~42~ 林檎と蛇⑤
「どうせだからグラスとかあるかい?天使様は酒はやるのかい?」
「ボクは唆す側だよ?唆す先の快楽を知らなければ導けるわけもないよね?」
ふと気づくとその手にはどこから出したのか鉄製のグラスが握られていた。
相変わらずの笑顔でグラスを渡すように差し出してくる。
手を伸ばして受け取ると、まるで氷水で冷やしたようにグラスがよく冷えている。
「どういう手品なんだい?こんなの」
「フフフ、ボクはこの世界の管理者だからね。その程度ならなんのこともないよ。それよりご注文は?」
「そうだね・・・ティリアも食べるし、僕もなんかたべるか」
ふと壁にはられているお品書きをざーっとみていく。さっきも肉を食ったが今回も肉を食おうと思っている。さんざ動いたってのもあるが腹が減った。
油!肉!カロリー!どかんと腹にたまるものが食いたい、となれば肉料理だ。
「ああ、そうだ美食家。とっておきのスープをサービスでつけるからソレ以外を注文してくれるといいな。それなりに面白い冒険を見せてもらったお礼さ」
「それは重畳。せっかくだからお言葉に甘えるよ」
さてさて、では改めて何を食うか。
いえばきっと元の世界の高級珍味やフルコースでも出てくるんだろうが今は気分じゃない。なによりこの世界のものが食いたいのだ。
こう・・・モンスターを食材にするようなそういうメシがくいたい。
なんて考えながら壁のメニューを見ていく。
「おお?こいつァ、いいかもしれないな。」
鎧角竜のホルモン丼。
鎧角竜とは、名前こそ大仰な竜だが実際は草食でおとなしい性格の家畜にもなるような種族のことだ。
実際元のゲームでも世界の設定的には多くの人間に愛されるポピュラーな食材だ。
僕がいうと意味が違って聞こえそうだが僕は焼き肉がすきだ。
特に、ホルモンのようないわゆる臓物系の肉は大好きだ。やわらかい肉、コリコリした肉、ちゅるんと喉を通る肉どれもこれも大好きだ。
特に好きなのが喉を滑り落ちるようなやわっこい肉。すなわちホルモンだ。
甘辛いタレで食うのが最高で、口の中に入れてからじわぁっとにじみ出る油がホルモンの楽しみだ。
・・・なんてのを”ホルモン丼”の文字を見て夢想している。いかん、これは食わねば気が済まない。
「・・・ホルモン丼、大盛りでもらえる?」
「ああ。できてるよ」
注文と同時にスっとサマエルはほっかほかと湯気が立ち上る丼をトレーに載せて渡してきた。
絶対におかしい。
作り置きとかのスピードじゃない。一体何がどうなっている?
「ハハハ、なんてこと無い手品みたいなものだよ。種も仕掛けもあるんだよ?」
どうだか。
もともと僕みたいなろくでも無いやつを異世界転生させるようなやつだ。
世界の秩序とバランスを保つというのが世間一般の神様だとしたらこいつのやってることは程遠い。そういう権能的なものを好きに自分のために使っていてもおかしくはないだろう。
「まあその辺りはいつか説明しようかな。それよりこのスープは選別なんだけど受け取ってくれるね?」
言いながらスープの入ったカップがでてくる。
「あっ」
思わず声が出る。その内容にだ。
色は薄らきつね色。香りもよくあるコンソメスープ。
ちょっとした根菜が浮いていて美味しそうだ。
だが本題として問題だ。
独特の厚ぼったさがある、人の”舌”が澄んだスープの底で沈んでいた。
まあ、それ自体は僕には見慣れた食材で別段驚くものでもない。
本当の問題は見慣れすぎたその舌だ。
・・・これは紛れもない、ボク自身の舌だ。
口の中の舌をモゴモゴと動かしてみる。
ある。ひっこぬかれたりはしていない。
ならこのスープの中の舌は?
「大体のゲテモノも珍味も食い尽くしたであろうキミのための料理なんだ。ぜひ食べてほしい」
料理をいただくには、舌が必要で、舌があるならば”自分の舌”を食べることなどできない。
なるほど。ゲテモノ料理の最奥とはコレだったのだ。
人肉はそれこそ禁忌。だがそれ自体は気軽にとはいかないが”食おうと思えば”いつでも手に入る食材だ。
・・・だが、自分の肉を食べる、まして他人に調理してもらうなど、この世を数えてもそうはいない。
真のゲテモノ。だれも味わうことが出来ない”自分の舌のコンソメスープ”が目の前にある。
そう思った瞬間、脳から脊髄にかけて強烈な電流が走り抜けるような仄暗い情動が湧いてくる。
「・・・なるほど。確かにこれは僕だけが味わえる僕だけの背徳的ゲテモノ料理だ」
しかし、今、僕の舌は確かに口の中に残っている。
もごもごと口の中で動かして確かめるが、ある。
だが間違いなくカップの中の舌は、僕の舌なのだ。矛盾した出来事に混乱する。
「安心してほしい。その舌はキミの古い美食家としての舌だよ。キミの舌はこの世界で食事をするには舌が肥えすぎていて、何を食うにも前の世界の記憶と比べてしまうだろう?」
ハッとする。たしかにそうだ。
前の世界で散々美味いものを食ったのだ。どれほど珍妙な食材であれ、記憶に突き刺さるような強烈な旨さを感じることができるかといえば難しいだろう。
・・・どうやったかはこの際問題じゃない。今口の中にある舌が僕の舌で新しいこの世界で生き、食を楽しむ舌だ。
「その通り。今のキミの舌は記憶はあっても経験としての味覚を失った、貧乏舌だ。食事を摂れば食い物じゃないレベルのものでも食べない限り、どんなものでも新鮮で美味しく感じるだろうね」
言いながら肘をついた腕に顔をのせた楽な姿勢でクスクスと笑っている。
「サ。ボクからの贈り物は以上だ。彼女も注文もできてるし一緒に食べてくるといい。その”人タン”のコンソメスープの舌は他人にはせいぜい厚手の肉くらいにしか見えないようになってるから安心してテーブルに持っていくといい」
そういってサマエルはホルモン丼とコンソメスープ、後ティリアが注文した鶏のサンドイッチの乗ったトレーを渡してくる。
「わかったよ。これからも世話になるし、せいぜい飽きられないようにするよ」
サマエルは返事の代わりにひらひらと手をふって返した。
ジドはトレーを受け取ると、ティリアのいるテーブルへ戻っていく。




