~25~ 名無しの男の前世
肉はいい。どんな安い肉でもあの油が口のなかに広がるだけで多幸感に包まれる。
高級な肉ならなおさらだった。そして僕の一生は割と食事と付き合いあった一生だった。
子供のころから割とうまい肉を食わせてもらっていたらしい。
親父が大食漢でさらに自称美食家ということで家での食事はもちろん外食もいいものを月一回くらいのペースでよく食べに行った事を覚えている。
なかでも稀に父が買ってきた霜降りの肉が忘れられないほど好きだった。
自分も大きくなり、うまいものを食べるために仕事をするようになった。
アルバイトに性を出し、稼いだ金で食いにいく。学生時代はこんな感じだった。金さえあればどこかに食いに行ったし、金を貯めてグルメ旅行なんかもしたもんだ。
しかし、どれだけグルメ旅行しどれだけ高い肉を食っても父が買ってきた肉にまさるものはなかった。そんな悶々とした食い歩きをしてるときにある焼肉店でその肉に出会うことができた。
その肉は超高級ブランドの肉だったらしく最高グレードの肉だった。そりゃ超えられないわけだ。そりゃ悶々とするわけだ。こんな高級食肉を食い続けたのだ。舌は抜群に肥えていた。
学生時代の旅行の記録から日記、記録帳とでもいうかそんな体でブログを書き出したらコレが世間にウけてしまった。そこらの評価サイトより信頼できるとかであっというまにブログの収入で生計を建てられるようになっていた。
こんどはメディアに引っ張られるようにもなったがそんなことより新たな事に興味は向いていた。
うまいものはあらかた食い尽くした。どこもかしこもうまいものはそうだ。
なら今度はゲテモノ食いといこうじゃないか。
金はあった。世界を飛び回り、あっちこっちでいろんな珍味、美味、ゲテモノを食いまくった。
ワニやライオン等、猛獣や珍しい動物はもちろん地域の変なものまで手当たり次第だ。
なんでも食った。世界でもこれだけ様々なものを食った人間はいないだろう、と思いながらも色々食った。
だが後一品、いや、ある「食材」だけは食べたことがない。ないというよりは出来ない、が正しいのだが。ゲテモノ料理として一番最後にぶちあたるそれだ。
それこそ二本脚で歩く不思議な生き物で、数自体は地球でもかなり多い。
それこそ”両脚羊”だ。昔は一部のマニアに好まれて食されたというが。思いつきこそ実行はできない食材だ。
その正体は「人肉」だ。ゲテモノとして最奥の食材にして人間としての禁忌だ。
だが躊躇いはなかった。
ファンを名乗った女性を自宅へ食事に招待したらあっさり釣れたのだ。
自分で言うのもアレだが世界的美食家の晩餐にご相伴にあずかれるとしたときの彼女の顔は輝いて居たのを覚えている。
その後は遅効性の睡眠薬を盛って、楽しく食事をしたあとの女性を眠らせてその後、女性の調理に移った。世界各地であらゆる食事を取ってきたからこそ解体や調理の知識はしっかりあった。まあ知識だけで作業工程はミスも目立ったが美味しい”シチュー”が出来た。
あの味は忘れられないだろう。肉自体はそこまで美味いわけじゃなかった。そもそもうまい肉ならいくらでも食ってきた。その上で行なう食人なんて趣味なのだ。趣味としか言いようがない。
だが、この美食家の舌ではなく、心を掴んだのは「背徳感」だった。
人を殺して喰う。禁忌を犯す、それもたかが趣味での食事、生命維持に必要なそれとは別の娯楽としての殺人食人での無駄に浪費しているというその感覚が妙に興奮したのだ。
そこからはノンストップだった。月に一回、昔父がそうしたように「お楽しみ」とした。
知名度、金、コネ、使えるものを駆使して喰いまくった。これこそ生きる糧だとおもった。
調理技術もメキメキと上がっていった。
だがそんな退廃的で残酷で甘美な生活は長くは続かなかった。
睡眠薬の量が足りなかったのだろうか、耐性があったのか捕まえた女が逃げ出した。
あとはスピード逮捕だった。
人気グルメリポーターの異常な趣味!だとか、悪魔の所業!だとかで一時話題になった。
犠牲者20人。約二年間に及ぶ凶行だった。
殺害人数、動機、情状酌量の余地なし。当たり前に死刑判決だった。
電気椅子。それが僕の死因のはずだった。
執行日の当日、大きな大脱走騒動が起きた。それに乗じて自分も抜け出した。
だがこっちは死刑囚だ。他の囚人もだがこっちには手厚い追跡があった。
数週間の潜伏の後、居所を突き止められたあとは見苦しいまでダッシュでの逃走だった。
決死の逃避行の最後はあっけないもので、トラックに跳ねられて死んでしまった。
人喰いの最後はしょうもなかった。
人でなしの最後の終わりはただの事故だった。これが享年35歳。
これが後の名無しの男の前世だった。




