初恋 〜その後で〜
あの2人なら夜会とかで、こうかな? と蛇足。
次期侯爵家当主と言われているルーフィス=ハウルサイドと、伯爵家フィーナ=セネットの婚約は瞬く間に広まった。
寡夫であったルーフィス=ハウルサイドは、柔らかい物腰な上にものスゴイ美貌を兼ね備えた超優良物件。
ただでさえ、その美貌だけで蝶達が群がるのに、結婚すればもれなく付いてくるのは次期侯爵夫人の座であった。誰とは言わず互いに牽制し合い、争っていたのである。
しかし、ルーフィスは誰も相手にしなかったため、もう再婚などしないのでは? と囁かれていた。
なのに……その彼が婚約した。既婚者を含めた女性達が騒がない筈がなかった。
誰もが挑んで撃沈したあの彼の心を、何処の令嬢が掴んだのか。
どんな美女がルーフィスの心を掴んだのか、色めき立ちさながら狩人の様に獲物を仕留めようと探していた。
その矢は勿論、キューピットの矢ではない。見つけた獲物を搦め取って喰おうとしているのだ。
「どこのブスかと思ってましたのに」
「意外とキレイじゃないの」
「しかも若いわ」
ルーフィスと親しくしているフィーナを見つけ、彼女が例の婚約者だと理解した。
そして、品定めが始まっていたのだが、彼の連れているフィーナを見て歯軋りをしていた。
少しでも体型が崩れていたら、叩こうとしていたのにスラリとしていた。背は低いものの背の高いルーフィスと並ぶと、可愛らしさが引き立つくらいだ。
顔は美形とまでいかないが中々愛らしく、笑うと実に可憐だ。
そして、なにより自分達より若かった。
外見は若くとも、来年には32になるルーフィス。
20代である自分達の事を微塵も相手にしないものだから、若い女性には興味がなく、教養があり色気のある未亡人を連れて来るのでは? とまことしやかに囁かれていたのだ。
なのに、連れ添った婚約者は、20歳より若い年齢にしか見えない娘だった。オマケに美女というより、可憐な少女。
自分達の姿を見て、真逆だと感じざるを得なかった。
若さ以外に、あの女の何が良いのか全く分からない。いや、分かりたくないのだった。
「貴方が、ルーフィス様の婚約者?」
とは言え、自分達がこの女より劣っているとは思えない令嬢は、フィーナが1人になった瞬間を見逃す訳がない。
探りを入れつつ隙を見つけ、成り代わろうと算段する。
妖艶な美女だったりしたのなら、自分達には付け入る隙間はない。だが、彼女は顔は可愛いがソレだけ。
経験も浅く、少し叩けば逃げ出すだろう。いくらでも、付け入れると思えた。
「お初にお目に掛かります。フィーナ=セネットと申しますわ。貴方がたは?」
相手の自分を見下す様な視線と、名乗らない不躾な態度に微笑み返しながらフィーナは軽くお辞儀をした。
「ルビーよ。あの、ルーフィス様が婚約したと言うから、わざわざ来て見れば……クスッ」
挨拶もなしに口元を扇で隠し、これ見よがしに小馬鹿にして笑って見せた。
見れば見る程、若くて可愛いだけの娘にしか見えないからだ。
「フィーナ=セネットって、あのセネット家の?」
「まぁ、貴方は知ってまして?」
ルビーがフィーナを捕まえた事に気付いた令嬢達が、わらわらと集まり一方的な話の花を咲かせ始めていた。
ルーフィスに好意を持っていたというだけで、以前は牽制し合っていた令嬢達が妙な仲間意識を持つ。昨日の敵は今日だけ味方なのだ。
皆のルーフィスだったのに、それを自分1人のモノにした憎らしいフィーナを、全員で叩こうとしているのだ。
「知ってますわ。確か、幼馴染みの方に婚約を破棄された残念な方だとか」
「あぁ、あのお可哀想な!」
「破棄されたのに、もう新しい婚約者を見つけたとか節操がないですわね」
「ルーフィス様も知っておられるのかしら? 彼女が破棄された残念な方だって」
「まぁ、誰かのお下がりだなんて、ルーフィス様に失礼ですわ」
集まった女性達は、フィーナが目の前にいるのにも関わらず、わざとらしく言っていた。
自分達が落とせなかった腹いせに、嫌味を言ったり陥れたりする考えなのだ。
フィーナは冷めた目で見ていると、女性達の視線がフィーナの背後に向かって急に目をキラキラとさせていた。
「お下がりがどうかしましたか?」
何処から聞いていたか知らないが、彼女達が落としたかったルーフィスの登場であった。
「もう、お話は宜しいのですか?」
ルーフィスは社交界に出ても、いつも面倒くさいとばかりに、テラスや中庭に逃げていた。だが、フィーナという婚約者が出来て逃げる必要がなくなったため、友人や知人に捕まっていたのであった。
「君は知っていると思うけど、人と話すのは余り得意ではないんだよ。ところで、この人達は?」
とルーフィスはフィーナに訊いたのだが。
「ルビー=トレッドですわ」
「サナ=ブルズです」
と次々と周りの女性達が挨拶をして来た。
フィーナの時には、名さえ名乗らなかった女性達がである。
「フィーナという花に集まるのも結構だけど、蝶とて1つの花に群がれば、花は途端に手折れてしまう。お手柔らかに願いたいものだね?」
ルーフィスはフィーナの頭に軽くキスを落とすと、ルビー達にふわりと笑った。
「そうですわね。失礼致しましたわ」
ルーフィスが分かっていると察した令嬢数名は、フィーナにも軽くお辞儀をして立ち去った。
要はイジメるなよ? と言われたのだ。なら、今はこれ以上ここにいても悪印象しか与えられない。嫌われたくなければ、素直に去るに限る。
ルーフィスの態度からして、フィーナとの間に今は付け入る隙はないと悟ったのだ。余計な事をして嫌われてしまえば、自分達だけではなく家に迷惑が掛かる。
今はまだ深入りせず、様子を見て立ち去った方が利だと思った。そして、スキを狙いその内にまた、上手く付け入れば良いと判断したのだ。
だが、そう思う令嬢達だけではなかった。折角現れたルーフィスに取り入る好機だと、感じた令嬢もいた。
「ルーフィス様。知ってまして?」
空気が読めないのかお構いなしなのか、上目遣いでルビーはルーフィスに擦り寄った。
「何だね?」
「その方、1度婚約を破棄された "傷物" ですのよ? そんな女性はルーフィス様には相応しくありませんわ」
ルーフィスが何も知らないと思っているルビー達は、賛同して大きく頷いていた。
フィーナは仮にも婚約者。その婚約者を悪く言って、自分達に咎が返ってくるとは考えていない様である。
「フィーナが傷物なら、私は余り物か残り物といったところかな?」
「「「え?」」」
ルーフィスの想定外の返答に、令嬢達は目を丸くした。
傷物だと知り、フィーナに距離を置く事を期待していたのだから余計だ。
「フィーナ。私は1度妻を亡くした。なのに、君を新しく妻に迎えようとしている。そんな私は薄情かい? それとも節操なしかな?」
とフィーナの腰を引き寄せ、ふわりと微笑むルーフィス。
だが、皆を揶揄するための口上だとフィーナは知っている。
世間では妻は病死とされてはいるが、ルーフィスの前妻は実際は男を作って逃げたのだ。だから、ある意味同じ "傷物" である。
フィーナはクスクスと笑っていた。
「貴方が節操なしなら、私は次々と男を変えるアバズレですか? 1度は捨てられたアバズレを妻に迎えても宜しいのですか?」
フィーナはわざとらしく自分を卑下し、上目遣いで甘えて見せた。
「君がアバズレなら、私なんて残飯だよ。君みたいに若くないがイイのかな?」
とルーフィスはフィーナの頬に手のひらを滑らせた。
「コーヒー豆って若い時は苦くて酸っぱいですけど、時間が経ちますと甘くなりますの。ルーフィス様は今が飲み頃ですわ」
「私がコーヒー豆なら、君はカップかな?」
「まぁ、婚約者なのですから、お湯にして下さいませ」
カップでは私が残ってしまう、とフィーナが少し怒って見せれば、ルーフィスがその瞼にキスを落とした。
「コーヒー豆はとても甘いから、砂糖もミルクもいらないね?」
「えぇ、でも、少しは苦味が欲しいですわ」
フィーナはそう言って人差し指を、ルーフィスの唇にチョンと充てた。
「善処しよう」
その人差し指にルーフィスは、愛おしそうにキスをする。
「では、踊ろうか。可愛くない婚約者殿」
丁度良く、皆にダンスを促す曲がかかり始めていた。
それに気付いたルーフィスは、フィーナの前で軽くお辞儀をする様に右手を差し出した。
「そんなお誘いお断り致しますわ」
フィーナはニコリと良い笑顔を見せ、その手に自分の手を乗せて優しく誘われながら、言葉では断っていた。
「今日も愛していないよ」
と差し出されたフィーナ右手の薬指に、ルーフィスは蕩ける様なキスを落とす。
「私も愛していませんわ」
自然と顔が近付いたルーフィスの唇に、フィーナは自分に1度充てた人差し指をチョンと充てる。
そのフィーナの仕草に、皆は蕩けていた。
唇が触れるキスよりも、遥かに甘美なキスに皆は惚けてしまったのだ。
ルーフィスを狙っていた令嬢達からも、諦めと感嘆の溜め息が漏れていた。
あの無表情で無気質だったルーフィスが、こんなにもフィーナに優しく甘い。
もう、この2人の間に入るのは、難しい事だと痛感したのである。
こうして注目を浴びたまま、2人は幸せそうにダンスを踊り始めると、それに誘われる様に皆も輪に入って行った。
そして、社交界ではしばらく、この人差し指越しのキスが流行ったのであった。