30 ウルミスの状況
クトラと話したあと、ウルミス様へお会いしたいとの旨をラマを通して申し入れていた。けれど、今だもってウルミス様からの返事が届かなかった。
お忙しいのかもしれないし、体調を崩されているのかもしれない。
近頃、姿を見かけなくなったウルミス様をフィーリアは心配していた。
*
勉強先からの帰り道。
「ウルミス」
少し神経質そうな声でウルミス様の名前を呼ぶ声が聞こえた。
「聞いたぞ。お前が妃候補者筆頭として名があがっているそうだな」
少し興奮気味に早口で捲し立てる男性の声が通路に響いていた。
「お前にはまったくというほど期待はしていなかったのだがな。ふん。やっと私が国にとって重要だと理解出来たのだろう」
「………」
ウルミス様を呼び捨てにする不遜な男性が気になり、フィーリアは声が聞こえてきた通路を声の主に見つからないようにそっと覗き込んだ。
そこにはふんぞり返った見るからに神経質そうな男性が、ウルミス様を見下ろしていた。
「まあ、当然といえば当然なのだがな。そもそも私の尊き血を継いでいるのだから選ばれて当然なのだ。まったく判断が遅すぎる。嘆かわしいことだ」
「………」
ウルミス様の名前を呼び捨てにして、娘と口にしているのだから、この男性はウルミス様のお父様なのだろう。全然ウルミス様と似ていないけれど。
しかし父親を前にしている割には、ウルミス様は俯き怯えているように見えた。
「ふん。いいか、ウルミス。必ず王を落とせ。この機会にもっと深く縁を結ぶのだ。お前に溺れさせろ。そのためなら何をしても構わん。手段を選ぶな。お前の部屋にも媚薬を届けさせた。酒に盛ってでも既成事実を作れ。いいな。なんとしても王を落とし正妃になれ。そのために役にも立たなかった不出来なお前を王にごり押しして妃候補者に入れたのだからな。私のために、我が一族のために役に立て。それでやっと初めてお前が生きている価値が示せるのだからな」
ウルミス様のお父様の言葉はすぐには理解が出来なかった。いや、脳が理解するのを拒否していた。それでもいやいや理解した内容は聞くに耐えられないもので、娘に向ける言葉としてはずいぶん酷いものだった。
実の娘に向かって生きている価値ってなに? 娘はモノではないんだけど?!
フィーリアは自分が言われているわけでもないのに、心がナイフで斬りつけられているように痛かった。
あまりにも自分の父親と違いすぎて、衝撃が去ってくれなかった。
今の言葉だけでウルミス様が普段からどのように父親に接しられているのかわかってしまった。
「返事をしろ、ウルミス」
「……はい、お父様」
「まったく、すぐに返事をしろといつも言っているだろう。お前の兄達三人は優秀なのに、なぜこんな不出来な娘が生まれたのか。私の血を継いでいるとはとても思えん」
「……申し訳ございません、お父様」
「はー。お前の辛気くさい顔を見ているだけで、イライラする。……いいな、とにかく今夜にも実行しろ」
「………」
「返事は!」
「……はい、お父様」
消え入りそうな小さな声で返事をするウルミス様。
ウルミス様のお父様へ怒りを滲ませていたフィーリアは、何かを聞き逃している気がした。
というか、ウルミス様への態度が酷すぎてそれに気をとられすぎたフィーリアは、そのあとに続いた言葉の意味を今さらながら理解した。
……えっ……ええ?!
今夜にも実行しろって……。
夜這い?
いや、違うか。えっと、……夜這いという言い方じゃないとすると、他になんていうんだっけ?
強かん……違う!
頭に浮かんだ文字を全力で消した。
違う、違う。もっと、こうしっくりくるような……誘惑? ……なんか、違う。
媚薬……、媚薬……、媚薬……。
媚薬で既成事実ってよくある展開……。
そうそうって、そういう事じゃなくて………………………あー、もー、わかんない!
衝撃的な言葉で頭がパニクってて、まともなことが考えられなかった。
えっと、今日はダウール様は誰のところで夕食食べるって言っていたっけ?
確か……、ハウリャンはニルン様のところで食べるって伝えてくれたはず。
じゃあ、ウルミス様のところへは今夜は行かないってことでいいんだよね?
いつの間にかいなくなっていたウルミス様とウルミス様のお父様に気づくこともなく、フィーリアはフラフラと自室へ戻った。
どうしたらいいんだろう……、どうすればいいのだろう……、そんなことをずっと考えていたらラマに声をかけられた。
「お嬢様、間もなく夕食の用意が整います」
「えっ? 今はそれどころじゃ……じゃなくて、えっと、ラマ。少し具合が悪くて、もう寝てもいい?」
「大丈夫でございますか? 医者をお呼びしましょうか」
「ううん。大丈夫。ちょっと疲れただけだから、寝てれば大丈夫だよ。だから、一人にしてくれる?」
「かしこまりました。何かあれば、お声がけください。部屋の前で待機しております」
「わかった。ありがとう」
フィーリアは寝室へと入り、そっと扉を閉めると、物音を立てないように動きやすい服に着替えた。
そして寝室の窓から外へと飛び出す。
ウルミス様のことが気になって、どうにか止めなければという思いに駆られて部屋から飛び出していた。
灯りのない庭を走りながら、ダウール様が今夜どこに行くのかを確認するためにはどこに向かえばいいのか考える。ハウリャンが言っていたとおり、ニルン様の部屋の前で待っていた方がやはりいいだろうと思った。
一瞬ウルミス様の部屋の前で待っていた方がいいのかとも思ったけれど、ダウール様が約束を反故にする人ではないとわかっているから、ニルン様の部屋の前で待つことにした。
どうにか人目に触れることなくニルン様の部屋の前に辿り着く。
ニルン様の部屋の入口の扉が見えるところを確認して、物陰に身を潜め、ダウール様がやって来るのを待った。
ダウール様が来なかったらどうしようかと不安に思いつつ待つことしばし、実際に現れたダウール様がニルン様の部屋の中に入っていく姿を見て、最近よく感じる、胸が石を飲んだようにぎゅっと重くなった。
しばらく経つと、ダウール様は部屋から出てきて、そのままダウール様の私室がある方へと歩き出したのを見て、こっそりと追いかけた。そして、後宮と言われる区域から出ていったダウール様を見届け、その姿が見えなくなると、何事もなかった安堵からその場で足の力が抜けて座り込んでしまった。
物音のしない静寂な空間に一人きり。座り込むフィーリアは月明かりに照らされていた。
その月明かりを感じて見上げると、見事な満月だった。
清廉な空間の中、ぽつんと一人きりなのが無性に切なく感じた。
ダウール様の身を守らなきゃという衝動で突発的に動いてしまったけれど、いったい自分は何をしているのだろうかという思いが湧き上がる。
あらためて冷静になってみると、とんでもないことをしてしまったように思えた。
ラマに具合が悪いと嘘をついてまで部屋にこもったように見せかけ、窓から抜け出してニルン様の部屋の前でダウール様が来るのを待って、ダウール様が出てきたあとをこっそりついて行って、ウルミス様のところへ行かないか確認するなんて。
いくらパニックになっていたとしても、ありえなかった。
ねえ、これってストーカーと言われる行為なんじゃ…………。
誰にも問いかけられない問いを投げかけ、また自己嫌悪に陥る。
それでも媚薬を使って既成事実を作るのだけは違うと思った。
それはしてはいけないことだと思った。それだけは阻止しなければいけないと思った。
ウルミス様がダウール様を好きなら応援しようと思っていたけれど、既成事実を作ったことで正妃になるのは応援できない。もっと正攻法でアピールして欲しい。
それに先ほどのウルミス様のお父様の言い方だと、命令されてダウール様に近寄っている可能性もあった。
それだけは嫌だった。ダウール様には好きな人と結ばれて欲しい。ダウール様を本当に好きな人と結ばれて欲しかった。
だから明日、ウルミス様のところへ直接訪ねるしかないと思った。