3 初めまして、一人目の候補者様
お兄を見送って、ひと息ついていると、ノックの音が響いた。
ラマが対応に出ると、すぐにまた戻ってきた。
「お嬢様。ニルン・チャハル様が訪ねていらっしゃいました。ご挨拶をしたいとのことです」
「ニルン・チャハル様?」
「お嬢様と同じ妃候補のお一人です」
「え?」
「どうされますか?」
「え、あ、お通しして」
「かしこまりました」
ラマがニルン・チャハル様を迎えに行っている間に、フィーリアは簡単に身だしなみを整えた。
見苦しくない程度に整え終えた頃に、ラマが一人の女性を伴って現れた。
その女性が目に入った瞬間、腰まである艶やかな黒髪にまず目が惹きつけらた。そして切れ長の、まるで宝石の紫水晶のように輝く瞳に引き込まれた。
次に目が惹きつけられたのは、魅力的な肉体美だった。胸があって、腰はくびれている。女性が憧れる理想的な身体を持っていた。それに合わせたかのような服が、彼女の持つ上品な色気を引き立てていた。
知らず知らずのうちに、ため息が漏れた。
……この女性がお兄の妃候補の一人なのかー。
すごい美人さんだなー。
頭も凄く良さそう。
つい食い入るように見つめていると、ラマに案内された女性はフィーリアの目の前まで来ると、視線を上げた。
視線が交わった瞬間、内面まで見通すような鋭い視線を感じた。が、すぐにふっと眼圧がなくなり、目の前の女性はふわりと微笑んだ。
「突然の訪問にお応えいただきましてありがとうございます。お初にお目にかかります。ニルン・チャハルと申します」
流れるような洗練された所作に、フィーリアも気を引き締めて挨拶を返す。
「ご丁寧にありがとうございます。わたしはフィーリア・ハルハと申します。以後お見知りおきください」
互いに礼をして顔を上げる。
第一印象はキツそうに見えたニルン・チャハル様は、笑うと女性のフィーリアでもドキリとするような色気が立ちのぼる。
「私、ハルハ様にお会いするの楽しみにしておりましたの」
「そうなのですか? ……よろしければ、わたしのことはフィーリアと呼んでください」
「では、私のこともニルンと呼んでくださいませ」
「わかりました。ニルン様」
「はい、よろしくお願いいたします。フィーリア様」
互いに笑い合って、その後少し沈黙する時間が流れ、立ちっぱなしだったことに気がついた。
「あっ、どうぞお掛けください」
「ありがとうございます」
ニルン様とフィーリアが座ると、見計らったようにラマがお茶の用意をしてくれた。気まずい時間を無くしてくれたラマの手際は素晴らしく、とても気が利く侍女である。
「ニルン様はチャハル家と仰いましたが、大商団をいくつも抱えていらっしゃるという、あのチャハル家でございますか?」
「ええ、そのチャハル家の娘です」
フィーリアの言い方が面白かったのか、ニルン様はクスクスと笑う。
「わたし、チャハル家のマルサーナ商団にはとてもお世話になっていて、いつも本を買わせていただいているのです」
「まあ、マルサーナ商団をご利用いただきましてありがとうございます。本がお好きなのですか?」
「はい! 純愛物語が! マルサーナ商団は各国のものを取りそろえていて、とても素晴らしいと思います。ニルン様は純愛物語を読んだことがありますか?」
「はい」
同志を見つけて、気持ちが一気に最高潮に達する。
「何が好き? 『あなたとともに黄昏れたい』? 『燃え尽きるように愛したい』? それとも──」
勢い余って身を乗り出した時、部屋の隅から控えめな咳払いが聞こえた。
「あ……、失礼いたしました」
「いいえ。フィーリア様は楽しい方なのですね。よろしければ、普段通りになさってくださってかまいませんよ?」
「え、いえ、そんなわけには……」
ニルン様は気分を害した様子はなかったけれど、失礼な対応をしてしまった。
あれだけ注意されていたのに、早速ボロを出してしまった。
……どうしよう。一応、ハルハの名を貶めることの無いようにしようと心掛けてたのに。
「私、今のようなフィーリア様、好ましいと思います。ですから、私の前ではかしこまらないでくださいませ」
「え、でも」
落ち込んだところに思いがけない提案をされて戸惑っていると、ニルン様の目がフィーリアを捕らえた。もう一度にこりと微笑まれて、押しきられるように頷いていた。
「わかった。じゃあ、ニルン様もかしこまらずに話してね?」
「私はこの話し方が普通ですので、お許しくださいね?」
「そうなんだ」
なんとなく残念に感じたけれど、ニルン様がその方がいいというならしょうがない。
「それでは、長居してもご迷惑になりますので、この辺で失礼いたします。お時間をいただきましてありがとうございます」
「あっ、こちらこそ、ありがとう」
「末永く、よしなにお願いいたします」
「?……、うん。よろしくね」
末永くと言うほどの長い期間後宮にいないと思ったけれど、仲良くしたいと言われて嬉しかった。フィーリアの周りにはあまり歳の近い女性がいなくて、とても淋しかったから。
もしかしたら、友達になれるかもしれない。そう思うと自然と笑顔になっていた。
満面の笑みを浮かべたフィーリアに、ニルン様は一瞬驚いたように目を見開いたあと、ふわりと微笑んで帰っていった。