12 ハウリャン手記 2
今日、妃候補の一人、フィーリア・ハルハ様に初めてお会いした。
僕はフィーリア様にお会いするのを少し気まずく思っていた。
朝一番に陛下からフィーリア様宛に伝言を頼まれたのだが、その内容が普通とは違っていた。どのような意図があって陛下がこのような伝言を僕に託されたのかわからなかったが、フィーリア様にお伝えするべき言葉ではないように思われたからだ。
扉の前で一度深く息を吐き、仕事だと気持ちを切りかえて扉をノックした。
すぐに中からフィーリア様付きの侍女ラマが出迎えてくれた。まだ一度も挨拶を交わしてはいなかったが、遠くからフィーリア様とラマの姿を拝見したとき、王城の侍女に教えてもらっていたので知っていた。
「失礼いたします。私は陛下の侍従ハウリャン・トオと申します。陛下から伝言を預かって参りました。フィーリア様にお会いすることは可能でしょうか? 陛下からフィーリア様に直接お伝えしろと言付かっております」
陛下からは確実にフィーリア様に伝えて欲しいと懇願に近い形で下命された。何故かとてつもない重要事項でもあるかのような切実さを感じて、僕は訳もわからず緊張を覚えた。
それ程までにフィーリア様にこれから伝える言葉は重要なことなのだろうかと考えてみてもわからなかった。
僕の来訪を伝えに行ったラマが戻ってきた。
「案内いたします。こちらへどうぞ」
ラマの後について部屋の中へと入る。一つ目の部屋を抜け、次の部屋の扉の先にフィーリア様がいらっしゃるのがわかった。そこで気合を入れるために息を吸ったのが悪かったのか、扉を抜けた時に躓いたわけでもないのに盛大に転んでしまった。
「ったた」
床に潰れたカエルのように大の字で転んでいた。
やってしまった……。
何故何もないところで転ぶのか自分でもよくわからない。
「大丈夫?」
その心配そうな声に、僕は慌てて姿勢を正し、深く礼をする。
初めてお会いする方に最悪の第一印象を与えてしまったことに、僕は情けなく思った。いつものこと、……確かにいつものよくあることではあるけれど、ここには僕のいつもを知っている人が一人もいない。この状況が最悪の結果を招くことにもなりかねないことに恐ろしくなった。
僕が出来損ないのレッテルを貼られることはしょうがないと思っているが、その事で陛下や周りの人達までもが不信感を抱かれてしまったりしたら申し訳ないどころの話ではない。そう瞬間的に思ってたまたま躓いただけだという印象を与えるべく、何事もないように振る舞った。
「失礼いたしました。お初にお目にかかります。侍従のハウリャン・トオと申します」
不自然さがあると自分でもわかり、顔が引き攣りそうになるのを下を向いていることで誤魔化すので精一杯だった。
「初めまして。わたしはフィーリア・ハルハです。よろしくお願いします」
聞こえてきた言葉は、明るい声で親しみを感じるものだった。まるで今のことがなかったかのように、挨拶を交わしてくださるおつもりのように感じられた。それに深く感謝し、より深く頭を下げた。
「それで、陛下からの伝言とは何でしょうか?」
「はい。申し上げます」
一度、唾を飲み込んで、心を落ち着けた。次こそは失敗しないように。
そしてそっと視線を上げると、フィーリア様がニコニコと満面の笑みで僕を見ていた。その顔には僕に対する不信感も呆れもなく、純粋に陛下からの伝言を楽しみに待っているようだった。
僕に対する不信感や呆れが浮かんでいなかったことは良かったのだが、これから伝える言葉がフィーリアの期待を裏切るものであることを知っているため、複雑な心境になった。今から伝える言葉でフィーリア様の笑顔が陰ることを思うと心が重くなる。それでも伝えないわけにはいかないこともわかっているので、重たくなった口を動かした。
「『今夜はニルン嬢と食事をする』」
伝えた瞬間、フィーリア様はぽかんとした顔をした。
次に言葉の意味を理解して悲しみに顔を歪ませることを思い、痛ましく見ていると、フィーリア様はまたニコニコと満面の笑みを浮かべた。
「確かに承りました。ありがとうございます。トオ侍従」
無理に笑っているようには見えなくて、僕は困惑した。しかも何だか生き生きと瞳を輝かせているように見えた。
戸惑いつつも、まずは呼び方を訂正する。
「私のことはハウリャンと呼び捨てでお願いいたします。──それでは、確かにお伝え致しました。御前を失礼いたします」
陛下の別の妃候補のところへ行くとわざわざ伝言されたにも関わらず、フィーリア様は悲しむことも悔しがることもせずに、笑顔で了承した。その様子に困惑する。フィーリア様は陛下のことを何とも思っていらっしゃらないのだろうか。釈然としないまま、用事が済んだ僕は部屋を辞するしかなかった。
陛下の思惑もフィーリア様のお考えもまったく僕には想像出来なかった。
まさか、このやり取りが毎日続くとはこの時の僕は思ってもみなかった。




