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レベル5:憧れのお菓子

「妹よ、お菓子作りの本を持っていなかったか?」


 外は雲ひとつ無い快晴の土曜日。そんな日はとても気分が良い。人間、結構簡単に出来ているなと思う。そんなことを考えながら、私は自室にこもって学校の宿題をやっていた。

 すると、いつも通りジャージ姿の兄貴が、ノックもせずに私の部屋の戸を開け、辺りを見回しながら言った。私の気分が一気に快晴から、今にも雨が降り出しそうな、いや、雷が鳴りそうな天気に変わってしまったのは言うまでもない。


「そこの本棚にあるけど……。なにすんの?」

「お菓子を作るに決まっているじゃないか」


 そんなの分かっている。けれど、池でエサを求めるコイのように私は目を見開いて口をぱくぱくさせた。

 今の私の気持ちを分かり易く表現するのであれば、海外映画の銃撃戦のシーンが今本当に目の前で行われているような感じだ。そのくらいの恐怖と衝撃なのだ。


「そもそも、お菓子作りの本でバイクを直す奴があるか?」


 いや、まあ、そうですけどね。そんな超人がいたら、今頃ノーベル賞を受賞して有名人になっているに違いない。というか、なんでバイクが出てきたんだ?

 って、私が言いたいのはそういうことではなくてだ。普段、料理をしない兄貴がどうしてお菓子を?


「おお、これだな。借りていくぞ」

「え、あ、うん」


 私が問うより先に、勝手に本棚をあさって目的の物を見つけた兄貴は、楽しそうに鼻歌なんか歌いながら私の部屋から出て行った。

 今更だが、部屋に入る時ぐらいノックしてほしいもんだ。私にもプライバシーってのがあるんだぞ?

 宿題をするのを休めていた手を忙しく動かして、私はなるべく兄貴の行動を気にしないように勤めた。その方が良いと長年の経験が言っているからさ。


「妹よ、物凄く綺麗なバケツはないか?」


 英語の長文問題を三問くらい解いたか、そのくらいの時間が経って兄貴はまた私の部屋の戸をいきなり開けた。

 やっぱりノックはしない。まあ、言ったところでどうせ変わらないのだろうから、いちいち指摘はしないのだけれど。


「綺麗なバケツ? あるわけないでしょ。バケツは汚れてナンボだし」

「そうだよな。買ってくるしかないか……」


 というか、お菓子を作るんじゃ無かったのか? なんでバケツなんか欲しいんだ? バケツを使ったお菓子なんて聞いたことないんだけど。

 聞くべきか聞かないべきか……。私は宿題の進行状態をみながら考えた。ここで兄貴のカオスに引きずり込まれてしまったら、宿題が今日中に終わらなくなるな……。ここはスルーでいこう。


「近くの百均で買えば? バイクで五分じゃん」

「そうだな。ついでにお菓子作りの材料も買ってこよう」

「寝癖直さないなら、帽子かぶって行きなね」


 了解した、と飛び跳ねた髪の毛をクシャクシャと掴みながら言って、兄貴は部屋を出て行く。

 やっぱり、お菓子を作るらしい。しかも、何故だかバケツで。全くもって意味が分からない。いや、理解したら負けなのかもしれない。

 よし、考え込むな。宿題に集中しよう。数学の問題集も残っているしな。


 忙しく辞書をめくっているうちに、小一時間が経過した。兄貴が帰宅したのか、台所の方が騒がしい。

 気になるけれど、兄貴だってガキじゃないんだから、生卵をレンジにかけて爆発させるようなバカなことはないだろう。ほっておこう。どうせ、いつもの思いつきだし途中で飽きて止めるだろうさ。

 そんなことを考えながらため息をついて、トイレに行こうと席を立つ。しかし、私がドアノブに手をかけた瞬間、勢いよくドアが開いた。



「なぁ、冷蔵庫なん……ダッ!」

「ガッ!」


 何も考えずに部屋に入ってきた兄貴と正面衝突。私は兄貴の鍛えてもいないのに無駄に厚い胸板に、頭から突っ込んでしまった。何ヶ国語か忘れてしまうかと思うほどの痛みに、私は声なき声を出しながらのた打ち回る。

 無防備に頭突きを食らってしまった兄貴はというと、胸を押さえてその場にしゃがみ見込む。こちらもかなり痛かったようで、息を詰まらせて苦痛に顔を歪めていた。


「……今度からノックして下さい」

「すまん、そうする」


 お互い痛みがひいてきたところで、私は文句を一つ言ってやった。さすがにここは言っても良いだろう。

 兄貴が快く承知してくれたのは、さっきの痛みが相当だったことを十分に物語っている。


「で、何? なんか用事でしょ?」

「あぁ、忘れてしまうところだった」


 兄貴はパチンと指を一つ鳴らして“危なかった”というような目で私に言った。

 聞かない方が良かったのかもしれない、と後悔してももう遅いのだろうなぁ……。


「冷蔵庫を空けていいか? 野菜室が良いんだが」

「空っぽにしたいの? 中身をちゃんと閉まっておいてくれるならいいけど」


 バケツの次は冷蔵庫か。本当に何がしたいんだ? 一度でも行動が先読みしたいもんだよ。取りあえず、中身は上に入れておいてくれと言って私はトイレに向かう。兄貴はやっぱり楽しそうに台所に戻って行った。

 夕飯を作る時間には終わっているといいのだけど。というか、爆発とかさせないよね?

 用をたし、部屋に戻って宿題をやっていても、台所で物音がするたびに心配事がどんどん増えていく。痺れを切らせて一度見に行ったが、兄貴に締め出されて台所には入れなかった。結局、何をしているのか分からない。 

 

 そんなこんなで、私は山積みであった数学の宿題を見事に消化し、夕食の支度をしようと台所に向かった。

 いや、向かう途中で台所に行く必要がなくなってしまったのだが……。


「あ、もしもし。コーンピザとシーフードピザお願いします。あとコーラとジンジャエール」


 軽い調子の兄貴の声。明らかに電話でピザを注文している。私の不安は鰻登りに向上した。

 台所に入って欲しくないのか? そういうことだよな!? もしかして見るも無残な状況に……?

 私はこっそり兄貴の横を通り抜けて台所に侵入することにした。兄貴はお風呂に向かったみたいだ。


 台所は特に変わったところは無かった。使われたと思われる道具はきちんと洗われていたし、特に怪しいモノもない。

 一体、何をしていたんだろう? バケツはどうしたんだ? 何処にも見あたらない。

 あまりにもいつもと変わらない台所がむしろ気持ち悪くて、私は急いで不振な点を探した。そういえば、冷蔵庫がどうのって言っていたっけ。もやもやと思い出して、私は冷蔵庫の前にしゃが見込んだ。そして、そっと野菜室を開けようと手をかける。


「妹よ、俺は思うのだ」


 不意に後ろから兄貴の声がした。私は心臓を口から吐き出しそうなくらい驚いて振り返る。兄貴は腕を組んで私の後ろに立っていた。

 全く気がつかなかったが、かなりの近さだ。兄貴は忍者か?


「お菓子のお家を夢見たこと無いか?」

「お菓子のお家?」


 台所に侵入したことを怒るかと思ったが、そういうふうでもなくいつもの調子で兄貴は語りだした。ちょこっといつもよりウキウキした感じに見えるけど、気のせいかな?

 私は開けようと思っていた冷蔵庫から手を離して、のろのろと立ち上がり兄貴の方に向き直った。


「俺もお菓子のお家に憧れたことがある。いや、今でも憧れだ」

「へ、へえ」


 それは初耳だ。確かに甘いものが好きなのは知っているけど、洋菓子を好んで食べているのは見たことが無いしね。

 兄貴の好物は“栗ようかん”と“すあま”、バリバリの和菓子だ。これに日本茶が最高らしい。


「大きなお菓子とはロマンだと思わないか?」

「うーん、私は甘いもの苦手だしなあ」

「そこで俺は考えたのだ」


 って、私の話を聞く気が無いなら話を振るなよ……。相変わらず、私の返事を無視して兄貴は勝手に語っている。

 もう慣れっこだけど、懲りずに返事をする自分は学習能力が無いのかと疑問に思う次第だ。


「お家は作れなくとも、大きなお菓子は作れるだろう」

「ああ、そうだよね」


 つまり、兄貴は大きなお菓子を作っていたのか。てか、本当にお菓子を作っていたんだな。確かにお菓子のお家は魅力的だし、一度は作ってみたいって思った人が結構いると思う。

 私も大きなお菓子には興味あるけど、それが兄貴の計画ならまた違う興味が沸いてしまう。


「そう、俺は作ったのだ。さあ、冷蔵庫を開けてみろ!」

「え、あ、はい」


 兄貴の勢いの良い声に押されて、私は一度開けるのを止めてしまった冷蔵庫にまた手をかけた。

 恐る恐る少しだけ開けてみるとなんともいえない甘い香りがする。まあ、お菓子らしいから当たり前か。


「そっと開けろよ? 変形するから」


 思い切って勢いよく開けようと思った私は驚いて冷蔵庫から手を離した。そういう注意時事項は先に言って欲しいっつーの。

 一つため息をつき、気を取り直して冷蔵庫を開いた。甘い臭いが台所中に立ち込める。野菜室の真ん中には、我がもの顔で大きな青いバケツが居座っていた。中に何か入っている。


「何? プリン?」


 私が冷蔵庫を開けた振動で、そいつはプルプルと震えている。どう見てもプリンだ。黄色いし、甘い香りがするし。

 おかしな点を上げるとしたら、兄貴が言っていた様に相当デカイこと。バケツ一杯分あるんだ。


「これ、作ったの?」

「ああ、初めてプリンなんて作ったよ。まだ固まっていないから食べるのは明日な」


 ちょうど兄貴がそう言った時、玄関のチャイムが鳴り響いた。こんな時間に? と思ったが、多分さっき注文したピザが届いたんだろう。

 兄貴は財布を持って玄関にかけて行った。私は大きなプリンになるであろう、その塊を見ながら小さく微笑む。

 兄貴にも可愛いところがあるんだな。こんなものの為に一生懸命、普段やらないお菓子作りをするんだから、結構子どもだ。


「おい、何してんだ? 夕飯にしよう」

「はいはい、今行きますよ」


 私は食器棚から皿を二枚取り出して、ピザを食べにリビングに向かった。早くしないと大好きなコーンピザが無くなってしまうからね。


 ――翌朝


 朝早くからリビングが騒がしい。起こされなければ、いいともの時間まで眠っている兄貴が今日はどうも起きているようだ。

 私は気だるい体を起こして洗面所に向かった。顔を洗って、くしゃくしゃの髪の毛を軽くとかす。

 そして、パジャマを着替えることなく、そのまま外へ朝刊を取りに行った。早起きな老人たちは、すでに立ち話をしている。ほうきを片手に玄関付近を掃除している者もあった。みんな、いつも通りだ。私は軽く挨拶をして部屋に戻る。

 私が朝刊を脇に挟んでリビングに向かうと、兄貴は相変わらず寝癖も直さずにジャージ姿でそわそわと落ち着かない様子だった。机の上には青いバケツが堂々と誇らしげに乗っている。無論、例のアレだ。


「起きたか。おはよう、俺も今起きたんだ」

「嘘つけ、三十分以上も前から起きてバタバタしてたろ。まあ、おはよ。プリンは固まった?」


 バレてしまったか、っと兄貴は笑いながら私の肩をポンポンと叩き、私をバケツの前に誘導した。

 バケツを覗き込むとプリンらしき物が綺麗に収まっている。表面はちょっとだけ気泡が目立っているようだが、雰囲気は完全にプリンだ。


「なんか、出来てるっぽいね」

「うむ、あとは味だな」


 プリンを軽く指で突いてみたが、やっぱり普通のプリンと変わらず弾力のある感触の良いものだ。

 コレは期待できそうじゃないか? 普段は朝はヨーグルトと決めているけど、今日くらいはプリンでもいいかも知れない。


「よし、食べてみようではないか」


 兄貴は私の目の前にデザート用のスプーンをグッと差し出した。私は脇に挟んでいた朝刊をソファーに投げて、スプーンを受ける。兄貴は私が受け取ったのを見ると、すぐにバケツの中のプリンにスプーンをかざした。私は驚いて声を上げる。


「え? そのまま食べんの?」

「食べないのか?」

「中身出さないの?」


 私はてっきり、ぷっちんプリンみたいに中身を出して食べると思っていた。

 プリンと言えば、ぷっちんじゃないか? いや、ぷっちんが無かったらプリンと認めたくない! そうだ、ぷっちんだ!


「お前頭良いな! プリンだもんな、中身出した方が雰囲気出るか。ちょっとパーティ用の大皿持って来るわ」


 なるほど、っと感心しながら兄貴は台所に大皿を取りに行った。そうか、大きさから考えて普通の皿じゃ無理だもんな。

 兄貴は大皿を持って意気揚々と鼻歌なんか歌いながら帰ってきた。なんだか私も楽しくなってきて、つられて鼻歌を歌いだす。


「よーし、出すぞ」

「綺麗に出してね」


 腕をまくって気合を入れ、兄貴はバケツを持ち上げた。バケツ自体が大きいし中身もマックスに入っているから重さはかなりのものだろう。きっと私には持ち上げるのが精一杯でひっくり返すことなんて、到底出来ない。

 兄貴は最新の注意を払いながら、大皿にそっとバケツをひっくり返す。そして期待に輝く瞳でバケツを上に引き上げた。


「おお?」

「凄い! 特大プリンじゃん!」


 取り払われたバケツから、つやつやした美肌を見せるプリン。頭にはキャラメルソースをまとっていて、そりゃあもう美人である。

 フルフルとはかなげに震えるプリンは、いつぞやのCMを思い出す。なんのCMかは忘れてしまったが、子犬が涙目でおじさんを見つめている奴だった。

 その小刻みに震える子犬を見て、飼おうかかどうしようか悩むおじさんの気持ちが今なら分かりそうだ。


「では、食べようではないか」


 気を取り直して兄貴はプリンにスプーンを向けた。ちょうど、そのスプーンがプリンに当たるか当たらないかの瞬間、私の目の前にはまさかの光景が広がった。


「デ、デストロイ」

「まさか」


 なんとプリンがグチャっと気持ちの悪い音を立てて変形したのだ。真ん中辺りから無残に潰れた、と言った方がいいかもしれない。大皿から崩れたプリンは零れ落ち、まさに大震災後の町の姿のような状況だ。

 普通に考えればバケツ一杯分もあったんだから、プリンが自身で形を保てなくなるのは当たり前である。 自分の言ったことのせいでプリンが大惨事になり、私は微妙な気持ちで兄貴を見た。


「三秒ルールだ! 早くこぼれたプリンを食え!」

「え、そこかよ!」


 大急ぎでこぼれたプリンをスプーンですくう兄貴に突っ込みをいれ、結局私もこぼれたプリンを食べ始めた。

 味はどんなものかと心配したが、意外に普通のプリンだった。程よい甘さだし、硬すぎる感じもない。案外、私なんかより兄貴の方が料理上手いのかもしれないなぁ……。


「味は悪くないけど、見た目が酷いことになったね」

「ああ、だが俺はもっと怖いことに気がついたぞ」


 こぼれたプリンを急いで食べ終えて、真ん中が陥没し原型を留めていないプリンを見ながら兄貴は言った。

 どうもさっきまで喜んでいた兄貴とは様子が違う。私は何を言い出すのか心配になってきた。


「中身を全部出したのは失敗だったかもしれない」

「ご、ごめん」


 それは見て分かっている。こんなふうに崩れてしまったのは、予想外だったわけで。

 私が肩をすくめると兄貴はそういうことじゃなくて、っと首を振った。どういうことだ?


「確かに崩れたこともあるが、出したってことはもうバケツには戻せないよな」

「え? そうだけど」

「このプリンな、十一リットルあるんだ」



――このプリンが無くなるまでの三日間、私たちはプリンを食べ続けた。

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