アブソリュート・イン・エンブリオ
勇者や魔王が存在する剣と魔法の、とある世界。
外観は中世ヨーロッパの街並み、魔法や魔石により発展した文化を持つ。
政治的な秩序はあるが、魔物は現れ人を襲う。
それでも、そこで生きていくことを不思議になど思わない。
この世界では、それが当然のことだからだ。
その国の中枢から遠く離れた辺境の地、長閑で朴訥とした小麦畑が一面に広がり、そこに点々とした家屋が風景に溶け込むようにあった。
そんな風景には似合わない洗練された者たちが学舎として過ごす場所がある。
表向きは、大きな門のある教会。
きなり色の壁には十字架が嵌め込まれ、鈍い銀色の光を放っていた。
そこを更に奥へと進めば、季節毎に色彩豊かな花が咲く、見渡すほどの庭園がある。
そのまた更に進むと片田舎の教会には似つかわしくない武器が所狭しと立て掛け並べられている修練場があった。
そこは、学舎ではあるが、そこで学ぶ限られた者だけが出入りのできる場所でもある。
限られた者、それは絶対者と呼ばれる一部の能力に特化した者を指す。
主に戦闘能力ではあるが、支援系や回復系の魔術であったり、豊富な知識であったりと様々だ。そこに、地位や性別を憂慮する者はいない。能力がすべてだからだ。
そんな彼らを、絶対者の卵と言った。
ただ、勇者とは召喚で呼び寄せる別の存在であるため、絶対者には、含まれない。純粋に、この世界で選び抜かれた精鋭となる。
その中でも将来を有望視されている、残すところ一年で修練の修了を控えた優等生がいた。
名をシグマ・ファーレンハイトと言う。銀色の長い髪と紅玉の瞳を持つ青年だ。
特化した能力は光属性の魔法である。その中でも魔力を反射・屈折させ姿を隠すことができる。
闇属性にはない、光属性を巧みに応用したものだった。明るい場所で隠密性の高い作業を、遂行出来るのは彼くらいだろう。
もちろん、応用を理解することができたとしても、使用出来るかと言えば、そうもいかない。
なぜなら、消費する魔力も集中力も生半可なものではないからだ。
シグマは、背も高く容姿は整っているが、残念なことに常に人を見下し、毒舌家の上、愛想も皆無であった為、彼の人となりを知るものは、まず近づくことはなかった。
そんな彼ではあるが、唯一友人と呼べる奇特な人物が一人いる。
名をネスティ・セルシウスと言う。
濃紺の髪と瞳を持つ落ち着いた青年である。柔和で人当たりがいいので、シグマの緩衝役として周囲からは重宝されていた。
ネスティの武器は、大剣。魔力量はそれほど高くはないものの、力技でねじ伏せるほどの攻撃力と、高い防御力を持つ。
その魔力も、攻撃力と防御力へ効率的に割り振り力を倍増させるのだ。暴れたあとは草木も残らない程の破壊力であった。
周囲の評価から二人は、1年後には絶対者組織の仲間入りを果たし、順調に功績を残せる程の実力を持っていると認識されている。
絶対者組織とは、有事の際、すなわちこの国では魔物の突発的な出現、国同士の戦争や武力衝突など緊急性が高いときに、出動する部隊でもある。
部隊と言っても適材適所が個々あるので、状況に応じて送り出される。
派遣場所は異なり、実質単独行動することが多くなる部隊でもあった。故に特化すべき能力を必要とするのだ。
修練も残り一年となり、残された実践という任務をいくつかこなすだけだった。
しかし、事態は一変する。極秘とされた情報。
シグマとネスティの二人だけに明かされた真実。それは、異世界からの来訪者を敷地内で保護したというものだった。
もし、異世界からの来訪者ならば勇者という可能性もあるが、召喚するという連絡や、召喚したという形跡なども残っておらず、本人さえも混乱状態で、魔法を見たことで異世界であると知ったという。
もはやその少年が異世界から来たという証拠はない。衣服もいたってシンプルで、こちらのものと大差はなかった。
幾重にも張り巡らされた結界内の敷地に、忍び込むなどまず不可能なことだ、と指導者からは伝えられる。
そもそも、異世界から来たと言う少年を指導者たちは、信用していない。少年の保護とは建前であり、監視を目的とし、どういう経緯で侵入を許すに至ったのか、分析するつもりだった。
今後の結界内の強化対策にあてる為だ。分析が終了すれば当然、始末されるか、良くて記憶を消され野に放置だろう。
シグマは、不愉快な気持ちで、その場所を後にする。その少年の面倒を見るように告げられたからだ。
「シグ…今回の件は公には伏せられているのに、俺とシグが重要事項を何故知ることになったのか気にならない?」
「…その理由をネスが知っているとでも言うのか」
シグマをシグと、ネスティをネスと愛称で呼ぶくらいには、お互い気心が知れている。
それだけ共有した時間があると言うことなのだが、今の言葉の意味を考えると、シグマの内心は穏やかではなくなる。
なぜなら、ネスティは周囲が心配するほどのお人好しなのだ。それは愚か者のすることだと、シグマが何度警告をしたのか数えきれない。
「自ら、首を突っ込んだのではあるまいな」
「違うよ。頭の上からこう、ドーンって感じで俺の所に落ちてきてさぁ」
異世界から来たという少年を知っているどころか、関わった当事者であった。ネスティの広げた腕を叩き落とすと、忌々しげに睨み付ける。
「そいつが転移に失敗しただけじゃないか?!貴様が騒ぎ立てたお陰で俺まで巻き込まれている!さっさと引き渡して逃げ帰ってこい!」
「無茶いうなよ…少年も気が動転していたんだ」
肩を竦めながら言うネスティに対して、シグマは辛辣であった。
「はっ、知ったことかっ!貴様が面倒を見ろ!俺は監視のみ徹底する。目を飛ばせるのは俺くらいだからな」
目というのは、対象の行動を監視するだけでなく、周囲の映像まで確認が出来るため、本来は鳥や動物にかける魔法だった。
その魔法を使いこなせる者は、一握りしかおらず、索敵や敵陣営の把握など、多岐に渡る。
「そうしたいのは、山々なんだが…すまん…これから、任務の一貫として遠征するんだ。その間よろしく頼むなっ!」
ポンッとネスティが満面の笑みでシグマの左肩を叩き、シグマは当然のように置かれたネスティの手を払い落とした。
(ネスの遠征で、指導者は異世界の来訪者の監視がネスだけでは不十分だと考えたのか…同室だから、都合はいいだろう。連帯責任とでも言うつもりか?もしや、俺がネスティに関わっている時点で既に面倒を見ることが確定だった訳じゃないだろうな?!)
そんな思考に到達したシグマは、全く面白くなかった。
予定通り進まないことに苛立ちさえ感じる。ネスティはそのままの足で遠征に向かってしまった。
ネスティに言われた場所まで少年を迎えに来ると、キョロキョロしているあれが例の自称異世界からの来訪者だろうと思った。
「……珍しい物などここには無い」
「あ、すみません。つい異世界だと思ったら感動しちゃって」
「ふん、おめでたいな。こんな場所に落ちてきたことを後悔するべきだ」
「えー、後悔なんてしませんよ。異世界ですもん。肩身は狭いですが、それも慣れですよね!僕は桐生 アズマです」
「……俺は、シグマ・ファーレンハイトだ」
「わぁ、何だか名前が似ていますね、嬉しいなぁ!」
喜ぶアズマに眉間にシワを寄せ黙りこむシグマ。
シグマにとっては、愉快なことなど1つもない。出来れば、関わり合うなど、御免被りたかった。目の前で手を叩きながら喜ぶ少年をシグマは観察する。
柔らかそうな黒髪と平坦な顔。鼻も口も背丈も控え目サイズ。
この世界の者から見れば、未成年の子どもといって差し支えない。
少年を一瞥すると左の手を腰にあて、背丈の差もありアズマという少年を見下ろしながら告げる。
「さっさと着いて来い。今日からネスティ・セルシウスと言う者が、貴様の面倒を見る」
「はっ、はいっ!今日ネスティさんにお会いしました。僕を受け止めてくれた方ですね。本当に突然のことで驚いちゃって…全然知らない場所だし…あ、ネスティさんにかすり傷を治して貰ったんですよ!魔法があるなんて、ファンタジーですね!興奮しちゃいました!」
表情をコロコロと変えながら良く話すアズマだが、シグマにとってそれほど重要人物ではなく、ただただうっとおしいと感じるだけだった。
実際アズマが異世界からの来訪者だとしても、どうでもよかった。
しかし、ネスティは先程から遠征に駆り出されており、しばらくは戻らない。では、誰が面倒を見るのか。
それはやはり、シグマしかいないのである。だが、それを素直に実行するのはシグマにとっては癪に障ることだった。
あえて、ネスティが不在だということを伝えず、シグマはネスティが居るものとして説明をした。
もちろん、そこにネスティはいない。
ネスティが準備をしている。もしくは、アズマのために用意をしたのだと思い込ませている方が、後々雛のように後ろを着いて回られることも無いはずだ。
全ネスティが行っていると思わせるのだからと、シグマは考えた。
体面的には、放置の方向である。
アズマには目と呼ばれる対象者を監視する魔法をかけてあるので、何をしているのか一目瞭然なのだ。少しでも怪しい動きをすれば、拘束する腹積もりだった。
「寝床はネスティの場所を使うといい。俺はこちら側だ。何かあれば、言え。それ以外は口を閉じていろ」
「それだと、ネスティさんの寝床を占領してしまうことになりますね」
「一向に構わん」
全てネスティの私物を予め、シグマは用意した。ネスティが準備したものだと偽って。
しかも、ネスティは寝相がすこぶる悪い。帰還時を想像して、シグマは少しだけ溜飲が下がる。
「ネスのことは気にするな。貴様は小さいのだから、隅にでも丸まっていれば、問題無いだろう。それにヤツが貴様の面倒を見ると言い出したのだから、当然だ。理解したなら、その口を閉じろ」
ほぼ一方的に告げると、キョトンとしたアズマを部屋に置き去りにし、シグマは、修練場へと向かう。
そこであれば、誰かしらおり、模擬戦の相手に困らないからだ。光属性の魔法を得意とするシグマだが、もちろんそれだけで優秀と一目を置かれている訳ではない。
複数の武器を扱うことも、もちろん出来る。
しかも、物理攻撃に特化している者と同等に立ち合えるのだから、シグマと手合わせしたいと思う者は多かった。
ただ、友人になりたいかというと、それはまた別で、それはそれ、これはこれである。
体を動かしたことで、すっきりとしたシグマは、常時流れるシャワー(滝)で汗を流し、意気揚々と部屋まで戻って来た。
そこには、部屋の扉前で膝を抱え座り込んでいるアズマが居た。
「何をしている」
「あっ!シグマさんっ!」
シグマが声をかけると、座り込んでいたアズマが、顔をあげ嬉しそうに駆け寄ってきた。しかし、その嬉しそうな表情も段々と崩れ、しまいには情けない表情へと変わる。
何やら、面倒な予感がするとシグマは、端正な眉を思い切り嫌そうに寄せた。
「聞いてください!オバケが出たんですっ!」
「………は?」
「僕が窓から外を眺めようとしたら、さわさわって音がして誰かいるのか聞いても返事はないし、少ししたらコツンコツンって!でも、人の気配はするようなしないような…怖くなって、シグマさんとネスティさんを待っていました」
「ただの草木の擦れる音だろう?…ネスは遅くなる。先に寝ろ」
「こんな状態では寝られません!来てください!」
アズマは後ろを振り返り猛然と扉を開け、物音がしたという所まで強引にシグマを引っ張っていく。
面倒な事態にシグマは関わるよう仕向けたネスティを、本気で恨まずにはいられなかった。
この世界にオバケという言葉は無い。
死んで化けてでる、という概念がそもそも無いのだ。
死んだら魂の本来あるべき場所へ行く。この世界の教会ではそう教えられる。
間違っても、この世に留まるなんてことはない。
そっと部屋の中の様子をドアから確認をするシグマに、同じ様にドアへと慎重に耳をそばだてるアズマ。
「わっ!」
「?!」
「へへへ、緊張しすぎてつい……ぎゃっ!」
拳でアズマには理解させ、能力のひとつである目を飛ばせばいいことに今更ながら気づく。
結局確認してみれば、シグマの予想通り、葉が窓にあたり擦れている音がしているだけだった。
「正体見たりっ枯れ尾花!」
「なんだそれは…」
「尾花って言うのは、ススキの穂のことで、幽霊と見間違え…あ、幽霊と言うのは……」
それから、小一時間程アズマ少年のオバケ談義が披露され、その日の夜は、ネスティの寝床で安心して爆睡するアズマと、そんな様子を恨めしく思いつつ、上かけを頭から被り眠れぬ夜を過ごすことになったシグマが居たのだった。
(ネスが帰ってきたら、世にも恐ろしいオバケの話をたっぷりとしてやろう…)
そう心に誓うシグマだった。