虚談:情が仇
鬼童 撫子は、愛娘の生活に不安を抱えている。
一番の問題は愛娘である鬼童 真珠ではなく、双子の兄である鬼童 玄乃とそんな二人の友人である鳳 鈴だった。
二人が何故か真珠を取り合い、血の雨を降らすのではと不安に思っているのだ。
「真珠は甘い物が好きだから、玉子焼きも甘いのだろう」
女性顔負けとも言える中性的な顔立ちをしている玄乃は、薄らとその口元に笑みを乗せ、自分の箸を真珠へと差し出す。
箸先には柔らかそうな玉子焼きがつままれている。
しっとりふっくら巻かれた切り口からは、とろりと半熟の黄身が姿を見せていた。
だが、それが口に入る前に反対隣から、すいっと別の箸が差し出される。
「待ちなさい。毎回毎回、そんな甘い物ばかりじゃあ、バランスが悪いでしょう」
鈴が朝から険しい顔で座っている。
そんな鈴の持つ箸の先には、玄乃の玉子焼きよりもずっしりとした厚みのある玉子焼きがあり、黄色だけではなくいくつもの色が散っていた。
「カツオと昆布の出汁に、人参、椎茸、ゴボウ、ひじき、タケノコが混ぜ込まれた五目出汁巻き玉子――これこそが、真珠に必要なものよ」
撫子は箸の動きを止めた。
「オイ、鈴」
ゆらりと立ち上がった玄乃は、ブルーグレーの瞳に剣呑な色を乗せた。
重度のシスターコンプレックスを患っていながらも、その他の女子女性に対しても紳士的な対応をするはずの玄乃は、真珠と仲の良い鈴に対しては当たりが強い。
しかし、だからと言って鈴も鈴で、玄乃が少し凄んだくらいでは引き下がるような、か弱い女ではなかった。
首元にぶら下げたヘッドフォンをガチャガチャと鳴らし、立ち上がると玄乃と同じように黒い瞳を細める。
「何よ」
「俺達の朝食の邪魔をするな」
「はぁ?アンタの方が邪魔よ」
両者は話題の中心である真珠を挟んで睨み合った。
真珠は焼き魚を無表情で見下ろし、ちまちまと身を解している。
しかし、その顔色は優れない。
真珠にとって兄である玄乃、双子でありながら真珠は玄乃を『兄さん』と呼ぶ。
確かな関係性を示すような呼び方を真珠は気に入っており、たった数時間数分数秒早く生まれただけだというのに、玄乃本人も真珠を妹と認識していた。
双子よりも兄妹を強調する二人は、互いに甘え甘えさせている。
更に言えば、真珠にとって玄乃はヒーローでもあった。
自分が何か困った時には必ず助けに来てくれる、という絶対的な自信を持っている。
勿論、真珠自身も玄乃に何かあれば、何を置いてでも駆け出し玄乃の元へ向かうだけの自信も覚悟も持っていた。
そして友人であり、俗な言葉を使えば親友とも言える鈴は、真珠にとって初めて家に招き入れた同性だ。
友人がいないわけではなかったが、だからと言って一線を超えたような付き合いはなく、学校内だけの付き合いしかしてこなかった真珠にとって、鈴の存在は大きい。
ぼんやりとした真珠に、あれやこれやと世話をしたいのも相まって、学校内外でも一緒の時間が多かった。
特に真珠の髪を梳いたり結ったりを好んでいたようだが、真珠の小さな話で若干回数が減っている。
後は女の子同士、お互いだけの内緒話なんてものも、あるのだろう。
そんな二人に面倒を見られ、甘やかされ、目に掛けられている真珠次第で、血の雨は降りかねないのだ。
撫子は、朝から重い頭痛を覚え、軽い溜息を漏らした。
「真珠は甘い玉子焼きを食べるんだ」
「五目出汁巻き玉子よ」
「甘い方だと言ってるだろう!」
「五目出汁巻きって言ってるじゃない!」
そうして矛先は「真珠!」と方向を変える。
魚を解体していた真珠は、二人の声に薄い肩を跳ねさせて「え……え?」か細い声を重ねていく。
それに対して撫子の頭痛が酷くなる。
両方、両方一切れずつ食べれば良いじゃない、と叫びそうになっていた。
そもそも、そもそも、だ、その甘い玉子焼きも五目出汁巻き玉子も、鬼童家のお手伝いさんが作ったものだ。
玄乃や鈴が作ったものではなく、何故それで張り合うのか、と撫子は疑問に思う。
白銀の長い髪を揺らす真珠は、玄乃の顔と鈴の顔とを見比べていた。
前髪が何度も右へ左へと揺れ、黒い瞳も薄らとした涙の膜を張って揺れている。
朝から酷い光景だ。
食卓にいたのは撫子、真珠、玄乃、鈴、以外にも鬼童家の大黒柱である鬼童 大和もいるが、何故か微笑ましいものでも見るように目尻を下げている。
そして真珠玄乃の幼馴染みである羽衣 鳴が、パンッ、と両手を打った。
「ご馳走様でした」
食器を重ねた鳴がそう宣言すると、撫子は瞬きをしながら「え、えぇ」と頷く。
重ねた食器をお盆に乗せ、それを器用に片手で持ち上げると、もう片方の手に一つの皿を持ち、動き出す。
コトリ、音を立てて皿は真珠の目の前に置かれた。
「二人共、いい加減にしておきなよ」
ドス、ゴス、鈍い音を響かせ、二人の脇腹に手刀を叩き込んだ鳴。
真珠は呻く二人と目の前に置かれた皿とを見比べ、未だ落ち着きなく、え、を繰り返す。
「シロはそっちの大根おろしのを食べなよ」
ね、と眼鏡を押し上げた鳴に、真珠が首を縦に振った。
因みに、玄乃と鈴が持っていた玉子焼きは、お互いの口に飛んでいき、今は噎せている。
迅速かつ華麗な対応に、撫子は拍手を送りたくなった。
しかし、その場は収まったと言えど、毎朝毎朝似たようなことをされては真珠が一番先に音を上げることだろう。
仮に真珠が泣いたとして、今度はあれやこれやとご機嫌を取ろうとするのが目に見えている。
そしてそれも、玉子焼き戦争(仮)に負けず劣らず喧しいことも。
どちらも真珠のことが好き過ぎるのだ。
好きなのは良いが、度を超えている上に、それが真珠の迷惑になるなら宜しくない。
鳴も何かと真珠に構うが、一々玄乃や鈴と張り合うことはなく、それが一番平和であり、正当だと撫子は思う。
鈴と鳴が泊まっている間は、玄乃と鈴の争いが日常となるのは困る。
お泊まり自体は良いが、争いは困る。
ふぅ、と眉を下げ息を吐いた撫子が、四人が学校から帰宅した所で真珠に声を掛けた。
本来大黒柱である大和に頼むのが良い気もするが、まるで子猫のじゃれ合いでも見ているような様子なので、宛にはならないと判断したのだ。
「真珠」
「……?何、母さん」
廊下で足を止めた真珠は首を捻り、撫子に手招きされるまま部屋へと招き入れられた。
***
ある所に二親を亡くした子供がいた。
駆け落ちし、結局客死してしまったのだ。
子供だけは無事に助かり、両親の郷里へと送られた。
幸いなことに両祖父母が共に健在で、親を亡くした孫を哀れに思っており、子供はどちらかに引き取られることになる。
ところが困ったことに、両家とも子供を引き取るのは自分達だと言って譲ることがない。
自分達の子供を誑かし、駆け落ちなどした相手方の縁者に孫を預けるなんて、とんでもない、ということだ。
そんなことでは話し合っても埒が明かないので、子供自身に決めてもらうことになった。
祖父母達はどうにか子供の気を引こうとして、あれやこれやと言う。
「うちに来たら白いおまんまが食べられるぞ」
「いやいやうちなら卵も食わしてやろう」
「卵と言わず肉も毎日出そう」
「甘い菓子も好きだろう」
だが、子供にとって見ればどちらも大して変わらない話である。
ああ言えばこう言う、と言うべきか、キリがない。
いつまでも子供が選べずにいるので、子供に選ばせるのは止めにし、町名主に調停してもらうことにした。
人一人の行く末が掛かった話だ。
頼まれた町名主は、さてどうしたものか、と考えたが、噂に聞いたある裁きを真似ようと思い立った。
その裁きというとは、親の分からぬ子供に母と名乗る二人が現れ、子供の両腕を引っ張って母を決めたというものだ。
子供が泣いて痛がった時、先に話した方こそが我が子を思う母であるとした、名裁きである。
町名主は早速子供を立たせ、祖父母達に左右の腕を持たせて引かせた。
子供が泣いても喚いても両方引っ張り続ける。
何せこの子供の為となれば、絶対譲れるはずがないのだ。
袖が破けても腕を掴み直して、えいやえいやと引き続ける。
どちらも離す気配がなく、思ったのと違う様子に、仕切り直しをさせようとした町名主が声を上げた。
しかし、祖父母達は必死で話を聞かない。
そしてとうとう、最後とばかりに両方が力一杯引っ張った。
結果、子供は半分ずつ引き取られることになったのだった。
***
丁度夕食時、本日は鍋だと聞いていた玄乃と鈴が廊下で鉢合わせた。
鍋ならばバランス良く真珠の小鉢に入れてやらねば、と両者が思っていたのだが、顔を見合わせた二人はあからさまに顔を歪め、苦い挨拶を交わし合う。
無視する程大人気ないわけではない、ということだ。
向かう場所は同じということで連れ立って進む。
お互い仮にも友人だが、真珠のことになると譲れないものが大きく、どうにも上手く噛み合わない。
そしてそれが、真珠に一番の被害を与えていることにも気付かない。
そんな二人が、前方に襖を閉じて廊下に出てくる細い影を見付けた。
あ、と声を出したのはどちらだったか。
「真珠、こんな所で何してたんだ」
「もう夕食の時間ですって」
二人の声に振り向いた真珠は、二人の姿にビクリと身を震わせた。
自分の部屋ではない、自分達の母親の部屋から出てきた真珠を不思議に思った玄乃は、眉を寄せて首を捻る。
「母さんと何か……」
話していたのか、そう問い、さり気なく真珠を誘導する為に手を伸ばしたが――。
「やっ……!」
ぺちん、と軽い音。
それから直ぐに玄乃の手がじんわりと熱くなった。
妹が「……ましろ?」自分の手を振り払った、それだけのことに気付くのに、数秒も必要とする。
元々白い顔を青白くした真珠は、揺れる黒目で玄乃を見上げていた。
初めて向けられた表情に呆然とする玄乃を、鈴が嘲笑う。
「とうとう、鬱陶しがられたんじゃない?」と至極楽しそうな声を上げ、真珠と手を繋ごうとし――。
「……ひぅっ」
その手は空を切った。
身を逸らした真珠に、鈴の表情も固まる。
真珠はまるで人形のように動かなくなった二人を前にして、僅かに足を下げていく。
「あ……っと、私、先に、行ってるね」
パタパタと子供のような足音を響かせて駆けて行く真珠を、二人は石のようになって見送った。
真珠の足音が聞こえなくなると、直ぐ横の襖が開き、黒地に赤椿の着物を着た撫子が出て来る。
意志の強そうな光を持つ瞳を細め、固まっている二人を横目に「あまりしつこくすると、嫌われますよ」と言い残していく。
二人を見る瞳は柔和に三日月を描いたが、その奥では有無を言わせないような光を放ち、若干勝ち誇ったような顔をしていた。
その様子を廊下の奥から眺めていた鳴だけが、静かに胸の前で両手を合わせ「母は強し」と呟いた。