蛙の暗躍
ぺキ!
枯れ枝が折れる様な音がした。
フィオを縛ろうとしていた男は音のした場所を見る。
自分の右腕がフィオに掴まれている。
そして掴まれた部分、手首と肘の間から先がブラリと垂れ下がっていた。
「へ?」
「……」
フィオが無言で力を込めると、腕の内側から何かが擦り潰される様な異様な感触がした。
そこでようやく理解が追い付く。
同時に痛覚が復帰した。
「あ? ああ!? ギャァアアアア!!」
のたうち回る男を冷たく一瞥し、フィオは視線を愚かなカエルに向ける。
彼は何が起きたか理解できていない様だった。
その呆けた顔を握りつぶしてやろうかと手を伸ばす。
が、
「馬鹿者が!」
ベキィィ!
「ブゲェ!」
ものすごい勢いで突っ込んで来た虎獣人がその顔面を殴り飛ばした。
周囲を見渡すとカエルの取り巻き達はロサ、グラ、アジェに叩き伏せられていた。
3人の顔は憤怒に歪んでいる。
ふと眼をやると、少し離れた所に狐獣人の女性が青い顔でへたり込んでいた。
その隣の兎獣人の女性はもしかして気絶しているんだろうか?
そうこうしている内に続々と人が集まり、カエル達は逆に縛りあげられてしまった。
身なりの良い者が多いな。
こいつら、みんな族長格じゃないのか?
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「イチョウさん、急いで!」
全力で走るイチョウだが、兎獣人のメネにはどうしても遅れてしまう。
もう、ここまで入り口での喧騒は聞こえてくる。
揉めているのは蛙獣人のファグル。
札付きのトラブルメーカーだ。
本来なら叩き出してやりたい相手だが、そうも言えない事情がある。
まず、今は1人でも多くの戦力が欲しい。
質だけでなく数も負けているのだから、これ以上の戦力低下は避けたい。
次に、蛙獣人は彼と数人の取り巻き以外全員が過激派についている。
竜人もそうだが、数は少なくともその種族が所属しているという事実自体に意義があるという面もあるのだ。
所属している勢力の数は大義の支持者の数であり、士気に大きくかかわる。
例えば金狼族は全員が過激派についている。
こちらに銀狼族が全員ついていなければ、犬獣人の大半は向こうについていただろう。
しかし、この辺が限界だろう。
左遷するたびにトラブルを起こしているファグルだが、今回は最悪だ。
もう左遷先も思いつかない。
やりたくは無いが捕縛、場合によっては処刑も考えなければ。
「見えた!」
「む? 何のつもりだ、あ奴ら!」
騒ぎの中心に立っているのは魔人族の青年。
彼が我々の運命か。
その青年に縄をかけようとする兵達。
マズイ、最悪だ!
「ヒッ!」
メネがビクリと震え足を止める。
ちょうど魔人の青年が兵士の腕を握りつぶした所だ。
メネの直感が時間切れの警告を発したのだ。
青年が続いてファグルに目を向ける。
ファグルは青年と私の中間に立っている。
だから青年の顔が見えた。
目が見えた。
周囲の風景が消える。
これは霊視だ。
闇の中に自分だけが立っている。
いや、自分だけではない。
ファグルと青年が離れた所に立っている。
と、青年の輪郭が歪む。
赤く輝く眼だけをそのままに、その姿が変わっていく。
膨張し巨大化する。
その姿はシルエットとなっており、詳細は解らない。
深紅の眼、巨大な体躯、コウモリの様な翼、頭部の角、長い尾。
明らかに異形と解る黒い影。
イチョウは自分が腰を抜かしてへたり込んでいる事に気付いた。
その目からは涙が溢れている。
しかし、動けない。
自分を見ているわけでもないのに、深紅の眼光はイチョウを縛りつけている。
異形の影がゆっくりとその腕を振り上げる。
何をするつもりかなど明白だ。
愚かなる蛙を引き裂くつもりなのだ。
そしてその次に引き裂かれるのは……。
「だ、駄目……」
あの腕が振り下ろされれば全てが終わる。
だが、自分は動けない。
イチョウが絶望し、腕が振り下ろされる瞬間
「馬鹿者が!」
鬼気迫る声がイチョウを現実世界に引き戻した。
ファグルは殴り飛ばされ、その部下達も制圧されている。
魔族の青年は拍子抜けしたようにそれを見つめている。
「(間に合った……)」
安堵するイチョウ。
しかし、立ち上がろうにも足に力が入らない。
隣を見るとメネが同じようにへたり込んでいた。
ただし、彼女は目を開いたまま気絶していた。
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蛙を始末しようとしたのだが、振り上げた拳を振り下ろす事は無かった。
あれよあれよという間に連中は捕縛され、今俺の目の前には穏健派の幹部達が勢揃い。
彼らはこっちが引くほど恐縮して謝罪している。
「あー、もう気にしてないから」
「そうですか、ありがとうございます……」
キリッとした感じの狐獣人の女性がホッと息をつく。
何か怯えてないか? 特にこの人に何かした覚えは無いんだが。
兎っぽい女性は気を失ってるし。
貧血かな?
「こいつらはどうしましょう?」
「空き部屋にぶち込ん……、いや、そこの木に縛り付けておけ」
「了解です」
あの蛙は謹慎部屋の常連だったらしい。
室内など手ぬるい、とばかりに外の木に縛り付けられてしまった。
周囲に目をやると帰還した獣人達が仲間との再会を喜んでいる。
戦争自体に興味は無いがこういう光景は悪くないな。
と、虎獣人の男性を先頭に数人の獣人達が近寄って来た。
「馬鹿が大変失礼した。わしは猫獣人を束ねているジンガという。娘達を助けてくれて本当に感謝している」
娘? ああ、ロサか。
後ろには銀狼の男性もいる。
どうやら敗残兵達の関係者の様だ。
「まあ、成り行きだから気にしなくて良い。それと、出来たらで良いんだが竜人に話を聞きたい。ニクスとドラゴンについてだ」
「ニクスの弟にあたる人物がここにおります。姉や妹はさらに後方の避難地域に退避していますが……」
「んー、いや、弟さんだけで良い。確認したいだけだからな。長居をするつもりもない」
その言葉に落胆の表情を見せる獣人達。
戦力として当てにしていたんだろうけど、生憎戦争そのものに深入りする気は無い。
主義主張自体には両方に言い分があり、どちらが正しいか決めるのは俺ではないのだ。
過激派は独裁に陥る危険があり、穏健派は将来の明確な展望を持っていない。
俺からすればどっちもどっちだ。
「ただ、俺はこの後ドラゴン達の所に向かおうと思っている。その結果次第ではドラゴンはニクスの元を離れるかもしれないぞ。むしろその可能性は高い」
「……なるほど。こちらにとっては十分な援護になりますな」
「ドラゴン達がいなくなれば亜竜達もあそこまでおとなしく従わないだろうな」
「厄介な騎竜兵が減るわけですね」
俺が間接的な援護をしてくれるということで、獣人達の歓迎ムードは変わらなかった。
ジンガ達に案内され、俺は穏健派竜人族のリーダーの元へ向かう。
何故かロサ達も付いてきているが気にしたら負けだろう。
「む? あいつらどこへ行った?」
突然獣人の1人が怪訝な声を上げる。
視線の先には1本の木がある。
その根元には切られたロープが。
「ファグルの奴、どうやって逃げた……」
「刃物は取り上げておいたのですが……」
どうやら蛙が逃げたらしい。
探知を行うと、取り巻きと一緒に離れた森の中にいた。
いや、取り巻きだけではない。
人数が増えている。
「ん? こいつらは……」
増員は例の俺への不信感を煽っていた連中だ。
こいつらもファグルの一派だったようだ。
ロープを切ったのも連中だろう。
協力者を排除しようとする連中。
トラブルばかり起こすファグル。
何故か彼に従う取り巻き。
なるほど、そういうことか。
「戻ってきたら牢屋にぶち込んでやれ!」
「いや、多分戻らないな」
「え?」
「どういう事ですか?」
不思議そうにする獣人達。
彼らにとっての戦いとは正面からの殴り合いであり、戦争もその延長でしかないのだろう。
だが、ニクスが転生者ならばもう1つの戦い方を知らないはずが無い。
それは情報戦。
情報を制する者が戦いを制する。
現代の戦争における常識だ。
現代に限らず昔からこういった策は用いられてきた。
実際の戦闘が行われる前に、自軍が有利になるように策を巡らせる。
戦いが始まる前に、準備段階で勝負が見えてしまう事も珍しくは無い。
有名どころでは関ヶ原の戦い。
兵力だけで言えば石田勢の西軍の方が多く有利なはずだった。
しかし、徳川率いる東軍は西軍の一部を寝返らせ、足止めし、戦力を逆転させてしまった。
獣人達にはこういった戦術、戦略的な概念がまだ乏しい様だ。
戦争の経緯を聞いた限り、ニクスはこういった計略に長けていると思われる。
何故なら、実に鮮やかに勝利を重ねているからだ。
力だけのごり押しではこうは行かないだろう。
つまり、ファグル達は
「おそらく連中は過激派の工作員だ。情報を流し、トラブルを起こして士気を下げ、場合によっては邪魔な奴を排除する。そんな任務を帯びて穏健派に潜入していたんだろうな」
いい加減、穏健派幹部達の忍耐も限界の様だった。
この辺が潮時と判断したのだろう。
正直良い判断だと思う。
ゲス野郎だが工作員としては有能だったようだな。
どうにか助かった穏健派。
ちなみにファグルの態度は素です。
ニクスとしては自軍にいると火種になるから敵軍に放り込んだわけです。
まさに一石二鳥。




