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黒髪の娘  作者: 立川みどり
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 ニザロース王国と南東のモーゲン王国の境に横たわるダナーン山脈は、けわしく、雪深く、一年の収穫を祝う祭りも過ぎぬうちに初雪が降り、一年の三分の一は雪に閉ざされる。夏は夏で霧の日が多く、旅人たちにとっては難所で、そのため多くの旅人たちは、遠回りでも山脈の南端を迂回する安全な道を選んだ。

 とはいえ、急ぎの旅などで山脈を横断する旅人もおり、山脈中にはいくつかの小さな村もあった。ソーラが生まれたスタック村もそのような村のひとつだった。

 ソーラの髪は黒く、両の目は深緑を映した湖のごとき緑色。淡い色の髪と青や菫色の瞳をもつ者の多いダナーン山脈の村々ではめずらしい色である。

 ソーラの母ヒルダもその両親も金褐色の髪と青い瞳の持ち主だったから、ソーラの髪と瞳の色は父親から受け継がれたものと思われた。

 では、ソーラの父はというと、考えられる男はふたり。いずれも旅人だった。ダナーン山脈の村々では、外界との交流の少ない環境で血が濃くなりすぎるのを防ぐため、未婚の娘や寡婦、ときには連れ合いのいる女までもが合意のうえで旅人と一夜をともにする風習があり、ヒルダは同じ秋に二度、その風習に従ったのである。

 つねなら、ひとりの女が同時期にふたりの男を相手にすることはまずなかっただろう。そもそも、同時期に二組以上の旅人が訪れることはきわめてまれだったのだ。

 だが、その年の秋にかぎって、山脈の南端付近の国境地帯で、モーゲン王国側の村の領主とニザロース王国側の村の領主が小競り合いを起こし、不穏な雰囲気が漂っていたため、何人もの旅人が村を通過した。

 村の女たちは旅人を歓待するとともに、気に入った男であれば一夜をともにした。女たちのだれもが食指を動かさなかった男は、一夜の宿を借りるだけでそのまま通り過ぎていった。

 そうして十数人の旅人が通り過ぎていったころ、雪の季節が訪れ、街道が雪化粧に覆われた。

 雪が積もれば、山道の旅は難しい。これでもういつになく多かった旅人も終わりかと、村人たちが話していたとき、雪の山道に難渋しながら、半ば遭難寸前となって、ひとりの旅人がたどり着いた。

 村人たちは旅人を喜んで出迎え、次いで少し複雑な顔をした。

 黒い髪、緑の瞳、先の尖った耳……。あきらかに魔族の若者である。

 ニザロース王国にもモーゲン王国にも魔族は住んでおり、魔族の旅人が訪れるのは初めてではない。とはいえ、それは何年かに一度のまれなことであり、前回はどうしたのかすぐに思い出せる者は少なかった。

 魔族を村に泊めることについては異論はない。問題はもうひとつの風習だ。

 魔族たちが魔界からやってきて人に交わって暮らすようになって久しく、両者のあいだには友情も主従や師弟の愛も成立しえたが、婚姻となると避けられている。魔族と人との恋愛や結婚に明確な禁忌があるわけではなかったが、種族の違いや寿命の違いから敬遠されたのだ。

 魔族の寿命は人間の約七倍。夫婦となれば、配偶者が若くて美しいうちに年老いていく人間の側にも、若いうちに最愛の夫や妻に先立たれることを宿命づけられる魔族の側にも悲劇となろう。

 夫婦となるのではなく一夜の関係であれば、寿命の違いは問題ではないが、生まれてくる子の寿命はどうなるのか? 周囲の者が年老いて死んでいくのを見守りながら、何世代も生きつづける悲しみを味わうのではないのか? いや、そもそも、魔族と人とのあいだに子供が生まれ得るのか?

 それでも、数年に一度の前例を思い出した長老のひとりが言った。

「たしか前回も前々回も、人間の旅人の場合と同じように、女たちの意思にまかせた。どちらも相手をしたいと申し出た女はいなかった。今回もいないと思うが、聞くだけは聞いてみてはどうだろうか」

 そこで村の有力者たちは女たちを集めて、魔族の客人の相手をする気があるかとたずねた。女たちのほとんどはそれを辞退した。客人の美貌に心を動かされないでもなかったが、やはり種族が違うとためらわれたのだ。

 ただひとりの例外がヒルダだった。その何日か前に別の旅人と寝たことがあったとはいえ、若くてまだろくに恋も知らなかったヒルダは、客人のために体を温める湯や食事の世話をしたとき、間近で見たその美貌に魅了されたのである。

 ヒルダの両親や有力者たちは驚いたが、それが彼女の望みとあらば否やはない。魔族に嫁ぎたいと望んでいるわけではなく、一夜かぎりのことなのだから。

 そこで、客人の希望をたずねたところ、彼もまた種族の垣根を越え、ヒルダを受け入れた。

 魔族の旅人はヒルダと一夜をともにし、翌朝、雪がやんでいるのを見ると、ヒルダと別れるのをつらそうにしながらも、ふたたび降りださぬうちにと村を去っていった。

 その次の初秋に生まれたのがソーラなのである。

 ソーラの耳は魔族のように尖っておらず、どう見ても人間の赤子だったので、ヒルダの両親も村人たちも、赤子の父は先に訪れた人間の男であろうと考えた。

 だが、ヒルダの考えは違った。赤子が腹にいたころから、魔族の若者の子に違いないと思っており、赤子の黒髪を見たとき、それが確信に変わったのだ。

 生まれてこのかた見たことがないほど神秘的な美貌に包まれたあの若者。本物の恋人のように熱い言葉をささやき、本物の恋人に対するようにやさしく接し、本物の恋人と別れるかのように名残り惜しげに去っていった男。彼の子供であってほしいと願っているがゆえに、彼女の確信は揺らがなかった。

「先の旅人の髪は黒っぽかったけど、黒髪ってほどじゃなかった。わたしの髪は蜂蜜色。なのにこの子は黒髪なのだから、あの人の子に違いないわ」

 ヒルダはそう主張しつづけたのである。



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