第0夜 プロローグ
そこは、雪深い森。深々と氷の結晶が舞う木々の海。
身を切る冷風と凶暴な獣たちに阻まれ、ヒトが生きるに適わない樹海。
そんな森に絶えず吹き続ける風を辿っていくと、一つの穴が口を開けている。
木々の間にぽっかりと開いた穴。
雪の上にではなく、宙に浮かぶ穴。
裏側には同じような背の高い木々が続き、穴の縁はユラユラと揺らいで定まらない。
中を覗けば、そこには似て非なる光景が広がっていた。
稲妻が雨のように降り注ぎ、大地からは赤く溶けた岩が吹き上がる。
この世のものとは思えぬ光景は、実は本当にこの世のものではない。
『異界の門』と呼ばれる空間の裂け目、そしてその先は、文字通り異なる世界なのだ。
二つの世界を結ぶ『異界の門』。
互いの世界からもう一方の世界へ渡ろうとする者は後を絶たず、これまで数限りない命知らずな者達が樹海を訪れていた。
また、この森を訪れた者は皆、誰もがこんなことを口にしていた。
「古森ヘイムダールの奥地、『異界の門』の近くには、安らぎを得られる宿がある」
幸か不幸か、この言葉を信じる者は殆どいなかった。
恐怖のあまり気が触れ、幻でも見たのだろうと揶揄された。
お蔭で無謀な者たちがヘイムダールを訪れることはなかった。
だが確かに、『異界の門』の近くには一つの看板が立てられていた。
木目鮮やかな板へ丁寧に彫り込まれた文字は、こう書かれている。
『旅の宿 果ての庵』