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果ての庵へようこそ  作者: 名も無き旅人
6/9

第5夜  証を求める少女

 ………。

 ……うっ。

 ここは、どこだろう?

 確か、あたしは森で迷って。

 歩き疲れてお腹が空いて。

 それで――。


「気が付かれましたか?」


 彼女はゆっくりと眼を開く。視界には柔らかな木目の天井が広がっており、脇には彼女を優しい眼差しで見下ろす少女の顔があった。


「良かった。気が付かれたようですね」


 目の前の少女は滑らかな金の髪を垂らして、慈しみ深い眼で彼女を見つめている。


「ここ、は?」


 彼女は酷く掠れた声で少女に訊ねた。

 彼女の記憶では、確か雪の森の中で倒れたはずだった。このように暖かく、心の落ち着く建物など全くないだろう森で意識を失ったはずなのだ。


「ここは果ての庵。ヘイムダールの森の中に在る、旅館の一室です」


 少女は尚も慈愛に満ちた笑顔で、衰弱した彼女に語りかける。


「果ての庵……旅館?」

「ええ、旅人のための宿のことですよ」

「聞いたことある。あれは確か、サクラ諸島に行ったとき……」


 『旅館』というのは、以前訪れた島国で数日を過ごした宿の呼び名だった。その宿、旅館の名前は確か〝夢の庵〟。そう言えば、ここはさっき〝果ての庵〟だとこの少女は言った。

 似た名前を付けた、同じ呼び方の宿――。

 何か関係があるのだろうか。


「サクラ諸島を訪れたことがあるなんて、若いのに凄いですね」


 少女は驚きと共に彼女を賞賛する。


「小さい頃から旅が好きだったから」


 半ば誇らしげに、半ば自嘲気味に、彼女は重い舌を動かす。


「そうですか。旅が好きだなんて、とても素敵ですね」

「……皆には、よく変だって言われるけど?」

「私も旅が好きですから、お気持ちはよく解ります」

「そっか」


 少女の苦笑いが混じった笑みに、彼女は安心して眼を閉じる。


「ええ。どうやらとてもお疲れのようですので、ゆっくり休んでください」


 そんな彼女の体調を気遣ってか、少女は優しく彼女の頭を撫でた。


「でもあたし、あんまりお金が……」

「同じ旅好きとして、サービスしちゃいます」

「……そっか。ありがとう」


 そういうわけにはいかないだろうに。

 内心で少女の建前を察しながらも、彼女は少女の気遣いに礼を述べる。


「私はユリアと申します。今日のところは、安心して眠ってください」

「ユリア……。勇者様のパートナーと同じ名前。素敵な名前だね」

「ありがとうございます」


 にこやかに笑う少女は自らの名前が気に入っているのか、とても誇らしげだ。


「あたしはシャイナ。シャイナ・レバレンデス」


 彼女は眠気に薄れゆく意識の中で、両親から貰い、先祖から受け継いだ名と姓を告げる。


「シャイナ……レバレンデス?」


 眼を閉じる彼女の最後の呟きを聞き、少し疑問を感じたのか、少女が問い返す。

 しかし、彼女は最早夢の中。久しく得られなかった安全な場所での眠りに、彼女は既に落ちていた。


「寝ちゃったわね。それにしても、レバレンデスって……」


 彼女の傍らでは、ユリアと名乗った少女が意味深な、それでいて子どもの寝顔を見るような、慈しみに満ちた笑みを浮かべていた。







 彼女、シャイナ・レバレンデスは二日間の静養の後、回復して歩けるようになった。

 ひとまず歩けるようになったシャイナは、お金もあまりないにも関わらず旅館に迷惑をかけられないと、すぐにでも果ての庵を発とうとしたのだが――。


「完全に回復したわけではないのですから、まだここにいてください」


 というユリアの説得に根負けし、宿泊料は本当に安くしてもらえるというのもあって、しばらくの間果ての庵に滞在することとなった。

 何故ユリアはそこまで自分に拘るのかと疑問に思わなくもなかったが、それが厚意から来るものなのだとわかったので、敢えて気にすることもなかった。


 そして彼女が果ての庵に運び込まれてから五日後の夜。

 温泉を堪能し、いい気分で自分の部屋へ戻ろうとシャイナがロビーを歩いていると、ロビーの端にある談話スペースから笑い声が聴こえてきた。

 ちらっと振り向いてみると、中央のテーブルを囲むソファに腰かけて、三人の男とユリアの四人が、酒を酌み交わして楽しそうに笑い合っていた。

 ユリアの他、一人は左目に傷のある屈強な男。二人目は精悍な顔つきの、こちらも屈強な体つきの男。そして三人目は赤い髪の青年で、果ての庵の料理長を務める男性だ。

 赤髪の青年の隣に座るユリアは酔っている所為もあってか顔が赤く、青年の腕を取って放そうとしない。青年の方も苦笑いを浮かべながら、それでいて満更でもなさそうな表情で、二人の男にからかわれている。


「アル殿は綺麗なご夫人がいて羨ましいですね」

「まったくだ。うちのにも、ユリア殿みたいな淑やかさがあってもいいんだがな」

「ふふ。ありがとうございます」


 男性二人に褒められ、ユリアは嬉しそうに笑う。それに対して、料理長の方は苦笑いを浮かべながらも、どこか面白そうに隻眼の男をからかい返した。


「リゼルさん、そんなこと言ってると、またキルエさんに怒られますよ?」

「ほうほう。彼の有名なレンバッカ傭兵団の副団長ともあろう方が、奥方の尻に敷かれているのですか?」


(レンバッカ傭兵団の副団長!?)


 ぽろっと零れたその情報は、シャイナを驚愕させる。レンバッカ傭兵団と言えば、屈強な傭兵揃いのサウマンダ大陸に在って、大陸で一、二を争う有名どころだ。


「はっ、そのくらいの方が、家庭ってのは平和でいいんだよ。それにな、ルフレ殿。パラディル聖王国の騎士団部隊長のくせに、まだ身を固めてないあんたには言われたくないね」


(こっちの人はパラディルの聖騎士!?)


 シャイナの故郷と同じイータル大陸にあるパラディル聖王国の騎士と言えば、大陸で最も勇敢な者達と名高い。中でもそんな騎士たちをまとめる二十人の隊長たちは「聖騎士」と呼ばれ、知勇兼備の将として人界中にその名を轟かせている。


「ぐぅ、それを言われると耳が痛いのですがね」


 人界きっての大物である二人が、まるで普通の男性のように苦笑いを浮かべている。このような有名人を直に見ることができたのもすごいことだが、そんな二人が仲の良い旧友のように酒を酌み交わし、他愛もない会話をしている姿などどれだけ貴重な光景だろうか。


「良いお話はないんですか?」

「ルフレさんは女性に人気がありそうですけどね」


 アルとユリアが、二人と友人のように会話をしているのも驚きだ。昼間は客人として扱っている相手に、夜の、それも酒の席ということもあってか至極フレンドリーに接している。


「ハハハ。私がこれまで惹かれた女性はユリア殿、貴女だけですよ」

「まあ、それは嬉しいですね」


 一人を除いた三人が声を上げて笑う。どうやらこれは彼らにとってお決まりの冗談のようだ。料理長のアルだけはどこか不機嫌そうに苦笑いで誤魔化している。いや、誤魔化しているつもりなのだろうけど、顔には不満がありありと浮かんでいてバレバレだ。

 それに気付いたのはシャイナだけではなかった。アルのすぐ隣に腰かけていた隻眼の副団長も彼のご機嫌斜めな様子を目にすると、ふっと笑ってからかいにかかる。


「アル殿、安心しなって。心配しなくても、あんたの嫁さんはあんたに夢中だからよ」


 それを聞いたアルはというと、図星を刺された上に恥ずかしくなるようなからかいに遭って真っ赤になってしまった。そこへ、今度は騎士の男が追い打ちをかけるように、ニヤニヤと笑みを浮かべながらわざとらしい息を吐いた。


「ふむ、パッと見たところでは、アル殿もユリア殿の尻に敷かれているように見えるのですが」

「あんたらの場合は、二人きりになると違うんだろう?」

「うふふ。さて、どうでしょうか」「ハハ……」


(へぇ、ユリアってば結婚していたのね)


 シャイナは同年代、若しくは年下ではとまで思っていた彼女に既に伴侶がいると知って、不思議な感覚に陥った。

 いや、ユリアはエルフなのだから実際はずっと年上なのだろう。だが、見た目は綺麗な少女のままであるユリアが結婚していると聞くと、どうしても違和感を感じてしまうのだ。

 そんなことを考えながらじーっと四人の話す様子を眺めていたシャイナだったが、ふと視線を動かしたユリアの目が、彼女を捉えた。


「シャイナ、貴女もこっちへ来たら?」


 マズイと思ったのも束の間、シャイナがその場から逃げる前に彼女はユリアに声をかけられ、逃げるに逃げられなくなってしまった。

 さらに、ユリアの声につられて三人の男がシャイナの方を振り返る。


「お嬢さんもどうかな? 一緒に」

「ああ、飲んでけ飲んでけ」

「少し話していかないか?」


 三者三様の誘い方で、シャイナへ笑みを向ける男達。それでも動けないでいた彼女は結局、駆け寄ってきたユリアに手を引かれる形で卓に着かされ、妙な談話に参加することになった。







「すると、お嬢さんはラ・イータルの英雄の……」

「うん。勇者様の親友の、トーマス・レバレンデスの家の子孫だよ」


 いい具合に酒が回り、シャイナは無邪気に聖騎士ルフレへ身の上を語る。


「だが、トーマスは故郷に帰らなかったんじゃないのか?」


 そんな隻眼の男リゼルの問いかけに、シャイナは苦笑いで答える。


「うん。だから本当は、トーマスの妹の子孫が正確かな」

「なるほどね」


 シャイナの正直な答えを聞き、アルは穏やかな笑みを浮かべて彼女を見つめた。その瞳は、なにか懐かしいものでも見るかのような色を含んでいる。


「どうしたの?」


 意味深な笑みを浮かべていた夫を、ユリアが優しい声で窘める。


「……いや、なんでもないよ」


 アルも首を振って答えると、グラスを煽って琥珀色の液体を呑み干し、それからは同じような目を向けることはなかった。

 彼の妙な態度に少しの疑問を持ったシャイナは、「何か気になることでもあるのか」と訊ねようとしたが、彼女が口を開く前にルフレが口を挟んだ。


「それで、お嬢さんは何故このような辺境の地へ?」


 自分の抱いた疑問を訊ね損ねたシャイナだったが、意識はすぐに騎士の放った問いに向いた。

 このようなノードラスの端、人界の最果てに来た理由。たった一人で、ヘイムダールの森で死に目に遭った所以。それは――。


「ご先祖様の遺品がないかなって探しに来たんだ」

「先祖の遺品?」

「うん。ラ・イータルの三雄の一人、トーマス・レバレンデス様の生きた証が何か残ってないかなと思って、勇者様の一行が訪れた場所を巡ってるんだ」


 シャイナは誇らしげに、自らの旅を語る。

 故郷のラ・イータルを出たのが三年前。それからユミル、パラディルとイータル三国の残りを廻り、サウマンダ大陸に渡った。サウマンダの各地を訪れ、そこで一年間小さな傭兵団に所属してお金を稼いだ後、また海を渡って今度はサクラ諸島へ。人界一の観光地でもあるサクラ諸島で楽しい日々を送り、およそ半年の間滞在してからノードラスへ来たのが二月前だ。


 故郷を出たときは勇者一行の訪れた地を巡るだけのつもりだったのだが、旅暮らしは性に合っていたのか、思わぬ長旅になってしまった。訪れた先で見聞きした全てのものを、シャイナは鮮明に覚えている。

 湿地帯で見た、足元と頭上の両方を覆う星空。

 どこまでも広がる草原と、吹き抜ける風の音。

 西の海に沈む夕日と、朱に映えるサクラの木。

 陽気で豪気で、それでいて情に厚い人々の心。

 すべては旅の中で彼女が出会った、何にも換えがたい貴重な経験であり大切な思い出だ。

 シャイナが饒舌に語った話に、四人は静かに聞き入っていた。時折頷いて、微笑みさえ浮かべながら、若い少女の心躍る体験談に耳を傾けていた。


「嬢ちゃんは旅が好きか?」


 やがて、語り終えたシャイナにリゼルが問いかける。傭兵という身の上なためか、彼は少女が目を輝かせて語る言葉に、大いに共感できるものがあったようだ。


「うん。旅は大好きだよ。もうちょっとしたら一度故郷に帰るけど、多分またすぐ旅に出ちゃうと思う」


 目的のための手段だった旅が、今では目的に変わっている。そのことは自分でもハッキリと自覚しているシャイナだが、不思議とそれを嬉しく思ってもいた。


「そうか。俺も気持ちはよくわかる。良いもんだよな、旅ってのは」


 腕を組んでしみじみと言い放つリゼルの顔は、シャイナを大いに惹きつけた。彼女も一時は傭兵だった時期もあるためか、屈強な冒険者たちに対し絶大なカリスマを持つリゼルに惹かれるのは当然なのかもしれない。


「そうですよね。三年に一回はここに来てますしね」


 静かに聞き入っていたユリアが、くすくすと笑いながら面白そうに告げる。が、リゼルは息を吐いて不敵に笑い返した。


「ふん。それはウォリスの奴が俺に魔界での任務ばかり与えるからだ」

「でも、それを断りませんよね、リゼルさんは。まあ、それを知っていてウォリスさんもあなたに任せるのでしょうけど」

「…………」


 結局、どちらかと言えば寡黙なリゼルが話術でユリアに適うはずもなく、他の三人の笑いを誘うダシにされた。談話スペースが賑やかな笑い声に包まれる。

 シャイナも、アルやルフレと一緒になって笑っていた。そしてひとしきり笑うと、彼女は今後の自らの行き先について、先輩の意見を聞いてみようと思い至る。

 そう。この先彼女が入ろうとしている、魔界について。


「あたし、これから魔界に入ろうと思ってるんだけど、何かアドバイス貰えませんか?」


 上機嫌な大人四人は、若い彼女の問いに振り返った。


「嬢ちゃんは魔界に入るのか?」


 リゼルがグラスを煽りながら訊く。


「うん。ここまで勇者様一行の巡った土地を廻ってきたけど、ご先祖様の遺品は何も見つからなかった。だから後は、一行が最後に訪れた魔界くらいかなって思ってね」

「どうして、そこまでご先祖様の遺品に拘るんだい?」


 活き活きとした表情で語るシャイナを、アルが少し目を細めて窺う。左手を顎に当て、何かを思案して。

 シャイナは彼の問いに、腕を組んで考えるポーズをとった。

 先祖の遺品の捜索、それは彼女が物心ついた時には既に心を満たしていた願いだったのだ。何故、と言われてもハッキリとした答えは出ない気がした。


「うーん、どうしてって言われると困っちゃうけど。強いて言うなら、実感が欲しいのかな、あたしは」


 それでも、シャイナは自らの想いを吟味しながらぽつぽつと語っていく。


「実感?」

「うん。あたしはお父さんに聞いて、自分があのラ・イータルの三雄の一人、トーマス・レバレンデスの血を引いてるんだって知ってる。だけど、トーマス様はラ・イータルに帰ってこなかったし、百七十年経った今でも、トーマス様の持ち物は一つも見つかってない。物的証拠が一つもないんだよね」


 今や四人の大人は、真剣に彼女の語る話に耳を傾けている。


「まあ街の人は皆信じてくれてるし、あたし自身も信じてるから特に問題は無いんだけど、欲を言えばトーマス様の持っていた物が何か見つかって欲しいんだ。その方が実感湧くしね」


 時折手元のグラスを口元に運び、琥珀色の酒を飲みこんではいるが、少しも彼女の語りを遮るようなことはしない。


「だから『それなら自分で探しちゃえ』って思って旅に出たんだ」

「なるほどね」


 故郷を旅立ったシャイナの想いに、笑みを零すアル。


「お嬢さんは素晴らしい行動力をお持ちですね」


 聖騎士ルフレも、若いながら確固たる意図を持って世界を廻る彼女を、手放しで褒め称えた。


「あはは。昔から剣術と体力だけには自信があったからね」


 故郷ラ・イータルの道場で開かれた剣術大会で、同輩の剣士を抑えて優勝したのは、彼女が十二の時だ。師からは天賦の才を持っていると言われ、両親と兄妹から賞賛されたのを、未だによく覚えている。


「それでこんな辺境まで一人で旅してきたのね」

「そゆこと」


 ユリアの感嘆の声に、不敵に笑って応えて見せるシャイナ。


「ワッハッハ! 気に入ったぜ嬢ちゃん。若いのになかなか気骨があるじゃないか」

「うんうん。一人で何年も旅ができるなんてすごいと思うよ」


 そんなリゼルの豪快な笑い声とアルの優しい笑みには、さすがにシャイナも照れが出始めた。


「そ、そうかな? ありがと」

「よし! そんじゃあ嬢ちゃんのために、俺が一肌脱ごうじゃないか」

「えっ?」


 だが、突然立ち上がって彼女の前まで来たリゼルの提案に、彼女は戸惑うことになる。


「嬢ちゃん、俺の仲間と一緒に来ないか? 丁度俺たちも魔界での任務を受けているところだ。明後日には魔界へ向けて旅立つことにしている。どうだ、一緒に来ないか?」

「で、でも、いいの? そんな……」


 傭兵団というのは仲間内の信頼関係を何よりも大事にする集団だ。突然部外者が混ざると指揮系統や連携の混乱を招くので、中途での参入は嫌悪されることが多い。

 シャイナも一年だけとはいえ傭兵団に所属していたことがあるので、そのことはよく知っているつもりだ。だが――。


「なあに、構わねえよ。可愛い嬢ちゃんが一人増えるんなら、うちの連中も大喜びだろうよ」


 リゼルはその豪気な笑みを少しも崩さずに、歓迎だと言い切った。有力傭兵団の副団長でありながら、常識を簡単に打ち破ろうとするのだ。


「けど……」


 とはいえ、若いシャイナがその辺りの臨機応変さを容易に理解できるはずもなく、まだ遠慮が勝っていた。

 しかし、いつの間にか彼女の隣に来ていたユリアが説得に加わると、形勢は逆転する。


「一緒に行った方がいいと思うわよ」

「ユリア?」

「魔界って、シャイナが思っているよりもずっと危険な場所なのよ。どんなに強くても、一人じゃあ生き残れないわ」


 何気ない口調だが、そこには言い知れぬ重みがあった。


「………」

「だから、魔界での旅に慣れたリゼルさんと一緒にいるのが最善よ。何事も、死んでしまったらお終いなんだから」


 言葉とは裏腹に、優しい微笑みで説き伏せるユリア。そんな、不思議と実感のこもったユリアの言葉に絆されたシャイナは、ふっと息を吐くと笑みを浮かべた。


「……そうね、わかった。そうする。リゼルさん、お願いしちゃっていい?」

「もちろん、大歓迎だ。出立は明後日の夜明けだからな。覚えておいてくれ」


 いつまでも変わらず豪気な笑みのリゼル。


「くっ。我々は任務を終えて帰還した身。これが往きであったなら、我らがシャイナ殿を伴ったのに」


 ずっと黙って成り行きを見守っていたルフレは、悔しそうにそう呟いた。どうやら彼も、シャイナが誰かに付いて魔界に行くこと自体には賛成だったようだ。


「ふっ、残念だったな騎士殿よ」

「ぐぬぬ」


 とはいえ、だからと言って悔しそうなルフレ聖騎士の表情は全く嘘偽りがないのだろうが。


「はいはい、煽るのはそれくらいにしておいてくださいね」

「ははは」


 面白そうに笑いながら二人を宥めるユリアと、苦笑いを浮かべながら傍観を続けるアル。

 それからもそんな四人の大人と様々な話を続け、酒を酌み交わし、賑やかに語り合った結果、シャイナが自室の床に就いたのは日付が変わってしばらく経った後だった。







 翌日。

 リゼルの計らいで、レンバッカ傭兵団のメンバーと共に魔界へ赴くことになったシャイナは、昼間の間、彼らとの顔合わせ及びブリーフィングを行った。

 リゼルは快く受け入れてくれたが、団員からは余所者扱いを受けるのだろうと覚悟していたシャイナ。しかし、実際は彼女の予想に反して副団長様の言っていた通りになった。同行するメンバー三人、同年代の男性二人と女性一人は、見知らぬ土地で巡り合ったシャイナを大いに歓迎してくれたのだ。

 元々人見知りをしない性質で、傭兵稼業の経験もあるシャイナが彼らと打ち解けるのに、大した時間は必要なかった。自己紹介の後に交わした二言三言と、リゼルが笑いながら語ったシャイナのこれまでの旅のあらましだけで、彼らは彼女に一目置き、あっという間に信頼を勝ち得たのだ。

 リゼル率いるレンバッカ傭兵団の面々は、魔界一の大都市がある中央大陸での任務に臨むらしい。シャイナは任務に協力する見返りに、情報収集の手助けを受けることとなった。リゼル曰く、魔界一の都市にして首都の『デル・ガル』であれば、勇者一行の詳しい情報が集まるだろうとのことだ。


(運が良ければ、トーマス様の遺した遺品が何か見つかるかもしれない)


 出発を明朝に控えた夜。シャイナは、偶然巡り合った思わぬ幸運に胸を躍らせながら、夜明けの出立に向けて準備を整えていた。

 と、そのとき――。


 トントン。


 突然、扉をノックする音が響いた。


「はい、どうぞ」


 今は夕食後の静かな時間。こんな時間に、誰だろうと疑問に思いつつ返事をすると、サクラ諸島では主流の引き戸を開いて、一人の男が部屋へ入ってきた。


「夜分遅くに、失礼致します」

「誰?」


 入ってきた男は、シャイナが会ったことのない人物だった。服装こそ果ての庵の仲居が着る着物なのだが、面識の全くない人物だったのだ。


(でもこの人、どこかで見たことがあるような)


 初対面であるはずの男に、既視感を覚える。会って言葉を交わしたことはないのに、何故か同じ顔を何処かで見たことがあるような気がしたのだ。


「初めまして、お客様。シャイナさんというのは、貴女で間違いありませんよね?」

「ええ。間違いないわ」


 微笑んだ彼の顔を見たことがある。だけど会ったことはない。

 そんな矛盾した感覚に苛まれて、シャイナは少し混乱してしまっていた。


「僕はトムと言います。お見知りおき下さい」


 困惑顔の彼女に構わず、男は名乗り、深々と一礼する。


「……シャイナよ」


 訳が分からないまま、訝しげな表情でシャイナが応じる。


「それで、何か用かしら?」

「はい。女将のユリアから貴女のお話を聞いたのですが、シャイナさんはあのレバレンデス家の御令嬢なのですよね?」


 トムと名乗った仲居は、穏やかな笑みを浮かべつつ切り出した。


「令嬢って言われるほど、格式高い家ではないけどね。でも、それがどうかしたの?」

「いえ、シャイナさんが先祖の遺品を探しているとユリアから聞きまして、一つ見て頂きたいものをお持ちしたんですが」

「見せたいもの?」


 自分がレバレンデス家の女だと知ったからこそ見せるものとは一体何だろうか。


「はい。これなんですが」


 そう言って、トムが懐から取り出したのは、装飾の施された短刀だった。

 故郷のラ・イータルでは御守りの意味を持つそれを、シャイナは受け取って眺める。そして、柄の部分に刻まれた模様を見て驚愕した。


「これはっ!?」

「ご存知ありませんか?」


 穏やかな微笑みを浮かべたまま、興味深げに訪ねてくるトム。ただ、シャイナは刻まれた模様に意識を奪われて、激しく取り乱していた。その勢いのまま、彼に詰め寄る。


「知ってるもなにも、これってうちの家紋じゃない! いったいどこでこれを……」


 そう。短刀の柄に刻まれた模様は、彼女の生家のものだったのだ。レバレンデス家の家紋が、手元の短刀には刻まれている。そして、そのことが意味するのは一つだ。


「ああ、やはりそうでしたか。実はこの短刀、魔界の露店で売られていた物なんですよ。なんでも、あの勇者の友と言われるトーマス・レバレンデスの所持していた短刀だとかで」

「露店で……そんな……」


 見紛う事なき英雄の遺品が、魔界では粗品として販売されていたことにショックを受けるシャイナ。

 しかし、魔界にとっては最大の仇の一人なのだ。買い叩かれていても、文句は言えないかもしれない。そんな風に考えられるほど、今の彼女は冷静ではなかったが。


「もしかしたらと思って手に入れたのですが、いやあ、本物のようで安心しました」


 特に思うところは無いようで、安心した声を漏らすトム。贋作を掴まされたわけではないことの方が、彼にとっては重要なように見えた。


「あの! いきなりで悪いんだけど、この短刀、譲ってもらえないかしら?」


 三年間探し続けていた先祖の遺品が、突然目の前に現れた。

 降って湧いた幸運とも言うべき事態に、シャイナは最早心穏やかではいられなかった。早口で捲し立てる姿は、普段の彼女の様子からは想像ができないだろう。


「もちろん、いいですよ。どうぞ」


 それでも、トムは穏やかに、優しく彼女の言葉に応える。可愛い妹を見るような、柔らかい眼差しで。


「あ、ありがとう! お金は必ず返すから。今は持ち合わせが少ないけど、いつか必ず返しに来るから」


 シャイナは、目の前の短刀がどれだけ高額だったとしても手に入れる決心をしていた。


「ああいえ、お金は構いませんよ。それは差し上げます」


 だが、そんな彼女にとってトムの返した答えは、あまりに拍子抜けするようなものだった。シャイナが思わず遠慮してしまうほどに。


「えっ? でも……」

「いいんですよ。それは貴女に差し上げます。僕が持っているよりも貴女に持っていってもらった方が、この短刀も、元の持ち主も喜ぶでしょうし。それに元々、僕はそれを人界に持ち帰るために買ったのですから。御代は結構ですよ。その代わり、大切になさってくださいね?」


 そこまで聞いて、ようやくこの仲居の心遣いに気付いたシャイナは、故郷の年老いた祖父以外に滅多に口にすることのない敬語を用いて礼を述べる。


「あ、ありがとう、ございます!」

「ふふ、どういたしまして」


 シャイナの見せた子供の様な無邪気な笑顔に、トムは口元を綻ばせる。


「ああ、これが、ご先祖様の……」


 そうして短刀を見つめる彼女の瞳から、一筋の雫が流れ落ちた。ハッとして、シャイナは指で流れた涙を拭う。


「あれ? なんだろう、涙が勝手に」


 それからも、彼女の眼からは止めどなく涙が零れ落ちていく。


「それが、トーマス・レバレンデスが確かに魔界へ辿り着いた証です。ご家族にも見せてあげてください」


 目の前で涙を流す少女に、トムは初めて真剣な表情で語りかけた。あるべき場所に、求める者のところに還るよう願って。


「……うん、必ず」


 涙ながらに、シャイナは何度も頷いた。

 彼女はこの時、生まれて初めて涙の暖かさを知ったのだという。







 翌朝、森の東向こうから太陽が顔を出した頃。


「本当に行くのかい?」

「はい!」


 やや困ったような表情のトムと、満面の笑みを浮かべ、キラキラした瞳で彼を見つめるシャイナが向かい合っている。

 彼女の向こうにはリゼルとその仲間の傭兵達が、世話役を務めたアイラと楽しそうに話しており、シャイナの熱い眼差しには気付いていない。

 トムが困り顔を浮かべているのにも当然理由がある。

 彼はシャイナにあの短刀を託せば、彼女はそのまま故郷に帰り、危険な魔界に入ろうとすることもないだろうと思っていた。しかし、彼女はトムの予想に反してこのまま魔界への旅を続ける意思を表明したのだ。


「でも、君が魔界に行こうとしていた目的は果たされたんじゃないの?」


 シャイナ自身のたっての希望で、トムの言葉遣いは気さくなものになっている。その代わり、シャイナが彼に丁寧な言葉を遣うようになっていたのだが。

 前夜のほんのわずかな時間で入れ替わった語調。先程それを聞いたユリアやアイラに冷ややかな視線を向けられ、内心でビクビクとしたトムだったが、シャイナの方に気にしたような様子は見受けられない。


「ええ。でも、旅自体があたしは大好きですから」


 僅かに頬を染めたシャイナの答えに、トムは呆れ顔と苦笑いが一緒くたに浮かぶ。


「……そっか。気を付けてね」


 だが結局、かつての自分も彼女と同じだったのを思い出し、せめて応援だけでもしておこうと開き直ることにした。


「はい!」


 快活に応えたシャイナは命の恩人で友人のユリアに向き直り、トムに向けていたものとは違う、ずっと頼もしい笑顔を浮かべて右手を差し出した。


「それじゃあ、またね、ユリア」

「帰りにもまた来てね、シャイナ」


 しっかりと、差し出された手を握り返したユリアは、シャイナの向こうで軽く手を上げている常連に笑いかけた。


「リゼルさんも、お元気で」

「ああ。とは言っても、しばらくしたらまた来るけどな」


 どうやらこの男はいつまでも常連客でいるつもりらしい。


「うふふ、そうですね」


 口元を抑えて笑うユリアの姿はなるほど、聖騎士が夢中になるのも頷けるほど、女性のシャイナからみても可憐だった。

 シャイナは最後にもう一度、トムの方へ体を向け深く一礼する。


「それではトムさん、行ってきます!」

「うん、行ってらっしゃい」


 トムの方も、実に柔らかい笑みを湛えて見送った。







 リゼル率いる傭兵団の後ろに付いて歩くシャイナ。


(ありがとう。うちの肖像画にそっくりなお兄さん♪)


 笑顔を浮かべ、鼻唄でも歌いだしそうな彼女の腰には、これまでの旅の相棒と一緒に、小さな短刀が提げられていた。




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