7 ハウリャン手記 1
僕はハウリャン・トオ。国王陛下であるダウール様の侍従をしている。
本日、陛下の妃候補が入宮する。そのため城内は忙しなく動く者が多数いた。僕もその内の一人だった。ただ普段も忙しなく、常に膨大な量の仕事を抱えていて、いつもと変わらないと言われればその通りだと言えなくもない。だからこそ、妃候補を出迎える人数に限りがあり、少ない人数で準備しなければならなく、とても忙しかった。
「ハウリャン、ニルン様のご案内は終わりましたか?」
「はい、セチュン。問題なくお部屋へご案内いたしました」
「お部屋についてご不満とかはなさそうでしたか?」
一番目に到着されたニルン・チャハル様を部屋へと案内したあと、侍女長のセチュンに話しかけられた。
妃候補の部屋の支度を一手に引き受けていたセチュンは、妃候補者の反応が気になるようだった。
「素敵な部屋をありがとうと仰っていましたよ」
部屋を案内してすぐに、こちらを労う言葉を伝えてきたニルン様はとても礼儀正しい心遣いのできる女性であった。第一印象から好感の持てる女性で、陛下の妃候補として良さそうな方で安心した。
セチュンに安心してもらうためにも、ニルン様に言われたことを伝えた。
「そう、まずはひと安心ですね」
「はい、そうですね」
ほっとしたように笑うセチュンに笑顔を向けると、セチュンはすぐにまた真剣な表情に戻った。
「それで申し訳ないのだけれど、また妃候補を出迎えに行ってくれませんか? この後お二人の妃候補が同じくらいの時間に到着されるそうで、出迎えの人が足りないのです」
「構いませんよ」
「ありがとうございます。助かります。それではハウリャンにはウルミス・タタル様の案内をお願いしてもよろしいですか? 私はクトラ・トンシャン様を出迎えに向かいます」
「わかりました」
「それではお願いします」
「はい、それでは失礼します」
セチュンに指定された場所へと移動すると、二人の侍女が待機していた。
「ウルミス・タタル様はいつ頃到着される予定ですか?」
侍女に話しかけると、すぐに返事が返ってきた。
「先触れが先ほどみえまして、あと十分ほどで到着されるそうです」
「そうですか。間に合って良かったです」
「ハウリャンが案内担当ですか?」
「はい、セチュンに頼まれました」
「そうですか。よろしくお願いします」
「はい。よろしくお願いします」
役割の確認を終えて、暫くすると護衛兵に先導されて華美に装飾された馬車が到着した。
まるで特権階級を主張するような複雑な紋様を彫刻で装飾された馬車で、言ってしまえば、趣味が悪いとも言える。その馬車の扉を護衛兵が開くと、中から小柄な女性が降り立った。
亜麻色の柔らかそうな髪をなびかせ、両手が緊張のためが僅かに震えて俯きがちに心細そうに立つ女性。共に降り立った侍女がウルミス・タタル様ですと告げた。
ウルミス様を見て、これはまたニルン様とは違うタイプの女性だと思った。
ニルン様は品のある、相手の瞳を見つめ返す意志の強さを兼ね備えた、どちらかというと自己が確立された自立した女性だった。
対するウルミス様は俯いて視線が合わないことからも、内向的な女性なのかもしれなかった。
僕の胸くらいの身長で俯いているため、その表情は読み取ることが出来なかった。
僕は一歩進み出て出迎えの挨拶をする。
「ウルミス・タタル様、ようこそいらっしゃいました。私は侍従のハウリャン・トオと申します。お部屋までご案内いたします」
「ありがとうございます。よろしくお願いいたします」
聞こえたウルミス様の声は小鳥のさえずりのように小さく、周りの音にかき消されそうなほどであったが、聞こえてきた言葉はとても丁寧だった。人見知りされる方なのだろうか。変わらず視線は伏せられたままであったけれど、言葉とともにされた礼は侍従相手にしては深かった。この方も礼儀正しい女性のように感じられ、妃候補としてひと安心した。
「それではご案内いたします」
ウルミス様に声をかけ、部屋へと案内した。
今回用意した妃候補の部屋は、後宮と言われている場所とは少し違う場所に用意されていた。候補という立場の者を住まわせるには、本来の後宮だと陛下以外の男性は立ち入り禁止となるため女性の警備兵だけでは人数が足りなくて警備が難しいというのと、正妃が選ばれた後の安全性を考えて、貴賓室の一画を妃候補の部屋として使用することに決まった。
そういうわけで、男である自分も妃候補を部屋まで案内できるというわけである。
ウルミス様の部屋に到着して、扉を開ける。
「こちらがウルミ──」
振り返って、招き入れようとしたら、視界が斜めになっていて、見事にすっころんでいた。
何かに躓いたわけでもないのに、受け身も取れず、顔から床にぶつかった。
「きゃぁ……」
後ろから小さな悲鳴が聞こえた。
慌てて体勢を立て直せば、ウルミス様とその侍女が驚いたように目を見開いていた。しかも、ウルミス様は涙まで浮かべている……。
ああ、驚かせてしまった。いや、不安にさせてしまっただろうか。
こんな何もないところで転ぶような者に案内されれば不安になるのもしょうがないと思う。
本当に、こんな自分を雇ってくれている陛下や周りの人達に感謝しかなかった。……いや、今はそんなことを考えている場合ではない。
「大変失礼いたしました」
謝罪と不手際の意を込めて深くお辞儀する。
王城の侍女たちは僕が転ぶのを見慣れているので、あーあという顔をしたあとウルミス様に説明する。
「驚かれたと思いますが、よくあることなのです」
「そうです。そうです。ハウリャンにはよくあることなのです。慣れてくださいませ」
フォローになっているような、いないようなことをウルミス様と連れの侍女に説明する王城の侍女たち。
確かによくあることで、僕も否定できず、どんなに注意していても必ず転ぶので慣れてもらうしかないところが情けない事であるのだが。
僕では信用できないと言われれば、後宮担当を外してもらうしかないと次の言葉を待った。
すると、小さい声で心配するように声をかけられた。
「大丈夫でございますか? 怪我はございませんか?」
顔を上げれば、ウルミス様は心配そうに出会ってから初めて僕を見ていた。しかも思ってもみなかった言葉をかけられて驚いた。泣くほど驚かせてしまったのに、心配をしてくれるなんて心優しい女性だと思った。通常はウルミス様の隣にいるそこの侍女のように呆れた顔をするものなのだけれど。
「慣れておりますので問題ございません。では、お部屋へどうぞお入りください」
「ありがとうございます」
戸惑いつつも部屋へと入るウルミス様を見届ける。
「それでは私はここで失礼いたします。何かございましたら、こちらにおります侍女にお声がけください」
「わかりました。案内してくださりありがとうございました」
そういってまた深く礼をするウルミス様に、僕も合わせて礼をする。
顔を上げれば、まだウルミス様は頭を下げていて驚いた。
「失礼いたします」
そう声をかけると、やっとウルミス様は頭を上げた。
僕が軽く頭を下げると、またウルミス様が頭を下げそうになったので、早々に部屋を辞した。あのままでは礼の繰り返しが起こりそうな予感がしたためだ。名門豪族のタタル家の娘なのに、とても腰が低くて侍従相手にあそこまで礼を尽くすのは珍しかった。
陛下自ら選出したと言われている妃候補方を見て、陛下の人を見る目の確かさに感心するしかなかった。
とりあえず、ウルミス様を部屋に案内したことを報告するためにセチュンを探していると、何やら難しい顔をしている集団の中にセチュンを発見した。
「どうしたのですか?」
「ああ、ハウリャン。いえ、最後のお一人が到着されなくて確認の使いを出したら、準備が間に合わないから今日は入宮出来ないと返答が届いてね……」
「……それは困りましたね」
すでにフィーリア・ハルハ様は到着されたとここに来る途中で聞いたので、あと到着されていない妃候補はムーリャン・カレルタ様だったはずだ。しかしなぜまだ準備が整っていないのであろうか。父親のカレルタ豪主は仕事の出来る方だと伺っていたのだが、その噂は間違いだったのだろうか。二ヶ月も前から決まっている入宮日に準備が間に合わないなどありえないことだった。
「それでいつ入宮されるのですか?」
「……準備出来次第向かうとしか言われず、追い返されたみたいで……」
「……それは本当に困りますね」
「……本当にね」
互いに疲れたように息を吐く。
入宮日が確定されなければ、出迎えるこちらの準備も出来ない。
順調に進んでいたはずが、初日の最後に予定外のことが起こり、なんだか嫌な予感がしてならなかった。何事もなく妃候補の選定が終わることを願うしかなかった。