~34~ 悪魔②
ジドの手には血濡れた短剣があった。
彼女の喉を裂いた。窒息で死ぬのには時間がかかる。
「はじめからお願いする気なんてないんですよ。あなたの今後の未来を人質にするんでね」
アナンナは裂けた喉を必死に抑えて空気が逃げていくのを必死に押さえている。
だが残酷なことに喉からは空気が漏れる音がひゅうひゅうとなっている。長くはもたないだろう。
直ちに傷を処置できなければ死ぬのだ。
「さてティリア。禁忌の縫合糸をお願いするよ。蘇生じゃなくて傷を塞ぐって意味でね。アレが死んじゃう前にお願い」
ティリアは不思議そうに首をかしげている。当然だろう。たった今殺した相手を延命しろなんていうのだから。
「彼女の殺生与奪を握る。その後で交渉をするためだ、ティリア」
「・・・なるほど。わかりました。スキル発動。禁忌の縫合糸」
ティリアの指先から黒い糸が先程のようにすーっと伸びていき、うつ伏せにぶっ倒れているアナンナの喉元へ飛んでいく。うつ伏せで何が起きているのかはよく見えないがドラグーンの設定通りならば骨から神経からを邪悪な糸が天才外科医ばりの腕前の縫合手術を行っているとか。ただ糸が特殊な素材らしく、なんと縫った相手を蘇生することができる。ただし「人類側に属さない」異形種に限定される副次効果であって眼の前の死にかけのアナンナにその効果は期待していない。あくまで傷を縫うという効果によるHPの回復、というより治療効果としての部分だ。
「・・・あなたのやり方はちょっと理解しかねますけどね」
ティリアはやや不服、というような顔でフードをかぶり直してしまった。
ガホッ、ゴホ!っとアナンナが息を吹き返す。いや継ぎ直したというかなんというか。
失血だろうか。うっすら青くなった顔で蹲りながら睨みあげてくる。
「・・・ッ・・・いきなり・・・!なにしやが・・・る!」
「言ったとおりです。あなたの命を人質に脅迫をします。さてではまず、状況の説明をしましょう」
ジドは言いながら革鎧の下の肌着をぺろりとめくり、腹を相手に見せる。
「・・・なんだい?降伏のポーズかい?」
「いいえ?私のキズ、コレ見えます?」
ジドが引き締まった腹筋のある腹にある横一線に入った黒い糸に指をつーっと這わせてなぞる。
「コレは縫い跡だ。当たり前だけどこの線に沿ってキズを直してもらってる。ただ回復の奇跡の類のように傷そのものが消えたわけじゃない。例えるなら切り分けた果実の断面をぴったりきっちり、綺麗ににくっつけて縫い合わせただけなんだよねェ」
言いながらジドは腹の糸を指先で弄って手遊びしている。
撫でるようにしていたのに、突然に指に力をグっと込めて押し込む。
ぴゅっ、とその縫い目から血が吹き出す。
「当然キズ自体はまだ全然残ってるわけでして、鮮肉人形の彼女がその気になれば僕の命はたちまち魔力でできたこの糸とともに消えていくってわけです。まあ彼女の機嫌がいきなり悪くなってせっかく一つになった僕の体がまたバラバラになるのは困るんだけどね」
いいながらジドはヒッヒッヒッと楽しげにいやらしく笑っていた。
だが言葉の意味がよく伝わっていないのだろう。眼の前のアナンナはあいかわらず小首をかしげて不思議そうな顔で困惑してこちらを見上げている。
ジドはその様子を見下ろしながら、まるでナイフで首を掻き切るように人差し指で首の側面から反対側面に向けて顎の下を通すようにしてなぞる。
アナンナもおもわずつられて同じように喉の下に手を触れる。
そして触れてからぴたり、と動きが止まる。いや固まる。みるみる表情が青ざめていく。
彼女もわかったのだろう。
命を人質にする、という言葉の意味が。
「青ざめたな。そうさ。そういうことなんだ」
ティリアの気分次第で喉のキズがたちまち開く。つまり彼女の絶命スイッチをこちらが握ったということになる。
「そいつは・・・どうかな!」
アナンナの手がすばやく道具袋へと伸びた。ゴソっと一瞬中を弄ったかと思うと中から出した手は回復ポーションを握り込んでいた。
「ああ、それは無駄だよ。その死体を長持ちさせるようにする効果があってだね?ティリア。教えてさしあげてくれない」
「なんで上から目線なんですか。なんかやたら悦に浸ってるみたいでキモいですし・・・」
「ひどくない?一応命の恩人でしょ?」
「まあ、どうでもいいんですが・・・一応説明しますが、その糸は私が鮮肉人形として低位の不死者を作成するものでして、傷を治すのとは別で術者意外の回復を阻害する、というのがあります。つまり、この糸で致命傷を治癒された時点で詰みです。私を殺したらあなたは死にます。ジドを殺したら殺します。要求を受け入れないならあなたは死にます」
アナンナの手にあったポーションがずるっと滑り落ち、ガラス瓶が音を立てて割れる。
「ハハ、ハハハ・・・私もおしまいか。そこそこ強いやつの腰巾着として楽に生きてくつもりがまさかこんなことになるなんて・・・」




