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レベル4:身内言葉

「兄貴、凄い犬見た! 超でかいの」


 私は二階のベランダで洗濯物を干している兄貴に向かって、階段下から大声で叫んだ。

 兄貴は空になった洗濯籠を持って、眠そうな顔で階段を降りてくる。もう昼近いというのにまだ眠いのか。

 

 小一時間前のことだ。私は昼食の材料を買いに近所のスーパーまで、三分クッキングのテーマソングを鼻歌混じりに歌いながら歩いていた。

 すると、前方から大きな犬を連れたお婆さんが歩いて来たのだ。その犬の大きさといったら、軽くスクーターくらいあったように思われる。

 実際はそんなになかったのだろうけど……。


「ほぉ、犬種はなんだ?」

「犬種?」


 兄貴が片付けろと言う様に押し付けてくる洗濯籠を手で払いのけながら、私は首をかしげた。

 犬種までは分からない。そもそも私は犬なんて、チワワとプードルくらいしか知らん。柴犬と秋田犬と土佐犬は何が違うんだ? 区別の仕方を教えてもらいたいくらいだ。


「分かんない。でも連れてた婆ちゃんが乗れそうなくらいでかかった。あ、あと毛が“もさもさ”してたな」


 そう、毛足が長かった。顔なんて埋もれて見えなかったしな。きっと、家の中を転げまわったらモップがけになるだろう。

 ぜひとも彼には年末に学校で全部の教室にワックスがけをしていただきたいものだ。

 給料は高級ドックフードだ。いや、待てよ? そもそも高級ドックフードっていくらするんだ?


「そうか……」


 私は無理やり材料を押し込んだ買い物袋を台所に運びながら、うわ言のように返事をする兄貴を伺った。

 籠を持ったままで何を考えているのか、兄貴はぶつぶつと独り言をつぶやいている。


「妹よ、俺は思うのだ」


 私が買ってきた材料で昼食を作り始めた頃、兄貴は洗濯籠を片付けて台所に入ってくるなり、そう言った。

 特に手伝うわけでもないのに台所に入ってくるのは非常に邪魔なのだが、口にされた合言葉によって私は追い出す気力を失う。


「何を?」

「“何を”と言われると困るな」


 それはそれは、悲しげな視線を送る兄貴。

 よくは分からないが、どうやら兄貴の欲しい言葉ではなかったらしい。私は少し考えてから、もう一度返事をした。


「どうしたの?」

「うむ、そっちの方がいいな。つまりだな……」


 返事にはたいした差がないように思われるが、それはおいておくことにする。

 むしろ私が突っ込みたいのは、『つまり』の方だ。まだ何も言っていないのにいきなりまとめから入るのかよ。

 だが、これを指摘すると、笑っていいともが始まる時間にお昼が食べられなくなりそうだから、喉まで出掛かった激しい突っ込みの言葉を必死で飲み込んだ。


「さっき、お前言ったよな? “もさもさ”って」

「え? あぁ、言ったね。犬の話で」

「“もさもさ”ってどんなだ?」


 兄貴は腕を組んで、如何にも凄いことを言ったかのように私の反応を見ている。

 あの毛足の長い犬は“フワフワ”とか“フカフカ”って感じではなかった。なんというか、例えるのなら“もさもさ”していたんだ。


「どんなって……。なんていうのかな? 艶とか無いから綺麗な感じではないけど、毛が長いから」


 そこまで言って私は黙った。なんて表現したらいいのか分からない。感覚的には理解しているのだが、適した言葉が見つからない。


「それだ。感覚で理解してしまっていて説明できない擬音ってあるよな」

「ああ、まさに今の私ね」


 兄貴が『その通り!』っと、私を指差して言う。

 私は会話に夢中にならないように、昼食に食べる野菜を切り始めた。


「それでだな、考えてみたんだ」


 切り刻んだ野菜を中華なべに放り込む。今日は私の大好きな焼きそばだ。

 香ばしいソースの香りが食欲を掻き立てると思わない?


「“ふこふこ”ってどうだろう?」

「は?」


 私は袋から出したばかりの焼きそばの面を危うく落としそうになりながら、兄貴の顔をみた。兄貴の顔は真剣そのものだ。

 いや、いきなり“ふこふこ”とか意味の分からないこと言われても困るんですけど。そもそも“ふこふこ”ってなんだよ。初めて聞いたぞ、そんな言葉。


「昨日、野良猫が日向で“ふこふこ”してたんだ」


 日向の野良猫……。実は我が兄妹は猫が大好きで四匹も飼っていたりするのだ。ま、全て兄貴が拾ってきたのだけれど。

 日向で“ふこふこ”……? あれか、なんか鼻をひくひくさせてるのか?

 ああ、なんだか無心に臭いをかいでいる姿が“ふこふこ”って感じがする。おお、それだ。そんな気がしてきた。


「悩むだろ? でもなんとなく理解しちゃってないか?」

「なんだろうね、なんとなく理解しちゃってる」


 最初は意味不明だと思ったが、なんとなく想像が出来てしまっている自分がいる。

 これもカオスな血を分けてしまっているからなのだろうか。それとも一般的に理解できるのだろうか。


「俺らの言葉で“アッチラホー”ってのあるだろ?」

「うん」


 兄貴が真剣な顔で言う。“アッチラホー”は私たちの日常単語だ。それがなんだってんだ?

 私は菜箸さいばしで器用に焼きそばを炒めながら、小首をかしげた。


「一般的には言わない単語らしい。誰にも通じなかった」

「え? マジで?」


 “アッチラホー”が通じない? そんな馬鹿な話があるものか。

 “アッチラホー”とは、ゲームのイベント上、行きたくなくても強制的に行かさせれる状況、強制的に動かされることからきた言葉だ。

 意味は『混乱している』『的違い』『やむを終えない』などで、我が兄妹では便利な言葉として活用されている。


「身内にしか通用しないから気をつけろ」

「あ、ああ、そうするわ」


 兄貴に皿を二つ出すように促して、私は重い中華なべを持ち上げた。

 良い香りが漂う焼きそばを、菜箸で丁寧に二等分する。勿論、野菜もしっかり分けてのせた。


「それでだな。擬音も身内でしか通じないものがあると思うんだ」

「例えば?」


 私が二つの皿を持って台所を出ると、兄貴はコップとお茶入りのペットボトルを持って話しかけてきた。

 って、箸を持ってこいっつーの、箸を!


「お前がさっき言っていた“もさもさ”とか、俺が言った“ふこふこ”とか」


 二組の箸を持て、私はロビーに戻ってきた。テレビをつけると今日も元気にタモさんがしゃべっている。

 身内にしか通じない擬音か……。いや、言葉でも良いのか?


「なんかさ、身内だけしか通じない用語辞典とかあったら面白くない?」


 コップにお茶を注ぎながら、焼きそばを頬張る兄貴が言った。私もお茶を一口飲んで、箸に手をつける。

 肉を買い忘れたから、代わりにちくわを入れたのだが、これが意外にヒットしたみたい。普通においしい。


「そうだな。でも、俺たちは日常的に使っている単語だから、どれが身内単語か分からんよ」


 確かにそうである。現に“アッチラホー”は身内単語だと私は今知ったわけだし。そう思うと、どうやって区別をつけるか……。

 私は口一杯に焼きそばを詰め込んで考えてみる。誰かまともに言葉の話せる奴はいないか?


「あ、そうだ。親父の寝室に猫がたむろしているから、今頃ホコリもっこだぞ」

「は!? ホコリもっこになるの分かってたんなら部屋から出しておいてよ!」


 兄貴の飄々《ひょうひょう》とした物言いに腹を立てながら、私は箸を机に投げるようにしておいた。

 そして、兄貴に悪態をつきながら急いで親父の部屋に向かう。むろん、猫を追い出すために。


 ――“ホコリもっこ”=ホコリがたまってしまうこと、積もってしまうこと。

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