過ぎ去りし記憶
『彼』が生まれたのは国際的な紛争地帯だった。
民族、部族、宗教、権力。
面積だけは広い貧しい一つの国の中で、人々は止まる事無く争い続けた。
もはや始まりが何であったのかも解らない。
デモ隊に向けた一発の銃弾だったと言う者もいる。
とある宗教指導者の暗殺だったと言う者もいる。
だが、そんな議論はもはや意味をなさない。
外国からテロリストまで流入し、戦乱は泥沼化していく。
大多数の民が終わりにしたいと願っているのに、底無し沼のように終わりは見えない。
殺されたくないから殺す、それがこの国の真理となってしまった。
もはや戦争ですらない。
敵が誰なのか、何なのか、そもそも本当に敵なのか。
それすらも解らず銃口を向ける。
それが当たり前の国となっていた。
国際調停機関も役に立たなかった。
長い時間は機関を硬直させ、ただの国家間の権力争いの場へと変えてしまったのだ。
本来中立であるべき代表も、自身の利権と自国の利益ばかり追求する。
調停がなされない会議は次々と物別れに終わってしまう。
機関の機能不全を横目に、大国は自国の思惑で独自に介入を始めた。
先進国のほとんどは興味を持っていなかった。
この国には資源も戦略的価値も無いので、リスクとリターンが釣り合わないのだ。
一部の大国はこの国を代理戦争の場にしたり、新兵器の実験場にしたりした。
それらは各勢力への援助という形で行われ、戦乱を泥沼化させていた。
また一部の国は戦乱そのものには不介入だが、国民に対する救援物資の援助を行った。
しかし、これも対症療法でしかなく、そもそもの原因である戦乱を収める役には立たなかった。
援助物資は国民全て、つまりはあらゆる勢力に届けられるのだから。
それでもマシな方と言えるのは間違いないが。
『彼』は一応は正当な勢力という事になっている政府軍の支配地域で生まれた。
父親が軍の幹部であったため、自身の境遇はマシな方であった。
しかし、末端の国民の生活の悲惨さはすぐに『彼』も知ることになった。
このままではいけない。
このままでは国が死んでしまう。
『彼』は父に懇願して外国に留学し、必死になって勉強した。
外国に渡ったことで自国の異常性がよりはっきりと解った。
先進国の農業技術を始め、国を立て直すのに必要と思われる技術を貪欲に身に付けた。
やがて博士号を手にした『彼』は帰国を決意する。
恩師や友人は『彼』を引きとめた。
『彼』の志は立派だが、あそこはそれだけでどうにかなる国ではないと。
そんな事は『彼』自身承知していた。
しかし、自国を捨てることはできなかったのだ。
帰国した『彼』を待っていたのは厳しい現実だった。
国は全く変わっておらず、帰国した『彼』は即座に軍に入れられてしまったのだ。
確かに『彼』の知識や技術は有用だろう。
しかし、それは平時ならばの話だ。
砲弾の降り注ぐ荒れ地で畑など作れない。
牛も鳥も繁殖させる前に根こそぎ奪われてしまう。
結局、戦乱が収まらなければ何もできないのだ。
それから一年、『彼』は前線指揮官にまで出世していた。
『彼』自身も有能だったが、それだけ前任者が次々に死んでいったのだ。
指揮官はテロや暗殺の標的にもなる。
『彼』は必死で自分と部下の身を守り、戦い続けた。
そんな時、政府軍はある武装勢力を襲撃し壊滅させることに成功する。
この武装勢力は規模こそ小さいが、他の武装勢力をつなぐパイプ役を担っていたのだ。
よって、その壊滅は大きな戦果であった。
武装勢力は連携が取れなくなり、活動が停滞した。
だが、これが思わぬ事態を招く事になった。
武装勢力に新兵器を流し、実験をさせていた大国の怒りを買ったのだ。
大国は工作員を送り込み、全面的に武装勢力を支援し始める。
ターゲットはもちろん政府軍であった。
民間人を装ったテロや、政府軍を装った略奪などが起き、政府軍は大いに混乱することになる。
さらに、政府軍を悩ませたのは末端の兵士の暴走である。
暴行、略奪の類は禁止しているのだが、隠れて手を染める兵士が後を絶たないのだ。
工作員に煽られた者や、武装勢力の内通者の仕業とされたがイメージダウンは避けられなかった。
そして事件は起こった。
援助物資を運んできた国際機関の輸送部隊が、襲撃を受けたのだ。
援助物資は根こそぎ奪われ、職員の大半は殺された。
僅かな生き残りの証言によって犯人が特定される。
すなわち、襲撃者は政府軍の姿をしていた、と。
当然、政府軍は否定し調査を行った。
しかし、調査はまるで進展せず最悪の事態を迎えた。
国際機関で非難声明が採択され、政府軍に対する空爆が行われることになったのだ。
政府は交渉と釈明の場を求めたが、その大国は聞く耳を持たず最新のミサイルを撃ち込んだ。
空爆によって政府の支配地域は完全に破壊された。
空白となった領地に武装勢力が雪崩込んだが、さらに彼らを思わぬ事態が襲う。
今まで自分達を支援してきたはずの大国が、自分達まで空爆し始めたのだ。
トカゲの尻尾として斬り落とされた事に気付くまで、そう時間はかからなかった。
『彼』は政府軍が空爆されても生きていた。
武装勢力に制圧された時、すぐに降伏した。
武装勢力の幹部の中で話の通じるものと交渉し、戦後の復興に尽力したいと説得したのだ。
『彼』にとっては所属する勢力は重要ではなく、国全体のために尽力する事こそ重要であった。
しかし、その想いは叶えられる事は無かった。
武装勢力を狙った空爆によって『彼』は命を落としたのだ。
その後、自国がどうなったのかは『彼』には解らない。
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「…様、ニクス様」
かけられる声に気付いた竜人の青年は、閉じていた目を開いた。
昔の、前世の夢を見るなど久しぶりの事だった。
「ああ、すまない。大丈夫だよ」
「そうですか……。ずいぶんお疲れのようですが」
確かにその通りだ。
知恵を持たず凶暴な亜竜を、何千体も支配するのは消耗が激しい。
騎竜隊の増員を行ってから、ニクスははっきりと負担を感じるようになった。
まるで身体から大切なモノが削り取られていくように。
「ブラガの様子は?」
「容体は安定しました。ただ外傷より精神的なものが……」
「そうか……」
兄弟同然の親友が、ボロボロになって帰還したのはつい先日の事だった。
砦は無事なのに守備兵だけが全滅したという不可解な状況。
どうやら追撃部隊が壊滅し、救援に出た守備隊も全滅したらしいのだが。
詳しい話を聞こうにもブラガは昏睡状態だ。
不透明な状況が彼の心労を増やしていた。
戦況は有利だが、向こうが思う程こちらが有利な訳ではない。
人数の増加に伴う、質の低下と規律の緩み。
急速に増えていく物資の消費。
長期戦は難しい。
「もう少しなんだ……」
「そうですね。ニクス様ならきっと明るい未来を実現できますよ」
ニクスは幼い時から、なぜか頭に知識があった。
当たり前のはずの生活水準を遅れていると感じた。
悪化していく大陸の状況に、なぜか覚えがあり焦りを募らせた。
そして、その理由は唐突に明らかになった。
ある日、突然頭の中に弾けた記憶。
必死に生き、しかし無念の死を遂げた1人の男の記憶。
神を名乗る存在と、与えられた3つの力。
全てを理解した。
自分は転生者なのだ。
そして、前世の故郷によく似た大陸の危機。
古い因習に囚われ、根本的な解決をできない長老たち。
今度こそ故郷を、故国を救うのだ。
その為の知識が自分にはある。
焦り過ぎなのかもしれない。
もっと、ゆっくり改革する方が正しいのかもしれない。
だが、自分は拙速な方が犠牲が少ないと判断した。
すでに行動に移した。
結ばれつつあった和平をぶち壊した。
守るべき家族をその手にかけた。
全てはこの大陸の民のため。
「立ち止まる訳にはいかないんだ……」
前世で果たせなかった願いのために行動するニクス。
しかし、急速に消耗していく理性。
フィオの浄化は間に合うのか? それとも……。




