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果ての庵へようこそ  作者: 名も無き旅人
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第2夜  若獅子の休暇

 人界と魔界、二つの世界が異界の門で繋がった現世。

 かつて二つの世界は争いを繰り返し、八百年もの永きにわたる大戦は両世界の住人を容赦なく巻き込んでいった。

 そんな大戦において、南のサウマンダ大陸を故郷とする数多の傭兵団は着実に力を持ち、発展した東のイータル大陸諸国の信用を獲得していく。痩せた大地に生きる彼らは山暮らしのドワーフのように鍛冶仕事を行うか、魔族や魔物、盗賊と戦うことでしか生きられなかったが故に、平和な東の大陸の住人よりも屈強な者が多かったのだ。

 生きるために戦い、生きるために剣を打つ。

 そうして懸命に生きてきた彼らは、いつしか人界で最も強力な傭兵集団となっていった。ヒトの貪欲なまでの生への執着が、サウマンダに暮らす人々を戦いの専門家へと押し上げたのだ。聖王国とその住人を護るための〝騎士〟とも、森を侵入者から守護するための〝守り人〟とも違う、敵を打倒するために戦う集団――。それがサウマンダ大陸の傭兵なのだ。


 そして終戦からおよそ百五十年経った現代でも、彼らサウマンダ傭兵の名声は衰えていない。

 人界に存在する戦闘集団の内、魔界へ赴いて魔族や魔物を討伐できるのは彼らしかいないと、イータル大陸の三大国家が口を揃えるほどだ。先の三国家を初めとした人界の人族たちは、魔界の魔物討伐を依頼するときには必ずと言っていい程彼ら傭兵に決して安くない報酬を支払っている。


 故に、現在進行形で森の中を歩く四人の傭兵もまた、人界の中では相当な実力者であると言えるだろう。

 身に纏うは軽く、それでいて強靭な飛龍の鱗で編まれた鎧。各々が背にし、腰に提げている得物は、サウマンダ傭兵が憧れる鍛冶師ドヴェルグの一品物ばかり。新雪を踏みしめる足取りは軽く、最低限の荷のみを肩から提げていることからも、彼らが旅慣れたベテランであることが窺える。

 イータルの聖王国から受けた魔物の討伐を目的とし、このノードラスの深淵にやって来た彼ら傭兵たちは、所属する傭兵団の中でも特に経験深い男の先導に従って、静けさの支配する森の中を歩いていた。

 耳に入るのは雪を踏む音だけ。喋ることが体力を無駄に消耗することになると彼らは重々心得ているために、必要なとき以外は口を開くことがない。

 だが、不意に先頭の男が立ち止まった。後続の三人は駆け足で彼の傍まで来ると、視線で何事かと説明を促した。


「私から一つ、提案があるのだが」


 そんな言葉に三人は一瞬だけ顔を見合わせると、微かに頷きあって男に続きを促した。


「言ってみろ」


 四人のリーダーを務める青年は、三人を代表して口を開く。

 彼らの所属する傭兵団の現幹部にして、団の中でもトップクラスの実力を持つ青年。『若獅子リゼル』と呼ばれる彼は、先導していた古株の男に真剣な眼差しを向けた。


「うむ」


 だが問われた男の方もまた『剛賢』の通り名で呼ばれる、幾多の戦場や修羅場を潜り抜けてきた歴戦の猛者だ。力があるとはいえ、二十ほど年の離れたリゼルの眼光に怯んだ様子はない。


「私はこれまで何度かこの地に足を運んだことがある。なればこそ知っていることなのだが」


 優雅に、と言えるほどゆったりと自らの髭を擦りながら語る剛賢。

 リゼルはその場違いな雰囲気に、段々と苛立ちが募り始めた。


「そなたらは、この森へ来るのは初めてであろう? 団において、このことは足を運んだ者だけの秘密となっておる。それ故、これから語ること、行く先のことは、団に帰っても口にしてはならんぞ」


 中身を話す前から執拗に口外禁止であることを訴える。リゼルは益々苛々を積み重ね、それ故に発する言葉が荒くなってしまった。


「もったいぶらずに、早くその秘密とやらを教えろ。いつまでもこんな真冬の森の真ん中でウダウダしてるわけにはいかない」

「その通りよ。寒いんだから早くして」


 リゼルの苛立ちが伝染したのか、隣に立っていた女剣士も語気を強めた。


「さっさと行こうぜ」


 額にバンダナを巻いた最後の一人も、腰から抜いた短剣の刃を眺めながら投げやりに口にする。見た目の態度はまだしも、言葉の調子だけは他の二人と同意見だと言外に語っていた。


「うむ。ではその場所に案内する。しっかり付いて来るのだ」


 しかし、三人の了解を得た剛賢は彼らの苛立ちなどなんのその。一人上機嫌に、先程までと少しだけ進路を変えて、再度森の中を歩き始めた。そんな彼の背中を釈然としない気分で眺めていた三人だったが、剛賢の姿が木々の間に消えそうになると急いで後を追い始めた。


 それから、約半刻後――。


「おい、なんだこれは」

「どうして、こんな森の真ん中に宿が?」

「……営業してんのか?」


 呆気にとられた様子の三人が疑問を口にしているのは、木々の間にあって確かな存在感を放つ木造建築の建物の、同じく木造の門の前だ。

 近くに立てられた看板には、そこが宿屋であることが書かれている。

 迷うことなく彼らを先導していた剛賢はちらっと振り返って意味深な笑みを浮かべると、黙ったまま門を抜けていった。

 今度こそ慌てて剛賢を追う三人。扉の前で三人を待っていた彼は、少しの逡巡もなく扉に手をかけると、三人が見たことのない横開きの扉を開いて中に足を踏み入れた。


「いらっしゃいませ。旅館、果ての庵へようこそお越しくださいました」


 剛賢に続いて入り口を潜った三人は、まずその室内の暖かさに驚いた。続いて建物の奇妙な造りに首を傾げ、かけられた声の優美な響きにもう一度驚く。


「ユリア殿、お久しぶりですな」


 チラチラと周囲を窺う三人を余所に、剛賢は迎えた女性に深々と頭を下げた。


「ヨルダさん! お久しぶりです。お元気でしたか?」


 声をかけた女性の方も、先頭の男が見知った顔だと気がつくと嬉しそうな表情になった。


「ああ。まだまだ現役で傭兵をやっとる。若いモンには負けんよ」


 名前で呼ばれた剛賢も微笑みを湛えて応え、握り拳を作るポーズすら見せた。厳格な古株のそんな姿を、リゼルは見たことがない。


「ジェフリーさんはお元気ですか?」


 懐かしそうな笑みを浮かべる女性は、そんなことを剛賢に訊ねた。だが――。


「ジェフリーって、団長のこと!?」


 その名に敏感に反応したのは、リゼルと同様に目を見張っていた女剣士だった。彼女は現傭兵団長ジェフリー・レンバッカに憧憬を抱いているのだ。


「ああそうだ。昔、私と団長は何度もここを訪れている」

「お二人がお若い時から、よく利用していただいているのですよ」


 振り返って説明する剛賢に続き、膝を折って座る女性(よく見れば美少女という表現の方が近い)が三人にも笑顔を向けた。

 色々な疑問が頭の中を駆け巡り、彼らの口から言葉を奪う。


「貴女、今いくつなのよ?」

「私はエルフですので」


 結果、女剣士の口から出てきたのは重要なようなどうでもいいような、些か的外れな問いだった。そんな突然の質問にも、女将は淑やかに答えたが。

 そして女性は「ハッハッハ」と豪快な笑い声をあげていた剛賢に視線を戻すと、微笑みのままに訊ねた。


「本日も、三日間のご滞在ですか?」

「ああ。これから魔界へ入るのでな。英気を養っておきたい」


 剛賢も慣れたもののようで、悩む素振りすら見せずにそう答えた。


「承知いたしました。それでは、早速お部屋の方へご案内させていただきます」

「うむ。よろしく頼む」

「はい。それでは……」

「ちょっと待て」


 話がまとまり、女将が立ち上がろうとしたところで、突然割って入る声が響いた。

 女将と剛賢が同時に声の方を振り返ると、リゼルが眉を寄せて二人を睨みつけている。


「あんた、リーダーの俺に一言確認もとらず、何を勝手に決めているんだ?」


 ともすれば子供っぽいと取られかねない台詞だが、団の規律を考えれば彼のこの言葉もあながち間違いではない。


「そう、だな。すまなかった。ここにジェフリー以外と来るのは初めてだったものでな。あやつは先行した私が部屋を取っても何も言わなかった故、ここへ来るとどうしてもその癖がな」


 剛賢の方も、自分のとった行動が団の規律に触れるものだと気付き大人しく身を引く。

 リゼルはふんっと鼻息を一つ吐くと、未だ笑みを浮かべたままの女将の前に出て彼女を真っ直ぐに見据えた。


「水を差してしまってすまなかった。だがこれは規律なんでな。いくら剛賢がこの場に慣れていたのだとしても、リーダーである俺を差し置いて勝手に話を進めてもらっては困る」


 ご機嫌斜めなリゼルの言葉にもしかし、女将は笑顔を崩すことはない。


「はい、存じておりますよ」


 それどころか、既に団の規律を知っているとまで言った。


「ほう? 知っているとは、何故だ?」

「昔、ジェフリーさんとヨルダさんが初めてここを訪れたとき、当時のリーダーだったジェフリーさんも同じことを仰っていましたから」


 「ふふっ」と小さな笑いを漏らして昔を懐かしむ彼女に、剛賢もいやはやと頭を掻く。

 そんな光景に益々苛立たしさを感じるリゼルだったが、だからといって彼女や剛賢に当たるわけにもいかない。


「そうか、団長がな。まあそんなことはどうでもいい。とにかく、俺たち四人の行動の決定権は、リーダーである俺にある。そのことを忘れないでもらいたい」

「はい。かしこまりました。肝に銘じさせていただきます」


 彼女はもう一度笑い声を漏らすと、恭しくリゼルに頭を下げた。

 そんな従順な態度に毒気を抜かれたリゼルは、両脇の二人を伴って女将に名を名乗った。


「ふん、まあいい。俺の名はリゼル。このパーティのリーダーだ。それでこっちが……」

「キルエよ。よろしく」

「オレはウォリス。よろしくな、可愛いお嬢さん」


 無愛想な女剣士キルエと、女好きなウォリスがそれぞれ名乗る。女将はその度各人の顔をしっかりと見ていた。そして三人の後に、自らも名乗りを返す。


「私が当旅館〝果ての庵〟の女将、ユリアでございます。皆さま、どうぞよろしくお願いいたします」


 女将の丁寧な自己紹介を受けてようやく苛立ちが収まってきたリゼル。改めて、宿泊に関しての話を始めた。


「よし。では先程の話に戻るが、ここでの三日間の滞在、これは必要なことなのか?」


 それは女将にではなく、剛賢への問いかけだった。

 彼が女将と話していた内容、それが必要なことなのであれば無下にはしない。意地になって一から話をし直そうと思うほど、彼は意固地ではなかった。


「うむ。魔界はそなたらが考えている以上に厳しい環境だ。下手を打てば、二度と故郷へ帰れなくなるほどにな」


 真剣な表情になって語る剛賢の言葉に、三人は息を呑む。


「故に、この旅館でしっかりと長旅の疲れを取り、魔界へ入るための備えをして、ともすれば最後となるやもしれん安らぎを堪能しておくのだ」


 最後となるかもしれない安らぎ――。

 それは彼らが向かおうとしている地が如何に危険な場所なのかという実感を与えてくる。


「……わかった。あんたの言葉に従おう」


 真剣な表情で剛賢の言葉を受けとめたリゼルは、少しの逡巡の後そう答えた。

 『経験者の言葉ほど、確かなものはない』

 それは傭兵という死と隣り合わせの仕事に就く者にとって身に染みた教訓だ。

 団長と同期の傭兵として、長い年月を生き延びた男の言葉に従わない手はない。


「ユリア殿、剛賢の言う通り、三日間の滞在をお願いしたい。構わないだろうか?」


 改めて、リゼルが訊ねる。


「もちろんでございます。皆さまに安らかなひとときをお贈りさせていただきます」


 女将ユリアも、再度深々と礼を返した。

 こうして、魔界へ赴く任を受けた四人の傭兵は、束の間の休暇を過ごすこととなる。




 その夜。

 四人が通された部屋で食事を待つ間に、剛賢は若い三人に語っていた。


「では、人界に生息する魔物どもは、人界の凶悪な猛獣たちと大差ないと、そういうことか?」

「うむ。持っておる力の強さや凶暴性から一概には同じとは言い切れんが、概ねその理解で間違いない」


 それは魔族と魔物の真実。彼ら若い衆を始め、人界に住む人々のほとんどが信じていた常識を根底から覆す話。


「なるほど。それで傭兵団の掟に『魔物といえど、無闇な殺生は禁ずる』などというものがあったのか」

「団長はその話を知っていたのね。だから虐げられる魔族を助けたりもしていた」

「混乱を招かないよう、真実は伏せたままで、ねぇ」


 突拍子もないと思いながらも、団長の態度や団の掟とぴったり合致する内容に、彼らはすんなりと真実を呑みこむことが出来た。


「だが解らんな。何故隠す必要がある?」


 しかし、疑問がないわけではない。

 リゼルが当然とも言える問いを投げかけたのをきっかけに、彼とキルエは剛賢を問い詰める態勢に入った。


「そうね。早くこの事実を公開して、魔界と友好を結ぶ方が建設的なのではないかしら?」

「そうかもしれんな」

「だったら……」

「まあ待てよ。おっさんの話を最後まで聞こうぜ?」


 唯一、ウォリスだけは飄々とした様子で二人に加わろうとしない。


「うむ。そなたらの言うように、魔界の真実、魔族や魔物が人界にやってくる理由、これらを人界中に公表することで、人界の民の意識は変わるかもしれんな」


 剛賢ヨルダは尤もだと言わんばかりに頷いて、一度言葉を切る。


「ああそうだ。なら、何故そうしない」

「魔族はそう思ってくれないからだ」


 そしてリゼルに応える形で言った口調は、食って掛かる二人を諭すかのようだった。


「魔族が?」

「うむ。そうだな。そなたらは、魔族にどのような種がいるか知っているか?」


 疑問符を浮かべる二人とウォリスに、剛賢は逆に質問を投げかけた。


「どんなって言われっと……」

「獣人のリガル。鳥人のハビル。それと……」

「竜人のドラルだ」


 咄嗟に全ての種が出てこないウォリスとキルエに続き、リゼルが最後の一種を答えた。

 剛賢は三人の答えにゆっくりと頷いて、それから再度説き始める。


「そう。リガルにハビル、そしてドラルという三種の種族が魔族に分類される。では、そなたらは彼ら三種族の寿命がどの程度か知っておるか?」


 そんな二度目の問いかけに、リゼルはハッとした表情を浮かべた。ウォリスもいつにない真剣な表情に変わっており、キルエは戸惑いながらも言葉を返す。


「寿命? 確か、リガルはパソンとそんなに変わらなかったような……」

「リガルの寿命は百五十年ほど。ハビルは三百年も生きる上、ドラルに至っては、長生きな血族で三千年も生きると聞いた」


 リゼルが重苦しい声で後を引き継ぐ。


「何それ……。それじゃあリガルはともかく、ハビルやドラルは大戦の中を生きてたってこと?」


 キルエは愕然とした表情でリゼルへ目を向けた。彼は目を細めた苦々しげな表情のまま、視線を手元に落とし、拳を握っている。


「そうだ。つまりはそれが、今人界に真実を公開しない理由なのだ」


 ヨルダが、真実を伏せていた理由を明らかにする。

 大戦の当事者が存命な状態では、真実を明かすわけにはいかない、と。


「要するに、今人界が魔界に友好を求めても、魔族は大戦の恨みを残しているから無理だと?」

「そういうことだな」

「そんな……。だからって真実を隠していがみ合うなんて」


 キルエは唇を噛みしめる。


「さらに、多くのエルフも大戦の中を生きてきたということを忘れてはならん」


 人界においても当事者が残っていることを、ヨルダは言い含めた。


「なるほどな。エルフも寿命は千年ほど。だとすれば、まだ魔界へ恨みを持つものも多い」

「なら、どうすれば……」

「だからこそ団長は俺らをここに送り込んだし、おっさんが道案内を引き受けてくれたんだろ」


 キルエの呆然とした呟きに、それまで黙っていたウォリスが突如口を挟んだ。


「どういうこと?」


 彼の言葉はあまりに突然で間接的で、ともすれば的外れなものにすら聞こえかねない。だが三人の中で最も早く、先輩たちの思惑に気がついたのは間違いなかったようだ。


「だぁから、団長は自分の代だけじゃあ真実を語り継げないから、若い世代の出世頭であるところの俺らをここに来させたんだろうって」


 今度のはもう少しわかりやすかった。お蔭でリゼルも真意に辿り着く。


「なるほど。俺たちにも真実を知らせ、それを次の世代に受け継がせるためか。いつか公表できるようになる日のために、俺たちやさらにその下の世代へ伝えていく目的で」


 何かに気がついたような表情の後、リゼルは腕を組んで淡々と呟く。


「そう、なの?」


 キルエは呆然とした様子でヨルダを振り返った。


「うむ。その通りだ。やはりお主らは考えが回るな」


 彼は後輩を頼もしく見ながら微笑みを浮かべた。

 ウォリスはそんな先輩の褒め言葉に「へっ」と嬉しそうに息を吐き、鼻筋を掻く。


「……団長の真意は解った」


 ただ、腕を組んだリゼルは真剣な表情のままで、その鋭い眼をすっとヨルダへ向けた。


「なら、今回の任務で追う標的、そいつはさっきの話を聞いた上でも尚、狙うべき理由のある奴なんだな?」


 魔族や魔物は単純な悪ではない。それは先程のヨルダの話でよく分かった。

 だがそれならば寧ろ、イータル大陸の何者かから依頼された今回の任務は、果たして正当性のあるものなのだろうか。噂を鵜呑みにした愚かな者の妄言であれば、罪もない存在を斬ることは彼自身の矜持に反する。


「うむ。そやつは魔界に住まう者であるにもかかわらず、幾度も人界に出ては戯れに人族の子供ばかりを襲うのだ。容赦の余地はない」


 しかし、ヨルダの答えは簡潔で、故郷で聞いたときと変わることはなかった。


「わかった。それなら俺は任務を全うするだけだ」


 迷う必要はない。リゼルは一切の逡巡を捨て、標的の打倒を心に誓った。


「ふむ、やつが期待をかけるわけだな」


 リゼルの表情に、ヨルダは笑みを浮かべる。キルエとウォリスも、頼もしいリーダーの横顔に、笑みを浮かべていた。

 と、丁度その時――。


「失礼いたします。お食事をお持ちいたしました」


 話が終わるのを待っていたかのようなタイミングで、赤髪の女性が部屋の戸を引き開けて入ってきた。そのまま彼女は膝を折って座り、ゆったりと頭を下げる。


「よし、話はここまでにしよう。お主らも座れ。ここの飯は跳びあがるほどに美味いぞ」


 ヨルダは一つ手を叩いて場の空気を一掃すると、三人の着席を促した。

 その後、団の次代を担う三人の傭兵が、食べたこともない美味な食事に驚嘆の声を上げたのは言うまでもない。







 それから三日間。

 四人の傭兵は、果ての庵の美味しい食事と安らぎのひととき、そして極楽な温泉をたっぷりと堪能し尽くした。

 この三日間は彼ら、特に三人の若者にとって、これまでの人生で最も穏やかな日々となった。

 朝の訓練もなく、昼間の任務もない。夜の鍛練もなければ、深夜の巡回も必要ない。サウマンダ傭兵特有の厳しい環境で生きてきた彼らにとって、それは夢のような日々だった。


 その内の一幕には、こんなものもあった。


「はっ!」

「…………」


 果ての庵のロビーに面した中庭。

 季節ごとに違う花を咲かせる不思議な木が植えられた庭に、時折凛とした声が響き渡る。現在は鮮やかな赤と黄の花を咲かせ、ほろほろと色鮮やかな花が舞い落ちる。そして、花弁は地に落ちる少し前に一枚残らず二つに断たれていた。

 空中で花弁を両断していくのは、レンバッカ傭兵団一の剣速を誇る女剣士、キルエだ。彼女は目を閉じ、腰だめにした剣を目にも留まらぬ速さで振るっている。その度花が二つに割れるのだから、さすがの技量というべきか。


「ハァ……ハァ……」


 額にびっしりと汗を掻いたキルエ。にも拘らず、彼女はこの鍛錬を始めてからまだ百本も振っていない。それでもこれだけ消耗するのだから、余程集中力を研ぎ澄ませているのだろう。

 中庭に架けられた橋の縁に背を預け、のんびりと読書に興じていたリゼルは、休暇にも拘らず剣を振るう彼女の姿をじっと見つめていた。


 幼くして傭兵団に入団したリゼル。キルエは彼よりも二つ年下でありながら、彼と同じ時期に傭兵となった同期だ。十年を超える年月を、共に切磋琢磨しつつ過ごしてきた。彼女はリゼルにとって気心の知れた相棒であり、大切な仲間であり、そして一番のライバルでもあった。

 彼女は幼い頃から剣を振るのが好きで、休みの日にも欠かさず鍛錬を重ねていた。彼女に負けないよう、置いて行かれないよう努力した結果、リゼルは二十二という若さにして団の幹部にまで上り詰めることが出来たのだ。


 幼い頃からずっと変わることのない姿に、リゼルは笑みを浮かべる。

 彼女が剣を振るうとき、その黒髪がなびく様はとても美しいのだ。真剣な眼差しと溢れる気迫。それらと相まって、キルエの凛とした空気が一層高まる瞬間、リゼルは思わず文字から視線を外して、彼女の姿を見てしまうのだった。


「ふぅ……。こんなものかしら」


 やがて一刻程鍛錬を続けたキルエは剣を鞘に納めると、無造作に手の甲で汗を拭った。


「お疲れ様です」


 そこへ杯を盆に載せた仲居が現れる。赤い髪を括った女性だ。

 女性が現れた途端、キルエの顔が晴れやかになった。


「アイラさん。ありがとうございます」

「ふふ。貴女の剣技、本当に素晴らしいですね」

「そ、そうですか?」


 アイラに褒められて、キルエは頬を赤く染めた。


「ええ。これまで剣士は沢山見てきたけれど、貴女ほど剣筋の鋭い女性は見たことがないわ」


 この人界最果ての地に於いて仲居を務める女性の言葉だ。確かな賞賛なのだろう。


「えへへ、ちょっと嬉しいです。ずっと、剣だけに生きてきましたから」


 キルエもそのことをわかっているのだ。彼女の笑みは、他人へ滅多に見せない心の底からのものだった。しかし――。


「あら、それはちょっと勿体ないのね。こんなに可愛いのに」

「ふぇ!?」


 仲居の言葉に、キルエの顔はすぐさま羞恥に染まった。


「ア、アイラさん! からかわないでくださいよ!」

「あらあら、私は本気でそう思ったのですけど。レンバッカ傭兵団には、見る目のある男性はいないのかしら」


 彼女はそんな台詞と共に、わざとらしくリゼルへ視線を送る。その眼には人を食ったような色があった。リゼルは素知らぬ顔で本へ目を落とす。

 視線を外したことで、音だけが二人の様子を窺う材料となった。


「やだなー、リゼルは戦闘狂ですから、私になんて興味ないですよ」


 お前に言われたくないと、リゼルは内心で毒吐いた。


「あらあら、そうかしら」

「そうですよ。それに彼は私なんかより強いですから。私じゃ隣には立てません」

「強くなければ一緒にいられないということもないと思うけれど?」

「私が我慢できないんです。ただ守られてるだけなんて、もう嫌ですから」


 その言葉は、リゼルの胸を締め付けた。

 七年程前、リゼルは彼女の危機を救ったことがある。当時はまだ成長途中だった所為か、キルエとの間にはかなりの実力差があった。今では殆ど差はないとはいえ、彼女の中に当時の悔しさのようなものは残っているのだろう。


「私は、そうは思わないけれど」


 だがアイラはキルエへ諭すように言った。


「どうしてです?」

「守られることは、決して悪いことではないのよ。守ってくれる人にも苦しいときや辛いときがある。そんなときに支えとなってあげられるなら、ただ守られるだけではないもの」

「…………」

「私も昔、貴女と同じように悩んだことがあったわ。大切な人の隣に立つのに力不足ではいけないって。でもね――」


 気が付けば、リゼルはまた二人を見ていた。顔を上げ、アイラの言葉に耳を傾けていた。


「その人に言われたの。役割は人それぞれ違うのだから、陰で支えてくれる人も必要なんだって。それで私は、肩を並べて戦うことはできなくても、傷ついたその人を癒そうって決めたわ」

「アイラさん……」

「貴女にも、出来ることはきっとあるはずよ」


 アイラはぐっと、キルエの肩を掴む。呆然とした様子のキルエは、しばらく黙った後――。

 突然顔を真っ赤に染めた。


「って、これじゃあまるで、私がリゼルの隣にいたいみたいじゃないですか!」

「あら、違うの?」

「ち、違いますよ! 私とリゼルはただの同期で、ライバルで、相棒で……」


 口籠ったキルエに、アイラはニヤニヤ笑いを向ける。


「相棒で?」

「うぅ……。なんでもありません!」


 結局、キルエは声を大にして誤魔化すことしかできなかったようだ。


「ふふ、意外と可愛いのね」

「もう! 私、お風呂入ってきます!」

「行ってらっしゃい。ああ、剣は私が預かっておくわ」

「お願いします。それじゃあ!」


 すっかりむくれたキルエから剣を預かって、アイラは浴場へ向かう彼女を見送った。軽く手を振る仕草をして、真っ赤になったキルエが角を曲がっていくのを見ると、今度はリゼルの方へ振り向く。


「それで、リゼルさんはこれからどうするのかしらね?」


 この仲居の言いたいことはわかっている。リゼルも鈍感な子供ではないのだ。あれだけ解り易い態度を見せられて、暗に焚きつけられていることも理解していた。


「別にどうもしない。俺たちは相棒のまま、ずっと変わらないからな」


 だが、理解することと実行するかどうかは別問題だ。リゼルは現状の、彼女が相棒でいる今の状況が気に入っていた。だから変える気はないし、またその必要もないと思っていた。


「あらあら、素直じゃないのね」


 残念そうにというよりは寧ろ予想通りとでも言うように、アイラは意味深な笑みを浮かべてリゼルを流し見た。どうやら妙な邪推をされているようだ。

 リゼルはなんだか、このまま自分たちの話を続けるのが面倒になってきた。そこで、彼はふと思いついた問いを利用して話題を変えにかかる。


「ところで、さっきの話、あれはアイラ殿とトム殿のことか?」


 『さっきの』というのは、大切な人が云々と言っていたものだ。こう見えて既婚者のアイラであれば、大切な人というのはもちろん旦那のことであろうと踏んでいたのだが――。


「いいえ。アーくんが私に言ってくれたの。『姉さんは、傷ついたときに癒してくれる大事な存在だ。だからそんなこと気にしなくていいんだよ』って」

「…………」


 アイラはさも当然のように唖然必至の一言を口にした。ちなみに「アーくん」とは彼女の弟のことだ。この旅館の料理長で、女将の夫でもある。

 訊くんじゃなかったと、リゼルは心からそう思った。







 そんなこんなで、迎えた出発の日。


「お忘れ物などはございませんか?」


 日が昇って間もなく、果ての庵の玄関先で四人の傭兵は返却された武防具を身に付け、ブーツの紐を締め、背にし腰に提げた得物の重みを確認して、出立の準備を行っていた。


「ああ、問題ない」


 リゼルが背の大剣から手を放してそう言えば、


「大丈夫よ」


 キルエも腰の長剣を鞘に納めて呟き、


「俺っちも平気だぜ」


 ウォリスが両腰に差した短剣の柄を撫でて応える。


「うむ」


 ヨルダもまた、頷いてユリアの視線に応じた。

 四人の返答を聞き、それぞれに頷き返していた女将は微笑みを浮かべると、徐に背後を振り返った。


「では旅立つ前に我々果ての庵一同から、お若い三人にささやかな贈り物をさせていただきます」


 後ろを向いた彼女の前には、三日間彼らの給仕を担当した赤髪の女性が立っていた。その手には平たい箱が載せられ、女将のユリアに差し出されている。


「アイラさん! 貴女も見送りに来てくれたんですか?」


 キルエが嬉しそうな笑顔を浮かべて、赤髪の仲居を見つめる。アイラは優しげな眼差しで応えて微笑みを浮かべた。


「この三日間、みなさんを見てきましたから」


 女同士、特に気の合う様子だった二人。キルエは散々からかわれたにも拘らず、結局は彼女の優しい姉のような雰囲気を好いたようだった。

 二人のやり取りを見て微笑みを浮かべながらも、ユリアはアイラの手元の箱を開いて、中のものを取り出した。そして再び彼らの方に体の向きを戻したとき、女将が手にしていたのは小さなペンダントだった。

 木の幹をくり貫いて取った木片は滑らかに磨き上げられ、表面には不思議な紋様が彫り込まれている。女将に手渡されるがまま受け取った彼らは、手にした木片が僅かに熱を持っていることに気がついた。


「きれいな模様……。これは?」

「そちらはお守りです。抱えの猟師が持ち帰った、魔界にのみ育つ『マナの木』の木片を加工し、私が守りの呪いを込めました。きっと皆さまを不幸から守るでしょう」


 キルエの呟いた疑問に直接答えることはせず、女将のユリアは彼らに贈ったペンダントがどのようなものなのかを語る。


「私も昔、同じものを受け取ったのだ。お蔭で何度魔物に食われそうなところを逃れたものか」


 ヨルダは胸元から少しくすんだ色の、同じ形のペンダントを取りだして見せ、


「ジェフリーさんも一度、そのお守りに命を救われたと仰っていましたね」


 アイラもくすくすと笑いを漏らしながら、現傭兵団長の若き頃の話を挙げる。


「へぇ、団長がね」


 先輩二人の意外な過去にうっすら笑みを浮かべ、ウォリスは手元のお守りを見つめた。


「今後も皆さまにお会いできますよう、私共の願いの印です」

「貴重な餞別だな。ありがたく頂こう」


 締めくくりにユリアへ深々と頭を下げて、リゼルは感謝の言葉を伝える。この宿に辿り着いた当初とは、女将への印象も態度も全く別物になっていた。

 それは先輩であるヨルダと仲居のアイラ、そして彼女自身からもたらされる貴重な説話の数々に胸を打たれたからに他ならない。

 一通り礼を述べた三人は、それぞれ渡されたペンダントを首にかけた。名残惜しさを振り切り、果ての庵の玄関口を出て門の前まで歩く。

 だが、四人がもう一度見送る二人へ振り返ったとき――。


「最後に私から、一つだけ皆さまにご忠告がございます」


 別れの挨拶を口にしようとしたところで、機先を制してユリアが呟いた。


「ああ、何でも言ってくれ。俺たちは先人の知恵を決して無駄にしたりはしない」


 リゼルは口元へ僅かに笑みを浮かべる。彼は既に女将がタダ者でないことを心得ていた。


「ふふ、そうですか。では一つだけ。魔界はこの世界と違い、とにかく危険に満ちています。くれぐれも無理はなさらないでください。彼の地においては、背を向けることは決して敗北ではありません。命を大事になさってください」


 少し笑いが零れたのは、リゼルの言葉と姿が誰かと重なったからだろうか。ユリアは懐かしげな眼差しで四人を眺める。


「ああ、肝に銘じよう。団長もヨルダも、貴女のその言葉に命を救われたのだろうからな」


 リゼルは彼女の言葉にしっかり頷いた。後半は当てずっぽうだが、ユリアとアイラはくすくす笑いを漏らし、若者三人の後ろではヨルダが苦い顔をしていた。

 笑い声が続く中で一人、リゼルは短く息を吐くと表情を改めた。


「よし。皆、覚悟はいいな?」


 彼は仲間を振り返り、真剣な眼差しでそれぞれを順番に見やる。


「うん。美味しい料理もご馳走になったし、これなら思い残すこともないよ」


 キルエは清々しい程に晴れやかな顔でそんな冗談を口にし、


「こーんな気楽な三日はなかったな。お蔭でリフレッシュできたぜー」


 ウォリスも相変わらずの軽薄な言葉遣いで、それでも表情だけは真剣そのものだ。

 リゼルは最後にヨルダへ目を向け、しっかりとした首肯が返ってくるのを見て頷いた。

 彼は再び、世話になった二人の女性に向き直り、ゆっくりと腰を折る。


「女将殿、それにアイラ殿も。この三日間、大変世話になった。感謝する」


 彼の丁寧な態度に、二人も笑みを浮かべた。


「いえ、私も新しい世代の傭兵さんに会えて良かったですよ」

「当館を気に入っていただけたのなら、リゼルさんもキルエさんも、それにウォリスさんとヨルダさんも、魔界から帰られたときに是非もう一度いらしてくださいね?」


 ユリアの答えは字面だけ見れば商い用となる台詞だったが、優しい声音で言われればそこに込められた想いを汲み取れないはずがない。


「ああ。必ず帰るとも。必ず、四人でな」


 仏頂面の多いリゼルも、この時ばかりは微笑んで答えた。


「はい。お待ちしております」


 そう言ったユリアの輝くような笑顔に、笑みを浮かべない者はいないだろう。


「行くぞ。……魔界へ」


 リゼルは仲間と視線を交わすと、白く輝く森を先頭に立って歩き出した。




 歩き始めた四人の傭兵の胸元には、仄かに熱を帯びたペンダントが揺れていた。





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