情報の価値
神の名の元に。
それは都合の良い言葉だ。
何をしても許されるという免罪符として、人の心を容易に侵す。
聖教国の人間は博愛を尊ぶ。
種族で差別はしないし、捕虜の扱いも丁寧だ。
しかし、戦場では異常なほどの士気を保ち、容赦なく敵を切り捨てる。
天狼の慈悲は尊敬すべきものであり、獣人達の境遇は手を差し伸べるべきものだ。
しかし、天狼はターゲットであり、獣人達は障害だ。
降伏したのならともかく、抵抗する以上排除する事にためらいは持たない。
それが聖教国軍の考え方だった。
数で勝り士気も高い。
聖教国軍は確実に獣人達を追い詰めていた。
そして、ついに耐えきれなくなった天狼が姿を現した。
「出たぞ! 天狼だ!」
「退避!」
20体近い天狼達が獣人達をかばうように現れ、聖教国の兵士達を薙ぎ倒していく。
さすがに聖獣の戦闘能力は、普通の人間がどうこう出来る物ではなかった。
あっという間に形勢は逆転し、聖教国の兵士たちは後退して行った。
代わりに後方に控えていた、一目で格の違いが解る部隊が前に出てくる。
天狼たちも警戒感を強める。
しばし無言のにらみ合いが続く。
その静寂を破ったのは1人の女性だった。
「はじめまして聖獣よ。私は聖教国の司祭、ミレニアといいます」
〈ふん、その司祭が何の用だ?〉
天狼の長が苛立たしげに答えた。
「このたびは、あなた方にお願いが有ってまいりました」
〈我が民を手にかけておいてか? 舐められたものだな〉
「それについては、先に手を出したのはそちらです。我々は対話を望んでおります」
〈我らを戦いにおける先兵とし、従わなければ魔具を使うつもりなのだろう〉
「それは……」
元より強引なこの作戦に乗り気ではないミレニアだ。
話し合って協力してもらいたかったのだが、情報が漏れていたようだ。
獣人達からすれば、自分達は天狼を捕えに来る敵でしかない。
そしてその結果、対話の道は閉ざされた。
ミレニアは覚悟を決めた。
どの道、帝国が攻めてくれば彼らは全滅するのだ。
連れてきた『天翼騎士団』のメンバーに魔具の準備をさせる。
「ならば仕方ありませんね……」
〈黙れ。元からそのつもりであろう〉
4人の騎士が4本の『隷属の鎖』を構える。
狙いはおそらく最も強いであろう、天狼の長。
1本で従える事ができれば4体を、効果が無ければ4本全てで1体を従える。
天狼側も黙ってやられるつもりはない。
四肢に力を込め攻撃の隙を探す。
張り詰める様な緊張感。
その時、雲が晴れ月明かりが森に差し込んだ。
「「「「「!」」」」」
〈〈〈〈〈!〉〉〉〉〉
月の魔力が増したことで生じた隠蔽の揺らぎ。
僅かに漏れた気配。
しかし、それを感じた、その場にいる全ての者たちが岩場を見る。
〈おや、ばれてしまったか。シミラやリンクスの様には行かないものだ〉
そこには天狼の倍はある、漆黒の巨狼が佇んでいた。
いったい何時から、何故そこにいるのかも解らない闖入者。
だが、この力は……。
〈な、汝は……〉
天狼の長の声も震えている。
もはや隠蔽する気は無いのだろう。
背筋が震えるような莫大な力が膨れ上がる。
〈ん? ああ、俺の事は気にするな。干渉する気は無いから続けてくれ〉
緊張感に欠ける口調で黒狼は言った。
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意外な事に、我に返るのが一番早かったのはミレニアだった。
とはいえ、彼女が特別勇敢だったわけでも鈍感だったわけでもない。
戦闘者ではない彼女には、ハウルの力は『天狼より強い』位にしか認識できなかったのだ。
「『隷属の鎖』用意! 標的はあの天狼の亜種!」
故にその指示も無謀としか言えないものだった。
しかし、騎士たちは反射的にそれに従った。
4本の鎖全てが放たれ、ハウルの全身に絡みつく。
しかし
〈ふん? テイム系のマジックアイテムか〉
パキィ
4本の鎖はボロボロになり、砕け散った。
一瞬の事だった。
ハウルが何かしたわけではない。
ハウルには既に主がおり、その力は4本の鎖を遥かに超えている。
よってテイムの効果は無く、逆に反動で魔具は破壊されたのだ。
国宝級のアイテムの喪失に絶句する聖教国軍。
〈御挨拶だな。そちらがその気なら……〉
「うわああああああ!」
「撃て、撃て!」
「殺せえぇ!」
ハウルが脅しつける前に、聖教国軍の理性が崩壊した。
恐慌に陥った兵達は、でたらめに魔法を撃ち矢を飛ばす。
もちろんハウルを傷つけることなど不可能だが、少しうっとおしい。
〈(これも自衛の内だろう。情報は獣人や聖獣達から集めるか)〉
フィオ譲りの過剰防衛精神を発揮するハウル。
さすがに皆殺しにする気は無いが、追い散らすことにした。
〈オオオオオオオン〉
夜風に染みわたる様な透き通った咆哮。
それと同時に空に星が輝いた。
否、曇り空を満天の星空に変えたそれは全て光弾。
〈俺を従えたいのなら……〉
ハウルの得意技【星屑】。
それは主の進化と共に強化されていた。
その名は【星天図】。
〈その資格を示してみるがいい!〉
満天の星空から流星が降り注ぐ。
その数は162個。
それはハウルに攻撃を仕掛けた兵士の数と同じだった。
降り注いだ流星は正確に標的を打ち抜いた。
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見渡す限りの死体。
ミレニアは瞬きする事も出来ず呆然と立ち尽くしていた。
彼女もようやく、手を出してはいけない存在に手を出してしまった事を理解していた。
「……資格とは?」
空は未だに光に埋め尽くされている。
黒狼がその気になれば、一瞬で1人残らず殺される。
自分達は見逃されたのだ。
だから聞いてみた。
〈力だ。俺を、主を超える力〉
主? この怪物を従えている存在がいる?
帝国の英雄? それとも神種?
とんでもなく重要な情報だ。
何としても生きて帰らなくては。
「ここで引けば見逃してくれますか?」
〈弱者をいたぶる趣味は無い〉
「解りました」
弱者か……。
確かに、これ程の存在の前では精鋭騎士も羽虫も大差ないだろう。
作戦は大失敗。
だが、天狼捕縛よりも成果が有ったのかもしれない。
情報という成果が。
生き残った聖教国軍は、星空に怯えながら逃げ去った。
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獣人達は困惑していた。
目の前には自分達の危機を救ってくれた黒狼がいる。
しかし、それは結果論である。
彼は最初は傍観者だったのだから。
「あなたも天狼なのですか?」
〈そうだな。まあ、亜種とでも思っていてくれ〉
〈〈〈〈……〉〉〉〉
天狼たちは警戒しているが、どうにも軽い感じだ。
気さくと言えば気さくだ。
変に緊張する事も無いと言われたし。
「それで、私たちに聞きたい事があるそうですが……」
〈ああ。お前たちの出身はどこだ?〉
「大半が南大陸の出身です」
「部族間の戦争で、難民になったところを捕まったんです」
〈当たりだな〉
「はい?」
〈いや、何でもない。その南大陸の事を教えてくれ〉
「解りました」
「お安いご用です」
ハウル軽い口調でしたね。
ちなみに力、資格云々は、フィオより強い者などいないという信頼の裏返しです。