あたしの唇
よろー
あたしと宮崎が、並んで歩いているのは、明らかに異様な光景だった。大勢の女子生徒が、廊下の端からあたしたちを見ている。彼女たち全員が、あたしに殺意の視線を向けていることは言うまでもない。そんな女たちを、サワコは少し離れたところで、追い払ってくれていた。
「muscle君、もう目覚めてましたね」あたしは、宮崎が咲かせた薔薇を、踏まないよう、気を付けながら言った。
「頑丈な奴だからな。すぐに、けろりだよ」
「それはよかったです。でも・・・、やっぱり怒ってましたよね?」あたしは恐る恐る、聞いた。
「う~ん。どうかな・・・」宮崎は首を傾げた。
「怒ってたとも言えるし、怒ってないとも言える」なんだそれは。
「じゃあ、怒ってないことを願っておきます」
「それがいい。そういえば、敬語はやめてくれよ」宮崎が言った。言われてみれば当然だ。同学年なのだから、敬語を使う必要などない。学校のスターが相手だから、気が引けてしまったのだろう。
「わ、分かったわ」ぎこちなく答えた。
「いい子だ」宮崎は満足そうに言った。
廊下を抜けると、人気のない中庭へ出た。ベンチがあるだけの簡素な場所だ。サワコのおかげで、後ろにも誰もいなかった。
「ここら辺でいいか」宮崎が言った。頷こうとすると、あたしのスマホが鳴った。サワコからのLINEだ。
『頑張ってね』とあった。
(分かってるわよ)あたしは心の中で、返信した。つまり既読無視だ。おそらくこいつは、あたしとmuscleモスキートが仲直りすることをきっかけに、muscleモスキートに近づこうという、魂胆だろう。相変わらず、下品な女!
「どうした?」宮崎があたしに尋ねた。
「いえ、何でもないです」そうあたしが返すと。するりと宮崎が腕を伸ばし、彼の細長い人差し指を、あたしの唇に押し付けた。そして――
「敬語はダメだって言ったろ?」と言った。あたしは、無言でうなずいた。
「それともう一つ・・・」彼は人差し指で、あたしの唇に、ツンと触れ、
「君の唇、柔らかいんだね」と囁いた。
「ひ、ひゃい」あたしは思わず赤面した。何を言ってるんだこの男は。それにあたしも、何が、ひゃい、だ。まったく恥ずかしい子ね!あたしは自分の頭を、ポカリと殴った。
「じゃあ、エーナーエノウェーさん。本題に入ろうか」宮崎があたしの顔を見つめた。こうして見ると、やはり完璧な顔立ちだ。
「俺への用って、何だい?」あたしは一つ深呼吸をして――
「えっと、あたし、muscle君と仲直りしたいの。だから、あたしと彼の仲介役になってください」あたしは自分でも驚くほどの大声を上げ、頭を下げた。
「どうして仲直りしたいの?」宮崎が尋ねる。
「もしも、muscle君が怒ってたら、あたしを殺すよう、女子生徒たちに命令するかもしれないからよ」考えていることを、そのまま言った。
「直接、自分で行けばいいじゃないか」宮崎が少し冷たい口調で言った。
「だから・・・何をされるか恐いし・・・」これまた正直に答えた。
数秒の沈黙が訪れた。やがて、宮崎が口を開いた。
「muscleはそんな奴じゃないんだけどな」彼はぼそりと呟き――
「顔を上げてよ」と、あたしに言った。
あたしが頭を上げると、宮崎が言った。
「オーケーだ。エーナーエノウェーさん。俺としても、親友が誤解されてるのは、気分が悪い。君の仲直り、手伝わせてもらうよ」彼は白い歯を覗かせた。
「本当ですか!・・・よかった」あたしは、ホッと胸をなでおろした。
「まあ、俺に任せとけ。あ、そうだ・・・」宮崎はポケットから、ボールペンと手帳を取り出し、何かを書き付け、そのページをちぎった。
「はい、これ」そして、それをあたしに差し出した。受け取って見ると、あたしは思わず、目を見開いた。そこにはQRコードが書かれていた。
「なんですか、これ?」あたしは戸惑い、尋ねた。
「LINEのQRコードだよ」宮崎は平然と答えた。呆れたものだ。あの短時間でこの男は、QRコードを描いたというのか。やはりイケメンは、スケールが違う。しかし、連絡先をもらえたことは、願ってもみないことだった。
「これ、もらっちゃっていいんですか?」尋ねる、あたしの声は震えていた。なにしろ、アイツの連絡先だ。みんなが憧れているアイツの・・・。
「気にするなよ。muscleと仲直りしたいんだろ?連絡をとれた方が、仲直りもしやすいはずだ。アイツにとっても都合がいいだろう」彼は同意を求めるように、あたしにウインクをした。
「はい、ありがとございます」あたしも、ウインクで返した。一応言い訳しておくと、これは、社交辞令のウインクだ。
宮崎はあたしのウインクに、少し驚いたような表情をした後、薄い笑いを浮かべ前へ、歩を進めた。あたしの横を通り過ぎるとき、あたしの耳元で、
「僕にウインクを返したのは、君が初めてだ」と、言い残し、過ぎ去っていった。最初から最後まで、訳の分からない男だった。
宮崎が廊下の方へ消えると、代わるようにサワコが現れた。
「ちょっと、エーナーエノウェー、あんたやったわね!」彼女は満面の笑みをたたえていた。
「何が?」あたしが問うと、
「とぼけないでよ。あんた、muscleモスキート君の連絡先をもらってたでしょ?」サワコはあたしに詰め寄った。
「さあ、何の話かしら?」あたしが、ぷいとそっぽを向くと、
「きいいいいい!あちしに教えないつもりなのーー!?」サワコは悔しそうな声を上げ、あたしに襲い掛かった。あたしはひらりと身をかわし、走り出した。
「待ちなさいよー!」サワコがあたしを追いかける。
「エーナーエノウェー!あんたもまさか、muscleモスキート君のこと好きなわけ?」
「はあ?ば、バカ言ってんじゃないわよ!」あたしは逃げながら答えた。あたしがmuscleモスキートを好き?・・・いやいや、あり得ない、あり得ない。あたしは頭の中で、打ち消した。
「待ちなさいよー!」サワコの声が、中庭に響き渡った。
あたしは何とか、サワコを振り切り、無事、家にたどり着いた。時刻は午後7時。どうやら、サワコから11時間近く逃げていたらしい。
あたしはポケットから、宮崎にもらった、アイツのQRコードをを取り出した。それをスマホにかざし、恐る恐る、緊張の面持ちで、友達追加をする。汗が額から滴り落ちた。
宮崎は果たしてうまくやってくれただろうか?
あたしは今日、ほんのちょっとだけ、気になるアイツに、LINEをする。
あざ




