教国の闇
フィオが帝国軍とぶつかるより少し時間は戻る。
フラム聖教国の首都ブライト。
その中心に存在する大聖堂の一室に1人の司教がいた。
彼、ヨハン司教は教国の財政を担当する金庫番で、財務大臣の様な立場の人物だった。
教国の権力者は法王1人、枢機卿3人、司教12人で構成され、その下に司祭、神官、信徒と続く。
しかし、司教の半数以上は法王、枢機卿の息がかかった者たちで、立場に見合う能力があるとは言えなかった。
ヨハンは4人いる、上司の息のかかっていない有能な司教の1人だ。
コンコン
「どうぞ」
「失礼する」
「失礼します」
扉が叩かれ、壮年の男性と初老の女性が入ってくる。
1人は軍事部門の重鎮ゲオルグ司教、もう1人は司祭、神官を統括し『マザー』の通称で敬われるアニタ司教であった。
「ふむ、残るはベイガー殿か」
「それなんですが、ベイガー司教はいらっしゃいません。急な仕事が入ったそうなので……」
「まあ……」
「む……」
ゲオルグ、アニタ両司教が顔をしかめる。
おそらく自分も同じような顔をしているだろう。
それにはもう1人の同士ベイガー司教の役職が大きく関係していた。
ベイガー司教は元勇者隊に所属していた経験を持ち、武力魔法どちらにも優れる豪傑だ。
守りと癒しのゲオルグ司教と並ぶ人物であった。
引退後、彼はその公正な人格から、とある重要な機関の長に選ばれた。
それは『聖教審問会』と呼ばれる組織だった。
審問と聞くと、教敵を見つけ出す異端審問を想像する者が多いだろう。
しかし、聖教審問会は全く逆の性質を持つ組織だった。
すなわち、聖職者の犯罪を摘発する、教国における内部監査機関なのだ。
もちろん、この機関を掌握しようとする権力者は多かった。
しかし、審問官の証たる法衣には神種であった始祖、初代法王の手により資質を問うエンチャントがかけられていた。
その為、審問官に選ばれる者たちは全て清廉潔白な人物達であり、権力者たちは取り込む事が出来なかったのだ。
その審問会が動いたという事は聖職者の犯罪が行われたという事であり、ベイガー司教自らが動かなければならないという事は相手がそれなりに高位であることを意味していた。
「相手は司祭。罪は信徒に麻薬を盛った事だそうです」
「何と!」
「麻薬ですって!?」
ヨハンが聞いた話によると、とある町の司祭が教会で信徒が飲むワインに麻薬を混ぜたらしい。
禁断症状を呪いとし、麻薬入りワインを飲むと落ち着く事を祝福とした。
症状が進んだ者たちには、手を結んだ薬屋が万能薬と称して麻薬を販売していた。
司祭はその売り上げの一部を賄賂として受け取っており、相当な額になるらしい。
もっともさすがに怪しいと感じる者が多く、審問会が調査に乗り出したわけだが。
そこまで話すとゲオルグ司教もアニタ司教も難しい顔になる。
そう、事はそれほど単純なものではないのだ。
密輸か製造かは解らないが、どうやってそんな大量の麻薬を用意したのか?
どう考えても1人の司祭ができる範囲を超えている。
加えて莫大な資金の大半がどこかに消えている。
そう、明確な証拠は無いがこれは上層部のかかわっている可能性が高い。
そしておそらく証拠は出ない。
「潰しても潰しても限がない。ベイガー殿がぼやいていたな……」
「ええ。何しろ全てがトカゲの尻尾ですから」
「頭を潰そうにも証拠が無い、ですか……」
いくら独立機関とはいえ証拠も無しに法王や枢機卿、司教を調べる事は出来ない。
たとえどんなに疑わしくてもだ。
そして最近、審問会の仕事は確実に増えている。
「そう言えばゲオルグ司教は先日は災難でしたね」
「ああ、ミレニアのことか……」
ヨハンは先の見えない話を切り上げ、ゲオルグに話を向けた。
この話も上層部の起こしたトラブルだった。
ミレニアはゲオルグの師事を受けた弟子であり部下だ。
それを他の司教が勝手に動かしたのだ。
しかも天狼の捕縛という危険極まりない任務を。
天狼は勇者10人がかりでようやく相手に出来るような怪物である。
一般兵や普通の騎士など相手になるはずが無い。
案の定、捕縛隊は蹴散らされ大きな被害を出した。
ミレニアを危険にさらした司教をゲオルグは問い詰めたが、法王の命だったと知らされ引くしかなかったのだ。
「あいつは運が良かっただけだ」
「黒狼の神種でしたか。数百の兵を一瞬で殺害したとか」
「私としては、兵の犠牲よりも先にマジックアイテムの損失を咎める辺りもね……」
この一件も上層部の暴走を象徴していた。
勝手に無茶な任務を命じておいて、失敗したミレニアを処罰しようとしたのだ。
ゲオルグの抗議によって事なきを得たわけだが、問題の根深さに3人は頭を抱えてしまう。
「……それでは、本題に入りましょうか」
「正直もう一杯なんだがな……」
「良い話ではなさそうですしね……」
「ご察しの通りです」
ヨハンは二人に予算請求書類を一枚見せる。
それは軍事費に関する書類だった。
「こんなもの見せてもいいのか?」
「今さらですよ」
本来なら予算はヨハンが決定するべきなのだが、現実は違う。
要求の段階ですでにほぼ決まっており、ヨハンは収入とのすり合わせ程度の修正しかできない。
上司の意向により、ヨハンは要求額が妥当かを調べることすらできないのだ。
一体どれだけの予算が横領されているのだろうか。
「また、増額していますね」
「もう人員の補充は完了している。後は訓練だけなのだがな」
「ええ。問題はここです」
「食糧費か。ずいぶん多いな」
「これは、横流しですか?」
アニタ司教の考えは妥当な線だ。
ヨハンも最初はそう思ったのだから
だが、情報を集めるとさらに深刻な事態だと解ったのだ。
「その方が良かったかもしれません」
「え?」
「もし、本当にこれだけの食料が必要だとしたらどうです?」
「……帝国を攻めるつもりか」
「な!?」
軍部のゲオルグ司教は察したようだ。
通常よりも多くの食料が必要なのは攻める時。
そして、それが本当だとすればもう一つ大きな問題がある。
「やはりゲオルグ司教の耳には入っていないのですね……」
「ああ……」
軍事部門の責任者にも秘密に行動する。
後ろ暗い所があるのが丸わかりだった。
考えてみれば兆候は有った。
勇者隊は今や法王の私兵だし、騎士団の一番隊長は法王寄りだ。
さらに新任の三番隊長は枢機卿の息がかかった人物だったはずだ。
そしてゲオルグに近い二番隊長ウェインは国境守備に付いており、首都に戻ってこない。
明らかにゲオルグを外そうとしているのだ。
「異世界召喚か……」
「禁術を手に入れるつもりだと?」
「間違いないでしょう。今、帝国は英雄を失い、さらに何かの事件で混乱中だという事です。今が好機と見たのでしょう」
「そんな……」
敬虔な信者の1人であり、国中を移動しているアニタ司教には想像もつかないのだろう。
だが、戦場を知るゲオルグや大聖堂に常駐するヨハンはそうではない。
やりかねない。
やってもおかしくない。
それが欲深い権力者というものだ。
「とにかく、実際に動きがあるまでは時間があるはずです。お二人はいざという時の事も考えておいて下さい」
「うむ……」
「ええ……」
その時が来たら自分達はどうするべきなのか。
3人は迷う。
反対した所で聞き入れられる事は無いだろう。
では、実力行使で?
それも難しい。
沈黙する3人の司教。
そんな彼らを窓辺から一羽の小鳥が見つめていた。
数日後、帝国軍の壊滅と皇帝の死亡が確認される。
翌日、法王は帝国に対する聖戦の開始を宣言。
反対した4人の司教は謹慎を言い渡されることになる。
そして戦争の準備を進める教国に代行者が訪れた。
「ご苦労さん、ベルク。ここも大掃除が必要みたいだな」
中世のキリスト教とかもこんな感じだったんですかね。
日本人の寛容な宗教観って世界でも独特らしいです。




