちゃんは歴史が嫌いだった。

 人間はどうせ過去の教訓から学ぶことはない。同じ過ちを繰り返す。

 だから態々歴史など学ぶ必要はないって断言していたっけ……

 

 アスカ時代もそうだった。アホなの?と思ったよ。自分が死ぬ時、息子をくれぐれも頼むと弟に言い残したって、その願いが叶うはずはないじゃない。自分だって裏切ったんだから。

 

 ヒデヨシもそうだったね。あいつは世論操作が上手かったから、自分をよく見せてたけど、結局ノブナガの息子じゃなくて自分が天下取ったじゃない。だからイエヤスにどんなに息子を頼むと願っても無駄だったのよ!

 力が強くて頭の良い奴が上に立つのよ。そしてその後で、下剋上が起こらないようにちゃんとした社会制度を作らないと、エド時代みたいに長くは続かない。

 

 しかしまあ、沙絵里ちゃんの言うことももっともだよね。うん。一理ある。

 人間って頭でわかってて馬鹿やっちゃう愚かで感情的な生き物なんだよね〜

 と私も思ったが、まあ、教訓はともかくヒューマンドラマと思えば面白いじゃない、と実乃梨だった頃の私は単純に考えていた。

 

 そんなドロドロ人間関係を高みの見物気分で楽しんでいたはずの呑気な私が、なんと、アスカ遺跡ツアーのバスに乗っている時に事故に巻き込まれ、あっけなく死んでしまった。

 

 そしてその後生まれ変わり、他人事だと思っていたそのドロドロの争いに、まさか自分が巻き込まれるとは夢にも思わなかった……

 

 

 ✽ ✽ ✽ ✽ ✽ ✽

 

 

 なんと私は妙な世界に生まれ変わっていた。ネット小説の中の異世界? 確かにそれに近いものだったけれど、なんか微妙に社会制度が違う世界だった。

 

 

 目を開けた時、心配そうに私を見下ろしていた学園の友人達は、確かに中世ヨーロッパ風の衣装を身に着けた西洋人だった。

 のっぺりした東洋人顔とは違い、みんな目鼻立ちがはっきりしていて凹凸があって、髪の毛や瞳の色合いがカラフルだ。

 

 その時ドドドーン!と前世の記憶が現在の私の頭の中に流れ込んできた。物凄い量の記憶や知識が……

 私は思わず激しい頭痛と吐き気を催した。

 

 

 

 この世界の私は脳筋の体力馬鹿少女だった。

 父のショートック子爵はグリーグバーグ辺境伯の重臣で、国内外にもその名を轟かせる辺境騎士団の団長。下位貴族ながら実力でその地位を得た強者だ。

 兄弟や従兄弟達も皆辺境伯騎士団のメンバーという環境で、私は物心ついた頃から男女関係なく鍛えられていた。

 

 その上、鍛錬に加えて淑女教育や一般教養まで学ばされた私は、男女差別だ、不公平だと絶えず喚いていたのだが、結局希少な白馬をやると物で釣られて、不承不承それに従った。まさに単純だった。

 しかし何故私だけがそんな理不尽な目にあっていたのか、十三の時にその理由がわかった。

 

 私は名目上侍女見習いとして、遠く離れた王都の王宮へ送られたのだ。

 しかし実際はアルフレッド王子の見習い護衛騎士であり、王宮だけでなく、学園にも学生として潜り込んで殿下をお守りする任務を命じられた。なるほど道理であれほど行儀作法を煩く言われたわけだと納得した。

 

 そう。有力辺境騎士団メンバーの子弟の中でアルフレッド王子と同じ年の子供が私だけだったせいで、私の運命は幼い頃に既に決定されていたのだ。

 

 しかし侍女や護衛ならあれほど厳しい一般教養やマナーなんか不要じゃない? と王都へ向かう道中でそう言ったら、私は二番目の兄に頭を小突かれた。

 馬鹿じゃ護衛も侍女も務まらないぞと。しかも殿下と同じクラスに入れなかったら意味がないだろうと……

 

 でもそれなら自分にこの任務は到底務まらない!とはっきり断ったのに、私は結局そのまま王宮へと強制連行されたのだった。

 

 しかしやる気がなかっただけで私って地頭は悪くなかったんだな。

 なんとか殿下と同じAクラスのまま間もなく無事卒業できそうだ。

 それに前世の記憶を取り戻した今、様々な記憶や知識が頭に蘇り、今まで私が王宮で五年間見てきた映像の状況がすぐに理解できた。うん。素晴らしい頭だ。

 つまり、アルフレッド王子の置かれている現状が非常に危険だということに即気付いたのだ!

 

 くそっ! 殿下は騙されている!

 すっかり相手の策略に嵌っている! このままじゃアリマノミコとおんなじ目にあってしまう!

 

 

 ✽ ✽  

 

 私が生まれ変わったこのヤーマント王国は、社会制度や王家と貴族の関係が他国とは微妙に違っていた。

 他国は完全な男系長子制度だがこの国は違ったのだ。

 

 そしてこの国は他国と比べるとかなり女性の社会的地位が高かったのだ。

 男女平等とまではいかないが、実力があればそれなりに認められるし、仕事の選択にも性別はあまりなかった。

 王女にも王位継承権がある。もっとも王子がいればそちらが優先されるが。

 

 現在の王はコーデリア女王だ。五年前に実弟が亡くなって王位に就いた。そして、その弟の前の国王は彼女の夫だった。

 どういうことかと言えば、彼女と亡夫は従兄妹同士だった。つまり祖父が国王であったために夫婦揃って王位継承権があった。それは男系長子制度ではないからだ。

 

 これって中世以前に多かった継承制度だが、血を絶やさない利点があると同時に、権力争いが起きる不安要素が多分にある制度だ。

 案の定この国もそうだった。

 

 女王の夫であった元国王はとにかく優秀で清廉潔白な人物であったらしい。

 しかし、当時勢力を増大させて王族を凌駕しつつあったソガール一族の陰謀によって、ジョゼフ国王は暗殺されてしまった。

 ところがそれはソガール侯爵の三日天下で終わった。ジョゼフ国王の長子ナルディン王子が近衛騎士フーリッド伯爵の協力を得て、そのクーデターの実行者の侯爵を切り殺したからである。

 

 ではその後はナルディン王子が王位を継いだのかと言えば、彼はまだ十五歳の成人前だった。それ故に、ジョゼフ国王の妻の弟で従兄弟のコーナン王子がその跡を継いだ。

 

 そしてそのコーナン国王と結婚していたのが、グリーンバーグ辺境伯のご令嬢オーデット様であり、その二人の間に生まれたのがアルフレッド王子だった。

 しかしそのコーナン国王も在位十二年ほどで病死してしまった。アルフレッド王子は先のナルディン王太子と同様未成年だったために、彼も王位に就くことはなかった。

 

 本来あの時アルフレッド王子が成人の十八歳になっていれば、その当時ナルディン王太子が持っていた王太子の称号はアルフレッド王子に移っていただろう。

 しかし、まだ未成年のうちに国王である父親が亡くなってしまったのだから、この場合は元々王太子であったナルディンが国王になるのが順当だった。

 

 そう、このナルディン王太子がさっさと国王にさえなってくれていれば、私はこんなお家騒動なんかに巻き込まれずにすんだのだ。

 あの辺境の地で、白馬のトモエと共に優雅に遠乗りを楽しんでいたのにぃ〜

 

 なんとナルディン王太子は母親のコーデリア王女を女王に据えて、自分は王太子のまま女王を補佐することを選んだのだ。

 この時王太子は二十七歳。しかも優秀だと誉高い父ジョゼフ国王よりも、さらに上を行く政治能力を持つと評判の切れ者だった。

 つまり清廉潔白の父とは違ってきちんと腹芸のできる人物だということだ。

 何せ十五の若さで父の敵のソガール一族のトップを殺したくらいなのだから。

 

 このクーデター未遂事件の頃はともかく、王太子は今では押しも押されもせぬ、人気も実力も兼ね備えた人物なのだ。

 だから彼に対して誰も何も文句も言わないのに、何故即位するのを拒んでいるか、それが皆不思議だった。

 そのせいで次期国王は誰になるのかと、貴族の中で派閥ができてしまったのだから、これって王太子の責任問題じゃないの?と私は言いたかった。

 

 現在この国ではナルディン王太子派と王太子の弟のオースティン王子派、そして彼らとは従兄弟にあたるアルフレッド王子派の三つの派閥ができあがっている。

 しかし実際のところ、アルフレッド王子が現女王の息子二人の対抗馬になんかなるはずがない。それでも他の二つの派閥から疎まれて嫌がらせを受けていた。

 そのためアルフレッド王子の母親のオーデット元王妃が、ご実家の辺境伯に助けを求めた。その結果、私が二番目の兄と共に殿下の護衛として王宮に派遣されたのである。

 

 

 私とアルフレッド王子の付き合いは既に五年だ。週末や休みの日などの学園に通わない日は主に兄が、そして学園に通う日は基本朝から晩まで私が殿下と一緒にいる。

 こうなると、既に嫁いでおられる姉君達や乳母よりも私が共にいる時間が多く、今ではツーカーの仲と言えるだろう。

 侍女兼、護衛兼、友人兼、相談役兼、同級生? 

 厳しい王族教育の賜物である殿下の鉄皮面も、私の前ではフニャッとした腑抜けの愛玩動物のソレになる。とにかく愛らしい。

 王城において四面楚歌の殿下が唯一甘えられる相手が私なのだろう。

 まあ、私は殿下を甘やかしているつもりはないが、弱音や多少の我儘は聞いている。どこかにはけ口がないと、却って危険だから……

 

 このアルフレッド王子は、ライバル二人と比べてもなんら遜色無い方だ。

 王家特有の金髪碧眼の美形で、その上頭脳明晰。

 しかし唯一性格が良すぎるのが欠点だ。素直に人の言うことを信じてしまい、人の裏を見ない。これでは簡単に人に騙されてしまうだろう。私がしっかりと殿下をお守りしなければ!

 

 今回私が階段から落ちたことも、アルフレッド王子はその他周りにいた生徒同様、自分の婚約者が嫉妬心から突き飛ばしたのだと思って憤慨しているらしい。

 私が階下へ落ちる瞬間、彼女が私の方へ手を伸ばしていたからだ。

 

 しかしあれは私を助けようとしてくれていたのであって、決して突き飛ばしたのではない。

 大体幼い頃から鍛えている私が、ご令嬢に突き飛ばされたくらいでバランスを崩すわけがないだろう。馬鹿にするな! 

 あれは目に見えない力に襲われたんだ。多分魔力を用いられたのだ。しかもあの場でそんな力を持っているのは一人だけだ!

 

 それに私はあの会話を聞いている。

 

『あの女は邪魔ね。アルフの側にデレデレと貼り付いて。だから邪魔者には消えてもらわなくちゃ」

 

 まさか私がアルフレッド王子にデレデレしていると思われていたとは! 私はデイジー嬢が狙われているのだと思って、今朝はデイジー嬢の身の安全を守ろうと近くにいたのだが、却ってそれが裏目に出てしまった。

 いつも彼女には迷惑を掛けられているとはいえ、今回は面倒なことに巻き込んでしまい、本当に申し訳ない気持ちで一杯だ。

 

 

 しかし王子付きのただの侍女の振りをしている私が、この病室でそれを発表するわけにもいかない。

 とは言え、見舞いに来てくれていた同級生達の会話を聞いていて、めまいと吐き気が増幅した。何なんだ、その解釈は!

 

 何故アルフレッド王子の婚約者であるデイジー嬢が私を階段から突き飛ばしたのかというと、殿下と私が仲が良過ぎてそれに嫉妬したからだという。

 いくら婚約者であるデイジー嬢が、私との距離を取って欲しいと懇願しても、殿下は私を離そうとはしなかった。そして自分には見せたことのない笑顔を振りまいている。

 そのことに彼女が嫉妬したというのだ。 

 

 はあ? って思った。

 前世の私は色素の薄い茶髪に薄い茶色の瞳、そして色白で、いかにもひ弱って感じだった。だからこそ苛められないように細心の注意を払って地味娘を装っていた。

 

 そして生まれ変わった今も、何故か不思議なことに前世と色素があまり変わらな無かった。

 薄い茶髪に薄い茶色の瞳に色白。ただしこの容姿はこちらの世界では一番ポピュラーで、努力などしなくても地味娘であり、隠れ護衛騎士としては最適だと自負している。

 そんな私にあの美人で派手なデイジー嬢が嫉妬するわけがあるまい。

 

 それなのに、デイジー嬢が悪役令嬢で私がヒロインという、前世のテンプレ設定のごり押しですか? 

 アルフレッド王子が私との身分の差を物ともせず真実の愛を貫くために、婚約者である侯爵令嬢デイジーを人前で婚約破棄するという展開を期待されているのですか?

 

 冗談じゃない。ふざけんな! 私が殿下の側にいるのは仕事だからだ。護衛の身分は隠しているが、私が王子付きの侍女だということはみんな知ってるでしょ! 真面目に仕事をしているプロを馬鹿にするな。

 

 腸が煮えくり返る思いだったが、ここはプロなので私はグッと感情を抑えた。

 ここで私が犯人がデイジー嬢ではないと訴えても、私が彼女を庇っている健気な女だと却って受け取られてしまう恐れがあるからだ。

 いずれ悪玉の頭を潰せばこのくだらない噂は消えるのだから、今は我慢だ。デイジー様、今すぐに助けられないことをお許し下さい。すみません。

 

 夕方迎えに来てくれた兄と共に一緒に馬車に乗り込んだ私は、今回の件について説明した後で私の見解を述べた。

 兄は驚愕の表情をした。そして何故そんな情報を知っているのかと問い詰められて、私は初めて自分のスキルを伝えた。

 

「何故それを今まで隠していたんだ!」

 

「敵を欺くにはまずは味方からと言うではないですか。無理矢理私を王都へ連行した時、そう言ったのは兄様でしたよね?」

 

「ぐっ!」

 

 兄は鼻白んだ。

 もっとも、本当はそんな深いことを考えていたわけじゃない。

 私は盗聴というスキル持ちだ。しかしそれは王都に出てきてから現れた。それ故身体検査では判明せず、誰にも知られることはなかったのだ。

 それに盗聴スキルだなんて、人のプライバシーを勝手に覗き見する能力のようで恥ずかしいし、軽蔑されそうで嫌だったのだ。

 

 しかしつい半日前に前世の記憶が蘇ったことで、実乃梨だった時の歴史オタク知識を得て、それをフルに活用した結果、五年間見聞きした事柄が一つの考えに纏まったのだ。

 それによって私は大局的に判断することができたのだ。

 まあそれを兄に理解してもらえるとは思わないので、私は今までは敵を欺くために能天気な振りをしていたことにした。

 

  

 ✽ ✽ 

 

 アルフレッド王子は私を見ると本当に涙を流さんばかりに喜んだ。そしてすぐに強制的に椅子に座らせ、私の体中を見回して怪我の状態を確認した。

 

「殿下、ご心配おかけして申し訳ありません。油断し無様な醜態をお見せしたことを恥じ入るばかりです」

 

「何を言う。誰が学園の大勢の生徒がいる前で令嬢があんな真似をすると思う?

 あんな嫉妬に狂った頭のおかしい者の行動なんかは防げはしない」

 

 ああ、やっぱり殿下は誤解している。デイジー嬢が犯人だと思っている。

 これは前世の電車内のちかんの冤罪と同じだ。必ずしも被害者の側にいる者が犯人とは限らない。しかしそれを証明するのは至難の業だ。案の定殿下もそれを疑いもしない。

 

「今度こそ僕はデイジー嬢との婚約を破棄する。君を殺そうとした彼女を許さない」

 

「デイジー様は今どうなさっているのですか?」

 

「王城の貴族用の牢に収容している」

 

「まさか乱暴な扱いはしていませんよね? ちゃんとご令嬢としての待遇をなさっていますよね?」

 

「もちろんだ。まだ取り調べもしていない容疑者に手荒な真似などはしていない。いくら忌々しい相手でも」

 

「忌々しい? 殿下、仮にも婚約者に対してあまりにも酷い物言いではありませんか?」

 

 私が眉間にしわを寄せたのを見て殿下は目を見開いた。

 

「どうしたんだ? 君だってデイジー嬢を嫌っていたではないか。彼女は王子妃には相応しくないと。彼女と結婚すればアベール侯爵が勢力を強め、社会に悪をもたらすと」

 

 

「私は別にあの方を嫌っていたわけじゃありませんよ。ただ呆れていただけです。彼女は王子妃というより、そもそもご令嬢としてなっていませんでしたからね。

 しかし彼女は父親の命令で殿下の婚約者になっただけで、彼女自身が無理矢理に王子妃になりたいとか、権力を握って好き放題したいとか思っているわけじゃないと思いますよ。もちろん殿下のことはお嫌いではないと思いますが」

 

「何故そう思うんだ?」

 

「彼女と私は同類だからですかね?」

 

「同類? 全く正反対だろう? 君は真面目で努力家で責任感が強い。その上優しくて思いやりがあって頭が良くて、完璧な淑女で、それでもって、美人でかわいくて……」

 

「・・・・・」

 

 えーと、それはどなたのことをおっしゃっているのでしょうかね。もし私のことなら意味不明ですが。

 

「殿下、誰のお話をなさっているのですか? もし今の評価が聖女様のことでしたら、それこそ勘違いをなさっていますよ。

 私は聖女様よりよっぽどデイジー様の方に好感を持っていますよ」

 

「聖女って、クリスティナのこと?」

 

 アルフレッド王子は怪訝そうに頭を傾げた。

 

 私と殿下の会話が噛み合わず、互いに頭の上にははてなマークが飛んでいた。すると、側にいた兄がわざとらしいため息をついた。

 

「ええと、殿下とアスタリアの認識には大分ズレがあるようなので、私が客観的な立場で話をさせてもらいます。

 まず殿下、妹が言うには妹を突き飛ばしたのはデイジー様ではないそうです。デイジー様が手を伸ばしていたのは、妹を助けようとして下さっていたからだそうです」

 

「えっ? それは本当なのか?」

 

「本当です。殿下、私がデイジー様のようなか弱い女性に押された程度でふらついたと本気で思われたのなら心外です。辺境騎士団一員としての尊厳を傷付けられた思いです。

 それにそもそも私がそんなにか弱い人間なら、あの高さから転げ落ちて気絶くらいで済んだはずがないでしょう。聖女様の思い通り死んでいましたね」

 

 殿下が衝撃を受けたようにのけ反った。それはそうだろうな、と私は思った。少し胸がチクッとしたが、私はそれを無視をした。私は殿下のただの護衛なのだから私情は挟んではいけない。

 

 聖女ことクリスティナ=ソガール様は殿下の幼馴染みで、おそらく初恋の相手だ。

 ピンク頭に黒い瞳のとにかくお人形のように愛らしい少女だ。小柄で細いウエストをしているのに豊満なバストをしていて、男どもを虜にする魔性の女性だ。

 

 二人は両思いだったが、彼女の父親が例のクーデターの主犯のソガール侯爵の一族だったために、彼女の方から身を引いたという。

 しかし、その後彼女に癒やしの力が出現して聖女と見なされた。それ故に身分的に二人の仲を妨げるものがなくなったのだが、時既に遅しでアルフレッド王子には婚約者がいた。

 そのために二人は結ばれない、悲劇のカップルだと王宮侍女やメイド達が喋っていた。

 だから昨日聖女クリスティナ様が父親のアーガイル=ソガール男爵と話をしているのを聞いた時、てっきりデイジー嬢を狙っていると思ったのだ。

 

 しかしまあ、今では単なる色恋沙汰ではないことがわかっているが。点と点、線と線が結ばれて……

 

「クリスティナが? 何故犯人が彼女だと思うんだ?」

 

「私が加えられた力は間違いなく強い魔力です。

 あの場であれほどの魔力を使えるのは聖女様だけです。癒やしの力も言い換えれば魔力の一種です。使い手によっては悪にも用いられます。それに、

 

『あの女は邪魔ね。アルフの側にデレデレと貼り付いて。だから邪魔者には消えてもらわなくちゃ』

 

 って聖女様が父親のソガール男爵と話をしているのを偶然聞いていました。ですからてっきりデイジー様を狙っているのかと、私は彼女に注意を払っていたのです。しかしまさか自分だったとは。油断しました」

 

「クリスティナが君の命を狙っただと。許さない……」

 

「私が側にいるせいで父親のソガール男爵が殿下に近付けないので邪魔に思っていたのでしょう。

 あの男はナルディン王太子やアベール侯爵の失策や悪業を殿下に吹聴していたのではありませんか? 

 きっと殿下が義憤に駆られて王太子殿下に反旗を翻すように仕向けたかったんだと思います」

 

「彼はやっぱりナル兄様の配下だったのか…」

 

「殿下はご存知だったのですか?」

 

「まあね。最初はあいつがナル兄様を悪く言うのは兄様のせいでソガール一族が衰退したのを恨みに思っているからだと思っていたんだ。

 彼はソガール一族といっても遠縁だったのに、伯爵から男爵にまで降格させられたからね。

 だけど、アベール侯爵まで陥れようとしているみたいだったから、これは恨みというより単なる自分の利権絡みだと思ったよ。

 彼は元々水運の利権を持っていたが、女王陛下は今アベール侯爵が利権を持つ陸路の方に力を注いでいるだろう?

 だから、僕が謀反を起こして失脚する筋書きを作り、それを成功させてナル兄様に恩を売るというか、後ろ盾になって欲しかったのだろう」

 

 私は正直面食らってしまった。あの素直で人を疑うことのなかったアルフレッド王子が、人の裏や思惑を見抜けるまでに成長されているとは思ってもいなかった。

 

「殿下がそこまでお考えになっているとは思っておりませんでした。私の心配など全くの杞憂でございましたね。誠に申し訳ございません」

 

「僕だってそれくらいわかるさ。近頃やたらクリスティナが僕に近寄ってくるから胡散臭いと思っていたし」

 

 殿下はとても嫌そうな顔で呟いたので、私は意外に思った。

 

「胡散臭いって、殿下と聖女様は幼馴染みで、想い合いながらも家格の違いで泣く泣くお別れになった仲なのでございましょう?」

 

「はあ??? なんだそれ。

 僕とクリスティナが幼馴染み? 単なる顔見知り程度だ。あいつの家が伯爵から男爵に落ちたのは僕達が生まれる前だぞ? 普通に付き合えるわけがないじゃないか。

 それなのにやたら高位貴族のお茶会に勝手に乱入してきて、僕に絡んできたんだ。

 あんな図々しくて計算高い女は大嫌いだ。癒やしの魔術があったとしても、あれは性根の腐った悪女だ。何故僕がアレを好きだなんて思ったんだ? アスタリア?」

 

 殿下は今まで自分に向けては一度も見せたことのない、冷淡で厳しい目で睨んだので、さすがに私も震え上がった。

 

「どうかご容赦願います。ええと、王宮周りで噂話を色々と聞いていまして」

 

「それはクリスティナが流したんだろうね。アスタリアは耳が良くて情報収集能力が高いけど、話の信憑性はちゃんと裏を取らないと駄目だよ。

 大体僕がナル兄様の愛人を好きになるわけないじゃないか。心外だ」

 

「殿下、ご存知だったのですか?」

 

「ってことはアスタリアはそれを知っていて、それでもなお僕が彼女を好きだと思っていたの?」

 

「聖女様は父親の命令で嫌嫌王太子殿下と付き合っているのかと思っていました。それを殿下が切なく感じておられるのかと……」

 

「よしてくれよ。オース兄様じゃあるまいし」

 

「殿下は、オースティン王子殿下の昔の恋人が、兄のナルディン王太子殿下に奪われたことも知っておられるのですか?」

 

「もちろん知ってるよ。あれは気の毒だったよね。彼女はクリスティナみたいな阿婆擦れじゃなくて、ほんの気の緩みだったんだからね。

 しかもそのたった一度の過ちで妊娠してしまうし……オース兄様は女性不信になって、お妃もらうの大分遅くなったもんね。今じゃ二男二女の子持ちになって幸せそうだからいいけれど」

 

「それではマーシャ王女様のことは……」

 

「マーシャ姉様? 姉様がどうしたの? まさか女好きのナル兄様でも実の妹には手を出さないよね?」

 

 いえ、そのまさかです。

 でもご安心下さい。決して近親相姦ではございません。公にはなってはいませんがマーシャ様は、コーデリア女王様と亡くなったジョゼフ元国王の間の王女ではありません。

 ジョゼフ国王の亡くなった兄上様の愛人がお産みになった子をお二人が不憫に思って実の娘としてお育てになられたのです。つまりナルディン王太子と妹のマーシャ王女は従兄妹です。

 これも女王陛下の独り言をついうっかり拾ってしまいました。盗聴スキルで……

 

 コーデリア女王は本当に優しい方で、マーシャ王女だけでなく、ナルディン王太子が無理矢理に関係を持ったせいでお生まれになった例の王女様も、祖母にあたる女王陛下が養女として育てております。

 ちなみにそのお二人の王子に愛された美貌のご令嬢は、現在修道院におられます。ご本人のご希望だったと伺っています。

 

 ナルディン王太子は英雄色を好むを地で行っていますね。おそらくそれがネックになって王太子は国王に就かないんですかね。

 でも、そろそろそあの方に覚悟を決めてもらいましょうかね。そうしないと派閥の争いがいつまでも終わりそうもないですからね。

 たかが一侍女のこの私ではありますが、色々と脅す材料は持っているんですよ。

 

「大丈夫ですよ。実の妹には手を出されていませんよ。その他は手当り次第みたいですが。

 それにしても、アルフレッド殿下がそんなに情報通とは存じませんで、大変無礼な発言をしてしまい申し訳ございませんでした。

 私はその……殿下を見くびっておりました。人の裏を見ない素直な方だと。だから…」

 

「だからこそ必死に僕を守ろうと思ってくれていたのかな? 

 でもね、もし僕がそんなただの能天気だったら、君が側に来てくれるまでの十三年間は、僕はどうやって生き延びてこられたと思うの? あの魑魅魍魎だらけの王宮でさ」

 

 そう言えばそうだと、今更ながら私は思った。そうか、殿下の愛らしさや人懐っこさは天然ではなくて演技だったのか。

 

「でも、君に見せてきた笑顔は本物だよ。僕が君だけに見せてきた意味は、さすがに鈍いアスタリアでもわかるよね?」

 

 私の心の中を読んだかのように殿下は私を熱い瞳で見つめてこう言った。さすがの 私もその意味を理解して、カーッと一気に顔が熱くなって思わず下を向いて頷いた。

 

 殿下に想い人がいることには薄々気付いていた。しかしその相手は噂を真に受けて聖女だと思っていた。

 あの聖女が色々と問題有りの女性だとはわかっていたが、恋は盲目。ちょっと悪い子の方に却って魅力を感じたりしているのかも……と。

 それを心の中で想うだけなら仕方のないことだと。

 

 そう。周りに必死に隠していた私の乙女心がどんなにチクチクしても、私だけはせめて殿下の想いを応援しようとそう思っていた。

 それなのに、殿下は聖女様のことを好きどころか大嫌いで、しかも私のことを、その……想っていて下さっていたとは。

  

 アルフレッド王子は私の前で片膝を突くと、優しく労るように私を抱きしめて下さった。

 そして私の髪の毛を手で弄んだ。

 思いもかけないことに私は頭がボーッとしてアルフレッド殿下の肩に顔を埋めた。

 

 兄がわざとらしい咳払いをしても、殿下は全くお構いなしだった。

 しかし、私の方は殿下が明日デイジー嬢との婚約破棄をすると言ったので、ハッと正気を取り戻した。

 

「殿下、婚約破棄はまだ早いです。

 女王陛下が決められた婚約を勝手に破棄したら懲罰ものですよ」

 

「構わないよ。王族籍を抜かれようが、どうせ元々臣下に下るつもりだったんだから」

 

「お父上の跡を継がれようとは思われないのですか? 殿下には王太子殿下と遜色ない統治能力がお有りになるのに」

 

「アスタリアにそう言われると嬉しいよ。でも、国がいつまでも派閥争いをするのは無駄だ。僕はさっさと降参するよ。まあ、アスタリアが王妃になりたいというのなら考えてもいいけれど」

 

「とんでもないです。私などが王妃になれるわけがありません」

 

 殿下は何を言い出すのだ。私が王妃になったら王室の権威ががた落ちになるわ。それに不平不満の嵐になって、それこそ国が崩壊するわ。

 

「アスタリアが王妃になればみんなも喜ぶと思うけど、君が嫌なら僕も国王にはならない。母上の故郷へ行くよ」

 

「そうおっしゃって頂くと助かります。殿下が優秀な方なのは間違いありませんが、現在の状況で即位されると我が国が一触即発の事態になり、馬鹿貴族達の思う壺になってしまいますから。

 ですからそのためにも婚約破棄はまだしないで下さいね。大物の敵を先にやっつけるまでは」

 

 私がこう懇願すると、殿下は渋々首肯してくれたのだった。

 それにしても、殿下の最大の敵を私は見過っていました。

 殿下にとってはあのアーガイル=ソガールも所詮アベール侯爵同様小悪党だったんですね。

 では本当の大物の所へお邪魔して、軽くジャブくらい食らわしてやりますかね? 今までいたぶられてきたお返しに……

 

  

 ✽ ✽ 

 

 

 翌日は週末で学園が休みだったので、殿下の護衛は兄に頼み、私はまず女王陛下に会いに行った。昨日のうちにアポを取っておいたのだ。

 

 そして私は女王陛下に、とある王家の秘密を告げ、ある提案をした。もちろんそれを信じてもらい、アルフレッド殿下だけでなく王家にもメリットがあることを理解してもらうためにプレゼンした。

 最初のうちは私を疑わしそうに睨んでいた女王も、私の説明を聞いていくうちに納得してくれた。

 最終的には陛下ご自身も疑念を抱いた事柄が解消されてスッキリしたと、とても感謝されて、私の提案を受け入れてくれた。

 

「アルフレッドは本当にそれでいいの?」

 

「もちろんでごさいます。我が主の望みはこの国の安泰ですから。そしてご自身は辺境の地においてこの国を隣国からの侵略から守りたいとおっしゃっています」

 

「そう。それは我が国にとってもとてもありがたい申し出ね。あの子はとても優秀だからきっと辺境の地をしっかりと守ってくれるでしょう。それに貴女というたくましい人が補助してくれることだしね」

 

 生前の私は三次元の人に恋することなく生を終えた。推しなら歴史上の人物の中にいたのだが。 

 だからアルフレッド王子は、生前を含めても私の初恋の人であり唯一の人だ。だから嘘偽りなくこう返答した。

 

「はい。この命を賭しても殿下を守り、支えていく所存です」

 と……

 

 

 女王陛下の了承を得た私は午後になってすぐさま、ナルディン王太子に面会を求めに行った。

 

「王太子殿下、この度私の主であるアルフレッド殿下が王族籍から離脱し、辺境伯の爵位を賜って臣下に下ることが、女王陛下によって命じられましたことをご報告しに参りました」

 

 私の言葉に王太子殿下は眉を顰めた。それはそうだろう。たかが一侍女に過ぎない私が報告に来たのだから。

 しかも、私との謁見は女王陛下の命令なのだから怪しむのが当然だ。

 

「何故それを貴様が私に報告しに来たんだ?」

 

「アルフレッド殿下を王族籍から抜くためには、私がナルディン王太子殿下に王位継承を受諾させることが必要だ、と陛下がおっしゃったからです。

 ですから私は王太子殿下にそれをお願いしに参りました」

 

 私がそう言うとナルディン王太子は鬼の形相をして、いきなり腰に下げた剣を抜いて私に振り下ろした。

 しかし私がスルリと避けたので、王太子は余計に苛立って、お付きの騎士に何か命令しようとした。そこで、私はすかさずこう言った。

 

「この謁見は女王陛下の命令ですよ。それにこの話は殿下にも悪くはないと思いますよ。

 何故ならこれは殿下が真実の愛を貫いても、何の問題もなく無事に王位に就けるご提案なのですから……」

 

「なに?」

 

 私が王太子殿下の護衛騎士二人に目をやると、殿下は彼らに退出を促した。騎士達はそれを良しとはしなかったが、私はニッコリと微笑んで言った。

 

「ご心配なさらずとも私は剣を帯刀していませんよ」

 

 そして王太子の執務室に二人きりになった私は、殿下とは距離を取りながらも、外に声が漏れるのを避けるために声を抑えて話をした。

 

「王太子殿下はアルフレッド殿下を一体どうなさりたいのですか? アルフレッド殿下が目障りなら単に王位継承権をなくして、あの方を王宮から追い出せばよろしいのではないですか?」

 

「何の落ち度もない王子にそれもできまい?」

 

「それではわざと処罰する理由を作るために、アルフレッド殿下にアルベール侯爵との縁談を勧めたり、聖女様を接近させたりしたわけですか?」

 

「まあ、そうだね。成功しなかったみたいだが……」

 

「アベール侯爵の一派もソガール一派と共に消すおつもりなのですか?」

 

「まさか。アルベール侯爵はソガール一派ほど頭が良くないから、勢力争いにはさほど影響がないから、彼だけを処罰するつもりだよ。

 それに聖女? あのクリスティナをアルフレッドに近づけたのは情報を得るためだったが、最初からそれほど期待はしていない。あの女にアルフレッドをたらし込めるとは思ってないよ。

 それにアーガイル=ソガールの策略に従兄弟殿が引っかかるとも端から思ってはいない」

 

「三つ巴で戦わせて、たとえ差し違えにはならずとも三者が深手を負えばいいとお考えになったのですか?

 そうなれば貴方様は一挙両得どころか三得になると?」

 

「あはは。まあ、そんなところかな」

 

「何故そんな面倒なことをなさるのです? 王太子殿下なら簡単にあの方々を成敗できるし、アルフレッド殿下を丸め込むなんてお手の物でしょうに」

 

「私はアルフレッドの能力は把握しているつもりだよ。彼を見下すような真似はしない」

 

「ありがとうございます。でもその能力を認めておられるのなら、それを飼い殺しにするより有効利用した方がよろしいのではないですか?

 あの方を辺境伯にして隣国からの盾になさった方が……」

 

「いや、盾どころか鋭い剣になってこの国に攻め入るかも知れない。そんな危険な賭けはするつもりはないね」

 

「それは私達辺境騎士団を信じてはいらっしゃらないということですか? そう受け取ってよろしいのですね?」

 

「そ、そんなことはない。辺境騎士団の忠誠を疑ったことなど一度もない!」

 

「それならばアルフレッド殿下が辺境伯と成られても心配することはありませんわ。他国とは違い、我々は国に忠誠を誓っている騎士団であり、もし万が一辺境伯が敵側に付こうが、それに従うことはありません。

 それに第一、王太子殿下は朋友であるフーリット侯爵閣下を信用なさっておられないのですか? 

 閣下がこの国の軍を率いておられる限り、たかが辺境騎士団の反逆を制することなど、赤子の手をひねるよりも容易でございましょう」

 

 フーリット侯爵とは騎士団長であり、十七年前ナルディン王太子と共に当時のジョゼフ国王を暗殺したソガール侯爵一派のクーデターを阻止した人物だ。

 義侠心に溢れ、忠誠心の強い男の中の男であり、騎士団だけでなく国民から愛される最強の騎士である。

 王太子とは真逆な人柄だったが、年が五つ上の彼は王太子にとって家臣であり、同士であり、もっとも頼れる兄貴分だった。

 

 王太子にとって唯一無二の人物を信用していないのか、と問われてそれを肯定するわけにはいかなかった。珍しく渋面を作った王太子は私に向かってこう言った。

 

「アルフレッドがトップに立つ辺境騎士団など、誇り高い我が国の騎士団の足元にも及ばぬのだから、恐れるに足らずだ。貴様の願いを叶えよう」

 

「ありがうございます。しかしながら、天に誓って謀反など決してございません」

 

 私がドレス姿のまま騎士として挨拶をすると、王太子は「はあー」と深いため息をつきながら、執務室の椅子の背に深くもたれた。

 

「それにしても今日日の若者は油断ならんな。人畜無害な振りをしながら鋭い牙を隠し持っているアルフレッドしかり、貴様しかり……

 そして身分など意にも介さず平気で男を手玉に取るクリスティナや、貴族令嬢でありながら何にも束縛されずに自由奔放なデイジー嬢と……」

 

「それは今も昔も変わらないと存じます。王太子殿下もたった十五の年にクーデターを阻止して、父上様の仇をお討ちになられたのですから。

 それに殿下が美しい花々を散らし始めたのは、ローティーンだったというではないですか」

 

 私が揶揄すると、王太子はばつの悪そうな顔をした後でこう小さく呟いた。

 

「それでも私が真に愛した女性はたった一人だ。忘れようと、忘れたいと思ったが無理だったんだ……」

 

 それは普通の人間なら絶対に聞き取れないほど小さな声だった。しかし、盗聴スキルを持つ私にははっきりと聞こえてきた。

 

「ナルディン王太子殿下! こちらの要望をお聞き入れ頂いたので、お約束通り、殿下の真実の愛が貫ける情報をお教えします。それに納得なさったらさっさと即位して下さると幸いに思います」

 

「何だそれは?」

 

「殿下の真実の愛のお相手は妹君のマーシャ王女殿下でございますね?

 初恋の相手であり、唯一の最愛の恋人でいらっしゃいますね?」

 

「なっ!」

 

 王太子が勢いよく立ち上がった。

 

「実の妹君との関係が公になった時のことを考えて王位に就かれなかったのですよね? いざという時は王位の座よりもマーシャ王女殿下を選ぶおつもりだったから。

 ですからいざという時、弟のオースティン殿下の王位継承の妨げにならない様にアルフレッド殿下の力を削いでおきたかったのでしょう?」

 

「それをどうして知っているのだ! 貴様の他に誰がそれを知っている? 今すぐ吐け!」

 

「また剣をこちらに向けないでくださいよ! 何故私が知っているのかと言えば、王太子殿下と王女殿下の唇を読んだ(嘘!本当は盗聴スキル)からです。

 それに安心して下さい。このことは女王陛下にしかお話ししていませんから…」

 

「陛下に話をしたのか……」

 

 ナルディン王太子が床に崩れ落ちたので、その姿は執務机で見えなくなった。

 

「陛下は泣いておられました。

 もっと早く二人が想い合っていることに気付いてやれていたら、こんなに長い間苦しませずにすんだのにと。良かれと思ったことが仇になったと」

 

「・・・・・」

 

「王太子殿下とマーシャ王女殿下は血の繋がったご兄妹ではございません。

 殿下の伯父上、つまりジョゼフ元国王陛下の早逝された兄上様の隠し子でございます。父君が亡くなられてから生まれたマーシャ様を不憫に思われて、王宮侍女のお産みになった王女殿下を、両陛下は実の子として発表されたのです。ちょうど女王陛下が早産で王女殿下を亡くされたばかりでしたので。

 ですから王太子殿下と王女殿下は何も疚しいことはないのですよ。昔も今もこれからも…」

 

 王太子殿下のすすり泣く声がした。私は静かに頭を下げると王太子殿下の執務室を後にした。

 

 

 ✽ ✽ ✽ ✽ ✽ ✽

 

 

 私が元聖女クリスティナに階段から突き落とされてから一年が経った。

 

 一年前、アルフレッド様は無事?に学園の卒業式でお決まりの婚約破棄と断罪をした。

 

 婚約破棄の理由は婚約者であったデイジー嬢の父親であるアベール侯爵が、陸路に関わる様々な不正をしたことが明るみになったからだ。

 道路工事の業者選定における談合や工事費用の水増し、業者からの賄賂、そして脱税・・・

 アベール侯爵は平民に落とされて投獄された。

 しかし娘であるデイジー嬢には何の落ち度もない。私を突き落としたとして調べを受けたが、それも被害者の私の証言で無実だと明らかになった。

 いやそれどころか、彼女が私を助けようとしたことがわかると、彼女の悪い噂は消え、父親のせいで婚約破棄されたこととも重なって同情が集まった。

 彼女も父親同様平民になったが、貴族令嬢という肩苦しい環境から自由になれたことをむしろ喜んでいた。彼女はおしゃれの天才だったので、美容関係の仕事に就きたいと言っていた。

 

 そしてデイジー嬢と正反対に皆から断罪されたのがもちろん聖女ことクリスティナであった。

 彼女は本来人を助けるために用いる癒やしの魔力を使って、私を階段から突き落としたことを断罪された。

 しかし彼女は決してそれを認めようとしなかった。自分がやった証拠がどこにあるのかと、自信満々だった。

 しかしアルフレッド王子は冷静にこう言った。

 

「確かに君が魔力を使った証明はできない。しかし、君が意図的に治癒魔法を行使せずにアスタリアを放置したことは証明できるよ。

 君はアスタリアが階段から落ちた時、大勢の学生の前で彼女を治癒する振りをしたな。しかし実際は治癒など一切しなかった。それは君がアスタリアに対して悪意があることを表しているよね。

 えっ? 治癒をした? だから彼女が目覚めたんだって?

 それは違うよ。だって君は気付いていなかったみたいだけど、アスタリアは後頭部や手足に怪我をしていたんだよ。それを見た証人はたくさんいる。

 君が彼女に本気で治癒魔法を使っていたら、そんな傷跡残っているはずはないよね」

 

 私の見舞いに来てくれていた友人達は殿下の指摘で初めてその矛盾に気付き、聖女に不信感を抱いたようだった。

 するとその直後、クリスティナに騙された、誘惑されたと次々にご令息やら近衛騎士やら、学園関係者が名乗り出て来て収拾がつかなくなった。

 

 そしてその後クリスティナは、父親のスパイとして多くの貴族や大商人のご子息達と関係を持って情報を入手していた、ということがナルディン王太子の影武者によって暴露された。

 寝物語で彼女は自慢げに自分の得た情報をその影武者に報告していたらしい。

 さすがに女性関係が派手な王太子も、政局絡みの女性とは関係を持たなかったようだ。

 

 さすが腹黒王太子。

 これくらいできないと国王にはなれませんよね。

 もちろん王太子はその場に便乗して、聖女の父親のソガール男爵を断罪した。

 王族に対して一族総出で謀反を企んだことをつまびらかにして糾弾したのだ。

 この後、関与していたソガール一族は公開処刑され、今度こそ完膚なきまでに一掃された。

 十七年前に敬愛する父親を暗殺された王太子殿下の報復は、ここでようやく終焉を迎えたのだ。

 ちなみにクリスティナは懲罰刑務所へ送られ、そこの犯罪労働者に対する治癒を命じられた。癒やしの魔力を無駄にしないために。

 

 前世の時代だと、ようやく王位継承したテンヂテンノウは、父親の復讐を手伝ってくれた一族を取り立て、彼らの娘達を娶ったせいで、彼らに力をつけさせたあげくに王族の力を衰退させてしまった。

 

 しかしナルディン殿下はフーリット侯爵に感謝して、その仕事振りを評価はしたが、彼の娘を娶ったりはしないだろう。彼はマーシャ王女だけを愛しているから。それに、子息達の実力を度外視した取り立てはしないだろう。

 

 

 婚約破棄をしてまもなく、アルフレッド王子は王族籍を抜けて辺境伯の爵位を賜って臣下に下った。そして、母君の実家であるゲリーンバーク家の後継者となった。

 そして元々の後継者予定だった従兄弟には、新たに伯爵家としての領地が授けられた。

 

 その断罪劇から半年後、ナルディン王太子はマーシャ王女との婚約発表と同時に新国王として即位された。

 十八年にも及ぶ二人の純愛に、国民は酷く歓喜して盛り上がった。彼らは三十歳を過ぎても互いに独身を貫いたのだから。

 もっとも王太子の女性遍歴を知る者や、被害を受けた弟や貴族達は複雑な思いだったろうが……

 

 そんな騒ぎの中、私と辺境伯になったアルフレッド様も密かに婚約した。

 

 私達は婚約後すぐに辺境地へ向かおうとしたのだが、暫くの間王宮に留まることになってしまった。

 新国王の継承に関わる諸々の業務を手伝って欲しいと、新国王から直々に依頼されてしまったからだ。

 

 しかも今まで色々迷惑をかけたお詫びだと、半年後の陛下達の結婚式と私達の結婚式を合同で挙げようと提案されて、アルフレッド様と私は絶句した。

 国王と王女が何故辺境伯と子爵令嬢と共に結婚式を挙げるのか、全く意味不明であった。

 ただ国王陛下はニッコリと笑ってこう言ったのだ。

 

「王族や貴族達が、我々の結婚式のために王都と辺境の地を行ったり来たりするのは無駄であろう?」

 

 いやいや、確かにそうでしょうが、何も合同でやらなくても……

 どうやら国王陛下は、長年の想い人であるマーシャ王女殿下と結ばれることができたのが私のおかげだと思っていらっしゃるようだ。

 

 それにご自分が長いこと即位しなかったことでアルフレッド様にも迷惑をかけたと、それをずいぶんと申し訳なく思われているようだった。

 

 だから、アルフレッド様が王族でなくなって辺境伯になっても、王族とは深い信頼関係にあることを内外に示したいらしい。

 しかし、何もそれが合同結婚式でなくても……と私達は思ったのだが、私達の意見が聞き入れられることはなく、婚約から半年後にそれは強制執行されたのだった。

 

 ✽ ✽ ✽

 

 辺境の地へ向かう馬車の中で、さすがの体力馬鹿な私も疲れ果てて、夫になったアルフレッド様に寄り掛かっていた。

 

 実は王宮から出発する際に一悶着があったのだ。

 一緒に辺境の地へ帰る筈だった元王妃でアルフレッド様のお母上であるオーデット様が、突然王宮に残ると言い出したのだ。

 

「私が王宮に残って人質になれば、アルフレッドの忠誠も周りに疑われずに済むでしょう?」

 

 と。

 これには前女王陛下も現国王のナルディン陛下も大慌てで否定した。

 自分達はアルフレッドを一ミリたりとも疑ってはいない。むしろ彼ほどの忠臣はいないと。

 

 しかし、頑として彼女は誰の言うことも聞かず、結局彼女を王宮に置いてくるしかなかった。

 元々辺境の地の令嬢である姑を人質として王城に残して、本来彼女の家臣である嫁の私が帰省したら周りにどう思われるか……

 私は目の前が真っ暗だった。

 それはアルフレッド様も同じはずなのに、夫となった彼は私と違って妙に元気で嬉しそうだ。それに何故かとても感激している。

 ん? 何かブツブツ呟いていらっしゃるぞ。

 

「アスアが僕に寄り掛かってくれてるぞ。僕を頼ってくれるのなんて初めてだ。嬉しい」

 

 ああ。そういえばそうかもしれませんね。私はいつもアルフレッド様をお守りしないとと気を張っていましたからね。

 でも私の愛称はアスアなんですね。初めてお聞きしました。嬉しいけれど恥ずかしいです。

 

「母上もやるな。一年くらいで人質をやめて帰るから、それまで二人でイチャイチャしろだなんて。でもありがとうございます。気遣い感謝します」

 

 エーッ! そういうことだったんですか?

 

「ナン兄様、いや国王陛下にも言われちゃった。アスアを絶対に幸せにしろ。嘘をついて浮気なんかしたらこの国も終わりだぞって。大袈裟だな。

 でも、僕がアスアに嘘なんかつくはずないじゃないか。僕の愛は陛下になんか負けない。一生アスアだけを愛するに決まっているじゃないか!」

 

 ウウッ! 嬉しいし幸せですが、アルフレッド様の愛が重いです。

 それにしてもこの国の王族の方の愛情の深さは遺伝でしょうか……

 

 どうか、今後は王族の暗殺とか誰にも考えないでもらいたいです。そんなことをされたらきっと、地の果てまで追いかけて復讐をしそうですから。

 まあ、私だってアルフレッド様が狙われたら、それこそ地獄の底まで追いかけてやっつけてやりますけどね!


 ナルディン国王は即位した後、弟のオースティン王子を王太子にし、王位継承争いが起きないように、継承権は直系にするように定めた。ただし、男子直系ではなかったが……


 読んで下さってありがとうございました!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 王位継承権の問題に婚約破棄も絡む事件であるにもかかわらず、前世の知識も活かしたアスタリアの言動が最善なので、読んでいると安心感を覚える面白い発想の作品でした。 ナルディンの言動に振り回され…
[良い点] 飛鳥時代、私も好きです。 [気になる点] 家系図が欲しい。 [一言] あの時代、里中満智子さんの『天上の虹』とか参考になりますよね。
[良い点] 元ネタというか参照元が渋いところで面白かったです。有馬にならなくてなにより…!
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ