16 ムーリャンという女 2
ムーリャン様と遭遇してから、たびたび同じような場面に出くわすようになった。
「失礼いたします」
「フィーリア様!」
約束の時間に訪ねたフィーリアは、安堵の表情を浮かべて自分の名を呼ぶ文官に驚いた。が、文官の側に立つ人物を見つけて納得した。
ムーリャン様がその文官の腕に胸を押しつけ、話しかけていたのだ。
「こんにちは、ムーリャン様」
ムーリャン様に声をかければ、また邪魔をしに来たのかという目で睨みつけられる。
「わたし、これからその方とのお約束がありますので、お引き取り願えますか?」
「今はあたくしが話しているのよ。邪魔しないで」
「……失礼ですが、その方とのお約束があって話されておりますか?」
「ないわよ。だけど、そんなの関係ないでしょう?」
「関係あります。お約束がない上でお話しされているのであれば、約束したわたしの方に優先されるべき権利がありますから」
「うるさいわね。わかったわよ。譲ればいいんでしょ、譲れば! いいわよ。他の人のところへ行くから」
はじめはわがままに我を通そうとしていたムーリャン様は、さすがに室内にいた全ての人からの冷たい視線に気付いたらしく、フィーリアを睨みつけたあと、苛立ちのまま文官の腕を振り払い、出口へと向かう。
フィーリアはムーリャン様の最後の言葉を聞いて、前々から聞きたかったことを尋ねたくて声をかけた。
「ムーリャン様にお聞きしたいことがあるのですが、よろしいですか?」
「はあ? まだなにかあるの?」
「ムーリャン様はなぜいろいろな方のところにいらっしゃるのですか?」
「あなたこそ、なぜあたくしの行くところ行くところに現れるのよ」
苛立ったように質問に質問を返され、フィーリアは隠すことでもないので正直に答える。
「わたしは勉強の一環で、皆様の仕事をご教授いただいています」
フィーリアの言葉に、ムーリャン様の唇が弧を描く。
「あたくしも交流のために声をかけているのよ」
フィーリアにはとてもムーリャン様がそのような意味で話しかけているようには見えなかった。
本気でそう思っているのならば、相手の事を考えて迷惑をかけないようにしなければいけない。しかし、実際はムーリャン様に話しかけられた人達は、仕事を中断させられ迷惑している。その事に気づけないようならば、ただの我が儘としかいいようがなかった。
けれど、交流のためと言われてしまうと、フィーリア自身も同じ理由で王宮の方達に会っている身では何も言えなくなってしまう。
「そうですか。教えてくださりありがとうございます」
お礼を言うと、ムーリャン様は見せつけるように髪の毛を払った。
「あなた、勉強しなければいけないなんて、大変ねぇ。あたくしはそんなことしなくても充分な教養を身に付けて来ているのよ。よろしければ教えて差し上げましょうか?」
本気で言っているわけではないことが分かりやすく出ていて、明らかにフィーリアを馬鹿にしていた。
まあ、確かに勉強不足なところがあって、宰相様から勉強を言いつけられているけれど、フィーリアは好きで勉強しているのだ。
フィーリアはいつかお父様が勧める地位の高い男性のところに嫁ぐことになる。そして地位の高い者の伴侶になれば、必ずその地位に付随する責任が生じる。その地で暮らす領民を守らなければならないのだから。その為には勉強が必要で、死ぬまで一生勉強をしなければいけないと思っていた。
「ぜひ、お願いいたします」
そう返したフィーリアに、ムーリャン様の瞳がつり上がった。
どうやら返した言葉はムーリャン様の望むようなものではなかったようだ。
より不機嫌になったムーリャン様は今度こそ振り返らずにいなくなった。
ムーリャン様の姿が見えなくなると、部屋の各所からほっとしたため息が聞こえる。
捕まっていた文官以外にも、ムーリャン様が居たことで仕事が出来なかった人がたくさん居たようだ。
それを見たフィーリアは、自分まで一人の文官の時間をもらってもいいのだろうかと思った。
「あの、わたし、出直して参りましょうか?」
ムーリャン様に捕まっていた文官に話しかければ、慌てたように首を振る。
「そんな、滅相もございません」
「ですが、お仕事溜まってしまいましたよね? わたしの方はいくらでも都合はつけられますので、また改めてお伺いいたします」
文官は逡巡したのち、申し訳なさそうにフィーリアに同意してくれた。
「また改めてご連絡をいたします」
「はい。お願いいたします」
文官は深くお辞儀すると、自分の席へと急いで帰っていく。余程仕事が溜まっているのだろう。ムーリャン様のせいでこのような状況になるなんてとても気の毒だと思った。
自室へと帰りながら、フィーリアは何度か繰り返されているムーリャン様とのやり取りについて考えていた。
あまりにもムーリャン様との遭遇率が高いのだ。
どうしてムーリャン様との遭遇率が高いのかを考えると、誰かがわざとフィーリアを誘導してムーリャン様の邪魔をさせているのではないかという考えに行き着く。ちょうど勉強という大義名分があるフィーリアは、文官や警備兵の仕事を邪魔するムーリャン様を追い払うのに使いやすいのだろうと。
けれど、例えそのような理由で利用されていてもフィーリアは全然構わなかった。仕事を邪魔されて困っている人達を助けることができるのであればと。
とはいえ、このままでいいとは思えなかった。
なぜ誰もムーリャン様を止めないのだろうか。
と、ムーリャン様の行動を思い返して、首を振った。止めても聞かない可能性の方が強いのかもしれない。
ムーリャン様は自分が妃候補者としてきたのを逆手にとって、まるで既に正妃になったかのように振る舞っていた。
ムーリャン様の一族、カレルタ豪族は建国時からの忠臣と名高く、信頼も厚く、国を支えてきた由緒正しい一族だった。現豪主、ムーリャン様のお父様は歴代の豪主の中でも、いちにを争うくらい忠義に厚い方なのだという。だからこそ、カレルタ豪主に遠慮して、皆は何も言えないみたいだった。
唯一注意出来るのは、ダウール様だと思うのだけれど……。
でも、今のところダウール様からの注意を受けているようには見えず、ムーリャン様は好き勝手していた。
……ダウール様は何を考えているのだろうか。
人の迷惑になるような人は嫌いだったはずなんだけれどな。
…………まさか、ムーリャン様を好きになったわけでは、……ないよね?
一抹の不安が胸を過ぎった。




